第384話「筋肉再び」

 明かりも乏しい坑道を、走り南京に乗って進んでゆく。

 無数に絡まり合った蔓がにょろにょろと蠢き四本の足で滑らかに走る姿は、まるでどこかの怪物のようだ。


『モグラ、三体』

「了解ですっ!」


 先行するミカゲから敵の情報が入れば、すぐさまレティたちが戦闘に備える。

 それなりの速度で進んでいるため、闇の中から突然現れる敵も、彼女たちは危なげなく対処していた。


「『一閃』ッ」

「『岩砕』ッ」

「『穿孔拳』ッ」


 南京の前を走るレティたちが、それぞれの得物を振るう。

 舌なめずりして飛び掛かってきたブラックネイルモールたちは、呆気なく転がり、南瓜の中へ回収されて手早く解体されてしまう。


「なんか、工場の流れ作業みたいだね」

「まあ効率を突き詰めたらこうなるな。今のところ、敵の強さは3人で対処できるレベルみたいだし」


 他のプレイヤーが居ない、深い階層ではあるが、出てくる原生生物はさほど強くはない。

 いや、俺が戦えば瞬殺されるのかも知れないが、レティたち前衛3人が高度な連携で反撃される前に仕留めてしまうため、あまり強さを感じないのだ。

 多分、さっき襲ってきたブラックネイルモールも上層に出てくるものと比べれば随分と力をつけているのだろうが、その鋭利な爪が届く前に潰されるため、少し可哀想だった。


『ッ! 姉さん』


 快調に進むことしばらく。

 突如、ミカゲが切迫した声を届ける。

 わざわざトーカを呼んだ彼に全員が疑問を覚えた時、それは姿を現した。


「……なるほど。久しぶりですね」


 熱い息を吐き出して、それはサイドチェストの姿勢で立ちはだかっていた。

 妙にテカついた赤茶色の体躯は岩山のように膨張し、その四肢はメタセコイアのように太く鋼のように硬い。

 尖った鼻先からピンと髭を伸ばし、目が赤く爛々と輝いている。

 握りしめた拳からは鋭く尖った長い黒爪が伸び、それは己の体躯を見せつけるかのように、威風堂々と立っていた。


「――“巌のプティロン”」


 重々しくその名を呟くトーカ。

 そう言えば本名はそんな感じだったか、と完全にプロテインで覚えていた俺は内心苦笑いした。

 歩みを止め、対峙する俺たちを睥睨し、プティロンは次々とポーズを変えていく。

 ダブルバイセップス・バックで鬼の洗濯板のような背筋を見せつけ、サイドトライセップスで棍棒のような腕を誇示する。

 アブドミナル・アンド・サイは横幅が立派すぎてデカい板チョコのようだ。


「なるほど、以前と変わらぬ切れ味ってことか」

「何言ってんですかレッジさん?」

「私だって、以前とは切れ味が違いますよ」

「トーカもなんで張り合ってるんですか!?」


 トーカが“夜刀・月”に手を添えて前に出る。

 その瞬間、重々しくも神聖な空気がその場を支配し、ここは2人だけの戦場と化した。

 ここから先は手出し無用。

 両者の間に踏み入るような、無粋な真似は許されない。


「……普通に一対多で囲んだ方が良くないですか?」

「心配無用。あの筋肉、今度こそ細切れ肉半額セールにしてやりますよ」

「ええ……」


 助太刀しようとするレティを追い返し、トーカが前傾姿勢を取る。

 それに対し、プティロンも再びサイドチェストの体勢に戻り、万全を期する。


「ほら、プティロンの後ろ見てみろよ」


 困惑顔のレティに囁く。

 ぴくりと肩を僅かに跳ね上げたレティが胡乱な顔でプティロンの石垣のような肩の奥を見る。

 そこには、プティロンほどではないにせよ見事に鍛え上げられた肉体のブラックネイルモールたちが、真剣な表情で集まっていた。


「うわぁ、野次馬まで……」

「オーディエンスと言え」


 無論、彼らも手出しはしない。

 邪魔にならないだけの距離を取り、しかし限界まで近付き、小さな目を大きく開き、2人の戦いを目に焼き付けようとしている。


「――」


 トーカが静かに呼吸する。

 それに合わせるように、プティロンも筋肉を膨張させた。

 先に動き出したのは――


「ッ」


 “巌のプティロン”が両腕を大きく広げて突進を敢行する。

 まるで土砂を掻き出すブルドーザーのような、圧倒的な面と破壊力だ。

 その横幅は坑道ギリギリ。

 トーカが横に避けようと、その細身が抜け出すほどの隙間もない。

 だからこそ。


「――彩花流、肆之型、一式抜刀ノ型、神髄ッ」


 彼女も真正面から立ち向かう。

