第392話「憩いの喫茶店」

 ワダツミの市場はいつにも増して混雑していた。

 考えるまでもなく、彼らは坑道攻略、ひいては第四回イベントに向けて物資をかき集める戦闘職のプレイヤーたちだろう。

 立ち並ぶ露店の品揃えも、彼らに合わせて包帯などの戦闘時に使用する消耗品に偏っている。

 ベースラインに集中しているNPCによるショップは、一定期間ごとに在庫数が決まっている上、品質としても比較的低級のものしか存在しない。

 それでも既に商品棚はすっきりと風通しがよくなっており、市場では熾烈な物資の争奪戦が繰り広げられていた。


「えっと、包帯買いましたね。LP回復とホットアンプルも揃えて、応急修理用マルチマテリアルもこれだけあれば十分でしょう。ラクト、魚料理はどれくらい買えました?」

「坑道攻略前に揃えてた分は買い戻せたよ。あとはイベントでどれくらい使用量が増えるかだね」


 メモを並べて確認するレティのインベントリには、大量のアイテムが詰まっている。

 彼女だけではない。

 ラクト、エイミー、トーカ、そして俺の僅かな隙間にまで行動不能ギリギリまで荷物が詰め込まれているのだ。


「結局、俺が連れてこられた意味があんまりなかったなあ」


 重量制限を若干越えた重い足取りを感じつつぼやく。

 〈取引〉スキルによる値切りが通用するのはNPCショップだけである。

 プレイヤーが営んでいる露店で値切ろうと思うなら、リアル〈取引〉スキルが必須なのだが、相手もそう譲るはずがない。

 そもそもこれだけ需要過多なら、値切りに応じずともすぐに売れてしまうからだ。


「でもまあ、レッジさんがいてくれたおかげで纏めて沢山買い込めましたし。助かってますよ」


 レティが苦笑しつつ、背負った巨大なリュックを揺らす。

 頼みの綱であるしもふりも、流石に芋を洗うような様相の市場に堂々と歩かせるわけにもいかず、中央制御区域の機獣保管庫で休んでいる。

 そのため俺たちは大容量のリュックを背負って、露店の間を練り歩いていた。


『あぅ。スゥも、持つ?』

「スサノオはインベントリを持ってないだろ? 一応俺たちだけで持ててるし、大丈夫だ。ありがとな」


 強い日差しを遮り影をつくる麦わら帽子の下から見上げてくるスサノオに、ありがたく思いつつも首を振る。

 たしかに、彼女は俺はおろかレティさえ凌ぐほどに力が強い。

 しかし調査開拓員ではないので、“八咫鏡”を持っておらず、インベントリが使えない。

 いくら重量ギリギリでも、この人混みではインベントリの方が楽だし安全だろう。


