第500話「窮地を救う鎚」

 シフォンは駆け出しの調査開拓員だ。

 サバイバーパックを選んだが為に、惑星イザナミの〈猛獣の森〉に不時着し、恐怖の夜を過ごしたのはつい2日前のことである。

 狼に怯えながら歩くのは恐ろしかったが、同時に肌を焼くような臨場感に感動も覚えた。

 彼女は14歳の現代っ子にしては珍しく、親戚の影響でレトロな2Dゲームしかやったことがなかったのだが、その親戚が最近VRMMOを始めたということで、後を追うように手を出した。

 その親戚がどんなタイトルをプレイしているのかは知らなかったため、とりあえずトップセールスランキング一位にあった〈FrontiersPlanetOnline〉をカートに入れた。


「にしても、ほんとにリアルね。最近のゲームは草木の揺れにもわざわざ物理演算を掛けてるのか」


 シフォンは最序盤のフィールドである〈はじまりの草原〉を歩きながら、道端に生える青い草を見下ろす。

 路傍に生えている草は、採集オブジェクトでもないただの賑やかしだ。

 そんなものにもわざわざ精密なコリジョンが入っていて、優しい風に吹かれて柔らかに揺れている。

 表面に反射する陽光も鮮やかで、安っぽいテクスチャを張り付けただけでは表現できない、複雑な緑色が演算されている。

 土を踏めば小さな足跡が数分は残り、細く流れる水も滑らかだ。

 本当に、もう一つの現実と呼んで差し支えのないほどのリアルがそこに広がっていた。


「ただまあ、そのリアルさが辛いところもあるんだけど……」


 シフォンは足を止め、草むらの奥を睨む。

 カサカサと小刻みに揺れるのは風にたなびいているわけではない。

 彼女が腰に佩いた直剣を引き抜いた直後、草陰から大柄な鶏のような生物が飛び出してきた。


「いざ、尋常に!」


 その姿を認めた瞬間、シフォンは力強く駆け出していた。

 革のブーツが土を蹴り上げ、ベーシック装備の白い裾が風を孕む。

 〈スサノオ〉の修練所でカカシを相手に繰り返してきた技を繰り出すため、“型”と“発声”を同時に決める。


「『一文字斬りキーンスラッシュ』ッ!」


 鞘走る刀身。

 陽光を受け、銀に輝く。

 放たれたのはシンプルな逆袈裟。

 天に向かって振り上げられた刃が、嘴鶏コックビークの胸を裂く。


「く、浅いっ」


 しかし、僅かに踏み込みが足りなかった。

 シフォンの渾身の斬撃は、その切っ先が僅かに鶏の柔らかい羽毛を掠めただけだった。

 現実と見紛うほどの世界では、そこに棲む住人たちもリアルで、敵意を見せれば相応の反応を返してくる。

 胸元の羽毛を散らされたコックビークは怒りに真っ赤な鶏冠を揺らし、けたたましい声で鳴いた。


「うわっ」


 その鬼気迫る叫声に、シフォンは思わず二の足を踏む。

 明確な隙を逃すはずもなく、激昂した鶏は大きく翼を広げ、太い脚で地面を叩く。

 150cmの身長を軽く飛び越え、鋭利な鉤爪が斜め上から襲いかかる。


「ひゃあっ!」


 シフォンは目を瞑り、蹲るように地面へ転がる。

 一か八かの前転は、辛くも鶏の凶刃をくぐり抜けることに成功した。

 長い卵色の髪が僅かに触れたが、LPが削れたわけではない。

 幾度となく繰り返してきたこの宿敵との戦いの中で、シフォンの〈受身〉スキルは〈剣術〉スキルすら追い越す速度で成長していた。


「でも、逃げてばかりじゃ駄目なのよ!」


 地面を強く蹴り、全身をバネにして立ち上がる。

 同時にコックビークも方向転換を済ませ、黄色い目を彼女に向けていた。


「キーン……」


 再び、“型”と“発声”。

 それを見たコックビークも迎え撃つため羽を広げる。

 しかし、突如シフォンは体勢を崩し、口を閉じた。

 当然、技は発動せず、ペナルティとしてLPだけが消費される。

 それでもシフォンは動じることなく、すぐさま足を踏み出す。

 遅れたのはコックビークの方だ。

 来るはずだった剣撃が放たれず、リズムが崩された。


「へへっ。賢さが仇になったなヒヨコめ! ――『一点突きピックスラスト』ッ!」


 放たれたのは真っ直ぐな刺突の一撃。

 面ではなく、点。

 横ではなく、奥。

 その真っ直ぐな剣閃は、翼を広げ無防備なコックビークの喉元へと飛び込んだ。


「おらぁ!」


 鮮血のようなエフェクトが広がる。

 急所を的確に貫いたクリティカルヒットによって、コックビークのHPは大きく削られた。


