第424話「焼き尽くす風」

 火がうねる。

 洞窟の隅々に掘られた小さな巣穴から止めどなく現れる錆鉄百足たちが、一瞬にして黒く炭化していく。

 刃が舞う。

 身をくねらせて跳び上がった百足たちが、黒紫色の毒血を飛び散らせながら、体を七つに切り裂かれていく。


「にゃぁああっ!? 尻尾に火がついたらどうするにゃ!?」

「くふふ。余計にスピードが増して、かえって強くなるかもしれないよ」

「うひっ!? ケット・Cも全方位に向けて無差別に斬撃飛ばすの止めろよ!」


 槍に風を纏わせ、ナイフで百足を切り払いつつ、洞窟の奥で猛るカリヤを目指す。

 俺とケット・Cとメルの即席共同戦線は、言葉を交わしつつ、互いの攻撃を躱しつつ、猛烈な勢いで百足を薙ぎ倒していた。

 しかし、平時よりもステータスが一回り強化され、恐らくリポップ時間とポップ数も調整された鉄錆百足の群れは、はっきり言って際限がない。

 本来ならばカリヤを叩く際に多少邪魔をしてくる取り巻き程度の立ち位置なのだが、今では王を守る堅牢な近衛騎士のようだ。

 一瞬、カリヤに近付き一突き喰らわせることができたとしても、次の瞬間には洞窟中から殺到し、赤黒い波となった鉄錆百足に押し流される。


「にゃぁぁ。キリがない!」

「流石の風牙流でも、この量は一掃できないぞ」


 うざったそうに三枚刃の双剣を振るうケット・C。

 彼の斬撃も一度に十匹以上の百足を倒しているが、供給量の方が遙かに上回っている。


「――はぁ。仕方ないなぁ」


 突然、メルの手が止まる。

 範囲殲滅に秀でた彼女の動きが止まったことで、ギリギリ抑えられていた鉄錆百足が一斉に迫ってきた。


「メル!?」

「にゃぁ。諦めたらそこでおしまいだにゃ」


 驚いて振り返る俺たちを見て、彼女は不敵に笑う。


「バカ言わないでよ。ワシがそう簡単に諦めると、本気で思ってるわけじゃないよね?」


 言いながら、彼女はウィンドウを開いて操作する。

 無防備に突っ立ったままの彼女を守るため、俺とケット・Cは息つく暇もなく百足を迎撃していく。


「ワシは炎の機術師だから、あんまりこの手は使いたくないんだけどなぁ」

「何を悠長に喋ってるにゃあ!? 何か秘策があるならさっさと出すにゃあ!」


 メルはすいすいと短い指を滑らせる。

 そんな余裕を持った彼女を見て、ケット・Cがヒゲを震わせる。


「そう急かさないでよ。普段使わないから、スロットに設定してないんだもん」

「もちっと急いでくれてもいいと思うんだがなぁ!?」


 『群狼』で前から迫る鉄錆百足を薙ぎ払う。

 いくら範囲攻撃技を多く揃えた〈風牙流〉の開祖といえど、限界というものがある。

 メルという大きな柱が無くなった今、俺とケット・Cだけで百足の大群を押し退けるのは、無理という言葉すら霞むほどの絶望だ。


「よし、準備できた」

「メル!」

「くふふ。時間稼ぎどうもね」

「さっさとやるにゃあ!」


 ケット・Cが叫ぶ。

 普段ののんべんだらりとした姿からは想像できないほどの切迫した声に、メルは満足げに頷いた。


「――『浮遊する水球』」


 突き出された小さな手のひらから、水が生まれる。

 それはバスケットボールほどの大きさの球形を取り、空中にふわふわと頼りなく浮かんでいた。


「水属性アーツ!?」

「メル、お前……そんなの使えたのか」


 一様に驚く俺たちを、メルは目つきを悪くして見る。


「一応、これでも機術師トッププレイヤーだよ? 使えないのと、使わないのは違うの」


 そう言っている間にも、水球は洞窟の中をゆっくりと進む。

 火属性専門のメルが水属性のアーツを使ったことに驚いてしまったが、冷静に考えるとアレでこの状況がどうにかなるとは思えない。

 『浮遊する水球』は、その詠唱コードの短さから考えて、早い段階で習得できる初級アーツだろう。

 スサノオのベースラインにあるアーツチップショップで買えてもおかしくはないレベルだ。


「メル! 何をする気なんだ!?」

「いいから。見てればすぐに分かるよ」


 ゆっくりと百足の群れの頭上を進む水球。

 それに一切の危機感を覚えないからか、鉄錆百足でさえもそれに注目していない。


「さあ、レッジ。あの水球に向かって百足を一匹投げ入れておくれ」

「はあ!?」

「いいから、早く早く」


 ぐいぐいと俺の背中を押して急かすメル。

 俺は訳も分からないまま、ただこのままでは後方で見守るレティたちに無様な姿を見せることだけを確信して、彼女の言われたとおりにする。


「あの球の中に入れればいいんだな」

「ああ。ちゃんと殺さずにね」

「無茶を言うぜ」


 走り出す。

 ケット・Cの近接戦闘職のトッププレイヤー相応の攻撃力であれば、如何に強化された百足と言えど一撃で倒してしまう。

