第330話「雨霰弾く屋根」
白い肌が夜空にくっきりと浮かんでいる。
銀の曲刀を燦めかせ、彼女は地面に腰を付けた俺を見下ろして真っ赤な口元を曲げた。
「この子、一応ウチのリーダーだから。そう簡単に倒されても困るのよね」
「なるほど、それもそうだ」
リーダーが倒された場合に何かシステム的にデメリットがあるのかは知らないが、単純に陣営の士気に大きく関わるだろう。
しかし、だからといってもう少しで勝ちを獲れた戦いに横やりを入れられてあまり良い気分ではない。
「レッジさん!」
「レティ。シャドウナイトは倒したのか」
「まあ、所詮はNPCですから。それよりもちょっとピンチです?」
「そうだな。えっと、あの人は……」
屋根に立つヒューマノイドの女を見上げる。
顔に見覚えは無いが、その踊り子のような装備と両手に持った十二星座の刻印が並ぶ曲刀には見覚えがあった。
「アリエスだったか。〈占術〉スキルの使い手で、前にヴァーリテイン戦でも居た気がする」
「あら、覚えてくれてたのね」
名前を叫ぶと、彼女は意外そうな顔で眉を上げた。
俺だって多少は人を覚えられるのだ。
「レッジさんが……白鹿庵以外の方の名前を……」
「レティまでそう言うか」
まさか身内から驚きの目を向けられてしまうとは。
一体、俺は普段どんな人間だと思われているのだろうか。
「レッジ、大丈夫?」
「なんだか新しい顔がありますね……」
そんな話をしていると、エイミーとぽんが駆け寄ってくる。
ぽんはアリエスと顔なじみなようで、むっと目を細めて彼女を睨んだ。
「東町はろーしょん、アリエス、あとラピスラズリ。こっちはレッジさん、エイミーさん、レティさん、ホタル、私。人数的には不利だと思いますよ」
「実質こっちは二人でしょ。そもそも戦うつもりはないわよ」
ピリピリとした雰囲気を纏い髪の毛を逆立てるぽんに向かって、アリエスは即座に否定する。
彼女はくるりと身を翻し、小柄なろーしょんを脇に抱える。
「うわー。なにをする」
「なにをする、じゃないわよ。大将が山車ほっぽって出掛けるなんて、駄目に決まってるでしょ」
帰るわよ、とアリエスが言う。
ろーしょんは彼女の腕から逃れようと藻掻くも、近接戦闘職の腕力には敵わない。
「失礼しちゃったわね。こっちは退くし、カルパスにも連絡入れとくから。そっちも早く持ち場に戻った方が良いんじゃない?」
「え? ああ、そうだな。そうしよう」
覇気の無いアリエスに俺たちの方も毒気を抜かれる。
そもそもキヨウ祭の山車歩きは闘技場のトーナメントと違って対人戦がメインではない。
ならば俺たちも彼女を追う理由はないし、それよりも山車に戻って防衛に務める方が正道だ。
連戦に次ぐ連戦で、危うくイベントの趣旨を忘れかけていた。
「じゃあねー」
「さ、さようならー」
ぱたぱたと手を振って、ろーしょんを抱えたアリエスは身軽に屋根を駆け去って行く。
風に広がる青髪を見送った俺たちは誰からともなく互いの顔を見て、数度目を瞬かせた。
「俺たちも山車に戻るか」
「そうですね」
マップを開き、北町の山車の現在地を確認する。
俺たちがここで足止めを喰らっている間に、ハガネは随分と進めたようだった。
「もう五つ目のチェックポイントも回っちゃった見たいですね」
「今は東町のド真ん中か。これは防衛戦が激しくなってそうだわ」
「急いだ方が良さそうだ」
俺たちは共有回線に接続し、状況を確認しながら走り出した。
†
「ああああああっ! なんなのこの弾幕密度! 殺しに掛かってるでしょ!」
「仕方ないですよ。ここは東町の懐なんですから!」
レッジたちがアリエスらと別れ、走り出した頃。
彼らの目的地である北町の山車は四方八方からの集中砲火を受けていた。
「『漂白する千棘の刃矢』ッ!」
山車の舞台に立ち、ラクトは弓を爪弾く。
飛び出した銀矢は扇状に拡散し、周囲の建物の上に陣取っていた機術師や銃士たちを一掃する。
「キリが無い! こいつらなんなの!?」
「殆どがNPCみたいですね。『迅雷切破』ッ! ――斬ってもまるで手応えがありません」
妨害班として出張っていたトーカも守りに加勢し東町の狙撃者たちを切り伏せるも、すぐに新たな影が現れて攻撃が止む兆しが一向に見えない。
『――姉さん』
「ミカゲ? 今どこに居るの」
そんなトーカの元へ、ミカゲから着信が入る。
姿を見せない弟を密かに心配していた彼女が応じると、彼は口早に語った。
『東町の偵察。それで、山車を攻撃してる奴らの正体が分かった』
「それじゃあ共有回線で報告しなさいよ」
『……』
途端に黙るミカゲ。
実弟の人見知り具合に少し呆れながら、トーカは話の続きを促した。
「分かった、こっちから報告するから。教えて」
『基本は“
「なるほど、つまり術師を叩けば消えるのね」
剣呑な声を出すトーカをミカゲは否定する。
『無理。“
その名前に彼女は信じられないと目を開く。
