第395話「降り注ぐ種子」

 その日の正午ちょうど、通信監視衛星群ツクヨミのネットワークを通じて高らかにイベントの開始宣言が成された。


『現時刻より、〈特殊開拓指令;深淵の営巣〉が開始されます』

『既に公開されているタイムラインに則り、開拓司令船アマテラスからミニシード-い-01から99が〈雪熊の霊峰〉〈岩猿の山腹〉〈牧牛の山麓〉各地に投下されます』

『調査開拓員各位は、可能な限り多数のミニシードの収集に務めて下さい』


 アマツマラの声が広く響き渡り、農園の中で作業をしていた俺とスサノオも、作業の手を止めて空を見上げる。

 するとすぐに、農園のエアロックが勢いよく叩かれる。

 強化ガラス隔壁が壊されてはたまらん、と慌てて出入り口の方へ駆け付けると、レティたちが完全武装した状態で立っていた。


「レッジさん! 行きますよ!」

「もう行くのか!? フィールドもずいぶん混んでるだろうし、ちょっと時間をずらした方が――」


 やりかけの作業もあるし、と後ろを向くと、レティたちはカッと目を開いて睨み付けてくる。

 真面目にガラス隔壁が壊されそうで、俺は急いで農園から飛び出した。


「冗談だよ。すぐ準備するさ」

「安心しました。また〈鎹組〉の皆さんを呼ぶ羽目になるところでしたよ」


 一応、システム的に壊されることはないはずなのだが、レティに言われると本当に壊されるかも知れないと思ってしまう。

 俺はいそいそと防護服を脱ぎ、ブラストフィンシリーズに着替える。


「ほら、急ぎますよ!」

「はいはい。ほら、白月も行くぞ」


 キッチンの影で寝ていた白月をたたき起こし、俺たちはワダツミの飛行場からオノコロ高地へと登る。

 そこからはヤタガラスに揺られ、一気にアマツマラのロビーに辿り着いた。


「やっぱりここで待機してたほうが良かったんじゃない?」


 待ちに待ったイベント開始ということで、アマツマラのロビーは寿司詰め状態になっていた。

 ガヤガヤと人の声も騒がしく、背の低いラクトの声は聞こえづらい。


「だって、レッジさんがなかなか農園から出てきてくれないんですもん」


 ぷっくりと頬を膨らませ、腕を組み、レティがじろりと俺を見る。

 俺はレティたちだけでも現地にいって、自分は後から合流すると提案したのだが、すげなく却下されていた。


「一体、中で何やってるのよ」


 部屋から出てきてくれない息子を見るような目でエイミーが言う。

 彼女に対して、俺は曖昧な笑みを浮かべる。


「いやぁ、まあ、なんというか。実験かな」

「要領を得ないわねぇ。疚しいことでもしてるの?」


 胡乱な顔になるエイミー。

 しかし、自分でもうまくいくか不明瞭な試みなのだ。

 どう説明したものか、今でもよく分かっていない。


「や、疚しいことは駄目ですよ! スサノオちゃんも一緒にいるのに!」


 何を勘違いしたのかレティが顔まで真っ赤にして叫ぶ。

 周囲のプレイヤーたちが一斉に視線をこちらに向け、俺は慌てて否定した。


「健全だよ! スサノオに手伝って貰ってるんだが、なかなか難しくて、成果が無いと説明もできなんだ」


 剣呑な目つきになるレティたちに怯え、側にいるスサノオに助けを求める。


『あぅ。レッジは大きくしようとしてて、スゥはそれ手伝ってるの。なかなかうまく行かないから、二人で協力して、種を出してるの。うねうねしてるのとか、かたいのとか、いろんなの試してるけど、まだ難しいの』

