第353話「大穴を閉じる」
「風牙流、二の技――『山荒』ッ!」
突風が突き抜ける。
巨蟹の群れをなぎ倒し、僅かな道を拓く。
槍を構え、その隙間の少しでも奥へと脚を動かす。
領域の中で蠢く蟹はイワガザミでも相当の威圧を放っている。
自分よりも大きな存在というものはそれだけで足が竦みそうになるというのに、今はそれが無数に迫っているのだ。
「レッジさん!」
巨影の向こうから声がする。
「――咬砕流、四の技、『蹴リ墜トス鉄脚』ッ!」
直後、目の前で爪を振り上げていたヨロイガニが押し潰される。
背後から現れたのは黒鉄の巨鎚を掲げ、脚に機装を纏ったレティだ。
彼女は全身の鎧に傷を付け、それでもなおしっかりと背筋を伸ばして立っている。
「助太刀します。群れの中央を目指せばいいんですよね」
「ああ。頼む」
素早く言葉を交わし、レティは身を翻す。
奥からわらわらと現れる蟹を手当たり次第に殴り飛ばして強引に道を切り開く。
その様子は土砂を押し退けるブルドーザーか豪雪を吹き飛ばす除雪機のようだ。
「レティ、LPは大丈夫なのか」
「アンプル砕きまくってますよ!」
彼女は細長いガラス管を握り砕きながら言う。
テントの恩恵が無い中で、燃費の悪いテクニックを主体とする彼女の戦闘方法は膨大なLPを補うためコストが掛かる。
この騒動が終わったら、少しでも蟹を解体して資金に充てよう。
「マルチマテリアルもかなり使ってます。硬い敵だとハンマーの消耗も激しいですね」
「すまない、もう少し耐えてくれ」
「当然! ハンマーが折れても拳で戦いますよ!」
逞しい声を上げ、彼女は果敢に敵に飛び掛かる。
ギリギリの状況を感じさせないほどにその戦いぶりは軽やかで見事なものだった。
俺は彼女が決死の覚悟で切り開いた道が埋まる前に、懸命に脚を進める。
「ぐぅ、しかし、敵の密度が高くなってきましたねっ」
グレンキョウトウショウグンギザミの双刀を砕きながらレティが言う。
彼女は次々に蟹の甲羅を砕いているが、それを上回る速度で新たな蟹が現れる。
「この中心に穴があって、そこからいくらでも出てきてるんだ」
「なるほど、敵の本拠地に近くなってるって事ですね」
レティの巨鎚がモノミガニの脚を折る。
巨体がぐらりと傾き、足下の同族を巻き込んで倒れた。
「レティッ!」
もうもうと巻き上がる濃い土煙。
その煙幕の中から影が立ち上がる。
死角から放たれる攻撃に、レティは反応が僅かに遅れた。
オオイワガザミの太い鋏が彼女の胴へと迫り来る。
「『迅雷切破』――ッ!」
刹那、雷光が迸る。
オオイワガザミの太い腕が滑らかな断面を残して身体から離れる。
遅れて吹き出す薄青色の体液。
その飛沫で黒髪を濡らしながら、抜刀の勢いを地面に刻みながら滑る少女がひとり。
「トーカ! 助かりました」
「間に合いましたね。ふふふ、斬撃でもそんなナヨナヨ甲殻くらいスッパリですよ」
前髪を掻き上げ、トーカは妖しげな笑みを浮かべる。
彼女の刀――桃源郷は既に傷だらけ刃欠けの満身創痍で、随分と無茶をしていたことが察せられた。
「マテリアルは?」
「あるなら欲しいです」
レティが応急修理用マルチマテリアルをトーカに手渡す。
彼女はすぐにそれを使い、耐久値がギリギリだった愛刀を癒やした。
「刀では相手が悪いですが、桃源郷の名に賭けて爪楊枝くらいの役には立ちましょう。レッジさんをお守りします」
鏡のように滑らかに戻った刀身をシャラリと引き抜き、トーカが高らかに宣言する。
彼女は刀を鞘に収めると、深く前傾姿勢を取る。
「まずは一刀。活路を拓きましょう」
黒髪がはらりと垂れる。
薄く目を閉じ、彼女は深い集中状態へと没入する。
「『刀装:赤』『両断の衝動』『野獣の鋭牙』『決死の一撃』『修羅の構え』『飢乏の刃』『心眼』『猛攻の姿勢』――」
流れるような言葉と共に、いくつもの鮮やかなエフェクトが彼女を包み込む。
極限まで研ぎ澄まされた必殺の一振りを放つべく、鞘の中の桃源郷が莫大な力を溜める。
「彩花流、抜刀奥義――」
彼女の左足が僅かに下がる。
地面を擦り、黒い袴の裾がゆっくりと揺れる。
「――『百花繚乱』」
軽やかな音が響く。
刹那、彩花が咲き乱れた。
鈍色に蠢く大地を無数の大輪が青く染め上げる。
花弁が舞い上がり、風が鋭く吹き立つ。
鮮やかな花道が深く群れの奥にまで拓かれた。
「行きましょう、レッジさん!」
「ああ。ありがとうトーカ」
「頑張って下さいね!」
レティと共に青い道を駆け抜ける。
トーカが拓いたこの大路も、気を抜けば瞬く間にまた埋まってしまう。
「ラクト、エイミー。そっちの準備はどうだ?」
走りながら、俺はこの場にいない二人に向けて声を送る。
『着いてるよ。あとはそっち待ち』
『ぶっつけ本番だけど、なんとかやってあげるわ。だから無事に辿り着きなさいな』
すぐに心強い言葉が帰ってくる。
いつもながら迅速な動きでとても頼もしい。
「レッジさん、後もう少しです。掴まって下さい」
トーカの拓いた道が徐々に狭まる。
レティがこちらに手を伸ばし、真剣な眼差しを向けた。
「少し荒技ですが、飛びますよ」
「分かった」
彼女の手を握る。
レティは巨鎚を手放し、両手で俺の腕を掴んだ。
「行きますっ!
