第350話「蟹の通り道」
周囲から隔絶された秘境である〈鋼蟹の砂浜〉は、北には海が広がる白い砂浜、そこから陸に上がると青々とした草原、そして荒涼とした険しい山肌と急激に環境が変わる。
陸地に生息しているのは大小様々な蟹だけで他の原生生物は見当たらない。
「曲がりなりにもミサイルシャークの襲撃を受けつつ生き残れるのが蟹だけだったんですかね?」
「まあ硬いし重いし、食べにくそうだからな」
騎士団の調査に協力することとなった俺たちはフィールドの南――普段ならば北に見ることの多い山脈の方角へと進んでいた。
なだらかな傾斜の付いた草むらを進むと、一定の高さからガラリと植生が変化する。
岩がそこかしこに転がり、その隙間から小さな緑が逞しく根を張って頭を上げている姿を目の端に収めながら、次第に角度を増していく斜面を登る。
「平地にいるのは殆どジャリガザミでしたけど、イシガザミやイワガザミも増えてきましたね」
「でもイベントの時みたいに赤くないし、そもそも小さくない?」
山裾を登るほど、周囲で爪を振る蟹も大きくなっていく。
『生物鑑定』を習得しているレティたちがそれらの名前を上げてるが、ラクトはいまいち納得できない様子で首を傾ける。
確かに、〈特殊開拓指令;暁紅の侵攻〉で見たイシガザミは俺たちと同じくらいの背丈があったがここに居る個体は大きくても俺の胸程度までしかない。
「産卵期になると大きくなるのかも。卵産む時って栄養沢山蓄えるでしょうし」
「なるほど、一理あるな」
エイミーの説明に俺とラクトは揃って手を叩く。
背中に登るだけでも苦労したモノミガニなども、ここではレティが軽く跳ぶだけで届きそうな大きさだ。
「これなら案外イベントの時より弱いかも知れんな」
「実際そうみたいですよ」
トーカが一方を指さして言う。
そちらに目を向けると、騎士団の銀鎧を纏った集団がオオイワガザミを囲んで戦っているところだった。
刀剣、棍棒、槍、銃、弓と様々な武器を持ったプレイヤーが順に一度ずつ攻撃を加えて、そのたびに側に控えている記録係が手元のメモに何か書きこんでいる。
「あれが調査戦闘?」
「はい。斬撃、打撃、刺突各属性の効き具合や、状態異常への耐性を確認しているところですね」
ラクトが後ろを振り向いて言う。
俺たちに付けられた記録係の青年は、自身が抱えている小さな本を掲げて頷いた。
「他にも行動パターンなど〈鑑定〉スキルだけでは分からない情報も集めて記録しているんです」
「マメなんだなぁ」
そうやって彼らが集めた情報が、整理された上で公式wikiなどのページに反映されるのだ。
普段その利益を享受している割にどうやって供給されているのかまでは意識したことがなかった。
俺は彼らの攻略バンドとしての矜持を垣間見たような気がして、改めて尊敬する。
「とはいえ、やはりここの原生生物はあまり強くはなさそうですね。霧森の
記録係の彼は遠くで働いている仲間を見ながら言う。
外見は鮮やかな赤の毛並みをした5メートルほどの熊で、特に腕が多かったりといったことはない。
しかしその巨体から放たれる怪力はシンプルながらも破壊的で、〈猛獣の森〉の“豪腕のカイザー”などもあれと比べると赤子同然だった。
攻撃だけでなく防御もまた優秀で、過酷な野生に揉まれた強靱な肉体は驚くほどしぶとく、その赤い毛並みは並の刃を通さない。
打撃もあまり効果的ではなく、刺突属性が比較的よく通るくらいだ。
ただ、物理攻撃、物理防御に著しく特化したパワーファイターだけあってアーツには滅法弱く、そのため機術師がいればなんとかなったりもするが。
「あの時は順番に一人ずつ攻撃、なんて余裕は無かったですよ。とにかく行ける人から攻撃して、僕たちはそれを必死に書き留めてました」
段々と遠い目になる記録係。
彼もまたこうしてここにいるということは騎士団の中でも精鋭なのだろうが、だからこそ随分と苦労してきたようだ。
「私たちは調査戦闘みたいなことできないけど、大丈夫?」
騎士団が行っている調査戦闘は効率的に情報を引き出すため一定のルールに則って行われている。
しかしそれを知らない俺たちにそれができるかと言われれば、間違いなく否だった。
それを危惧するエイミーの言葉に、彼は頷く。