「……レッジさん?」

「植物の品種改良的な話だからな!」


 スサノオが主語を外して話すせいで俺の社会的な死が近付いてくる。

 慌てて弁明の言葉を考えていると、レティが大きなため息をついて肩を竦めた。


「まあ、何かしら完成したら見せて下さいよ」

「お? おう、それはまあ、こちらこそ是非見てもらいたいが」


 戸惑う俺をおいて、レティはスタスタと歩き出す。


「ほら、行きますよ。もうイベント始まってるんですから」

「お、おう」


 人混みを掻き分けて進むレティの後に続いてアマツマラの外に出る。

 屋外になれば、流石に人の密度も下がり、多少の余裕も出てきた。


「さて、それじゃ早速シードを探しましょうか」


 気持ちを切り替えたレティが、ぱちんと手を叩く。

 周囲は一面の銀世界、空には澄んだ青が広がり、白昼堂々と細い尾をひいて小さな粒が降り注いでいる。


「あれがシードか?」

「落下地点を予測していけば余裕で集められるんじゃないの?」


 シードは次々と投下され、地表へ流れついている。

 周りのプレイヤーたちもラクトと同じ考えらしく、シードが落ちそうな場所へと雪に足を取られながら走って行った。


「でもシードの第一陣は99個が三つのフィールドに満遍なく落とされます。単純計算で〈雪熊の霊峰〉にも33個。めちゃくちゃ少ないですよね」

「そうだなぁ。どう考えてもライバルは100人以上いるし」


 どこかでシードが落ちるたび、歓声が上がって人が群がっていく。

 これでは宝探しどころの話ではないだろう。


「じゃあ、どうするんですか?」


 トーカが首を傾げてレティに問い掛ける。


「序盤はシードの探索と回収ではなく、フィールドの分析に重点を置きます。シードは一時間ごとに追加で99個が投下されるので、そのうち回収が間に合わなくなるでしょうし、普通では回収が困難な場所に落ちることもあるはずです。なので、レティたちはそういうものを狙っていきましょう」


 ミニシードは、99個を一組として段階的に投下される。

 現在落ちてきているのは“い組”のシードで、この一時間後には“ろ組”、そして“は組”“に組”と追加されていく。

 レティは、回収が容易なものは他のプレイヤーがさっさと回収してしまうだろうと考えて、むしろ回収の難しいものに焦点を当てる作戦にしたようだ。


白鹿庵ウチはレッジさんのテントのおかげでフィールドでの長期滞在が可能ですからね。焦らず急がず、ゆったりと行きましょう」


 そう言って彼女は雪の中で装いを変える。


「ふふん! どうです? このコート、可愛いでしょう?」


 真っ白なコートにはもこもことしたファーが取り付けられ、細いレティの体をすっぽりと包んでいる。

 戦闘の際は動きにくいだろうが、雪の中を歩き回るぶんには快適そうだ。

 彼女はいつもの黒鉄装備の上から厚手のコートを纏い、得意げに胸を張った。


「いつの間にそんなの用意してたんだ?」

「レッジさんが農園に引きこもってる間に、ですよ。ちなみに女子全員お揃いです」


 レティに促され振り返ると、ラクトたちも真っ白いコートに着替えていた。

 機体のモデルによる体格差はあれど、デザインが統一されていて可愛らしい。


「どう? 似合う?」


 ころんとしたシルエットのラクトが感想を求めてくる。

 彼女は日頃から氷のアーツを使っているからか、妙に雪との相性が良い。

 笠地蔵……、いや、雪だるまか? 体格的にコロポックルと言えなくもない。


「似合ってるよ。妖精みたいだな」

「そう? へへへ、やったね。――笠地蔵とか言われたらぶん殴ってたところだったよ」


 ぶるりと体が震えるのは、雪山の寒さだけではないはずだ。


「あれ、そういえばミカゲと俺は?」


 トーカやエイミーだけでなく、スサノオもレティたちと同じ白くもこもこしたコート姿だ。

 しかし、ミカゲはいつもの黒装束だし、そもそも俺はみんながコートを作っている事すら知らなかった。

 男子だけはぶられてしまったのか、と悲しみに打ちひしがれていると、ミカゲがそっと歩み寄ってきた。


「……これ。防寒具」

「おお! ありがとう、ミカゲ!」


 彼から渡されたアイテムを早速装備する。


「……えっと、これは?」


 体をすっぽりと包み込んだのは、藁のような植物を編んで作られた蓑と笠だ。

 確かに寒さは凌げるが、なんというか、白いコートと比べると質素というか、野性的というか。


「“山伏の隠れ蓑”と“山伏の隠れ笠”。気配を消して、山岳地帯で歩きやすくしてくれる」

「なるほど。便利だな」


 気配を消したいミカゲや、戦闘が苦手な俺にとってはありがたい効果を発揮する装備で、非常に使いやすそうだ。

 しかし、二つ合わせるとビジュアルが完全に笠地蔵である。


「うん、似合ってるよ。レッジ」

「そりゃどうも」


 爪先から頭のてっぺんまで見上げて、ラクトが言う。

 外見だけで言えば、彼女たちのコートの方が雪に溶け込んで目立たないと思うのだが、あちらには隠蔽効果は無いらしい。

 原生生物たちから見ると、俺たちより女性陣の方がよく目立つ。

 それも結果的にはレティたち戦闘員の方へ効率よく獲物を誘導できるという利点になるのだが。


「では、防寒対策もできましたし、まずはそのあたりを歩きましょうか」


 もこもことしたコートに包まれたまま、レティが星球鎚を構える。

 俺たちは彼女を先頭に、雪深い山の中へと足を踏み出した。


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Tips

◇雪熊の革外套

 雪熊の毛皮を鞣し、加工した厚手のコート。柔らかな白い毛が空気の層を作り、外気を遮断する。極寒の土地でも行動できるようになるが、構造的に激しい運動には不向き。

 装備時、強い寒さを凌ぐ。戦闘系スキルのディレイが5%増加する。


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