第377話「裏口の侵入者」

 固く沈黙を保っていた白い大扉が左右に開け放たれた。

 明らかになった扉の裏側――正しくは表側だが――は、俺の予想通り他の扉と同じ無数の蟹が描かれた精緻で複雑な模様が彫られている。


「まさかこんなにあっさりと開くとは……」


 呆然と立ち尽くしたアストラは力なく言う。

 そんな彼を、銀翼の団の仲間たちが肩を叩いて慰めていた。


「ともかく無事開いたわけだし、奥に進むか?」


 当初の目的である扉の解放は達成できた。

 しかしここに来るまでの蟹の猛攻により、誰もが少なからず消耗している。

 一度撤退し、改めて挑戦するのもありだろう。


「ここまで来たんですから、当然いきますよ! ほら、腕もくっつきましたし」


 レティが左肩の包帯を破り捨てる。

 その下はスキンこそ千切れ下の金属パーツが露出しているものの、動作は滑らかで問題なさそうだ。


「わたしも奥に行きたいね。テントのおかげでLPは全回復してるし」

「右に同じく」


 ラクト、エイミーが続き、トーカとミカゲも頷く。

 タルトやルナたちも気炎万丈と言った様子で、この場には撤退の選択肢などもとより無かったらしい。


「では進みますか。何があるか分かりませんし、慎重に」

「俺が先行しよう」


 アストラも気を持ち直し、アッシュが前にでる。

 ここまでの道中、リザを守りながら身を隠していた彼は比較的消耗が少なく、機敏な軽装戦士ということで斥候として適任だった。


「……僕もついてく」


 そこへ〈白鹿庵〉からもひとり、手を挙げる。

 ミカゲもまた頼れる斥候で、闇に紛れ情報を集めるという分野ならば忍者ほど適した職はない。


「ここから先は未確認領域です。お互いに注意しあって、慎重に」

「任せとけ。これでも斥候班のリーダーだからな」


 アストラの言葉を振り払い、アッシュはミカゲと共に扉の奥へ消えていく。

 不自然なほど暗い闇の中に2人の背中が溶け、しばらくの沈黙が流れた。


『アッシュだ。聞こえるか?』


 少しして、共有回線でアッシュの声が流れる。

 待ち構えていたアストラがやにわに立ち上がり応答する。


「聞こえてる。様子はどうだ」

『でかい廊下が延々と続いてるな。門とおんなじ白い石材だ。幅は20メートルくらいで、高さはその倍……まあ門と同じ大きさだ。

 原生生物は特に見つかってない。ミカゲが“網”張ってるが、そっちにも反応は無いな』


 アッシュから齎される詳細な情報に全員が耳を傾け、内部の様子を脳内で再現する。

 少し拍子抜けしたようなアッシュの声色からして、扉の奥に続く廊下は特に危険も見当たらないらしい。


「罠とか、迎撃装置の類もないか?」


 いちおう、罠師の端くれとして少し気になり尋ねる。


『ないな。床も壁もつなぎ目の無い石だし、打音からして中身も詰まってる。そもそも、なんというか……敵意がない』


 アッシュの抽象的な言葉に、俺たちは顔を見合わせる。


「俺たちも進んで、2人と合流しましょうか」

「危険じゃないって2人が判断したなら大丈夫だろう。もし、2人の判断が誤ってたなら、余計に戦力は纏めておいた方が良い」


 短く言葉を交わし、俺たちは全員で扉の奥へと足を踏み出す。

 濃密な闇を越えると少し頼りないが等間隔で明かりが並んでいる。

 砂浜と霧森を繋ぐ通路にもあった、青い宝石の光だ。それは門と同じ真っ白な石の壁に埋め込まれており、ぼんやりと周囲を照らしている。


「来たな」


 しばらく進むと、アッシュとミカゲが壁にもたれて待っていた。

 彼らと無事に合流を果たし、俺は改めて周囲を観察する。


「奇妙な程に静かだな。何の気配も無い」

「レティたち以外の音も聞こえませんよ」


 隣に立つレティが、長い耳を左右に動かしながら言う。

 聴覚に優れる彼女が言うのなら確かだ。


「確かに敵意は感じませんね」


 神妙な顔で、警戒を解くこと無くアストラが言う。

 そんな彼をルナが唇を曲げて見る。


「敵意って、感じ取れるものなの?」

「リアルなゲームですからね。知覚範囲外の僅かな匂いや音も実際には拾えているみたいです。そういったものを無意識下に感じて、第六感的なものとして判別しているんですよ」

