第504話「スパルタ」

 〈牧牛の山麓〉はその名前に牛を冠しているとおり、ボーンオックスやミルクカウなど多くの牛型原生生物の住処となっている。

 ボーンオックス以外には好戦的アクティブな原生生物はおらず、比較的戦闘能力の低い生産職志望のプレイヤーでも安全に肉や牛乳といった食材を手に入れることができた。


「そう言うわけで、牛肉はいくらあってもいいですからね。〈杖術〉スキルのデモンストレーションがてら食材集めをしていきたいと思います」

「なるほど。よ、よろしくお願いします」


 フィールドの真ん中までやってきたレティが、ハンマーを構える。

 シフォンは緊張の面持ちでそれを見届ける準備をしていた。

 しかし、レティはすっとハンマーの構えを解く。


「っと、その前に一度シフォンさんも戦ってみますか」

「はえ?」


 きょとんとするシフォンに向けて、彼女はそんな提案を出した。


「やっぱり、まずはこの辺にいる原生生物の強さを体験してみてからがいいですよ」

「はええっ!? ちょ、無理ですよ。わたし、まだ〈剣術〉レベル10しか――」

「大丈夫ですって。危なくなったらレティが助けますから。何事も経験ですよ」

「はえええっ!?」


 嫌がるシフォンの背中を強引に押すレティ。

 シフォンも全力で足を突き出しているが、レティの膂力は凄まじく、為す術も無くミルクカウの前まで押し出されてしまった。


「ミルクカウは山麓の中でも弱めのエネミーです。さ、『威圧』なりなんなりで呼んでみて下さい」

「うぅぅ。こ、こうなりゃ自棄だ……『威圧』ッ! やぁ!」


 レティの顔を見て逃げられないことを悟ったシフォンは、剣を引き抜いて声を上げた。

 明確な敵意を向けられれば、如何に温厚なミルクカウと言えど身を守るため立ち上がる。

 短い角の生えた頭を低く下げ、鼻息を荒くして蹄で草地を削る。


「まずは突進ですね。避けるかガードしたほうがいいです」

「た、盾はまだ持ってないんですよう」


 短い咆哮を上げ、ホルスタイン柄の牛が迫ってくる。

 シフォンは地面を蹴って横へ身を躱す。


「『一文字斬りキーンスラッシュ』――ッ!?」


 すれ違いざま、銀色の剣が鞘走る。

 しかしその直後、彼女は刃を伝ってきた感触に目を見開く。


「硬っ」


 まるで岩を叩いたような衝撃だった。

 全身を強靱な筋肉で覆った獣であるミルクカウは、それを堅固な鎧に転化させていた。

 更に分厚い毛皮も滲み出した脂によってフェルト状に硬化しており、まるで刃が通らない。


「シフォンさんっ!」

「しまっ――」


 予想を裏切られた驚きに、シフォンは思わず動きを止める。

 レティが名前を呼んだが、彼女が振り向いた時にはミルクカウの頭がすぐ側まで迫っていた。

 本能的な反射によって、彼女は足が竦み回避ができなくなった。

 代わりに膝を曲げ、丸く蹲る。

 ぎゅっと目を閉じ、暗闇の中で衝撃を待つ。

 だが。


「でりゃーっ!」


 空気を裂くような大声が響き、次いで大型車同士が正面から衝突したような鈍い音。

 くぐもった牛の叫声。


「あ、あれ?」


 シフォンはいつまで経ってもやってこない衝撃に首を傾げつつ、恐る恐る瞼を上げる。

 彼女の視界に飛び込んできたのは、背筋を真っ直ぐに伸ばして胸を張るレティと、彼女の視線の先で仰向けに転がるミルクカウの姿だった。


「うそ、あの巨体を吹き飛ばしたの……?」

「ふふん。これこそがハンマーの衝撃ですよ。硬い皮や筋肉に包まれてても、打撃属性なら良く通りますしね」


 誇らしげに星球鎚を大地に落とすレティ。

 彼女がテクニックすら使わず、通常の打撃だけでミルクカウを瞬殺したことに、シフォンは遅れて気がついた。


「すっごい……」


 一瞬の出来事だったが、だからこそシフォンの目には印象的だった。

 彼女の口から勝手に零れ出た言葉を、レティの長い耳は機敏に拾う。


「んへへ。そうでしょう、そうでしょう! どうです? シフォンもハンマー使いになりませんか? 良いですよぉ、ハンマーは!」

