第352話「迫る巨蟹の大波」

 山肌が剥離し、草原が泡立つ。

 土の中で深い眠りについていた無数の巨蟹たちが覚醒し、鈍色の爪を高く掲げる。

 現れたのはイワガザミだけではない。

 長大な脚を伸ばし高く頭を上げるモノミガニ、鋭利な刀のような奇形の爪を揺らすショウグンガザミ。

 いつかの侵攻の折には俺たちを苦戦させた猛者たちも次々と土の中から飛び出してくる。


「足下に、こんなに沢山いたなんて……」

「流石に予想外だったな」


 地表で岩に擬態しているイワガザミたちを選別できればいいと思っていたが、随分と斜め上の成果に驚きと戸惑いを隠せない。

 そんな俺とは違い、レティたちは迅速に行動を始めていた。


「あと30分でミサイルシャークの襲撃時間です。それまでに何とか片付けないと!」

「騎士団と三術連合に連絡入れるよ。といっても、もう準備は始めてるだろうけど」

「障壁展開しても焼け石に水ね、一体でも多く殴るわ」

「等しく桃源郷が切り伏せましょう!」


 心強い言葉と共に、彼女たちは各々の得物を掲げて“鱗雲”から飛び出していく。


「私も頑張りませんとね」

「大丈夫なのか?」


 その背中を見送り、ラピスラズリも立ち上がる。

 思わず声を出すと彼女は振り返って薄く笑った。


「これでも、トッププレイヤーなんですよ」


 白い指を滑らかに動かす。

 彼女の“禁忌領域”は未だ崩壊していない。

 それを示すかのように、領域内で蜂起していた巨蟹たちが見えない力に押し潰される。


「レッジさんはテントの維持をお願いします。この領域は既に私のLP量を超えて要求してきますから」

「分かった。そうしよう」


 各地で爆発が巻き上がる。

 騎士団や三術連合の皆も領域内に侵入し、戦闘を始めたようだった。


「いやっはぁぁあああっ! 全部カニなら容赦は無用! レティが粉々に砕いてあげますよ!」


 黒兎の機械脚を装備したレティが飛び跳ねる。

 重量と速度と高さから放たれる絶大な威力の打撃は隕石のようで、小さなクレーターを作りながら無数の蟹たちを粉砕していく。

 本物の岩が無くなり、むしろ叩きやすくなった彼女は水を得た魚のように軽やかな足取りで戦場を跳び回っている。


「『鋼鉄の拳』『気功循環』『金の型』――。『穿孔拳』ッ」


 巨大な盾拳が炸裂する。

 放たれた鋭い打撃はヨロイガニの分厚い甲殻を打ち砕き、なお衰えず後方の有象無象を巻き込んでいく。

 小さな障壁が共に砕かれ、爆炎と爆風が吹き荒れる。


 防御を捨て、攻撃に全ての力を注ぐエイミーの拳は、まさに一網打尽の破壊兵器と化していた。


『流石はレッジさんですね、こんな面白い状況を作ってくれるなんて!』


 仲間の活き活きとした戦いぶりを見ていると、一番活き活きしている声が届く。

 アストラはテント村から高速移動系剣技を使って領域の中へ突っ込みながらTELを送っているようだった。


「刃こぼれしないようにしろよ」

『“断ち切る流星の聖十字剣+9[雷光極炎ライトニングインフェルノ]”の実力、お見せしましょう!』

「なんて?」


 耳を劈く雷鳴が領域を揺るがす。

 炎が一直線に群れを割り、白い稲妻が広がる。

 一振りでグレンキョウトウショウグンギザミを真っ二つにし、その背後に続くモノミガニ、アシナガヤグラガニを砕く。


「――――――――ッ!!」


 雷鳴に重ねるように可聴音域を越える高音が響き渡る。

 脳を突き抜ける響きに思わず目を閉じる。

 音が途切れ、再び目を開くと、巨蟹の群れの一帯が大きく崩れていた。


「あれは……アイの歌唱戦闘バトルソングか。BBBの時より強烈だぞ」


 崩れた群れの隙間から、勇猛な騎士団たちが侵攻する。

 その先陣を切るのは長槍を突き出したクリスティーナだ。

 槍の穂先が接触するたび、まるで磁石が反発するように巨蟹たちが吹き飛んでいく。

 弾丸のように進む彼女の後に続く騎士たちも、次々と迫る巨蟹を易々と切り伏せており、個々の練度の高さが窺えた。


「しかし次から次へと出てくる。地中にデカい空間でもあるのか?」


 騎士団の反対側からは三術連合の攻撃も始まっている。

 ハニトーのポチが強引に群れを突破し深く喰らい付く。

 その後からろーしょんが白骨獣の波を広げ、群れを押し返している。

 カルパスの大剣はヨロイガニを押し潰し、アリエスの双曲刀はモノミガニの脚を切り刻む。