「はい。僕は原生生物の行動パターンの記録をメインにやっていますから。皆さんは自由に戦ってもらって結構です。ただ、戦力にはなれませんのでいないものと思って下さい」
「つまりいつも通りで良いんですね。……若干一名いつもと違ったメンバーもいますが」
レティがちらりとラピスラズリの方を見る。
視線に気がついた彼女が一瞬怯み、すぐに問題ないと胸に手を置いた。
「失望なんてさせないわ。――ていうか、レッジはいつまで登ってるの?」
先頭を歩く俺を見上げ、ラピスラズリが言う。
「できるだけ高いところ、というか浜の全体が見渡せる場所まで行きたい。あとはちょっと捜し物だな」
「捜し物、ですか」
「ああ。洞窟とかそんな感じのものがないかと」
俺は斜面を見上げる。
「暁紅の侵攻の時、ここの蟹は山を越えてきただろ。それも、今よりも巨大化した状態で」
俺は道中考えていたことを彼女たちに披露する。
「でもここは周囲を固く閉ざされた秘境だ。蟹はどこから山を登ったんだ?」
斜面は登るほどに角度が付き、やがてほぼ垂直な壁になる。
器用な手足を持つ俺たちですら登れないほどの絶壁を、蟹たちが登れるというのは少し不自然だろう。
ならば斜面を登る以外にも、この山脈の向こう側へといたる道があると仮定した方がいい。
「正確な地形はもう調べられてるんだよな?」
「はい。もう八咫鏡の地図にも反映されてます」
調査係の彼にも確認を取る。
八咫鏡に表示される地図は、プレイヤーが実際に歩くことでより詳細な情報が付加されていく。
だが、一見したところこのフィールドのどこかに抜け道のようなものは見つからない。
「と、いうことはだ」
そうして俺はおもむろにアイテムを取り出す。
先端が尖った幅広のスコップだ。
「また穴掘りですか」
げんなりとした顔で言うレティ。
三人の記録係たちも困惑した様子で顔を見合わせている。
「そういうことだ。あ、ラピス」
「なにかしら?」
「これ、使ってくれ」
俺はラピスラズリに落とし穴のタネを渡す。
縦穴は〈罠〉スキルの落とし穴で掘るのが楽だが、それでも俺一人でやるとなると重労働だ。
「いやぁ、ラピスがこっちに来てくれて助かるよ。穴掘り要員は何人いてもいいからな」
「えっ」
「よろしく頼む」
「えっ」
トレードウィンドウに放り込まれたタネと俺の顔を交互に見て、ラピスラズリはきょとんとする。
「あれ、『罠設置』覚えてなかったか?」
「いや覚えてるけど。えっ、漁業とか色々言ってたのは?」
「そっちはミサイルシャークが来るまで時間があるからな。まずは穴掘りだ」
「戦闘は……」
「穴があったら蟹もいるんじゃないか?」
俺がそう言うと、突然レティが前にやってきて口を開いた。
「レッジさん、色々先走りすぎです。まずはパーティとして連携を確認するためにも、開けた場所で何度か戦った方がいいですよ」
「そうだね。洞窟が見つかる保証もないし、まずはある程度仕事しとかないと」
ラクトもそのあとに続き、エイミーやトーカも頷く。
確かに自分勝手だったと俺も反省する。
「思いついたらすぐに実行するのはレッジさんの美点ですけど、とりあえず今はラピスさんがいることも忘れないで下さいよ」
「申し訳ない……」
レティに諭され、深く頷く。
彼女はため息をつくとハンマーを肩に乗せて周囲を見渡す。
「とりあえず、あのイワガザミを叩いてみましょう」
そう言って、彼女は一匹目の獲物に目星を付けた。
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Tips
◇
〈奇竜の霧森〉に生息する大型の熊に似た原生生物。機械人形のタイプ-ゴーレムすら凌ぐ5メートル以上の巨体を持ち、それに見合った膂力を発揮する。全身は硬い赤毛に深く覆われており、斬撃、打撃、刺突のあらゆる物理的な攻撃を大きく減衰させる。
非常に気性が荒く、動くものには見境無く襲いかかる一方で、原始的ながらも戦略的な行動を取ることも確認されている。
肉は血生臭く、適切な処理を施さなければ食用には適さない。
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