「そういやこの人たち、こういう感じだったなぁ」


 こともなげに言うアストラと、それに頷くアッシュとミカゲ。

 トップ層にとっては常識なのだろうか。

 やはり実力者というものは常識から外れたところにいるな、などと一歩引いたところから考えていると、突然アストラがこちらを向いた。


「たぶん、この中で一番第六感が強いのはレッジさんですよ」

「は? 俺?」


 突然名前を上げられ驚く。

 俺はそんな、ファンタジックなハイセンスに目覚めた覚えはないし、額にあるのは第三の目ではなくヘッドライトだ。

 いやいやと首を振る俺に、しかし周囲の面々は納得したように頷く。

 納得されても困るのだが……。


「レッジさんが俺やアイに勝てたのは、まあ色々な理由がありますが……そのうちの一つの優れた直感があると思います」

「そうかなぁ」

「そうですよ。レッジさん、レティたちみたいにガチガチの戦闘職じゃないのに前線突っ走ってるじゃないですか」


 レティまであちら側に付いてしまった。


「レッジ、結構そういうところあるよ。死角からの攻撃にも普通に対応してるし、なんならこの前の試合とかアストラが攻撃に入るより早く回避行動始めてたでしょ」

「そりゃまあ、攻撃来るって分かってたら避けるだろ」

「そこの判断力ということですよ。相手の太刀筋を読み、視線を見て、どう行動するのかを無意識下で考える。レッジさんはそれが自然にできているのでは?」


 トーカに言われるとそうかもしれないと思ってしまう。

 俺やレティはいわゆる“適合者”らしいし、これもそういうことなのかもしれない。


「いや、俺のことは良いんだよ。それよりもこの先だ」


 話が脇に逸れているのに気付き、慌てて軌道修正する。

 なんでこんな場所で突然褒められていたんだろうか。


「それこそ、レッジさんの直感で何か分かりませんか?」

「判断材料が少なすぎるだろ」


 レティの問いを一蹴する。

 ここにあるのは暗闇と青い光と白い石だけだ。

 これでいったい、何を判断すればいいのだろう。


「ともかく奥に進むしか無いだろ。……進むっていうか戻ってるのか?」


 順路的に言えば俺たちは未だ逆走している。

 この奥に待ち構えているものがあるのなら、それはこちら側にあるものを守っている存在だろうか。

 そう考えて、ふと背後を振り返る。


「ん~」

「どうかしましたか?」


 唸る俺を覗き込み、レティが首を傾げる。

 まさしく言語化できない思考に俺は眉間に皺を寄せ、頭を振る。


「仮にあの扉を守ってる奴がいるとするぞ」


 思考を整理しつつ、仮定を置く。


「そいつにとって、こっち側は背後な訳だ。で、守ってるって事は前方に注意を向けないといけない。もっというなら、こっち側から来るのは本来“守るべきもの”であって、“敵対者”じゃ無いはずなんだ」

「つまりどういうこと?」


 じれったそうにラクトが急かす。


「ここは廊下にしては随分広い。これだけの広さがあるってことは、それだけの存在がいるってことじゃないか?」


 それを聞いて、アストラの目がすっと細くなる。

 彼だけではない。

 他の面々も表情を引き締めた。


「慎重に進みましょう。奥にいるのは、洞窟の蟹たちを守るほどの存在です」


 アストラの言葉に全員が頷く。

 臨戦態勢を整えたまま、足音を殺して奥へと進む。

 しばらく長い廊下を歩き続け、少し前をいっていたアッシュとミカゲが立ち止まって手を挙げる。


「居たぞ」


 小さな声で短く放つ。

 ヘッドライトを消し、俺たちも2人の側まで近寄る。


「これは……」


 その奥は更に広い空間に繋がっていた。

 およそ円形の、まるで闘技場のような場所だ。

 周囲には二層の客席があり、舞台の中央には巨大な影がある。

 次第に目が慣れ始め、影がより鮮明に見える。


「でっかいですねぇ」


 レティが驚嘆する。

 こちらに背を向けて蹲っているのは、小さな丘ほどもある丸い背中だ。

 真っ白な外殻は暗闇の中で僅かな青い光を受けておぼろげに浮かび上がっている。


「……」


 俺はそっとカメラを取り出し、姿を収める。

 『写真鑑定』によってその巨大な存在の名前が判明した。


「――“白盾のコシュア=イハルパルタシア”」


 名前を呼ばれたからか、丘が動く。

 悠久の時の中、静寂を保っていた巨蟹が目を覚ます。

 守るべき場所からやって来た見知らぬ存在へと意識を向け、その小さな影を睥睨する。


「ッ! 来ます!」


 アストラの激しい声。

 それを聞くまでもなく全員が走り出す。

 第六感など無くとも分かる。

 濃密な殺気、怒り、激情が波となって押し寄せた。


_/_/_/_/_/

Tips

◇『生命感知』

 〈鑑定〉スキルレベル50のテクニック。

 一定時間、周囲に存在する原生生物を感知することができるようになる。効果範囲、効果持続時間はスキルレベルと習熟度に依る。

 五感を研ぎ澄ませ生命の残滓を感じ取る。視覚では看破できない存在を嗅ぎ分け、聞き分ける。達人の領域に至れば死角を無くし、隠者をあぶり出すだろう。


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