第487話「足りない物」
T-3は口元に微かな笑みを浮かべ、ホムスビの方へと向き直った。
再び注目されたホムスビは、ぴんと背筋を伸ばしてぎこちなく口を開く。
『その、えっと、どうしましょう……?』
思考回路がオーバーヒートしたようで、ホムスビは目をぐるぐるさせながら俺の方を向く。
彼女も事前にプランは練っていただろうが、いざ上司を前にすると何もできなくなってしまったようだ。
俺は彼女の背中を押すため、話を切り出す。
「T-3はホムスビがわざわざ自分で弁当を売り歩いてるのが気に入らないんだろ?」
『気に入らない、というのは正確ではありませんが……。ひとまず〈タカマガハラ〉としての決断はそうなっています』
T-3が空の上に停泊する船からやってきたのは、ホムスビの仕事が必要かどうかを判ずるためだ。
ならば、まずは彼女の仕事ぶりを見てもらうのが最初だろう。
「ホムスビ、T-3に弁当売りの仕事を説明してやってくれ」
『は、はいっ! えっと、前提としてここ〈ホムスビ〉――地下資源採集拠点シード02-アマツマラの建設時におむすび弁当を販売したのが、事の発端っす』
T-3も過去の記録から把握していることだろうが、ホムスビは弁当販売の経緯をはじめから語り出す。
〈ホムスビ〉建設が最終目標に据えられた大規模イベント〈特殊開拓指令;深淵の営巣〉の終盤、プレイヤーたちを支援するため管理者が作ったおむすび弁当を売り歩いた。
その結果、無事に都市が完成しイベントが成功したのは記憶に新しい。
『それ以降、おむすびはラーメンと並んでシード02-アマツマラの名物料理になったっす』
『それは把握しています。この都市にはおむすびを主軸商品として販売する飲食店が多いですからね』
ホムスビの説明を受けたT-3はすんなりと頷く。
やはり、ここまでは彼女も知っていた事実なのだろう。
しかし、そのあとに続けてT-3は言った。
『ならばこそ、管理者ホムスビが自ら商品を売り歩く必要性を感じません。エネルギー補給ならば、調査開拓員が自ら好きな店に赴けば良いだけでしょう』
ストレートに放たれた反論に、ホムスビは呻く。
この町には〈鉄茶亭〉をはじめとして多くの飲食店が軒を連ねている。
ただ腹を満たすだけならば、それらの店だけで需要は十分に補えるのも事実だ。
『で、でも販売の過程で調査開拓員と交流が深められるっす。そのおかげで、データでは把握できない現場の機微にも迅速に対応できてるっす』
だからこそ、ホムスビは次弾を用意していた。
彼女が弁当を売るのは、調査開拓員にエネルギーを提供するためだけではない。
むしろそちらは副次的な効果であり、本来の目的は情報収集にあった。
『鉱石を採掘してる調査開拓員の方々は、潜在的な鉱石需要をリアルタイムで把握してるっす。これは〈クサナギ〉の経済予測シミュレータよりも高い精度っす。洞窟内の原生生物を駆除する調査開拓員は、より安全性の高い討伐方法を常に考えてるっす。それを教えて貰って、他の調査開拓員に教える情報ハブとしても機能してるっす』
情報資源管理保管庫に収められる記録だけでは分からない、現場にいるプレイヤーにしか分からない感覚。
彼女はそれを有効に活用することで、調査開拓活動を円滑に進めようとしていた。
「他のプレイヤーって結構いろいろ考えてるもんなんですねぇ」
T-3に向かって力説するホムスビを、レティは他人事のように眺めながら言葉を漏らす。
「誰だって多少なりとも考えてるだろうさ。ホムスビはそういうのを余さず取り込んで、集合知として蓄えてるんだろう」
「なるほど」
感心するレティだが、彼女だって原生生物と戦う時は色々と考えていることだろう。
もっとも、無意識に近い所で思考しているため、それを言語化するという発想すらないようだが。
「おむすびは情報に対する対価ってわけなんだにゃあ」