「とはいえこれ以上は買い込めませんね。一度しもふりに預けて、ついでにどこかで休憩しましょうか」

「賛成! ワダツミってば海沿いなのに滅茶苦茶暑いんだもん。冷たいサイダーでも飲みたいよ」


 レティの提案に、ラクトが諸手を上げて飛び跳ねる。

 確かにワダツミはオノコロ高地の上と比べると温暖な気候だ。

 だからこそ青空が澄んでいて日差しがよく、別荘地の人気も高いのだが、この混雑ではどうにも過ごしにくい。


「機械なのに汗をかくのもどうにかならないのかしら」


 額に滲む汗を拭いながらエイミーが言う。

 彼女は淡いブルーのシャツの胸元をパタパタと扇ぎ、げんなりとくたびれていた。


「むしろ機械だからでは? 私の持っているパソコンなども冬場は暖房代わりになるくらい排熱していますし」

「そういうトーカは元気そうねぇ」

「〈状態異常耐性〉スキルが高いのが影響してるのかも知れませんねぇ」


 しゃっきりと背筋を伸ばし、軽やかな足取りでトーカは歩いている。

 俺も暑くはあるが、元気が無くなるほどではないし、もしかしたら機体のタイプやらも関係している可能性もある。

 そんな話をしながら市場を抜け、中央制御区域のベースラインにやってくる。

 機獣保管庫で休んでいるしもふりのコンテナに荷物を積み込み、身軽になった俺たちは、日陰を求めて再び町へ繰り出した。


「しかし、前のイベントよりも更に活気が出てる気がするな。俺が露店に並べてた薬草類も根こそぎ無くなってたし」

「それだけ人が増えたということでは? ゲームのリリースからもそれなりに時間が経っているわけですし」


 イベントの開催が告知されるたび、各地が賑わう。

 それはいつもの事なのだが、イベントが回を重ねるたびにその熱気も高くなっているような気がした。

 レティの返答にはなるほどと納得させられ、改めてFPOを始めてからずいぶん時間が経っていることを認識する。


「今も〈はじまりの草原〉はずいぶん賑わっているらしいですからね。新規に始める人も多いということですよ」


 同好の士が増えるのは大歓迎、とトーカが目を細めて言う。

 実際、彼女が開祖である〈彩花流〉は見た目に華やかで扱いやすい流派だから、門下生はずいぶんな数になっていることだろう。

 我が〈風牙流〉も、〈解体〉スキルの有用性が見直されてきたおかげで習得条件をクリアしている人は多いらしい。

 しかし悲しいかな、他の〈咬砕流〉など攻撃特化の流派の方が人気は高く、〈槍術〉スキルの流派にしてもクリスティーナの〈穿馮流〉や防御貫通力に秀でた〈羅尖流〉などに食われてしまっている。