「わたしだって多少は成長してるのよ。殻を被ったヒヨコにずっと手をこまねてるわけにはいかないもの」


 得意げに鼻の穴を膨らませて、シフォンは剣を鞘に納める。

 直前の戦いでようやく〈剣術〉スキルがレベル10になり、ちまちまと薬草を集めて売ったお金でカートリッジを購入したのだ。

 その甲斐あって『一点突きピックスラスト』は『一文字斬りキーンスラッシュ』よりも少しダメージ倍率が高く、強力だ。


「刺突系テクニックを中心にしたフェンサー系のビルドも格好いいなぁ。高貴なる剣士って感じ。でも、でっかい大剣で敵を一刀両断っていうのも捨てがたいし……」


 まだまだ知らない事の方が多いシフォンは、自身のスキルビルドの構想すら定まっていない。

 とりあえず平均的な性能のタイプ-ヒューマノイドを選び、一番人気で無難な〈剣術〉スキル系の戦闘職を始めたが、それでも様々な進路があってなかなか一つに絞れなかった。

 誰か相談できる先達でもいればいいのだが、生憎ソロプレイが中心で頼れる知り合いも居ない。


「おじちゃんがFPOやってたら良かったんだけどなぁ。結局、なんてゲームやってるか聞けてないし……」


 シフォンはそんなことをぼやきつつ、路傍の石を蹴る。

 素晴らしい物理演算エンジンにより、ただの石ころもコロコロと草むらへと転がっていった。

 その時、彼女の背後でバサリと音がした。


「え――」


 振り返るシフォン。

 彼女の頭上に黒い影が落ち、鋭利な赤茶色の鉤爪がキラリと輝く。

 エメラルド色の瞳が大きく開かれる。


「しまっ」


 険しい顔で睨み付けるコックビーク。

 そのHPゲージは、いまだ僅かに残っていた。

 油断大敵の四文字がシフォンの脳裏を過る。

 いくら新しく強力な技を手に入れたからといって、それで相手が倒れるわけではない。

 浮かれていた。


「『金槌投げスロウハンマー』ッ!」


 シフォンがぎゅっと目を瞑り、蹲ったその時。

 彼女の背後からブンと巨大なものが風を切って飛んでくる。

 何かが潰れるような音がして、褐色の羽がはらはらと周囲に広がる。


「あっぶなぁ。覚えてて良かったハンマー投げ、ですね。とと、そこのお嬢さん、大丈夫ですか?」

「はえっ。あ、あれ? わたし、助かってる?」


 シフォンは緊張感の無い声に誘われて、恐る恐る目を開く。

 彼女の視界にまず飛び込んできたのは、巨大なトゲの付いた厳ついハンマーと、それに押し潰されて絶命するコックビークだった。

 その光景に唖然としていると、赤髪の女性が顔を覗き込んできた。


「大丈夫ですよー。ていうか、コックビークくらいなら、一撃で死ぬことはないでしょうし」

「あ、そっか……。あ、えっと、ありがとうございます」


 自身の身長を越える巨大なハンマーを軽々と片手で持ち上げる赤髪のウサギ型ライカンスロープの女性を、シフォンは呆けた顔で見届ける。

 ハンマーの下敷きになっていた鶏はさぞおぞましいことになっているだろうと眉間に皺を寄せたが、そこまで酷いことにはなっていなかった。


「こっちこそ、横殴りしてしまって申し訳なかったです。あ、所有権はそちらですので、ご自由に持ってって下さいね」

「ええっ!? そんな、助けて貰った上にそこまでして貰うのは申し訳ないですよ」


 あっさりと立ち去ろうとする赤髪のハンマー使いを、シフォンは慌てて引き留める。

 よくよく見れば、彼女の装備はシフォンが見たこともない強そうな黒い鎧だ。

 ハンマーも同様で、おそらくコックビーク程度を狩っても懐の足しにはならないのだろう。

 そんな上級プレイヤーがなぜこんな序盤のフィールドにいるのかは分からなかったが、何かお礼をしたかった。


「うーん。あ、それじゃあお嬢さん。そのコックビーク、買い取らせて下さいよ」

「はえっ? それは、むしろこっちが嬉しいんですけど……」


 超上級者プレイヤーらしきこの女性が、なぜコックビークなど欲しがるのだろう。

 シフォンは首を傾げながらも了承する。

 駆け出しプレイヤーである彼女にとって、コックビークのドロップアイテムを全て売った金額――およそ200ビット程度でも十分に懐は温まる。


「実はこの近くでバンドの仲間と一緒に露店販売をやってるんですよ。いろんな料理を出してるんですけど、お肉とか食材の買い取りもやってるんです。だから、そこで売って貰えると非常に助かったり」