 何層にも重ねられた堅固な鋼の盾のような、その重圧も激しい大質量の壁に向かって、勇猛果敢に鞘走る。それは神速の一刀。

 研ぎ澄まされた月の刃。

 抜刀の速度は光へと迫り、音を裂く。

 青い鞘が火花を散らし、黒い瞳が鋭く射貫く。

 二つの視線が交差するなか、一方の目に焦りが滲む。


「『紅椿鬼』」


 完璧な“型”と流れるような“発声”は、彼女に最も鋭い刃を与えた。

 鮮血が舞い、岩に亀裂が走る。

 長い静寂。

 誰もが、息を呑む音すら嫌って体を止める。

 ――崩れ落ちたのは、巌。


「ふぅ」


 しゃらりと涼やかな音を鳴らしてトーカが刀を鞘に収める。

 その眼前で、巨躯が揺らぐ。

 トーカが二、三歩下がった直後、その足下に巨躯が倒れる。

 土煙を舞いあげて、それは一刀の下に倒れた。

 1分にも満たない、僅かな時間の中での戦いと決着。

 だからこそそこに運や奇跡といった不確定要素はなく、純粋な両者の技術と力の差が現れる。

 プティロンも以前と比べ遙かに強くなっていた。

 筋肉は更に練り上げられ、筋は鋼鉄のワイヤーのように強靱に、彫りはグランドキャニオンのように深かった。

 しかしそれ以上にトーカの刃は鋭利に研ぎ澄まされ、その狙いは一分の狂いもなく、その集中力は極限の領域に至っていた。

 ただ、それだけの話だった。


「ナイスマッスルでした」


 自然とトーカの口から賞賛の言葉が零れ出る。

 己の技と意地を賭けた極限の戦いだったが故に、そこには一定の敬意があったのだ。


「ナイスマッスルってなんですか」

「そりゃあ、ナイスマッスルってことだよ」


 レティが困惑して耳を萎えさせるが、あの2人の間には言葉では説明できない関係があるのだ。


「しかし、私の刀の方が鋭かった。ただそれだけです」


 トーカは顔をあげ、プティロンの背後に集まっていたブラックネイルモールたちに視線を向ける。

 彼らは冷静に彼我の技量を認識し、素早く坑道の壁に背をつけて並んだ。

 本能や怨嗟を越えた、鍛え上げた筋肉からくる理性によって、彼らは己の目指すべき壁を打ち壊した強者に敬意を抱いていた。

 古代ローマの彫像のように美しい肉体を見せつける、様々なポージングのまま動きを止めるブラックネイルモールたち。

 坑道の両脇に並ぶ光景は、まるで歴史深い美術館のギャラリーのようだ。

 それは勝者を称える凱旋門。

 そして、飽くなき挑戦者に開かれた登竜門。

 先に待ち構えるのは過酷な戦場。

 だからこそ、彼らは精一杯の手向けにその肉体の輝きを送るのだ。


「行きましょう、レッジさん。この奥にはプティロンよりも強いビルダーが沢山居るようです」

「なんでそんなことを……。えっ、もしかしてトーカ、そこの筋肉モグラと意思疎通してます!?」


 振り返ってトーカが告げる。

 その顔は爽やかな微笑みを湛えており、この奥に待ち構える艱難辛苦をも楽しみにしているようだった。


「ていうかビルダーってなんですか!? そこのはネームドですが、ただの原生生物ですよ!?」

「行こう、レティ。彼らの想いは託されたんだ」

「レッジさんもなんか分かった風の顔ですね!? え、レティだけですか分かってないの」


 せめてプティロンの素材は余すことなく拾ってやろう。

 強者への弔いも込めて、俺は丁寧にその磨き上げられた肉体を解体していく。

 そうして、俺たちは再び坑道の奥へと進み始める。


「お、置いてかないで! レティだけ話について行けてないんですが!」


 困惑して声をあげるレティが、テカテカした筋肉モグラの集団を叩き潰すまで、あと3分。


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Tips

◇“巌のプティロン”

 飽くなき探究心と不屈の野心を身に宿し、過酷なトレーニングを積んだブラックネイルモールの猛者。驚くほどに硬い体躯と、強靱な力を誇る。

 赤褐色の体躯は輝き、黒々とした髭は張りがある。鋭く伸びた爪は丁寧に研がれ、艶やか。隅々まで気を払った肉体美は見る者を魅了し、そこから繰り出される破壊的な攻撃は受けた者に感謝の念を抱かせる。

 挑戦者が歩みを止めない限り、プティロンもまた立ち上がる。終わりなき試練と飽くなき探求の道に、彼は何度でも立ちはだかるだろう。


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