第376話「押して駄目なら」

 地下洞窟の最奥に佇む巨大な門。

 ぴったりと閉じられた白い扉には、多少風化しているもののしっかりと形の残るレリーフが彫られている。


「とりあえず安全の確保だな。『野営地設置』」


 感慨に耽る暇もなく、背後からは無数の蟹が襲いかかってくる。

 それをトーカが撥ね除けてくれている隙に俺は“鱗雲”を少し大きめに展開した。


「レッジさん!」

「お待たせー」


 テントの設置が終わった丁度その時、後ろから追いかけていたレティたちも追いついてくる。

 タルトたちとルナも幾つか傷を受けているものの、さっぱりとした表情で立っている。


「おう、お疲れ。とりあえずテントの中に――って、レティ!? その腕、大丈夫なのか?」


 振り返った俺は、レティの左肩にしっかりと巻き付く包帯を見付けて驚く。


「大丈夫ですよ。もうすぐくっつくと思います」

「取れてるのか!?」


 軽く言い放つレティに再び声を上げる。

 ラクトたちから後方での出来事を聞き、彼女が随分と無茶をしていたことを知った俺は改めてその無謀さに呆れた。


「もうちょっと自分を大切にしてくれよ」

「えへへ。善処します」


 どっと疲れて肩を落とす俺に、レティは分かっているのかも怪しい笑みで答える。


「ともかく無事に全員ここまで到達できましたし、終わりよければ全てよしということで」


 俺の視線から逃れるようにレティが手を叩いて言う。

 アストラたち銀翼の団はもちろん、〈神凪〉とルナと〈白鹿庵〉の全員が一人として欠けることなくここにいる。

 それについては素直に喜ぶべき事だろう。


「とはいえ、どうでしょうかね」


 一転、緊張した空気を弛緩させる一同のなか、アストラが表情を曇らせる。

 彼は肩に足を乗せるアーサーの嘴をくすぐりながら門の方へ視線を向けた。


「白月も特に反応は示してないな」


 足下に立つ白月も、目の前に立ちはだかる門に対して注意を向けていない。

 タルトのしょこらやルナのマフも同様で、神子たちは白い門に対して思うところはないようだった。


「“双盾のコシュア=パルタシア”の時は白月パスで門が開いたんですけどねぇ」

「白月を遊園地のチケットみたいに言うんじゃない」


 つんつんと白月の鼻先を指でつつきながらレティが言う。

 ともかく、アストラが希望を向けていた神子が四頭集まれば門が開くという可能性は無くなってしまったらしい。


「そういえばレッジさん、近くで実物を見たいって行ってましたよね。どうですか?」


 アストラがこちらに話しかける。

 俺は“鱗雲”の中から門の方へ目を向け、表面に彫り込まれた模様を観察した。

 編み込まれた蔓の模様が扉を縁取り、二枚の扉それぞれに蟹のものらしい大きな爪が彫られている。

 それらをじっくりと確認した後、俺は以前撮影した写真を見返す。


「何か思い当たる点でもありましたか?」

「ああ。この門のレリーフ、たぶん“コシュア=パルタシア”が守ってた門と同じだな」


 その言葉にアストラたち銀翼の団の面々がきょとんとして顔を見合わせる。

 フィーネが肩を竦め、鼻を鳴らした。


「ふん。そのくらいはとっくに見当が付いてるわよ。態々ここまで来て確かめたかったのって、それだけなの?」

「まあ、そうなんだが……」


 騎士団とて伊達に最大手攻略バンドと評されている訳ではない。

 俺が気付くことなら既に把握していてもおかしくはないだろう。

 しかし、だからこそ俺は不思議だった。


「この扉、逆じゃないか?」

「逆?」


 ニルマが門の方を見て首を傾げる。

 四角い扉は彫られたレリーフも含めて全て違和感なくそこにある。

 当然、上下左右に間違えて取り付けられているわけではない。


「どういうことなの?」


 彼らの視線が一斉に向けられる。

 俺はたじろぎながら、二枚の画像データを大きく表示させた。


「これは砂浜の入り口にある扉だ。それぞれ霧森側と砂浜側から撮ってる」

「模様が違いますね」


 隣から覗き込んできたレティが目聡く違いを指摘する。

 俺は頷き、それぞれの写真を拡大した。


「こっちが霧森側から、こっちが砂浜側。霧森側から見た扉の方が、シンプルじゃないか?」

「確かに、反対側はいっぱい蟹が彫られてて楽しそうだね」


 ラクトが頷く。

 霧森側から見たパルタシアの扉には、ここにある大扉と同じ蟹の爪のレリーフが彫られている。

 それと比べて砂浜側から見た扉には、もっと賑やかに大小様々な蟹が並んでいた。


「つまり、この大扉の反対側はこの賑やかな蟹パーティーの模様が彫られてるってこと?」

「たぶんな。けど、重要なのはそこじゃない」


 エイミーの言葉に頷きつつ、更に話を進める。


「扉っていうのは基本的に外から内を守る物。言い換えれば、外から内に入ってくる者に対するものだろ?」


 もちろん例外はあるだろうし、頻繁に出入りするなら表裏同一のデザインはあり得るだろう。

 しかし俺たちが見てきた門はとりあえず裏と表でデザインを変えている。


「ただの予測でしかないんだが、これらの門は進行方向が意識されてると思うんだ」

「進行方向?」


 怪訝な顔でルナが眉を寄せる。

 俺は地図を展開し、指を差す。


「パルタシアの門は砂浜側がリッチなデザインで、霧森側がシンプルだった。進行方向を意識してるなら、より目に付きやすいほうから地味な方――つまり砂浜から霧森へ出る方向が想定されているんじゃないかと」