「ええっ! でも、その、ハンマーは扱いが難しそうで……」

「うーん、慣れればそうでもないと思いますけどねぇ」


 俯いて言うシフォンの言葉に、レティは眉をひそめる。

 ハンマーはヘッドの重さと攻撃力や破壊力の高さに直接的な相関がある。

 そのため、より強いハンマーを選べば、ハンマーに振り回されることもあり、見た目よりもずっと技術を要する武器種とも言えた。

 『旋回打』のような遠心力を利用するテクニックを多用していけば、徐々にハンマーのクセも分かるようになるはずだとレティは説明するが、シフォンは自信なさげに眉を下げたままだ。


「それじゃあ、レティと一緒に練習しましょう。ベーシックハンマーはありますよね」

「は、はい。それはもちろん」


 レティはハンマーをオーソドックスな形状の機械鎚へと持ち替える。

 シフォンにも初期装備の一つであるベーシックハンマーへと持ち替えさせて、ハンマーの振り方から教えることにした。


「うーん、懐かしいですね」

「そうですか?」


 ベーシックハンマーは、レティも最初に手に取った武器だ。

 白い初期装備も相まって、シフォンの出で立ちにレティに懐古の念を滲ませた。


「とりあえず、テクニックは“型”と“発声”を揃えればある程度自動で動いて攻撃してくれますが、それだけだと臨機応変に対応できません。それに、特にハンマーはLP消費が大きくテクニックディレイも長いですから、すぐに息切れしてしまいます。テクニックを使わない、通常攻撃の仕方を覚えましょう」

「わ、分かりましたっ」


 〈牧牛の山麓〉は好戦的な原生生物が少なく、平和なフィールドだ。

 威圧系のテクニックを使わなければ、ミルクカウの隣で素振りをすることもできる。

 レティとシフォンは草原の真ん中で隣り合って、ハンマーの素振りを続けた。


「そうそう。ブンッっとやってドーンッ! 良い感じですよ」

「そ、そうですか?」


 お手本であるレティの動きを、シフォンは見様見真似でトレースする。

 レティは動き方を口でも説明していたが、擬音の羅列でしかなかったためシフォンは早々に理解するのを諦めた。


「ヘッドの重量を感じて、その流れに逆らわず……」


 シフォンはレティの一挙手一投足をじっくりと観察し、その動きを再現する。

 機械鎚とベーシックハンマーではサイズに差があるため、トレースしきれないところもあるが、それでも次第に動き方のルールが分かってきた。


「そうですそうです。上手いですね、ハンマーの神様に愛されてますよ!」

「ありがとうございます」


 微妙に喜びづらい言葉を投げられて、シフォンは苦笑しながら動き続ける。

 ハンマーは流れの先に破壊力がある。

 ならば、動きはできるだけ滑らかに、終点へと確実に繋げるように。


「素振りだと経験値があんまり入らないのが残念ですが、スキルレベルじゃない経験値は凄い勢いで溜まってますよ」

「そ、そうですか?」


 武器を素振りして入ってくる経験値は微々たるものだ。

 しかし、スキルのサポートを受けられないもっと根幹に近い部分で、シフォンは急激に成長していた。

 瞬く間にそのぎこちなかった動きが滑らかに洗練されていく様を、レティは内心驚きながら見守っていた。


「やっぱりハンマーの才能がありますよ、シフォンさん」

「そうですか? でも、あんまり大きいハンマーは使いづらい気がしますね」


 感激するレティに、シフォンは頬を掻きながら答える。

 ベーシックハンマー程度の大きさならなんとか振り回せるが、レティが扱う機械鎚や星球鎚など、自分よりも大きなハンマーを扱う自信はなかった。

 そんなシフォンに、レティはけろりとした顔で口を開く。


「別に、大きいハンマーばかり使う必要はないですよ。〈杖術〉スキルはもっと軽くて取り回ししやすい杖もありますし、軽いハンマー一本で行く人も居ます。軽いハンマー二本を両手持ちして双剣ならぬ双鎚として扱う人なんかもいますよ」

