第385話「触手と粘液」

 ヘッドライトが照らす洞窟を、レティたちが猛烈な勢いで駆け抜ける。

 前衛の中ではもっとも足の遅いエイミーに合わせているとはいえ、常に全速力で走り続けられるのは、走り南京に乗せた“鱗雲”のLP回復に依るものだ。


「ほわちゃっ! とりゃっ! きぃぃぃえっ!」


 レティは奇声をあげながら、ブンブンと星球鎚を振り回す。

 坑道を奥へ奥へと進む過程の度重なる戦闘によって、この狭い空間での戦い方にも慣れたのか。彼女は鉄鎖を鳴らして壁や地面から飛び出してくるモグラを叩いていた。


「リアルモグラ叩きをやることになるとは! 忙しすぎて大変ですね」

「仮想現実内だし、バーチャルなんじゃないか?」

「じゃあ、バーチャルリアルモグラ叩きです!」


 戦闘に神経を尖らせているせいか、発言にリソースが回っていない。


「『迅雷切破』ッ! まあ、ラクトさんが動けないぶん、少し大変ではありますね」


 雷を纏った斬撃でモグラとミミズを一掃しつつ、トーカが息を吐く。


「ごめんねぇ。その代わり、ボス部屋できっちり働くからさ」

「まあ、LPさえ回復すれば戦い続けられる私たちと違って、ラクトは触媒切れたら終わりだもの。仕方ないわ」


 クリスタルワームの硬い結晶殻を強引に砕きながらエイミーが言う。

 彼女の言う通り、ラクトの扱うアーツは触媒としてナノマシンパウダーを消費する都合上、発動できる弾数が有限だった。

 物資もそれなりに積み込んできているが、それでも温存できるならしておくに越したことはなく、道中は専ら前衛組の3人とミカゲが敵を受け持ってくれていた。

 いちおう、彼女たちの武器も耐久値があるため無限に戦うことはできないのだが、応急修理用マルチマテリアルもたんまり持ってきているし、アーツほど消耗が激しいわけではない。