「ろーしょんって、“孤群”のろーしょん? 確かに複数召喚が得意って聞いてるけど……」
『相当得意、だね。彼女、レッジと戦いながらこの弓兵を維持してる』
「レッジさんの所に行ってるの!? ほんと、規格外なプレイヤーっていくらでも居るわね……」
ミカゲは忍者らしく闇に忍び各地で情報を集めていた。
彼の挙げた報告を聞き、トーカは気が遠くなる。
「規格外なのはレッジさんだけでいいんですけど――ねっ!」
桃源郷を振り、三方向から飛び掛かってきた矢を纏めて切り落とす。
彼女もまた周囲のプレイヤーから見れば規格外な実力を発揮しているのだが、それを自覚している様子は微塵もなかった。
トーカは雨のように降りかかる銃弾と矢と機術の中を舞い踊るように剣を振るい、戦場に鮮やかな花を裂かせ続ける。
激しく動きながらも共有回線に接続し、山車の頂上で指揮を取っているハガネに弟からの報告を伝えた。
「なるほど。――防衛班、聞け! 通常の木矢を射る顔の見えない弓兵はある程度無視してもいい、奴らはどうせいくらでも甦る。まずは確実にプレイヤーと分かる奴を倒せ!」
トーカからの言葉を受けて、ハガネはすぐさま指示を下す。
彼らは自身が相対している敵を見定め、それが実際にプレイヤーであるか確認する。
敵がNPCかPCかというものは、平時の街中であれば容易に識別できる。
NPCであればその頭上に半透明の青い逆三角形をしたマーカーが付いているのだ。
「とはいえ、今はそれも……」
飛んできた弾丸を切り刻み、トーカは唇を噛む。
相手との距離が開いているためそのマーカー自体がとても小さく見える。
更にこの乱戦では落ち着いて確認すること自体が難しかった。
しかし、
「了解。『
少女が弓に矢を番える。
その数、三本。
弦を引き絞り、彼女は機術を展開した。
「『
矢が直上に放たれる。
夜の闇に向かう三本の光の筋は頂点で弾けた。
大洋を泳ぐ魚の群れのように、それは個々が集まり巨大な銀鱗の怪魚となって空を駆ける。
山車を守るように周囲を巡り、それは的確にプレイヤーだけを屋根から落としていった。
「ぐふぅ、キッツ……」
屋根を壊し瓦を吹き飛ばしながら駆け巡るアーツを見つめ、満足げな顔でラクトは舞台に倒れ込む。
彼女は夥しい数のアンプルを砕き胸に染みこませながら、それでも急激に減っていく自身のLPを視界の端に映す。
「ラクト!」
「トーカ……。これで多少は弾幕も薄まったかな」
舞台に駆け込んできた仲間を見て、ラクトはぐったりとした顔に笑みを浮かべる。
「ええ。私がこっちに来れるくらいには」
トーカは自身のアンプルを取り出し、ラクトに振りかける。
「すみません、〈調剤〉スキルは持っていないので……」
「やぁ、助かるよ。わたしだけだとやっぱ駄目だね」
魚群が敵を蹂躙する限り、彼女は膨大なLPを消費する。
気絶の域にまで達してしまえばその時点で機術は霧散するだろう。
「治癒術師は他のプレイヤーを回復させるので手一杯です。なんとか凌げるといいんですが……」
「こんな時、やっぱレッジが居てくれたらなぁ」
回復は僅かに追いつかず、徐々に終わりが見えてくる。
アンプルの数も有限でありアーツの効果時間が終了するよりも先にそれは無くなりそうだった。
ラクトの使うアーツは、普段の運用状況からあまりLP消費コストを考えないチップ構成になっている。
今回敵を一網打尽にしたものも、相応のコストを支払い続ける必要があった。
『――よく耐えたよ』
「ッ!」
〈白鹿庵〉の共有回線から二人の聞き慣れた声が届く。
ラクトは目を開き、思わず身体を起こす。
「『矢弾く浮遊する七つの大壁』」
直後、山車の周囲を大きな七枚の障壁が取り囲む。
それはゆっくりと回転しながら撃ち込まれる矢弾を阻み、山車の内部に平穏を与えた。
「ハガネ、山車を借りるぞ。――『野営地設置』」
山車の上から声が響く。
それと同時にラクトのLP減少が停止、回復に転じる。
彼女だけではない、山車の周囲に立つ全ての北町所属プレイヤーのLPが回復し始めた。
「ラクト、大丈夫ですか?」
たん、と軽やかな音を立てて赤髪の少女が舞台に立つ。
彼女は巨鎚を肩に預けてラクトを労う。
「――うん。ギリギリだったけどね」
うさ耳を不安げに揺らすレティの赤い瞳を見返して、ラクトはにっこりと笑った。
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Tips
◇『
六つのチップを使用する上級アーツ。細かな高密度エネルギー体の集合を群体として操作して照準を定めた対象にダメージを与える。
広範囲かつ選択的な攻撃手段として有用だが、効果中は急激にLPを消費し、また操作も非常に難しい。
銀鱗の群魚は空を泳ぐ。捕食者から逃れる為でなく、彼ら自身が捕食者として餌を求め喰らうため。
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