第365話「その扉の先へ」

 中枢演算装置〈クサナギ〉の本体である金属球の影にぺたんと座り、プルプルと追い詰められた小動物のように震える少女。

 黒髪が扇状に広がり、長い前髪の隙間から覗く丸い瞳が潤んでいる。

 全身を包むのはサイズの合っていない黒いワンピース。

 全身黒尽くめの中、真っ白な肌が僅かな光に浮かび上がっている。


「本当にスサノオなのか」


 体格は随分と小さく顔立ちも幼いが、着ているのはウェイドたちと同じワンピースの色違いだ。

 NPCを示すアイコンも表示されているし、状況的にも彼女がこの町の管理者である可能性は高かった。

 しかし、この部屋の外で待っているウェイドたちはスサノオはまだ身体や人格を有していないと言っていたはずだ。

 俺はてっきり、この球体と話すことになると思っていたのだが……。


『乱暴、しない?』


 ぎゅっとワンピースの裾を握りしめ、スサノオが唇を震わせる。

 その言葉に俺はぎょっとして聞き返した。


「そんな暴力的じゃないぞ。別の誰かと勘違いしてないか?」

『ウェイドからの報告だと、レッジはぼ、暴力的で、お話を聞いてくれない。気に入らないことがあると、その、壊そうとしてくるって……』

「ウェイドはいったいどんな事を吹き込んでるんだ」


 震える少女の言葉に、ちらりと扉の方を見る。

 俺は極めて紳士的に彼女たちに接してきたと思っているのだが、どこで誤解されてしまったのだろうか。


『だ、だからスゥは仮想人格の精神年齢を幼くして、外見も庇護欲を誘発させるものにしてるの』

「なるほど……ってそれを俺に言っても良かったのか?」

『あぅ、聞かなかったことにして……』


 どうやらこの幼い姿もか弱そうな雰囲気も、全ては攻撃を回避するための対策らしい。

 いやそもそも暴力を振るう気などなどさらさら無いのだが。


「じゃあまあ、ともかく本題に入るか」


 筐体の裏に隠れるスサノオを見て、俺は少し後方に下がる。

 距離を取った方が向こうも緊張しなくなるだろう。


「結局、俺はなんで呼ばれたんだ? スサノオがもう人格と外見を持ってるのも不思議なんだが」

『あぅ。レッジは調査開拓員なのに、ウェイドたちに凄く影響を与えてるから、おかしい。スゥたちが上なのに』

「それは――成り行きというか、俺は手伝っただけなんだが」


 きゅっと眉を寄せて言うスサノオの言葉に俺は首を傾げる。

 確かにアマツマラたちのイベント準備には関わったが、俺から何か指示したことはない。

 あくまで権限を持っているのは向こうで、俺は指示を受ける側という認識は常に持っていた。


『うぅ、でもウェイドたちは皆、レッジと関わってから行動原理の部分から大きく変わっちゃった。今まで無駄だと思ってたこともやり始めてるもん』

「その結果としてイザナミ計画が進んでるならいいんじゃないか?」

『あうぅぅ……』


 スサノオは唇を尖らせ、拗ねた子供のように唸る。

 サカオのBBBもアマツマラのトーナメントもキヨウの祭りも、それ自体は開拓の進捗になんら寄与しないものだ。

 しかしそれらは技術力や調査開拓員プレイヤーの士気といった側面を補強し、結果として開拓の効率を加速させている、と聞いている。


『だから分からないの。レッジがイザナミ計画に与えた影響はとっても大きいの。スゥにはできなかった判断がどうしてできるのか、知りたいの』


 彼女はその時だけ、強い意志の籠もった視線をまっすぐに向けてきた。

 その姿や性格は防御態勢であるためあまり関係はないのかもしれないが、彼女も他の管理者たちと同じくイザナミ計画の推進に対して強い熱意を持っているようだ。


「そういえば、ウェイドたちから聞いたよ」

『あぅ?』


 俺が唐突に口を開くと、彼女はきょとんとする。


「シード01-スサノオは一番最初にこの星へ降り立った種だ。つまり、イザナミ計画の今後を左右する重大な責任を負っている。だからどんな些細な選択肢も慎重に吟味を重ねて判断する必要があるし、失敗は許されない。

 そんなシード01-スサノオの中枢演算装置〈クサナギ〉はとても慎重な性格なんだって」

『うゅ……。それは、本当だけど』


 ウェイドや他の妹たちとは違い、彼女にはしっかりとした足下も無かった。

 まだ原野でしかなかったこの〈始まりの草原〉へと

降り立ち、俺たち調査開拓員が地図を広げるための最初の舞台を整える必要があった。

 その責任は大きく、重圧は計り知れない。


「俺がウェイドたちと話して、それぞれで新しい試みができたのはスサノオが築いた盤石な土台があったからだよ」


 膝を折り、スサノオと視線を合わせて話しかける。

 彼女は不思議そうな顔をして、僅かに口を開いた。


「スサノオが頑張ってくれなかったら、サカオやキヨウでイベントを開催する余裕なんて無かった。スサノオが頑張ってくれたおかげで、計画に必要の無かったことにリソースを投資する余裕ができたんだよ」