 しかし、俺の槍ならば、出力を抑えればギリギリ向こうも耐えるはずだ。


「にゃぁ。有象無象はこっちで引き受けるから、とりあえずメルの言うとおりにするにゃ」

「助かる!」


 併走するケット・Cが飛び掛かる鉄錆百足を切り裂いていく。

 できればあの水球に近い場所から百足を投げたい。

 俺に〈投擲〉スキルはないから、メルの意図した場所に百足を置けるかは殆ど運だ。


「盗爪流、第六技、『影衣千乱』ッ!」


 数え切れないほどの斬撃が、一瞬の中に圧縮されて放たれる。

 その爆発は周辺一帯の鉄錆百足を全て吹き飛ばし、束の間の空白地帯が現れる。


「ナイスだ、ケット・C」

「ぐにゃぁ」


 動きやすいように場を整えてくれたケット・Cに感謝を送る。

 一気にLPを消耗した彼は、気怠そうに呻き声で答えた。


「あれにするか」


 彼が切り開いた空間のなか、斬撃から逃れた僅かな幸運の持ち主の中から一匹を選ぶ。

 俺はその鉄錆百足に槍を突き付けると、水球を真っ直ぐに睨み付けた。


「『旋回槍』ッ!」


 ハンマー投げの要領で、ぶんと槍を回す。

 足を軸にして、槍を長く持ち、精一杯の力で振り上げる。

 先端に突き刺さった百足は、遠心力をその身に受けて、高く上空へ飛んでいく。

 低スキル帯のテクニックだから、威力倍率は低い。

 百足のHPは1割の半分程度だったが、ギリギリ首の皮一枚繋がっている。


「くふふ。レッジ、最高だよ」


 ぽちゃん、と瀕死の百足が空中に浮かんだ水球へと飛び込んだ。

 波紋が広がり、水滴が飛び出し、再び水球へと戻る。

 その瞬間、背後から猛烈な熱気を感じた。


「『灼熱の爪、極炎の指、熱波の肉、燋爛の皮、一切有情を燼滅し、修羅の巷を礫塊の墓所と成せ。瞋恚の猛火を揺らがせて、その身もろとも焼夷せよ。隆々たる炎王の双腕により、脆き弱者を押し潰せ』」


 滑らかな言葉の並びが洞窟の隅々にまで響き渡る。

 それに呼応して現れたのは、炎の大腕。

 いつかに見たこともある、燃え盛る腕。

 周囲の景色が揺らぐほどの熱を放つそれが、左右合わせて二本。

 ゆっくりと、拝むような所作で、手のひらと手のひらを合わせる。


「ッ!? ケット・C、伏せろっ!」

「にゃあっ!?」


 小さな水球を挟むようにゆっくりと近付く大きな手を見て、頭の中に警鐘が鳴り響く。

 半ば無意識のままケット・Cの体を引っ張り、一目散に距離をとる。

 次の瞬間――


「ぶわっ!?」

「んにゃぁぁあああっ!?」


 弾けるような音が響く。

 瞬間的に超高温に熱された水球は、一瞬でその体積を千倍に増し、膨れ上がったそれはあらゆるものを押し退ける。

 熱波が吹き荒れ、洞窟の全てが揺らぐ。


「くふふっ! くははははっ!」


 赤い髪をたなびかせ、風を正面から受けてメルが高く笑う。

 俺とケット・Cは背中から爆風が直撃し、吹き飛ばされて彼女の足下に転がった。


「こ、こ、殺す気かにゃぁぁああ!」


 大規模な水蒸気爆発を喰らったケット・Cが目を大きく開いてメルに詰め寄る。


「ああするしかなかった。反省はしている、後悔はしてない」


 しれっとした顔で言うメルに、ケット・Cは尻尾を膨らませ掴みかかる。

 彼女のアーツで洞窟内の百足が一掃されたのは確かだが、ケット・Cを止める理由もない。


「……ていうか、さっきのアーツを直接カリヤに使ってたら勝てたんじゃないのか?」


 ちらりと洞窟の奥を見る。

 余裕の顔で体を持ち上げていたカリヤは、真正面から高温の爆風を受け止めたため、全身を痙攣させて倒れていた。

 あれだけの爆発を受けてなお、まだ一応生きてはいるらしい。

 流石は階層主と言うべきか、蟲の王に相応しいしぶとさだ。


「じゃあ、ケット・C。俺はトドメさしてくるから」

「にゃあ!? せめてトドメは僕にやらせるにゃ!」


 カリヤに向かって、槍を握って駆け出す。

 それを見たケット・Cがメルを離して後を追う。


「くふふ。アーツは遠距離からでも狙えるんだよ」

「メルのアーツより速く走ってやるよ!」

「軽装戦士の短距離走舐めるにゃよ!?」


 焦げ臭さが充満する洞窟の中。

 焼け死に、炭となった百足たちを蹴散らして、俺とケット・Cとメルは、少々変わったフラッグ目指して競い合った。


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Tips

◇『影衣千乱』

 盗爪流、第六技。

 影から伸びる刃が、千の斬撃を乱れ撃つ。分厚い衣を剥ぐように。薄氷の恐怖を裂くように。

 自分を中心とした円形範囲技。対象の影から斬撃を放つ。斬撃は最大10回まで連鎖する。


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