 〈風牙流〉の範囲攻撃は強力だが、そもそも範囲攻撃の出番があんまり無いのだ。


「よちよち歩きながら話してないで、そろそろお店見つけて入らない?」

「暑くて溶けそうよ……」


 背後から若干の怨嗟が籠もった声がする。

 振り返ればぐったりとしたラクトとエイミーが、鉛のような足取りでついてきていた。


「それもそうですね。どこに入っても待つことはないですし、手早く決めましょうか」


 限界の近い二人の様子を見て、レティは苦笑しながら頷いた。

 どれだけ人気のある店でも、内部が無限に拡張できるため基本的に行列ができていることはない。

 たまに行列があることを売りにしている店もあるため、その限りでもないのだが、現実と比べるととてもスムーズに入店できる。

 嗜好品系のアイテムならば、品切れという概念も存在しないし、本当にストレスフリーだ。

 しばし商業地区の通りを歩きつつ店々を吟味したのち、俺たちは〈ブルーポット〉というカフェのドアベルを鳴らした。


『いらっしゃいませ。ようこそおいで下さいました』


 シックな焦げ茶色の制服と、白い腰エプロンを身につけたヒューマノイドの女の子に出迎えられる。

 可愛らしいスキンの、少し落ち着いた雰囲気の少女だ。

 言葉遣いも流暢な、高級NPCである。


「レッジさん、行きますよ」

「いだだっ。わ、分かったって」


 声を一段低くしたレティに二の腕を抓られ、引っ張られるように背の高いパーティションで仕切られたボックス席へと連行される。


「やっぱりコーヒーが有名な店なのかね」

「みたいですね」


 メニューウィンドウには、いくつものコーヒーがずらりと並んでいる。

 深入りや浅煎り、風味の違いなど、詳細なパラメータが確認できるあたり、この店はコーヒーに力を入れているらしい。

 それも、闘技場の〈黒い稲妻〉などとは違って正統派のコーヒーばかりだ。


「こういうので良いんだよ、こういうので」


 今までの経験から誤解してしまうが、このゲームの味覚再現機能はかなり優秀だ。

 こういう普通に美味しそうなものは普通にとても美味しいのだ。


「じゃ、レティはせっかくなので、このレッドコーヒーを選びましょうかね」

「レッドコーヒーってなんだ?」

「“ルビーのように赤いコーヒー。あなたの瞳に乾杯を”って書かれてますね」


 説明文を読み上げるレティ。

 しかし彼女も味については想像できなかったのか、首を傾げている。


「わたしはサイダーで良いかな。このブルースカイサイダーで」

「ではレモンレモンエレーモンスカッシュにしましょう」

「ねこみみカフェラテって名前が可愛いわね。ラテアートでもして貰えるのかしら」


 メニューを眺めていたラクトたちも、次々に決めていく。

 俺は一番上にあったブレンドを選ぶ。


「無難ですねぇ」

「面白みがないねぇ」

「なんとでも言え。初めて入る店なら一番目立つところにあるメニューを選ぶことにしてるんだ」


 まずは基本を知らねば、というのが俺の信条だった。


「スサノオはどうする?」

『あぅ、えっと……』


 レティたちの視線から逃げるように、俺は隣に座るスサノオへと目を落とす。

 彼女は真剣な表情でメニューを眺めている。


『ソプラノコーラ、に、する』


 そう言って彼女が指し示す。

 ソプラノ以外にも、アルトやらテノール、バリトンと種類があるようだ。

 説明文には“軽やかで美しい朝の目覚めのような歌声を”とだけ書かれている。


「それじゃあ注文するか」


 注文を確定すると、即座に代金が財布から支払われる。

 そしてすぐに、銀色の盆に飲み物を乗せて、先ほどの少女がやってきた。


『レッドコーヒー、ブルースカイサイダー、レモンレモンエレーモンスカッシュ、ねこみみカフェラテ、ソプラノコーラ。そしてブレンドです』


 テーブルに置かれるのは、五つのコップ。

 レッドコーヒーは説明文の通り、鮮やかな赤色のコーヒーだった。


「とりあえず飲みましょう。味が気になります」


 そう言ってレティがカップを摘まみ、一口、唇を濡らす。


「ふむ? ちょっとあっさりとした普通のコーヒーですかね?」


 思っていたよりも普通のコーヒーだったらしい。

 若干落胆したような声で彼女は言う。


「ちょ、レティ……」

「なんですか?」


 しかし、そんな彼女を見て俺たちはざわつく。

 様子のおかしい俺たちに、レティは怪訝な顔をする。


「とりあえず鏡見ろ」

「はええ?」


 困惑しつつも、レティは自分の腕に取り付けられた“八咫鏡”を覗き込む。

 鏡というだけあって、一応手鏡のようにも使えるのだ。


「うわわっ!? なんですかこれ!?」


 そうして、レティが悲鳴を上げる。

 大きく見開かれた彼女の瞳は、鮮やかな赤に


「“あなたの瞳に乾杯を”ってこのことか」

「ひょえええ。視界は特に変わってないのに、面白いですね」


 ぱちぱちと瞬きするたび、レティの瞳は赤信号のように点滅する。

 あれ、現実の赤信号は点滅しないんだったか?

