第351話「押し潰す領域」
産卵期にないイワガザミたちは『生物鑑定』の結果からも分かるように山の斜面で蹲り、岩に擬態している。
隠れた姿は流石と言わざるを得ないほどに巧妙で、本物の岩と蟹を判別するために、レティは目についた大きめの岩を片っ端からハンマーで殴りつけた。
「そーれっ! ――あばばっばばっ!」
「そんなに思い切り殴らなくてもいいのに……」
偽物――つまりは本物の岩を思い切り殴ったレティがビリビリと痺れる手を震わせる。
彼女のハンマーの破壊力なら岩くらい簡単に砕けそうなものだが、生憎とこの世界ではスキルが全てを支配している。
〈採掘〉スキルを持たない彼女には、そう簡単に岩を砕くことはできない。
「『岩砕き』なら習得してるんですけど……」
「岩蜥蜴なら砕けるだろうけどねぇ」
悔しそうに唇を噛むレティを、ラクトが呆れ顔で見る。
「イワガザミ自体は大した強さじゃないだけに、この見付けづらさが問題ね」
エイミーが側の岩をコンコンと叩いて言う。
もともと白鹿庵は六人中三人が攻撃特化ビルドという、随分物騒なメンバー構成だ。
イワガザミと分かれば手慣れた連携で瞬く間に倒すことができる。
「物理攻撃系に耐性があるみたいだけど、レティどころかトーカもその防御力突破できるもんね」
「アーツや呪術は更に通りやすいですから、正直面白みはありませんね」
何度かイワガザミとの戦闘をこなし、俺たちも徐々に相手のことが分かってきた。
彼らはその分厚い甲殻に恥じぬ高い物理防御力を持ち、それなりにタフである。
反面、ラクトのアーツやラピスラズリの呪術には弱く、また動きもそれほど素早くない。
「レッジの写真鑑定で一気に選別できたりしないの?」
俺が首に掛けているカメラを見て、ラクトが言う。
「できないな。体温が高いわけでもないし、擬態してる間は殆ど動かないから」
当然、一度試している。
しかし蟹の擬態が上手すぎて、岩だと判定されたものも叩いてみれば蟹だったということがよくあった。
「騎士団とか三術連合はどうやって探してるんでしょうか」
「アイの所は音で探してるみたいよ。歌唱戦闘は広範囲技だから、それでダメージを入れて場所を探ってるみたい」
「潜水艦みたいだな……」
少し離れた草原の方でアイたちが戦っている。
たまに彼女の絶叫が聞こえていたのはそういうことだったらしい。
「三術連合の方はろーしょんが白骨獣の波を広げてるみたいね。人海戦術ならぬ骨海戦術ってところかしら」
ラピスラズリが山の下を指さして言う。
そこではろーしょんが白い波のように白骨獣を進め、その無差別な攻撃に引っかかった蟹を、カルパスやアリエスたちがボコボコにしている。
あちらはあちらで随分と恐ろしい光景だ。
「広範囲攻撃ができれば効率よく探せるってことですか」
「〈風牙流〉は範囲攻撃だが、流石に歌唱戦闘や白骨獣の群れほどじゃないぞ」
こちらに集まる視線に、俺は慌てて首を振る。
一番攻撃範囲の広い『山荒』は前方帯状の特殊な攻撃だし、『群狼』や『飆』もフィールドに散る岩を纏めて範囲内に収めるほどのものではない。
「そういえば、“禁忌領域”って最大範囲はどれくらいなんだ?」
ふと、もう一人纏まった範囲への攻撃技を持っている存在を思い出す。
ラピスラズリの扱う“禁忌領域”はキヨウ祭の山車歩きの際にも随分と広い範囲を包み込んでいたはずだ。
「“禁忌領域”ですか? 大きくしようと思うと色々と準備は必要なのですが……」
ラピスラズリはそう言って、インベントリから黒い杖を取り出す。
呪符がいくつも巻き付けられた如何にも呪具といった禍々しさに溢れる代物は、いつかにミカゲも使っていた。
