第344話「巨敵と援軍」

 ランタンの光が照らす黒い壁にぽっかりと開く二つの瞳。

 丸く青緑に反射する瞳孔と目が合い、全身を硬直させる。


「……」


 向こうも突然スコップをぶつけられて思考が止まっているようだ。

 互いに無言のまま数秒が過ぎる。


「レッジさーん、ロープありませんでした。でもレティ凄く良いこと考えてですね、ふへへ」

「ッ! レティ、逃げるぞ!」


 そこへ背後からレティの声が反響する。

 彼女が穴の底に降りてきたのを察した俺は弾かれたように身を翻し駆け出した。


「えっ!? な、何ですか、ていうかめっちゃ横穴掘ってる!?」

「良いからとりあえず穴から抜けるぞ!」

「はわわっ、と、とりあえずレティに掴まって!」


 俺が逃げ出したことで壁も動き出す。

 横穴全体を揺るがし、地中から抜けだそうと身をくねらせているようだ。

 落とし穴の底にやってきたレティは下半身に黒い機械脚を纏っている。

 どうやら彼女の跳躍力で救出してくれる算段らしい。


「うぉぉお!」

「全然躊躇わないのもちょっとショックなんですが!」

「言ってる場合かっ!」


 未だ状況が分かっていないレティが唇を尖らせる。

 そうしている間にも横穴の奥から黒い影が近付いてくる。

 ブーブーと言っていた彼女もようやく追っ手の存在に気がついたようで、瞬時に真剣な表情へと切り替える。


「ちゃんと掴まってて下さいね」

「分かってるよ!」

機装技アーマーテクニック『黒兎の瞬脚』ッ!」


 ダン、とレティが地面を力強く蹴る。

 衝撃が広がり身体がふわりと浮かぶ。

 俺は彼女の腰を離すまいと渾身の力で抱きしめ、4mの高さを垂直に跳び上がった。


「エイミー、エネミーが来ます! ラクトも迎撃準備お願いします」


 滞空中にレティは穴の周囲で様子を伺っていたエイミーたちに声を掛ける。

 通報を受けた救急隊員のように彼女たちは気持ちを引き締め、瞬く間に臨戦態勢を整えた。


「出てくるぞ」

「でっかいですね」


 その時、落とし穴の周囲の地面が大きく盛り上がる。

 下から突き上がる巨大な力に、固い地面が粉砕された。


「こいつは――」


 岩を砕き、それは勢いよく地上へ飛び出してきた。

 両腕の爪は両手盾のように分厚く平らで巨大、身体を包み込む外殻は黒々として艶があり、頭から飛び出した二つの瞳がこちらに敵意を向けている。


「カニ!?」

「でも前のイベントでは見たことない種類ね」


 ラクトたちも突如現れた巨蟹に目を見開く。

 両腕に盾を構えた黒蟹は、大地を揺るがして着地する。


「レッジさん、上手く着地してくださいね」

「えっ? うわぁっ!?」


 黒蟹の真上にいた俺は、レティに空中で投げられる。

 ゴロゴロと地面を転がって“鱗雲”の壁にぶつかった。

 慌ててレティを見ると、彼女はハンマーを大きく振り上げて黒蟹の甲羅へと落ちていた。


「咬砕流、四の技――『蹴リ墜トス鉄脚』ッ!」


 超重量の衝撃が黒蟹の甲殻に激突する。

 衝撃は蟹の全身を走り抜け、足下の地面がクレーターのように陥没した。


「かっ」


 それほどの打撃を受けてなお、黒蟹の甲羅には傷一つ刻まれていない。

 驚くほどの頑丈さにレティは驚愕を隠せないでいた。


「――『侵蝕する絶零の白牙アブソリュートゼロ』!」


 しかし、彼女の打撃によって蟹の動きが止まる。

 その隙を逃さずラクトのアーツが炸裂した。

 白い牙が甲殻を突き、分厚い氷が体表を覆い尽くす。

 ここは“鱗雲”の恩恵を受けられる範囲内、つまり彼女のアーツは際限なく蟹を浸蝕し続ける。


「『連鎖する爆裂と破壊の三重盾』、『ニードルノック』ッ!」


 漂白された蟹が下から強い衝撃を受ける。

 素早く懐に潜り込んだエイミーの渾身の拳が氷を割り、爆発が黒煙を舞い上げた。

 レティ、ラクト、エイミーの間髪入れない連撃を受け、黒蟹は沈黙する。

 依然としてラクトは油断なくアーツを展開し続け、エイミーもまた新たな障壁を展開する。

 レティはハンマーを構え、視線を蟹から離すこと無く口を開いた。


「滅茶苦茶硬いですね、この蟹」

「見た目からして防御特化って感じだもんね」

「ヨロイショウグンガザミなんてこれと比べたら紙同然ねぇ」


 蟹の頭上に現れたHPゲージ。

 三人の攻撃を全て真正面から喰らったというのに、僅かにしか削れていない。

 高防御力に対して効果的な打撃属性を持つレティとエイミーの攻撃を受けてこれでは、俺の槍など蚊に刺されるようなものだろう。


「攻撃力がどの程度かは分かりませんが、倒すとなると時間が掛かりますよ?」


 レティの問い。

 この場にいる四人だけでは、正直荷が重いだろう。

 泣きたくなるほどの防御力だけが理由ではない。