『はぅ……。スゥのおかげ?』


 俺は頷く。

 開拓がギリギリの状況で暢気にレースや身内での戦闘はできない。

 スサノオがこれまで着実に積み重ねてきたものがあってこその、この発展なのだ。

 足下というものは頑丈であればあるほどにその存在感を消し、上に立っている時も忘れてしまいそうになるが、それが無ければ力を込めて跳躍することもできない。


「ま、あとは俺たち調査開拓員がそういう“無駄なもの”が無いと十分に力を出せないってのもあるかもな」

『あぅ?』


 最後に戯けた調子で付け加えると、スサノオは不思議そうに首を傾げた。

 多少の無駄――非効率があった方が効率がいいという考えにあまり馴染みがないらしい。


『そういえばウェイドも言ってた』

「また変なことじゃないだろうな……」

『実際にその目で見るのが大切だって』

「ああ、監視カメラ越しに見る町よりも自分で歩きながら見た風景、データセンターにある情報よりも自分で感じたこと、そんな“生の経験”を沢山集めるのが大切だってことだな」


 それはウェイドたちが俺たちと同じ機械人形の身体を獲得する理由の一つだ。

 上から俯瞰するだけでは分からないところに妙案は埋まっている。


『スゥも、外に出たらわかる?』


 すすす、と彼女は膝をついたまま近付いてくる。

 頭頂から飛び出した一房の毛がピコピコと揺れている。


「そりゃあまあ、この部屋に閉じ籠もってると見えない景色が見えるだろうな」

『た、たのしい?』

「どうだろうなぁ。俺は楽しいと思ってるが……」


 NPCが町に繰り出して楽しいと思うのかはよく分からない。

 しかし、キヨウ祭の時は特別に行動制限を外される彼らは、楽しげに露店巡りをしていた。


「まあ、ウェイドたちがずっとあの姿と心を持ち続けてるってことはそういうことなんだろうよ」

『あぅ……』


 俺の曖昧な答えにスサノオはじっと考え込む。

 この暗い部屋から飛び出すかどうか、それを決めるのは彼女であって俺ではない。

 俺にできることは、外の楽しさを伝えることだけだ。


『――スゥ、決めた』





 分厚い防御装甲扉が滑らかに開く。

 壁に背を向けて立っていたウェイドとワダツミがぱっと顔をこちらに向けてきた。


『オー、無事でしたか』

『無傷ということは、とりあえず下手を打たなかったということですね』

「二人は俺とスサノオの事をなんだと思ってるんだ……」


 確かに室内では常に銃を向けられていたが、結局風穴が空くことはなかった。

 しかし、それよりも少し複雑なことにはなっている。

 俺が少し視線を下にさげると、彼女たちもそれに気がついたらしい。


『オー?』

『れ、レッジ……貴方、この、この方は……』


 二人は俺の足にしがみつく少女を見て、わなわなと震え始める。

 そんな二人の反応に俺の背後に隠れていたスサノオもぎゅっと握る手に力を込めた。


「あー、えっと……」


 どう説明したものかと考えるも、上手い言葉が見つからない。

 結果から言えば【天岩戸】は大きく進行したことになるのだが……。


『スゥ、レッジのとこに行くことにした』

『なぁっ!?』


 スサノオの言葉にウェイドとワダツミは目を見開く。

 そんな彼女たちに構わず、スサノオは更に続ける。


『レッジが、生はいいぞって言ってくれたから。スゥ、もっと成長するために、頑張る。でも初めてはちょっと怖いから、ウェイドたちも一緒がいい』


 ぎゅるん、と二人の視線がこちらに向く。


「スサノオも町に出て、いろんな経験を積みたくなったらしい。ただまあ一人だと不安だから、ウェイドたちにも付き合って欲しいんだと」

『なるほど、事情は分かりましたが――貴方は何をどうやってスサノオを説得したのです?』


 疑念の目を向けられて俺も困る。


「正直何にもしてない。俺が入った時にはもうこんな感じだったからなぁ」

『オー、そうだったのですか』


 意外そうな顔でワダツミが声を上げる。

 俺が何かをするまでもなく、スサノオはすでに行動していた。

 強いて言うなら背中を押したくらいだが、そうしなくても彼女は動いていたはずだ。


「そんな訳でしばらくはスサノオと一緒に行動することになった。できればウェイドたちにも付き合って貰いたい」


 スサノオが動き出した。

 彼女が大きく変われば、それはアマテラスにも届くだろう。


『レッジ……』


 スサノオが小さな手を伸ばしてくる。

 それを掴むと、彼女は微笑みを浮かべ、反対の手をウェイドへと向けた。


『ええっと』

『スゥの知らないこと、ウェイドは知ってる。色々、教えて?』


 戸惑うウェイドにスサノオが言う。

 見た目からすると彼女の方が妹だが、実際はウェイドたちの中で一番の姉なのだ。

 そんなスサノオには流石のウェイドも敵わないのか、おそるおそるその手を掴んだ。


『ふふん』


 俺とウェイドの間で、スサノオが笑う。

 彼女はこの先に待っている楽しいものの予感に心を躍らせているようだった。


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Tips

◇高級警備ドローン-護剣衆

 最重要管理区域の守護を担う警備NPCの最上位モデル。過去に発生した調査開拓員集団による中央制御塔立ち入り禁止区域強襲事件の対応策として開発、配備された。

 大口径銃砲、高熱回転刃などの強力な武装を搭載し、六枚の高出力回転翼によって高い機動力を有する。

 平時は光学迷彩およびダミーオブジェクトによって姿を潜ませ、存在を悟られないよう待機しつつ不審な存在に対し厳重な警戒を行っている。


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