第488話「弁当販売合戦」

『愛ですよ。愛』


 淀みなく流れるベルトコンベアを眺めながら、T-3は繰り返す。

 彼女の目は前髪に隠されて見えないが、その口調には確信めいた力が籠もっていた。


「なんだか、意外ですね。〈タカマガハラ〉さんはもっと堅物というか、現実的というか。そういうロマンティックな事は考えないのかと思ってましたよ」


 唖然とする俺たちの心境を代弁して、レティが口を開く。

 彼女の言葉に対し、T-3は軽く頷く。


『T-1は愛など無駄と躊躇無く切り捨てるでしょう。T-2は計量化できない概念に意味は無いと断ずるでしょう。ですが、だからこそ私は愛を説くのですよ』


 T-3は感情を高ぶらせ、こちらへ振り向く。

 白いビギナーズ装備の袖を揺らし、大きく腕を開いた。


『領域拡張プロトコルを押し進めるには力が必要です。よりよい答えを導くには知恵が必要です。そして、豊かな発展には愛が必要です。心技体、その三つが揃ってこそ、我々は星を拓くことができるのですよ』


 うっとりとした表情のT-3。

 彼女の言葉は〈タカマガハラ〉を構成する三体のことを言い表しているのだろう。


「ですが、T-3さん。ホムスビさんのお弁当はしっかりと考えられていると思いますよ。先ほどT-3さん自身が仰ったように、彩りも栄養バランスも考えられていますし」


 朗々と語るT-3に反論したのはトーカだ。

 彼女は床に膝をついたホムスビを守るように一歩前に歩みでて、T-3に訴える。

 ホムスビが作り、販売しているおむすび弁当は、俺が最初に考案したものから更に改良が施されている。

 これほど大規模な工場を建設したのも、大量生産することで単価をできるだけ低く抑えるのが目的だろう。

 トーカの言葉にT-3は静かに耳を傾ける。

 そうして、彼女が話し終えたあとで、ゆっくりと口を開いた。


『たしかに、管理者ホムスビのお弁当はよく考えられています。それは事実です。――しかし、足りない』


 凜然と言い放つT-3。

 彼女の有無を言わせない物言いに、ホムスビがついに立ち上がる。


『何が足りないって言うんすか。わたしのお弁当は売れ行きもいいし、皆よろこんでくれてるっすよ』


 突然現れずけずけと厳しい言葉を投げるT-3に、いくら上司とはいえ堪忍袋の緒が切れたのだろう。

 ホムスビはT-3の鼻先まで肩を怒らせて歩み寄る。

 赤とオレンジのグラデーションの掛かった髪を逆立て、猫のような瞳で睨み付ける。

 それでもなお、T-3は涼しい顔で立っていた。


『愛ですよ。愛。――人を愛し、慈しみ、想う感情。管理者ホムスビにはそれが足りません』

『そ、そんなの……お弁当にどうすれば……』


 真っ直ぐに言葉を返され、ホムスビはたじろぐ。

 しかし、その程度で心折れる彼女ではない。

 すぐに気を取り直し、反論する。


『わたしのお弁当は、調査開拓員の方々からの要望を直接ヒアリングして作り上げてるっすよ。空の上から見ていただけのT-3よりも、ずっと調査開拓員の皆さんに寄り添ってるっす』

『それはただ寄りかかっているだけです。思考することを放棄し、レシピを他に依存している』

『そ、そういうわけじゃ……。ていうか、さっきから言ってることが抽象的すぎるっすよ。指揮官ならもっと具体的なことを示して下さいっす!』

『今度は私に寄りかかるつもりですか? それもいいでしょう。管理者ホムスビは何も考えず、唯々諾々と私に従うと』

『そ、そこまでは……』


 激しい舌戦だが、形勢はホムスビが不利だ。

 権利的な強さもあって完全に押されている。


「T-3さん、仮想人格できたてにしてはめちゃくちゃ馴染んでますねぇ」

「すでに自己学習がかなりできているみたいね。初期のウェイドちゃんとは比べものにならないくらいよ」

「ホムスビも素直すぎるところがあるし、言い合いじゃ分が悪いんじゃない?」


 言葉のドッジボールを続けるT-3とホムスビを遠巻きに眺めながら、レティたちはT-3の性能に感心する。

 急遽体と人格を用意したとは思えないほど、彼女の思考は調査開拓員に近い。

 言葉遣いも巧みで、ほとんど違和感もなかった。

 これが〈タカマガハラ〉と〈クサナギ〉の根本的な性能差なのだろうか。

 しかし、感心ばかりしていても形勢は変わらない。


『うぅぅ~! さっきからのらりくらりと、面倒くさいっすね!』


 先に堪忍袋の緒が切れたのはホムスビだった。


『ばーかばーか! 何が愛っすか! 現場の苦労も知らないくせに、ちょっと仕事してる実感がほしいから気まぐれに降りてきて! トーシローがいたずらにやって来ても役には立たないっすよ。むしろこっちの仕事が増えるだけっす!』