「レッジさん! お仕事ですよ」

「はいはい。――風牙流、二の技、『山荒』」


 突風が捻れ、洞窟の奥に広がる闇を貫く。

 甲高い金切り声と共に、ぼとぼとと小さな黒い影が地面に落ちた。

 人並の戦力を持っていると言えないこともない俺も、ただ走り南京の世話ばかりしているわけでなく、時たまこうして役目が回ってくる。

 倒したのは“ケイブシャドウバット”という大きな蝙蝠で、これはレティたちが苦手としている群れで襲ってくるタイプの原生生物だった。

 ラクトを除けば、範囲攻撃が得意なのが俺しかいないため、こうしてたまに槍とナイフを振る必要があるというわけだ。


「しかし随分と原生生物の密度が上がってきたな」

「そうですね。これ以上増えるともうキャパオーバーになりますよ」

「出し惜しみしてないで、わたしも戦闘に加わった方がいいかなぁ」


 ここは〈アマツマラ地下坑道〉の第44層。

 現れる原生生物の強さはいつの間にか頭打ちになり、その代わりとでも言わんばかりに現れる数が増えていた。

 倒しても解体せずに放置して先へ進んでいるのは、解体中に新たな原生生物が現れて戦闘を余儀なくされてしまうからだ。


「とりあえず、もうすぐ44層のボス部屋でしょう。まずはそこを越えるわよ」


 双頭のクリスタルワームを砕き、エイミーが言う。

 地図を見れば、44層も随分と下ってきた。

 たしかにそろそろボス部屋が現れてもいい頃合いだろう。


『噂をすれば。ボス部屋、見付けた』


 そこへ丁度よくミカゲから報告が上がる。

 彼が偵察役として前もって原生生物や道の様子を知らせてくれているため、俺たちはここまでスムーズにやってくることができていた。

 モグラの群れを呪炎で焼き払いながら待っていたミカゲと合流したのは、大きく開けた空間に繋がる入り口の前だった。


「ここが44層のボス部屋か」


 ボス部屋の前は準備を済ませろとそれなりのスペースが広がっている。

 ボスの気配を嫌って他の原生生物は立ち入ってこない、ということで、俺たちもようやく一息つける。


「40層のボスも随分と強敵でしたけど、大丈夫ですかね」


 星球鎚に応急修理用マルチマテリアルを使いながらレティが言う。

 一つ前のボスは大きな口を持ったワームの親玉だった。

 目が退化し、全身を包む結晶の殻の隙間から粘性のある体液をにじみ出す姿はなかなかに気持ち悪かった。

 体液が攻撃を受け流し、衝撃を殺すようで、近接攻撃が思うように効かず、結局ラクトのアーツ連打でなんとか倒したのだが、そのせいで随分とナノマシンを消費してしまった。


「いちおう、またアレが出てきてもいいくらいには触媒もあるよ」


 ラクトが走り南京に積み込んだ簡易保管庫の中身を確認していう。

 彼女のアーツは強力で、〈白鹿庵〉でも随一の殲滅力を誇る。

 だからこそ消費は重く、使い所を見極めるのが難しいのだ。


「柔らかくて鈍くて非力でそれなりに大きいボスがいいですねぇ」

「そんな奴がボスになるわけないだろ……」


 叶わぬ願望を口にするレティに、思わず半目になる。

 もしそんな奴がボスだったとしたら、それらの短所を補ってあまりあるほどの武器を持っているはずだ。

 ともかく、外からボス部屋の中を伺おうにも闇が広がっていてそれもできない。

 準備ができ次第、突入するしか俺たちに道は残されていないのだ。


「さ、行くぞ」


 武器を研ぎ直し、アンプルを補充し、ボス部屋の前に立つ。

 全員が揃ったところで、気合いを入れて部屋へ踏み入った。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか」