「えと、つまりそれは……わたしたちは逆走してるってことですか?」


 タルトが自信なさげに言う。

 睦月、如月たちが驚くが、俺は頷く。


「そういう事だ。つまり俺たちが入ってきた門は、本来砂浜から霧森へ抜けるための“出口”で――」

「こちらが入り口ということですか」


 アストラが大扉を見上げる。

 霧森へ続く門が“出口”なら、こちらは“入り口”。

 そして俺たちは“入り口”を裏側から見ている。


「じゃあこの〈鋼蟹の砂浜〉に向かう正規ルートは別にあって、レティたちはそれを後ろから入ってたってことですか?」

「そうだな。まあ、入り口からしてわざわざ穴を掘らんと見付けられないような場所にあるってのは、なかなか考えづらいだろ」


 驚くレティの言葉に頷く。

 走者しか見付けられないマラソンのゴールを探し出して、裏側からゴールテープを切った後に逆走しているようなものだ。

 製作者からすれば頭の痛いことだろう。


「――あの、レッジさん」


 おもむろにアストラが手を挙げる。

 彼は嫌な予感がすると眉に皺を刻んで口を開いた。


「もしかして、今までこの扉が開かなかったのは」

「そうだなぁ」


 俺は改めて大扉を見る。

 精緻なレリーフの彫られた美しい扉だが、取っ手となりそうなものはなにも無い。


「手前に引くタイプの開き戸だったんじゃないか?」


 正しい順路――反対側から見ると進行方向へ押せば開く簡単な扉だとすれば、逆走する俺たちがいくら押そうと開かないのも頷ける。

 手前へ引くための手掛かりが無いのは、そもそもこちらから向こうへ行くことを想定していない一方通行の扉だからだろう。


「なんと……」


 がっくりとアストラが膝から崩れ落ちる。

 そりゃあまあ、専用の破城鎚を持ち込んだり粒ぞろいの機術師により一斉攻撃を仕掛けたりして、それでも一切動かなかったのだ。

 今までの苦労は何だったのかと思うのも無理は無い。


「いやまあ、待て。まだ俺の推測が当たってるとは限らないぞ」

「そうですよ。それに仮に合ってたとしても、この扉をどうやって手前に引くんです?」


 失意に暮れるアストラを慌てて慰める。

 レティの言う通り、仮に逆走だったとしてこの扉を開く手段などないのだ。

 このような表面をしっかりと掴めることもなく、重い扉を手前に引くような……。


「あ、うーん……」

「レッジさん、何か思いついたんですね?」


 レティの声に否定できない。

 いや、できるとも限らないのだが。


「言って下さい、レッジさん。俺が間違っていたことを証明して下さい」

「なんでアストラはそんな卑屈なんだ……。えっと、浮蜘蛛でなんとかなるかもしれん」


 テントの隅で三角座りしそうな程沈んでいるアストラに困りつつ、俺はインベントリから浮蜘蛛セットを取り出す。

 そのうち使えそうなのは足場を形成する小蜘蛛のほうだ。


「小蜘蛛の脚はあらゆる地形で安定できるようになってるからな。レリーフの少ない凹凸でもしっかり掴めるんじゃないかと」