 ともかく、ずいぶんと面白いバフの掛かる飲み物だ。


「レッジ、レッジ! わたしも見てよ」


 隣でくいくいと袖を引っ張られる。

 そこに座るラクトの目は、ブルースカイの名の通り空のように青く光っていた。


「ただの喫茶店かと思ったけど、面白いね! サイダーも美味しいし!」


 ラクトは飲むと目が光るギミックを気に入ったようで、眩しい瞳をぱちぱちと瞬かせて楽しんでいる。


「う、なんだか飲むのに不安が出てきましたね……」


 騒がしくなるレティとラクトを見て、トーカが心配顔になる。

 彼女の前に置かれているのはレモンレモンエレーモンスカッシュだ。

 見た目は僅かに白く濁った炭酸水で、グラスの縁に瑞々しいレモンが一切れ添えられている。


「ええい、ままよ!」


 しばらく懊悩していたが、彼女も意を決してグラスを持つ。


「ッ!」


 桃色の唇が濡れた瞬間、トーカが肩を跳ね上げる。

 そしてきゅっと口をすぼめてプルプルと震えだした。

「と、トーカ? 大丈夫か?」

「あう、あう」


 心配になって尋ねると、彼女はコクコクと頷いた。

 しばらく経ってからようやく口を開き、味を報告してくれる。


「はちゃめちゃに酸っぱかったです……。たしかにエレーモンですよ」

「駄洒落じゃないですか」


 ピカピカと赤く光る目でレティが突っ込む。

 さいわいと言うべきか、トーカの飲み物には外見を変える作用はなかったらしい。


『ア、アゥ。レッジ……』


 突然、真横から甲高い声が俺を呼ぶ。

 驚いて振り向くと、顔を真っ赤にしたスサノオが、ぎゅっと俺の服の袖を引っ張っていた。


「スサノオ!? なんか声変わってないか?」

『ウゥゥ』


 驚いて彼女の顔を覗き込む。

 どうやらスサノオの頼んだソプラノコーラは、一定時間、声を高くする効果があるらしい。


「管理者ってこういうお店の飲み物の効果とかも知ってるんじゃないんですか?」


 少々呆れた様子でレティが言う。

 管理者は町のあらゆる情報を統括する存在だ。

 このくらいの結果は分かっていても不思議ではなかった。


『アゥ。スゥハ、ワダツミノ事ハアンマリ知ラナイカラ……』


 恥ずかしそうに俯いたまま、甲高い声でスサノオが弁明する。

 たしかにここは彼女の管轄する土地ではないし、知らなくても無理はないか。


「レッジさんのコーヒーはどうなるんです?」

「俺のは普通のブレンドだって」


 興味津々とテーブルに乗り出して迫るレティ。

 俺はカップのコーヒーを一口含み、飲み込む。

 うむ、普通に美味しい、普通のコーヒーである。


「面白くないですねぇ」

「レッジとコーヒーがブレンドされるくらいの事が起これば良かったのに」


 何もないと分かるや否や、レティとラクトからブーイングが飛んでくる。

 なんで喫茶店でコーヒーを飲んだだけで責められねばならないのか。


「そういえば、エイミーのはどうなんだ?」


 レティたちから逃れるように、エイミーへと話題を向ける。

 彼女の頼んだのはねこみみカフェラテ。

 そして出てきたのも、コーヒーカップにミルクの泡で可愛いネコが乗っているものだ。


「可愛いですねぇ」

「こっちも普通のカフェラテなのかな?」

『アゥ。猫チャンカワイイネ』


 カップで丸くなっている猫を見て、少女たちが歓声をあげる。

 なるほど確かにこれは可愛らしい、と俺も後ろからのぞき見て頷いた。


「そうね。これなら安心して飲めそうだわ」


 ほっと胸を撫で下ろし、エイミーがカップを手に取る。

 白い猫を崩すのを残念そうにしながら、彼女はカップを傾ける。


「うん。味も美味しい普通のカフェラテね」


 そう言って、彼女は満足げに頷く。


「え、エイミー……」

「なるほど、そう来ましたか」

「かわいいねぇ」


 彼女の緩んだ笑みを見て、俺たちはどよめく。


『アゥ。猫チャンカワイイ!』


 スサノオも目を細め、エイミーの顔を見る。

 俺たちの反応に怪訝な顔をするエイミーに、トーカが無言で鏡を確認しろと促した。


「何なの? ……きゃぁっ!?」


 鏡を覗き込んだエイミーが、目を開いて声を上げる。

 彼女の明るい紫色の頭髪の上から、三角形の耳が誇らしげにピンと屹立していた。


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Tips

◇カフェ〈ブルーポット〉

 海洋資源採集拠点シード01-ワダツミの商業区画にある、小さな喫茶店。コーヒーにこだわり抜き、ブレンドはワダツミに数ある喫茶店の中でも特に評価が高い。

 店内は落ち着いた音楽の流れるゆったりとした雰囲気で、店員たちも気品のある佇まい。

 反面、個性豊かなオリジナルドリンクを多数取り揃えており、それらの味や“姿”を楽しんでいるファンも多い。


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