強く地面を蹴り、彼女は高く跳び上がる。
腕をがっちりと掴まれた俺もまた、彼女に引っ張られるまま空へ飛び出した。
「うおわぁぁあっ!?」
「口閉じてたほうが良いですよ! ――せーのっ」
空中にも関わらず、彼女は器用に身を丸めて力を込める。
腕力に極振りしたレティが放つ絶大な力が俺の方へと流れ込む。
「飛ッべぇぇええええっ!」
車輪のように空中で前転するレティ。
彼女の腕から射出された俺は、真っ直ぐに群れの中心へと飛翔する。
「ラピス!」
『了解っ!』
凶悪な風圧を顔面に受けながら、最後の合図をラピスに送る。
後方の“鱗雲”で待機していたラピスが間髪入れずに最後の呪術を発生させる。
――領域呪術、『点穿』
不可視の力が領域の中心に降りかかる。
強大な圧力はその真下にいた蟹を、その堅固な甲殻すらものともせず圧殺する。
地面が抉れ、深い穴が再び姿を現す。
隠された秘境の地下に広がる暗い洞窟の、小さな穴。
「ラクト、エイミー! 頼んだぞ。――『野営地回収』ッ」
遠く離れた後方、ラピスへLPを供給していた“鱗雲”が分解される。
それは小さなテントセットの姿に戻り、地面に落ちる。
『任せて!』
テントセットを丸い障壁が包み込む。
それはバレーボールのように打ち上げられた。
――『
半透明の翼を広げ、細長い銀の大魚が空を泳ぐ。
大きく口を開けたそれは高く打ち上げられたテントセットを障壁ごと飲み込み、そのまま優雅に身をくねらせる。
地表を埋め尽くす灰色の巨蟹たちを悠然と飛び越して、穴の中央へと落ちる俺の直上までやってきた。
『お届け物でーす!』
「サインは後にしてくれよ」
役目を果たした銀魚が弾け、溶けるように消えていく。
その腹からこぼれ落ちるテントセットに手を伸ばし、掴む。
「仕上げだ。――『野営地設置』」
手にしたテントセットをすぐさま展開する。
設置するのは穴の上。
八枚の特殊多層装甲を限界まで広げ、満開の花のようになる。
最早テントとは呼べないほど平らな形になった“鱗雲”が大地に落ちてゆく。
「ミカゲ!」
「準備、できた」
ぽっかりと開いた暗い穴の表面に、細い蜘蛛の巣が張り巡らされている。
真っ直ぐに落ちる“鱗雲”は糸によってすぐさま固定された。
「『領域指定』、『罠設置』『耐久強化』、装甲展開ッ!」
“鱗雲”が蜘蛛の巣に受け止められ穴を塞ぐと同時に、その周囲に杭を打ち付け“領域”を固定する。
装甲板の耐久力が強化された直後、穴の奥から激しい打撃が立て続けに響く。
「穴は塞いだ! 残党処理は頼んだぞ!」
『総員、最後の仕上げをするぞ!』
俺の合図で戦線維持に務めていた騎士団と三術連合が反攻を開始する。
敵の供給路は俺が閉じ、増援はもうこない。
また弱いながらも広範囲に向けて“鱗雲”の回復効果が波及し、全体のLPに余裕を与える。
形勢は完全に逆転し、蟹は瞬く間に討伐されていく。
「ふぅ。なんとかなったか……」
俺は平坦に広がる“鱗雲”の上に腰を下ろし、ぐったりと背中を曲げる。
真下からはゴンゴンと激しい打音が響いてくるが、この装甲を突破できるほどの力はないようだ。
一匹、また一匹と倒れていく蟹を眺めながら、俺は深いため息をついた。
_/_/_/_/_/
Tips
◇特殊多層装甲
“鱗雲”の壁面および屋根を構成する金属装甲。内部に衝撃緩和ジェルを充填した三層構造になっており、通常の単層装甲よりも防御力に優れる。
Now Loading...
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます