第386話「水を飲む緑蛇」
カエルの皮膚はネバネバとした粘液で覆われている。
これがレティやトーカであれば、鎚が滑り、刃が立たず、ダメージも殆ど与えられず苦戦することだろう。
だが、
「『雷槍』ッ」
俺の持つ武器は槍。
刺突属性の攻撃は、面ではなく点に全てのエネルギーを乗せる、突破力に秀でている。
素早く突き出した三叉矛の真っ直ぐに伸びた真ん中の角が、柔らかいカエルの腹に突き刺さる。
「よし、効くな」
僅かだがカエルのHPが削れた。
予想したダメージ量よりもはるかに少ない、ということもない。
俺のスキル値と攻撃力、それとこのあたりのボスの水準を考えれば妥当なダメージだ。
「レッジ、何か手伝った方が良い?」
「ラクトは舌を牽制してくれ。なんなら全部千切ってくれてもいいぞ!」
「アーツにそれは難しいんじゃないかな!?」
カエルの方もただやられてばかりではない。
僅かに動きをずらした無数の舌が勢いよく足下へ着弾する。
粘液の水たまりで飛沫を上げて、それらは機敏な動きで容赦なく俺を狙う。
「『
飛び退いた直後、すり鉢の底に丸い穴を穿つ舌の真ん中を、鋭い銀の矢が切り裂いた。
見上げれば、短弓に二の矢を番えたラクトが不敵な笑みを浮かべている。
「ドンドン行くよ!」
「よろしく頼むっ」
槍を振り、舌を押し退ける。
斬撃属性ならば俺も切り払いながら進めるのだろうが、生憎と刺突属性にそのような力はあんまりない。
「『流転大旋回』」
槍を全方位に向けて大きく振るう。
四方八方から迫り来る太い舌の猛攻を叩き落とし、再びカエルの腹の前へと近付いた。
「風牙流、四の技、『疾風牙』」
俺が現在習得している風牙流の技の中で、もっとも貫通力の高いもの。
牙のように鋭く、疾風のように速く。
カエルの白い腹目掛けて槍を突き出す。
「レッジさん!」
その穂先がカエルの腹に突き刺さる直前、レティの激しい声が届く。
背後から風を裂く音を感じる。
俺は強引に身を捻り、カエルの腹に突き刺した槍を引き抜きながら背後を振り返った。
「ちっ――」
大きく回り込むようにして死角から背後を狙う、無数の舌。
ぬらぬらと唾液に濡れ、ヘッドライトの光を反射している。
俺は空中に跳び上がっており、ここから動くことができない。
このままではサンドバッグのように殴り殺されるだろう。
「風牙流――」
どうにもできない危機的な状況に追いやられるほどに、人工知能の根幹にある生存本能とでも言うべきプログラムが活性化する。
視野が狭まり、嗅覚を失い、音が遠ざかる。
不必要なあらゆる情報を切り捨てて、高速で演算リソースを拡大していく。
あらゆる可能性を検討し。あらゆる事象を検証していく。
電子回路が焼き付くような高揚感の中で、一条の光明をつかみ取る。
「六の技――ッ!」
槍とナイフを順手で構える。
遅滞する時間感覚のなかで、思考は急速に冷えていく。
求めるのは、周囲へ放つ鋭い斬撃。
槍ではなく、ナイフの方を主役に立てる。
「『鎌鼬』」
鋭い風が吹きすさぶ。
真空の斬撃が周囲に広がる。
水平のに広がる一閃の輝きが、粘液に守られた太い舌を切り捨てた。
「――あっぶねぇ。死ぬとこだった!」
「レッジさん! お見事です!」
感覚が正常に戻り、レティたちの声も戻ってくる。
急激に体が冷え、全身の冷却機構がフル稼働していることに気がついた。
「まだ終わってないよ! 気をつけて!」
エイミーの檄に振り返る。
大きく口を開いたカエルが間近に迫っていた。
「そんなに喰いたいんなら、これでも喰っとけ!」
全力で後ろへ跳び下がりながら、真っ赤な口の中へと小瓶を投げ込む。
勢いよく口が閉じられたのを確認して、テクニックを発動させる。
「『強制萌芽』、
バリン、とガラス瓶が割れる音がする。
きっと不用意にも投げ込まれた瓶を舌で割ってしまったのだろう。
距離を取る俺を追いかけようとしていたカエルが、突如として動きを止める。
「そら、喉が乾いてきただろう」
蟒蛇蕺。
その名の通り、強靱な根を急速に張り巡らせてゴクゴクと周囲の水分を吸い上げる鯨飲馬食の植物だ。
それが今、カエルの口内で萌芽した。
種の周囲にあるのは、少々粘ついているが豊富な水だ。
ドクダミは勢いをつけてそれを吸い上げ、体積を増し、根を伸ばし、更に水分を吸い取っていく。
「え、えげつない……」
上から様子を見ていたラクトが言う。
その間にもカエルはもがき苦しみ、四肢を広げて転がり回る。
口の隙間からはモサモサとハート型の葉っぱが溢れ、体外にも根を伸ばそうと蠢いている。
「もともとは〈水蛇の湖沼〉なんかの足下が緩い土地でも戦いやすくするために作ったんだが、直接敵に喰わせても結構使えるな」
「確かに効果的かも知れませんが、人道的な何かに引っかかってませんか?」