それを彼女は束で持っているようだ。
「一応、この呪杖を使えばかなり範囲を広げられますよ。当然相応のLPは消費することになりますが」
「上限はどれくらいなんだ?」
「私のLP的に、大体これくらいでしょうか」
そう言ってラピスラズリは地図ウィンドウの上に指を滑らせる。
描いた範囲は騎士団のテント村とほぼ同じ広さで、俺の予想よりも大きかった。
「これだけの広さがあればある程度纏めて攻撃できるのでは?」
朗報を受けたとレティが目を輝かせる。
しかし、そんな彼女とは対照的にラピスラズリは微妙な顔だった。
「どうでしょう。領域展開後は杖を片付ける必要がありますし、アイさんやろーしょん程の機動性はありませんよ」
「“禁忌領域”って元々動かないことを前提にしていましたね」
トーカが頷く。
ラピスラズリの扱う“禁忌領域”は一つの土地を区切り、そこを戦闘区域として掌握するものだ。
ある程度の範囲を囲って発動しそこに蟹がいなければ次に行く、という運用には向いていない。
その時、俺の脳裏に一つの妙案が浮かんだ。
「じゃあ、フィールド全体を囲えばいいんじゃないか?」
「ええっ?」
その言葉にラピスラズリが瞠目する。
「レッジさん、さっき有効範囲はこれくらいだって――」
「それはラピスのLP量を考えた場合だろ? 消費する側から回復してやればいいんじゃないか?」
「……レッジ、それって」
エイミーがまさかと眉を寄せる。
当然、そのまさかである。
「俺のテントでLP回復し続ければ案外いけるんじゃないか?」
そう言うとラピスラズリたちは一様に口を開き、唖然とした顔で俺を見た。
◇
「設置終わりました」
「ふぅ、ぐるっと回るだけでも重労働ですね……」
“鱗雲”の準備をしていると、疲労困憊のレティたちが戻ってくる。
ラピスラズリが元々持っていた杖と、騎士団の物資を使いホタルが追加で作ってくれた杖、合わせて300本ほどをしもふりのコンテナに積み込み、彼女たちはフィールドの半分ほどの面積をぐるりと回ってきた。
当初フィールド全体を予定していた領域の範囲を半分に減らしたのは、LP消費がどれほどになるか分からなかったのと、単純に杖が足りなかったからだ。
「準備はできたか?」
「はい、できたと思います」
俺が聞くとラピスラズリは緊張した面持ちで頷く。
彼女もこれほど広範囲に領域を広げた経験などないだろうから、上手くいくかは完全に未知数だった。
「けどレッジ、時間は大丈夫なの?」
時刻を確認しながらラクトが言う。
そう言えばアストラが言っていたミサイルシャークの襲撃まであと30分ほどだ。
「まあ大丈夫だろ。蟹の強さがあれくらいなら、30分で倒せる」
「そうですよ、任せて下さい」
レティも自信満々に胸を張る。
一応アストラたちにも作戦については伝えてあるし、すぐに動けるように備えて貰っている。
領域が上手く発動すればそれなりの数の蟹が出てくるだろうが、それを倒してテント村に避難するのは十分可能だと判断した。
「テントの方も準備できた。範囲を狭くして、代わりに効果量を底上げしてるぞ」
彼女たちが杖を撃ち込んでいる間に、俺も“鱗雲”のステータスを調整していた。
効果範囲を屋内のみに限定し、代わりに効果量を上げるアセットを並べた。
「では、やりましょうか」
作戦の要であるラピスラズリが立ち上がる。
彼女は口を硬く結び、“鱗雲”の屋根の下で杖を地面に打ち付ける。
「『呪杖展開』」
彼女の言葉で、フィールドの半分を囲う300の杖が紫の炎を纏う。
今は昼、呪術の弱まる時間帯だが彼女はそれをものともしない。
禍々しい赤黒のエフェクトが呪杖を繋ぎ、歪な楕円を形成する。
「はっぁっ」