「な、なるほど……?」


 そういえば、どこぞの物好きなプレイヤーがそんなことをやっているという噂を聞いたような気もする。

 まだまだ金欠から脱せていない自分には関係が無いとスルーしていたが、随分と近い所でやっているようだ。

 ついでに様子を見るくらいはしてもいいかもしれない、とシフォンは赤髪のハンマー使いについていくことにした。


「せっかくですし、何かご馳走しますよ」

「はえっ!? そんな、悪いですよ」

「いいんですよ。これも何かの縁。初心者さんには色々楽しんで貰いたいですからね」


 そう言って、ハンマー使いは和やかに笑う。

 なんて親切な方なんだろう、とシフォンは緑の瞳を潤ませて感激した。


「自己紹介がてら、カードも交換しましょうか」

「カード?」

「フレンドカードです。メニューのフレンド欄にありますよ」


 草原を歩きながら、ハンマー使いは名刺サイズのカードを差し出す。

 シフォンはそれを恐る恐る両手で受け取り、教えられたとおり取り出した自分のカードを渡す。


「レティさん。……〈熟練鎚使いエリートクラッシャー〉ですか」

「はい。ぶっ壊すのが専門の戦闘職ですね。シフォンさんはロールはまだ就いてないみたいですが、剣士志望ですか?」

「えと、まだ迷ってて……」


 少し情けなく思って声を落とすと、レティはカラカラと明るく笑った。


「まだまだいろんな楽しいことがありますからね。じっくりゆっくり選ぶと良いですよ。選んだ後で、別のに変えるのもオーケーですし」


 自由にスキルを組み合わせ、自分だけのビルドを作る。

 圧倒的なリアリティよりも、豊かな自由を売り文句にしているFPOの真骨頂はそこにある。

 そんなレティの言葉に、シフォンは少し勇気づけられた。


「ほら、あそこですよ」


 その時、レティが草原の向こうを指さして言う。

 なだらかな丘の上に、白いコンテナが並んで、賑やかな人混みができている。

 フィールドでは珍しいどころか、シフォンは初めて見る光景で、思わず眉間に皺を寄せた。


「あれって大丈夫なんですか?」

「〈野営〉といって、フィールド上に安全地帯を作れるスキルがあるんです。ウチのレッジさんがそれの第一人者というか、まあ結構凄い人なので、ある程度は安全ですよ。それに、レティの仲間も周囲で警備してますからね」

「な、なるほど……」


 穏やかな風に乗って、シフォンの鼻先にも香しい料理の気配が漂ってくる。

 それを感じた瞬間、今までなりを潜めていた彼女の腹の虫が可愛らしい声を上げた。


「あう。す、すみません……」

「いいですよ。丁度、レティも小腹が空いてきたところですし。とりあえず、レッジさんの所に鶏投げ込んで、何か食べましょう」

「は、はいっ」


 腹が空いている、というのはシフォンを慰めるための嘘ではないらしい。

 レティは歩速を早め、賑やかな露店の方へと向かう。

 その背中を追いながら、シフォンは思わず考えていた。


「こんな大きなものが作れるんだ……。レッジさん? っていう人は、すごいんだろうなぁ」


 危険なフィールドに現れた、大きな露店。

 シフォンもサバイバーパック選択者であるため〈野営〉スキルの存在は知っていたが、まさかここまで大規模なことができるとは思いも寄らなかった。

 いったい、レッジというプレイヤーはどんな凄腕なのだろうかと、彼女は期待と不安を胸に草原を歩く。


_/_/_/_/_/

Tips

◇『一点突きピックスラスト

 〈剣術〉スキルレベル10のテクニック。剣の先端を前方へ素早く突き出し、対象を貫く。攻撃範囲は狭く、刺突属性に変化するが、急所を狙った場合クリティカル倍率が僅かに上昇する。

 点を貫く必殺の一撃。研ぎ澄ませた刃は鱗を破り、堅固な盾を突き穿つ。


Now Loading...

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る