 彼女たちはつい数時間前までの独りよがりな戦いから、互いの死角を補う一個の集団としての戦いへと変化していた。

 その成長の立役者となっているのは、彼女たちの水面下で忙しなく動き続けているミカゲなのだろう。


『レッジさん、キリがありません! こいつら地中からドンドコ湧いてきますよ!』


 パーティ回線を通じてレティの悲鳴が届く。

 激戦の渦中に身を投じている彼女は、すでに膨大な数の蟹を砕いているはずだった。

 彼女だけでない、白鹿庵、騎士団、三術連合の全員が総力を決して対処しているにもかかわらず、地面の奥からは無限に蟹が這い出てきている。


『ごめんレッジ、LPが足りないよ!』

『すみません私もちょっと苦しくなってきました』


 そうしているうちに形勢が傾き始める。

 “鱗雲”の回復能力は、その全てを領域を維持しているラピスラズリに焦点を定めている。

 その範囲外で戦い続けているレティたちは早くも限界を迎えようとしていた。


『騎士団はリザがいるのでまだ大丈夫です』

『こっちはちょっと、厳しいかも』


 騎士団は回復役ヒーラーの層も分厚く、継戦能力に問題は無い。

 しかし三術連合は回復能力を持つ人員がおらず、苦しいようだ。


「このままじゃジリ貧だな。サメも来るし……」


 “鱗雲”の回復範囲を広げたところで、広大な領域全てをカバーすることなど到底できない。

 無限に蟹が湧き続ける以上、状況は悪化の一途を辿るだけだ。

 俺は蟹の群れの中心をじっと睨みつける。


「ラピス、群れの中央に強い一撃を入れることはできるか?」


 俺の言葉に彼女は驚いてこちらを見る。


「できないことはないけど……すぐにまた埋まるんじゃないの?」


 レティたちも群れの深くまで切り込んでいるが、それでも中心には手が届かない。

 しかし群れは中心から新たな個体を生み出しており、恐らくそこに何かあるはずだ。


「一瞬で良いんだ」

「……分かった。やるわ」


 無茶な頼みだが、彼女は頷いてくれた。

 ラピスラズリは手のひらを広げ、その上に人差し指を突き付ける。


「領域呪術、『点穿』」


 強い力の抵抗を受けながら、彼女の手のひらと指先が触れる。

 それと同時に領域の中心である群れの真ん中に巨大な穴が穿たれた。


「見えたっ!」


 深く大地を抉る大穴の底にそれはあった。

 堅い岩によって形作られた巨大な洞穴。

 暗く広がる闇の奥から無数に蠢く巨蟹の影が湧き出ている。


「あれが敵の巣ってこと?」

「みたいだな」


 ラピスラズリが作った穴は瞬く間に無数の蟹で埋め尽くされる。

 洞窟の穴が見えたのはほんの一瞬で、戦闘中のレティたちは確認できなかったようだ。


「ラピス、領域を縮めて蟹をあそこに押し込んだりできないか?」

「『掌握の窟』はそういう領域じゃないから難しいわ」


 ラピスラズリは眉を寄せて言う。

 彼女の扱う“禁忌領域”には幾つか種類があるが、今回展開しているものはそう言ったことができないらしい。


「……なら仕方ないか。ラピス、すまないが――」


 俺は考え込み、結論を出す。

 この状況を収めるにはそうするしかない。

 作戦を伝えるとラピスラズリは驚き、目を見開く。


「ほんとにやるの? 死ぬわよ?」

「でも他にできる奴がいないだろう。なら、俺が行くしかない」

「……分かったわ」


 渋っていた彼女も最後には頷く。

 俺は彼女に感謝して、機械槍を握った。


「レティ、ラクト、エイミー、トーカ、ミカゲ。これから少し無茶をする、手伝ってくれ」


 俺は“鱗雲”の外に出て戦地を駆け回っている仲間に呼びかける。


『無茶って、つまりいつも通りってことですよね』

『あんまりLP無いけどできるだけバックアップするよ』


 唐突な言葉に驚きながらも彼女たちは即座に頷いてくれた。

 その優しさに感謝しつつ、俺は巨蟹蠢く領域の中へと飛び込んだ。


_/_/_/_/_/

Tips

◇断ち切る流星の聖十字剣+9[雷光極炎ライトニングインフェルノ

 とある名工が己の技量の粋を注いで、三日三晩鍛え続けた最上の剣。希少な金属を惜しげも無く使い、繊細な細工を施した巨大な刀身は、その重量ゆえ使用者を選ぶ。剣の内部に雷と炎の力を宿し、一振りで空を墜とし大地を砕き海を割る。


Now Loading...

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る