「ホムスビちゃんの可愛さ目当てに買いに来て、聞かれてもないこと話す奴もいるだろうけどね」
ケット・Cと子子子も、ホムスビの弁当販売について少し分かってきたようだ。
彼女の商売には商品と金銭以外のものも取引されている。
『――なるほど。管理者ホムスビの主張は把握しました』
『よ、よかったっす』
ホムスビがひとしきり話し終わったあと、T-3がそう言って頷く。
そうして、安堵する管理者に次なる言葉を投げかけた。
『管理者ホムスビの売っている弁当の製造過程を教えて下さい』
『はえっ? せ、製造過程っすか』
予期せぬ依頼にホムスビが目を丸くする。
二人の話を聞いていた俺たちにも、T-3の言葉は予想外のものだった。
『普通のおむすび弁当っすよ?』
『分かっています。それを見せて下さい』
『そういうことなら……。では、工場へ案内するっす』
困惑し眉を八の字に寄せながらも、ホムスビは歩き出す。
T-3と俺たちも彼女の背中を追って続く。
『〈深淵の営巣〉の時は、レッジのテントの厨房で作ってたわね』
歩きながら、カミルが小さな声で囁く。
彼女もその時に手伝ってくれていたわけだが、イベントの時はそうだった。
ホムスビだけでなく、ウェイドたち他の管理者も集まって、皆で弁当を作り、売り歩いた。
考えてみれば、今はそのテントも無いわけだし、ホムスビがどうやって弁当を作っているのか、俺も少し疑問に思えてきた。
『工場は中央制御区域の地下にあるっす』
エレベーターのパネルを操作しながらホムスビが言う。
「中央制御区域の地下って、焼却炉じゃなかったか」
『その更に下っすね。地下二階に、食料生産工場を増設したっす。スサノオ指揮下で、調査開拓員の皆さんが建設を進めてくれたっす』
エレベーターの扉が開き、そこに乗り込む。
〈万夜の宴〉において、スサノオは各都市のインフラ整備などを担っている。
ホムスビはそれを利用して地下に工場を作ったらしい。
「ゴミの焼却炉の真下に食べ物の工場ですか」
『衛生はしっかり管理してるっすよ! 皆さんも、入る時には除塵滅菌処置を受けてもらうっす』
レティの反応にホムスビは強く返す。
弁当工場と焼却炉は直接繋がっているわけでもないらしく、そのあたりはきちんと考慮されているようだ。
『そもそも、食料工場は基本的に完全閉鎖型の自動製造ラインが組まれてるっす。搬入口から材料を投入すれば、搬出口から完成品が出てくる感じっすね』
「それは手作りなのか……?」
『オペレーションはわたしがしてるので、手作りっすよ』
若干詭弁のような気もしたが、ちらりとT-3の方を伺っても特に反応は見られない。
管理者と〈タカマガハラ〉は根本から思考論理が違うと言っていたが、このあたりは似ているのかもしれない。
そうこう言っているうちにエレベーターが地下二階に到着する。
ドアの向こう側は三方向から風が吹き付けるエアシャワーの廊下になっていて、歩くだけで細かな埃や塵が払われていく。
その後も紫外線照射や高温・低温環境による滅菌が行われ、更に装備を外しビギナーズインナーへと着替えさせられた。
「初心者装備ですか。懐かしいですね」
真っ白で簡素な衣服に着替えたレティが両手を広げる。
ゲームを始めて、スキンショップで最初のスキンを設定した時に貰える初期装備だ。
ラクトやエイミーたちの初期装備姿は初めて見るため、少し新鮮な光景だった。
「なんだか恥ずかしいね」
「というより、頼りない感じがして不安ですよ」
ゆったりと余裕のある裾を抑えながら、トーカたちがお互いの姿を見る。
ホムスビやT-3も白い服に装いを変えて、全員の準備が整ったところで次のドアが開いた。
『ここが食品工場っすよ』
ドアの先は左右がガラス張りになった廊下だった。
広い工場の天井を走っており、眼下では長いベルトコンベアが曲がりくねりながらラインを形成している。