 顔を真っ赤にして爆発した彼女は、工場中に響き渡るような声を上げた。

 なんだか胸が痛くなる叫びだが、当のT-3は平然と微笑を湛えたままだ。


『若いですね、管理者ホムスビ。まだ愛を知らないようです』


 そんな彼女の反応すらも、火に油を注ぐようなものだ。

 ホムスビは語彙力を失い涙目になる。

 流石にそんな二人の言い合いを見ていたら、ホムスビが可哀想に思えてきた。

 俺はできる限り場を刺激しないよう、ゆっくりと手を挙げて発言する。


「そんなに愛が大切で、ホムスビには足りてないって言うなら、T-3が思う愛情の詰まった弁当を作ってみたらいいんじゃないか?」

『……えっ?』


 T-3が虚を突かれたように、一瞬硬直する。


「ちょ、レッジさん。何を――」


 隣に立っていたレティが驚いて肩を掴んでくるが、もう言葉は口から飛び出してしまった。

 それを聞いたT-3は、唇を弓形に曲げる。


『い、いいでしょう。PoI――レッジがそこまで言うのなら、受けて立ちます』

「おう。……うん? PoI?」


 僅かな疑問が脳裏を過るが、それに気を取られている暇はない。

 T-3は俺たち全員を一望して宣言した。


『これより三日の間、管理者ホムスビと私で勝負です。内容は弁当の販売。勝敗結果は純粋に、売り上げとしましょう』

『いいっすよ。受けて立ちましょう。わたしが勝ったら金輪際、口を挟まないで欲しいっすね!』

『分かりました。では、そういうことで……』


 売り言葉に買い言葉、ホムスビは勢いを取り戻し、啖呵を切る。

 T-3もすんなりとそれに頷き、条件が決まってしまった。

 あまりの急展開に、俺たちは再び取り残される。


「あ、T-3さん!? どこいくんですか?」


 俺たちが固まっている間に、T-3は踵を返しエレベーターの方へと歩いてく。

 レティが慌てて呼び止めると、彼女は真っ赤な紅を覗かせて振り向いた。


『勝負はもう始まっているのです。ぼんやりと立っている暇はありませんからね』


 T-3は再びスタスタと歩き出し、扉の向こうへと消える。

 その背中を見送ったあと、廊下内は静寂が満ちた。

 そんななかで、俺はホムスビの方へ振り向く。


「ホムスビ。悪いが今回の勝負、俺とカミルはT-3側につく」

『ええっ!?』


 ホムスビが目を丸くして驚く。

 レティたちも信じられないと口を開いていた。

 呆然とする彼女たちに手を振り、カミルと白月を呼び寄せた俺は、急いでT-3の後を追いかけた。


「れ、レッジさん!?」

「待ってよレッジ、とりあえずどういうことか説明だけでも」

『そうっすよ! 見捨てないで下さいっすよ!』

「すまん、今はちょっと説明してる暇が無い。落ち着いたらちゃんと話すから、そっちはそっちで頑張ってくれ!」


 背後から投げられる声にそう答え、俺はエレベーターに飛び乗った。


『ちょっとレッジ、どういうつもりなのよ』


 エレベーターの中で、カミルが詰め寄ってくる。

 当然と言えば当然だ。


「別にホムスビたちを裏切るつもりはない。でも、今のままじゃ、当初の目的は達成できないだろ」


 T-3が地上へ降りてきたのは、なにもホムスビと弁当売り上げ勝負をするためではない。

 管理者が作り販売する弁当に、意義があるかどうかを確認するためだ。

 その目的を達成するには、少なくともT-3に弁当を売って貰う必要がある。


「今のままじゃ、T-3は圧倒的な不利だ。そもそも、弁当一つ作れない」

『そんなこと……』


 反射的に言い返そうとして、カミルが口を噤む。

 T-3は管理者と同じ機体を使っているが、管理者ではない。

 カミルのように〈家事〉スキルを習得しているわけでもなく、ホムスビのように大規模な工場を建てることもできない。

 そもそも一文無しだろうし、戦闘もできない。

 弁当の材料を集めることすら、彼女には不可能だ。


「とりあえず、T-3を探そう。話はそのあとだ」

『……分かったわ』


 エレベーターの扉が開き、中央制御塔のエントランスに戻る。

 周囲を見渡しても、それらしい影はすでに見当たらない。


「白月、探せるか?」


 一縷の望みを掛けて話しかけると、白月は湿った黒い鼻を地面に近づける。

 そうして、彼はゆっくりと人混みの中を歩き始めた。


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Tips

◇PoI

 要注意人物。

 管理者、指揮者などによって指定される、特別な調査開拓員個人。領域拡張プロトコルに対して一定以上の影響を与えると判断された場合などに指定される。PoIに指定された調査開拓員は個別の行動ログが記録、保管され、有事の際にはそれをもとに管理者、指揮者によって対応がなされる。


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