「そうなんですか?」

「はい。小さいハンマーでも上手く使えば打撃ダメージは結構通りますからね。色々試してみるといいですよ」


 レティが巨大なハンマーを使っているのは、それが彼女の戦闘スタイルと好みに最も合致しているからだ。

 シフォンがそれをそのまま踏襲する必要はないし、レティもそれを強制する気は無かった。

 ただハンマーを使い、打撃属性の魅力に気付いてくれればそれでいいのだ。


「とはいえ、ベーシックハンマーはその名の通り全てのハンマーの基本ですからね。それに慣れておけば、他のハンマーに移ってもすぐに習熟できますよ」

「分かりました。それなら、ちょっとハンマーに興味が出てきました」

「んへへ。それは良かったですよ」


 口元を綻ばせるシフォンに、レティも口角を引き上げる。

 そうして、おもむろに彼女の細い肩をがっちりと掴んだ。


「えっ、えっ?」

「では、最終試験と参りましょう」

「最終試験!? まだ中間もやってないですけど」

「ハンマー使いは実践あるのみ! ミルクカウと再戦です!」

「はえええっ!? わたし、〈杖術〉スキルはレベル1もない――」

「向こうの攻撃を全部避けて、こっちの攻撃を全部当てれば勝てますから。最低ダメージ保証もありますし、ハンマーで頭ぶっ叩けば気絶もさせられますよ!」


 ぐいぐいと背中を押すレティ。

 シフォンはどうにか逃げだそうと身を捩るが、まるで鉄の枷でも嵌められているかのように逃れられない。

 そうこうしているうちに彼女は新たなミルクカウの元へと押し出された。


「さあ、頑張って下さい!」

「はええ……」

「大丈夫、大丈夫! いけますって!」


 元気な声で鼓舞するレティに、シフォンは後に引けなくなる。

 彼女も何だかんだと言って、乗せられやすい性格だった。


「い、行きます。――『威圧』ッ! やぁ!」


 可愛らしい声が草原に響く。

 柔らかい草の上で寝転がっていたミルクカウがのそりと立ち上がる。

 否、その大きさは通常のミルクカウの倍はあった。

 剣呑な目つきの巨牛に見下ろされ、レティとシフォンは硬直する。


「あ、あれ? レティさん? これ、ミルクカウですか?」

「おかしいですね……。ああっ! これ、ネームド個体です! “白母のサイロ”ですよ!」

「はええええっ!?」


 ミルクカウの上位種、“白母のサイロ”が熱い息を鼻から吹き出す。

 白と黒の毛皮は張りがあり、その下には隆々とした筋肉が膨張している。


「れれれ、レティさん!」

「大丈夫。ネームドと言ってもミルクカウに毛が生えた程度です。やっちゃってください!」

「はえええっ!?」


 レティは子を谷に突き落とすようにシフォンの背中を押す。

 死ぬ覚悟は決まったかと、サイロは震えるシフォンを睥睨した。


「ううう。わ、分かりました! やれるだけやってやる!」


 骨は拾って下さい、とシフォンはベーシックハンマーを構える。

 それを合図に、巨牛が猛然と動き出した。


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Tips

◇白母のサイロ

 〈牧牛の山麓〉に生息するミルクカウ。通常のミルクカウよりも遙かに巨大で、それに見合った力を持つ。性格は非常に温厚で、こちらから手を出さない限りは日がな一日草原に寝転んで過ごす。自身の子ではない他の原生生物にも乳を与える光景がよく見られる。

 一方で、一度敵意を見せるとその巨体と怪力を遺憾なく発揮し、あらゆる外敵を排除せんと動き出す

 平穏を愛する白き母。彼女の乳で育てられた牛たちは数えきれず、彼女の力に守られた牛たちもまた数え切れない。草原の大きな屋根として弱く幼い牛たちを守り、育ててきた彼女は、ただ穏やかな日々を願っていた。


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