 目の前で蹲っている黒蟹は恐らくwikiにも載っていない未確認原生生物、つまりあらゆる情報が不足している。


「せめてトーカとミカゲがいればな」


 いつものメンバーが揃っているのなら戦うことも選択肢に入るだろう。

 特に物理的な攻撃が通らないのなら、ミカゲの呪術が特攻になっている可能性も大いに考えられる。


「テントもあるし、負けはしないでしょ。倒してもいいんじゃない?」


 ラクトの言葉も正しい。

 ここは“鱗雲”の範囲内だからLPについては考える必要がない。


「でも他の原生生物が寄ってきたら面倒よ」


 エイミーの声。

 ここは安全ではあるが、同時に危険地帯でもある。

 狼や熊が戦闘の騒音に気付いてやって来てしまえば、数に押されて死ぬ可能性もあった。


「もうすぐ気絶も解けると思います。逃げるなら早くしないと」


 再びレティ。

 俺は覚悟を決めてテントへと向かう。


「一旦退くぞ!」

「了解、できるだけ足止めはするよ」


 ラクトが『侵蝕する絶零の白牙アブソリュートゼロ』を維持している間に撤退の準備をしなければならない。

 テントは片付けるのにも多少時間が掛かるため、こういった時に少し苦労する。

 ステータスウィンドウを開き、テントの回収をしようとしたその時、


「――禁忌領域、『隔離の窟』」


 突如森の奥から声がする。

 瞬く間に俺たちは周囲一帯ごと薄紫色の壁に包まれた。


「これは……」

「私たちも加勢させて頂いてもいいでしょうか」


 木立の奥から現れたのは、流れるような金髪の少女。

 改造された修道服に身を包み、銀の杖をしゃらりと鳴らす。


「バリテンのとこにエイミーが居なかったからまさかとは思ったが、随分面白ぇ事になってるじゃねぇか」


 やって来たのは彼女だけではない。

 身の丈ほどもある巨大な骨剣を担ぎ、白い鎧に身を包んだカルパスが軽快に笑う。

 鼻歌混じりに歩くアリエスが星の刻まれた双曲刀を引き抜く。

 ボロボロのコートを纏うろーしょんが足下の影から白骨獣を呼び出す。

 彼女の隣では牙を剥いて唸る異形の猛獣をライカンスロープの女性が諫めている。

 赤黒の巫女装束を着たぽんが手に呪符を持つ。


「ラピスラズリ、随分な面子じゃないか」


 “溺愛”“闇巫女”“屍獣”“孤群”“骨剣”“星読”――三術系スキルでそれぞれ最前線に立つトッププレイヤーたちが突如として現れ、俺だけでなくレティたちまでもが驚き動きを止める。


「霧森に入った時に、ミカゲさんがレッジさんたちに気がついたようで。面白そうな匂いがすると言われてやって来たんです」

「なるほど、そういえば……」


 彼女たちの背後に隠れるように、忍者が一人立っている。

 ミカゲは今日、以前のヴァーリテイン戦で結成した三術連合で各地のボス討伐ツアーをしていたはずだ。

 恐らく最後の締めとしてやって来たヴァーリテインの所にエイミーがいなかったため、俺たちの存在に気付いて立ち寄ってくれたのだろう。


「助かった。よく来てくれたな」

「……レッジが何かしてる気がしたから」


 覆面の下で小さく呟くミカゲ。

 そんな彼の背後の木々が揺れ、桃色の和服に身を包んだサムライが勢いよく飛び出してきた。


「ミカゲに呼ばれて私も参上しましたよ! まあ、今回の敵はあまり相性がよく無さそうですが」

「トーカ!?」


 闘技場で挑戦者を薙ぎ倒しているはずの彼女もやってきて、俺は再び驚く。

 ヤタガラスや土蜘蛛ジップラインを使っても、ここまでやってくるのには時間が掛かるはずなのに。

 改めてサムライの〈歩行〉スキルの凄まじさを実感する。


「これだけ揃えば、オーバーキルですかね」

「2パーティ分の人数だもんね」


 瞬く間に増えた戦力を見てレティたちが苦笑する。

 個々の能力で見ても、全体としての総合戦力で見ても、何処にも隙が無い。


「とりあえず“領域”の中に邪魔者は入れさせません。存分に戦いましょう」


 ラピスラズリが胸を張る。

 彼女がいるならば、いくら派手に戦っても余計な原生生物がやってくることはない。


「そろそろ動き出しそうね」


 エイミーの言葉で全員が臨戦態勢に入る。

 氷が砕け、巨蟹が動く。

 第二ラウンドのゴングが鳴り響いた。


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Tips

◇『ニードルノック』

 〈格闘〉スキルレベル70のテクニック。

 鋭い打撃が敵の防御を貫通し、効果的にダメージを与える。対象の防御力に対して一定割合の追加ダメージ。

 蜂が突き刺す針のように的確に急所を狙う鋭い拳は、堅牢な要塞の壁すら打ち砕く。


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