ラピスラズリが苦しげに呻く。
彼女のLPゲージが猛烈な勢いで削れ、その瞬間に“鱗雲”によって回復されている。
それだけでなく、今の彼女にはかなりの厄呪が蓄積しているようだ。
「『
「ありがとうございます」
状態異常耐性を補強する〈支援アーツ〉を彼女に付与する。
三術関連である“厄呪”に対してどれほどの効果があるかは不安だったが、少しはマシになったようだ。
「『厄呪移し』」
彼女はインベントリから白い紙で作られた人形を取り出し握る。
それは瞬く間に黒く染まり、ボロボロと崩れた。
同時に彼女は呼吸を落ち着かせ、次の段階へと進む。
「では、行きましょう。――禁忌領域、『掌握の窟』」
言葉を結ぶ。
彼女は強く手を打ち乾いた音を響かせる。
呪杖からエフェクトが吹き出し、紫の壁が立ち上がる。
「ぐぅっ!」
「半分でも厳しかったか!」
領域の展開でラピスラズリのLPが大きく削られる。
テントの回復能力だけでは追いつかず、俺は〈支援アーツ〉も併用して彼女を延命させる。
「領域が安定すれば消費も落ち着きます、それまで」
「分かった任せろ」
苦しげに呻くラピスラズリ。
足下から崩れ落ちる彼女を咄嗟に抱え、支える。
その間にも領域の壁は高く立ち上がり、一点を目指して収束を始める。
巨大なドーム状の領域が、完成する。
「領域完成しました!」
外で様子を伺っていたレティが飛び込んでくる。
腕の中のラピスラズリはそれを聞いて、息を切らしながらぐっと親指を立てた。
「では、最後の仕上げです」
彼女はふらりと立ち上がり、手のひらを水平に広げる。
もう一方の手のひらをその上に重ね、最後の言葉を紡ぐ。
「領域呪術、『圧壊』」
手のひらと手のひらが接する。
瞬間、領域内の大地が一息に陥没した。
「すっご……」
広大な領域内、その全体に大きな手の形の凹みができた。
窓からそれを見ていたラクトが思わず声を上げる。
アイの歌唱戦闘やろーしょんの白骨獣すら及ばない、圧倒的な範囲攻撃だ。
岩が砕け、蟹が押しつぶされている。
1時間以上に渡る準備に見合った絶大な力に、俺たちは絶句していた。
「くぅっ!?」
ラピスラズリが突然声を上げる。
「どうした?」
「何か、強い力に反抗されてますっ」
彼女は力を込めて両手を重ね続けている。
しかしそれを押し開こうと、何か別の力が働いているようだ。
「無理はするな、領域も解除していい」
「すみませんっ」
力を僅かに緩めた瞬間、ラピスラズリの手が弾かれたように離れる。
それは領域内の大地と呼応しているらしく、手のひら形に窪んだ地面が一斉に盛り上がった。
「何か出てくるよ!」
「アストラ、戦闘準備を!」
『分かりました!」
ボコボコと大地が泡立つように隆起する。
尋常な数ではない。
俺はすぐに後方で控えていたアストラへTELを送る。
「レッジさん、これは……」
「藪を掻き回したかも知れんな」
ハンマーを構えるレティ。
陥没した地面がぐちゃぐちゃに砕け、地中から巨大な爪がいくつも突き出される。
地中から現れたのは、いつかの侵攻を想起させるような大地を埋め尽くす巨蟹の大群だった。
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Tips
◇『掌握の窟』
禁忌領域。支配した領域内部を術者の手中に収める。
戦地支配能力に特化した禁忌能力の基本にして神髄とも言える術であり、領域内を自由に操作することができるようになる。
この領域に囚われたものはまさしく術者の手のひらの上で躍ることになるだろう。
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