 光源のない暗い洞窟の中は、左右と天井が大きく広がり、円形のドームのようになっていた。

 ヘッドライトに光が届かないほど奥行きもあり、随分と広いことが分かる。


「ッ! レッジさん、危ない!」

「うおっ!?」


 足を擦るように歩いていると、突然レティが手を引っ張る。

 彼女の指さす先を見ると、足下が唐突に急な坂道になっていた。

 いや、これは坂道と言うよりも斜めの壁だろうか。

 その表面はぬらぬらと光を反射する液体が覆っており、落ちたら戻ってくるのも難しそうだ。


「どうやらすり鉢状になってるみたいですね」


 比較的夜目の効くレティが、俺のヘッドライトの明かりを頼りにして周囲を見る。

 どうやらボス部屋の地形は16層の女王蟻の時と同じようなもののようだ。

 しかし、今のところボスからの襲撃はないが、静かすぎるのも奇妙で恐ろしい。


「居るとしたら、このすり鉢の底か?」

「落ちたら戦いにくそうですね」


 闇の中、慎重にすり鉢の縁に立って底を見下ろす。

 しかし夜目の効かない俺には、ヘッドライトの光を反射しぬらりと波打つ粘液の水たまりが見えるだけだ。


「とりあえず、縁を伝って奥へ行きましょう」

「そうだな」


 ひとまず鉢の底は後回しにする。

 まずは探索しやすい場所からだと歩き始めた、その時だった。


「がっ!?」

「レッジさん!?」

「レッジ!」


 突如、鉢の底から強い衝撃が繰り出される。

 それは俺の脇腹に直撃し、内部機構を揺らす。

 太く生暖かい何かが、俺の腰に巻き付き引っ張る。

 突然のことに対応もできず、体が傾く。


「手、握って――」


 レティが腕を突き出す。

 それを握るよりも早く、俺はぬらぬらと濡れる粘液の海へと落とされた。


「うおおおおっ!?」

「レッジさん!」


 腰に巻き付いているのは、ベタベタとしたピンク色の肉だった。

 ゴムのように長く伸びたそれは急速に縮み、俺をどこかへと誘う。

 鉢の縁から飛び込もうとするレティを、エイミーたちが必死に抑えているのが見えた。


「風牙流、五の技――『飆』ッ!」


 黒い影が視界の端に映りこむ。

 反射的に槍とナイフを振るい、腰に巻き付いていたものを強引に切り裂いた。


「……クソ、柔らかくて鈍くて非力でそれなりに大きいボスじゃないか」


 暗闇の中、粘液の中に落ちる。

 全身をベタベタとした液体で濡らしながら見上げると、そこには目を金色に光らせる、巨大なカエルが鎮座していた。


「うわわっ! レッジさんが全身ぬるぬるになってしまいました!」

「ここに溜まってるのはあのカエルの粘液だったってこと? きもちわるっ」


 上の方からレティたちの声が聞こえる。

 とりあえず、後を追って降りてこないように伝え、改めて大きなカエルを確認する。

 所々に茶色いブチの入った深緑色の皮膚からは、絶えず生暖かい粘性の体液を流し、喉元の袋をボコボコと膨らませている。

 先ほど俺を絡め取り、俺が断ち切ったのは奴の長い舌だったらしい。


「うえっ」


 おもむろにカエルが大きな口を開く。

 そこから零れるように現れたのは、細長い無数の舌だった。


「うわわわっ! レッジさんが全身ぬるぬるの上に触手カエルに襲われてます!」

「なにあの気持ち悪い原生生物!? 殴りたくないんだけど」

「こ、このままではレッジさんのあ、あられもない姿が……」

「レティ、少し落ち着いて下さい。まずはスクリーンショットの準備をですね……」

「姉さんも、ちょっと落ち着いて」


 上からも悲鳴が聞こえてくる。

 口を閉じていれば普通の――ゾウくらいのサイズがあるとはいえ――どこにでも居るようなカエルの姿だというのに、口を開けばいっそ笑いたくなるほどのクリーチャーだ。


「どうやら本体はあんまり動かないらしいな」


 口の隙間から飛び出した無数の舌がぐにょぐにょと蠢く。

 カエル自体が動かない代わりに、その舌が機敏に動き回るようになっているらしい。


「レティたちは休んでてくれ。舌には気をつけてな。ラクトはそっから届くなら援護してほしい。――コイツは俺が片付けよう」


 ビジュアル的にも、レティたちには少々荷が重い敵だろう。

 無数の触手が同時に襲ってくるのなら、戦闘スタイルの相性も悪い。

 ならば、今まで楽をしていたぶん俺が頑張ろう。


「幸い、ここは俺にとっても都合が良い」


 ぼんやりと、全身と三叉矛が青く輝いている。

 どうやらここは“水辺フィールド”と認識されたようで、ブラストフィンシリーズの“荒波を裂く者”が発動していた。


「レッジさん頑張って下さい! ヌルヌル触手なんかに負けないで下さい! 貞操守って下さい!」

「あんまり触手って言わないでくれ、ちょっと気が散る! あと貞操ってなんだよ!?」


 声援はありがたいが少々やりにくい。

 これは触手ではなく、あくまでカエルの舌なのだ。

 彼もレティの言葉に怒った――訳ではないだろうが、大きく喉袋を膨らませる。


「行くぞっ」


 ゲェコ、と爆音が発せられる。

 びちゃびちゃと全身に浴びせられる粘液をものともせず、俺はぬめる足下を踏んで飛び出した。


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Tips

◇ツインヘッド・クリスタルワーム

 二つの頭を持つ奇形のクリスタルワーム。生存競争において不利であるにも関わらず、互いに連携を取って生き延びた。過酷な野生の中で鍛えられた技と肉体は、反撃を許すことなく獲物を仕留める。


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