「なるほど。それは良いかも知れません」


 できることがあるのなら早速やってみよう。

 ということで俺は合計八つの小蜘蛛を四つずつ、扉の中央に取り付ける。

 それらからは強靱な銀糸が伸びていて、終端をレティたち力自慢が握る。


「配置完了しました!」

「こちらも大丈夫です」

「いつでも行けるわよ」

「ははは……。これで開いて欲しいですが、開いて欲しくない……」


 若干一名複雑な心境の青年もいるが、全員が持ち場に付く。

 俺は非力なのと小蜘蛛の維持で忙しいため免除され、ラクト、リザ、睦月、カグラは場所を確保するため蟹を退ける役に就く。

 レティ、エイミー、トーカ、ミカゲ、アストラ、フィーネ、アッシュ、ルナ、タルト、如月、そしてしもふりとニルマの猟犬たち、総勢10人と三頭が糸を縒った縄を握る。


『あぅ。スゥもやっていい?』

「スサノオもやりたいのか。まあ、良いけども」


 さあ引くぞと気合いを入れたその時、白月の側にいたスサノオが歩み出る。

 彼女も俺より力が強いし、今は人手も多い方が良い。

 俺が頷くと彼女は嬉しそうにレティの側に付いた。


「では、行きますよー」


 ラクトたちが“鱗雲”の恩恵を受けて景気よくアーツをぶっ放している背後で、レティが声を上げる。

 綱引き要員が縄を握り、低く腰を落とす。


「せーのっ! おーえすっ!」


 かけ声と共に銀色の縄がきつく緊張する。

 小蜘蛛たちが脚に力を込め、必死に扉に張り付く。


『はぅ……。お、おーえすっ!』

「うわわっ!?」


 突然のことだった。

 扉の片側、レティたちが引っ張っていた方が前にずれる。

 隙間に詰まっていた砂が舞い、どよめきが広がる。


「もっと引っ張れ! 開くぞ!」

「は、はいっ」


 再び力を込めて縄を引く。

 断続的に分厚い扉が前に出てくる。

 その頃には全員が調子に乗り、声を上げて全力で引いていた。


『おー、えす!』


 スサノオも小さな手で縄を握り、足に力を込める。

 彼女が身体を後ろに傾けるたびに扉が大きく前に出る。


「これで、最後っ!」


 倒れそうになるほど顔を上げ、レティが叫ぶ。

 全員が一丸となり重い石の扉を開く。

 土煙がもうもうと吹き上がり、扉の奥が露わとなる。


「……開きましたね」


 複雑な感情を込めてアストラが言う。

 開け放たれた巨大な扉の奥には、更なる空間が広がっていた。


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Tips

◇グレンキョクトウショウグンガザミ

 紅蓮極刀将軍蟹。鮮やかな紅蓮の甲殻で身を包み、四振りの鋭い刀のような爪を持つ巨蟹。グレンキョウトウショウグンガザミの亜種で、多腕の形質を発現させている。甲殻は非常に堅牢で優れた素材として武具などに重用される。一方で身は硬く大味で食用には適さない。


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