レティまでもが若干引いた顔で俺を見る。
そんな、人を常識のないマッドサイエンティストみたいに言わないで欲しい。
これは環境改善のために開発された、極めて環境親和性の高い植物なのだ。
「さて、ずいぶん乾いてきたな」
そうこう言っているうちに、カエルの体も干からびてきた。
蟒蛇蕺は吸水能力に特化させているため、他の種瓶と比べても持続時間が長い。
もしかしたら、この粘液の栄養も高いのかも知れない。
ぷくぷくと膨らんでいたカエルはみすぼらしく干からび、白い腹を上に向けて倒れている。
「カエルがひっくり返る……。ふふっ」
「レッジさん?」
「いやなんでもない」
コホン、と咳払いをひとつ。
「この状態ならレティたちが攻撃した方が早そうだ。頼めるか?」
「ええ……。レティ、そこに降りたくないんですが」
レティが表情を曇らせる。
蟒蛇蕺が吸い取っているのはあくまでカエルの体内の水分だけであるため、すり鉢の底にはまだまだ粘液が溜まっている。
確かにあまり進んで降りたくない気持ちも分かる。
「しかたない、時間は掛かるが俺がとどめを刺すか」
彼女たちがそういうのなら仕方ない。
俺の攻撃力ではすぐに仕留めることはできないが、ザクザクと槍を突き刺すことで討伐する。
上からラクトも手伝ってくれたので、思ったほど時間は掛からなかった。
「よし、これで44層クリアだな」
「おめでとうございます!」
カエル――正式名称を“纏繞のクアルプァ”というらしい――を討伐したアナウンスが流れ、奥へと続く道が示される。
「えーっと……」
クアルプァをザクザクと手際よく解体し終えた俺は、そこではたと気がついた。
「これ、どうやって登れば良いんだ?」
すり鉢状にぐるりと囲む急斜面は、今もテカテカと粘ついた液体が覆っている。
クアルプァはずいぶんと手先(舌先?)が器用だったようで、表面も滑らかで手がかり足がかりとなりそうな突起もない。
「レティ、ラクト、エイミー。誰でもいいから、ヘルプミー」
「どうしたんですか?」
声を上げるとレティたちがのぞき見る。
そうして彼女たちも俺の置かれた現状を認識したようだ。
「任せて下さい! レティ、落とし穴の時みたいに助けてあげますよ。これは正当な救助行為なので止むなく体が密着してもそこに一切の下心的なアレはソレでコノ――」
「レッジ、掴まって」
レティが小刻みに耳を振って何かを言っている間に、ミカゲが糸を伸ばしてくれる。
まさしく蜘蛛の糸である。
他に縋ってくる獄囚もいないため、俺は悠々と掴んで引き上げられた。
「ふぅ、助かった」
どうやらミカゲだけでなく、スサノオも一緒に引っ張ってくれていたようだ。
ミカゲも俺よりは腕力があるとはいえ、基本は脚力重視のステータスだろうし、1人で引き上げるのは荷が重かったらしい。
「スサノオも助けてくれてありがとうな」
『えへへ』
黒髪を優しく撫でると、スサノオは前髪の下の目を細める。
「で、では仕方ないですね。レティ、行きます!」
「ほら、レティ。奥に進むぞ」
“黒兎の機械脚”を装着し跳びだそうとしたレティの襟首を掴み、引き戻す。
「あれ!? なんでレッジさんが上に?」
「何言ってるんだ……」
困惑するレティの背中を押して、俺たちはクアルプァの巣の奥へと進む。
「さて、この奥はどうなってるか」
走り南京に積み込んだ荷物からアンプルとマルチマテリアルを取り出して使いながら、細くなった洞窟を進む。
傾斜の緩やかな坂道がしばらく続き、ぐねぐねと曲がりくねる中で方向感覚もおぼろげになっていく。
「レッジ」
先行していたミカゲが立ち止まり、振り返る。
彼のもとへ合流すると、立ち止まった理由が分かった。
「どうやら、地下坑道は全44層らしいな」
細かった通路がその先から急激に広がっていた。
足下はゴツゴツとしていて不安定で、しかも湿度が高く濡れている。
天井からは立派な鍾乳洞がいくつも垂れ下がっていた。
「〈アマツマラ深層洞窟・上層〉か」
一歩足を踏み出すと、フィールドの名前が切り替わる。
そこは正真正銘、前人未踏の秘境だった。
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Tips
◇纏繞のクアルプァ
〈アマツマラ地下坑道〉第44層の階層主。口内に伸縮性の高い強靱な舌を無数に持っている。茶色い斑点のある濃緑の皮膚と口内から分泌する粘液は、体を乾燥から保護するほか、外部からの衝撃を受け流す働きもある。
深いすり鉢状の巣を作り、ほとんどそこから動くことなく生活する。時折、巣の縁に現れた獲物を伸びる舌で絡め取り、巣の底へと引き落とす。
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