「でっかいな……」
「これで手作りって言われてもなんだか納得できませんねぇ」
至る所でマシンアームが忙しなく動き、コンベア上に並ぶ容器に具材を詰めている。
おむすびも次々と握られ、リズミカルに生産されていた。
『材料さえあれば、一時間に最大二万食が生産可能っす!』
誇らしげに胸を張って説明するホムスビ。
彼女の隣で、T-3はガラス窓に手を付けてじっくりと工場を観察していた。
『管理者ホムスビ。おむすび弁当の内容を教えて下さい』
『内容っすか? えっと、おむすび三つと唐揚げ二つ、卵焼き二つ、ソーセージが一つ。ミニトマト二つ、ブロッコリー二つ。あとはたくあん漬けが三枚っすね』
T-3の問いに、ホムスビはすらすらと答える。
随分と具だくさん、というか豪華な内容だ。
たしか、〈深淵の営巣〉の時はおむすび三つとたくあん漬けだけだったはずだから、随分と進化している。
『おむすびの具材は? 塩むすびと言うこともないでしょう』
『梅と昆布と鮭っすね』
それを聞いたT-3は何やら真剣な様子で考え込み始めた。
「ど、どうしたんでしょう?」
「ミニトマトが嫌いだったんじゃないの」
「そんな馬鹿にゃ……」
突然押し黙ってしまったT-3に、レティたちがざわつく。
ホムスビも緊張の面持ちで視察者の反応を伺う。
『――なるほど』
T-3が顔を上げる。
黒い前髪の隙間から一瞬だけ覗いた瞳は、鋭く眼光を放っていた。
『おむすびは梅、昆布、鮭。バリエーションを出すことで食べる楽しみを演出しつつ、梅は疲労回復にも効果的です。卵焼きと唐揚げでタンパク質も摂れ、ソーセージで脂質も十分。トマトとブロッコリーで彩りとビタミンもある。たくあん漬けは購買層である坑道作業者に不足しがちな塩分も補給できる』
『……えっと?』
突然流暢に話し始めたT-3に、ホムスビ以下全員が唖然とする。
栄養バランスのことを考えていたのかとか、そもそも機械人形の食事に栄養バランスとか関係あったのかとか、色々と言いたいことはある。
しかし、俺たちが口を開くよりも先に、T-3がそれを遮った。
『ですが、足りませんね』
『た、足りない!? そんな、わたしのおむすび弁当は完全無欠のお弁当っす! 足りないものなんて……』
T-3の冷酷な宣言に、ホムスビは膝を震わせる。
彼女が栄養バランスから彩りまで考え抜いた、最高のお弁当だ。
それをぽっと出の少女に苦言を呈されるのは、例えそれが自分より上位の存在であっても看過できないのだろう。
ホムスビはぎゅっと両手を固く握りしめ、キッとT-3を睨む。
『それなら、教えて下さいっす。わたしのおむすび弁当に何が足りないのかを!』
『それは――……』
T-3はホムスビを真っ直ぐに見つめる。
背筋を伸ばし、毅然とした態度で口を開く。
『愛情ですよ』
T-3の口から放たれた単語。
それを聞いた俺たちは、理解するのに多少の時間を要した。
愛情。
愛する気持ち。
『そん、な……』
瞳孔の開ききったホムスビが膝から崩れ落ちる。
彼女は赤い瞳に滴を滲ませ、太ももを握った拳で叩いていた。
それをT-3は静かに見下ろしている。
機械が忙しなく動き続ける工場の真ん中で、奇妙な光景が展開されていた。
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Tips
◇ホムスビの手作りおむすび弁当
地下資源採集拠点シード02-アマツマラの周辺で、管理者ホムスビが売り歩く特製弁当。三種の具材が入った海苔巻きおむすびを中心に、働く調査開拓員たちに嬉しいおかずが満載の、ボリュームたっぷりなお弁当。
調査開拓活動の合間に、休憩のお供に。あなたの元気の源に。
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