第328話「白骨の波」

 耳を劈く破砕音。

 ガラスが砕け散るように細かな破片が高い悲鳴を響かせる。

 もうもうと舞う砂塵の中、腕で目を覆い衝撃に耐える。


「……あれ?」


 しかし予想していた衝撃は訪れず、奇妙な沈黙がそこに残る。

 恐る恐る顔を上げてみると、至近距離に展開された薄紫色の障壁がレティの鎚を阻んでいた。


「ぐぬぬっ!」

「落ち着きなさいよ、レティちゃん」


 頬を膨らせてハンマーを持つ手に力を込めるレティを諫めるように、障壁の主――ラピスラズリは声を掛ける。

 気がつけば元々展開されていた“禁忌領域”は消え去り、俺と彼女だけを囲む小さなものに変わっていた。

 どういうことだと首を傾げるとラピスラズリがこちらを見て言った。


「領域が力尽くで壊されたから、新しいのを構築したの。まったく、味方同士で争うなんて」

「あの一瞬で……。判断が早いな」

「褒めても何も出ないわよ。それより今はこの子の相手をした方がいいんじゃない?」


 その言葉に従って上を見てみれば、そこにはぐるぐると唸るレティ。


「助けに来てくれたのは嬉しいが、なんでそんなに怒ってるんだ?」

「ほーう、なかなかしらばっくれますねレッジさん!」

「いや、覚えが一切無いんだが……」

「なんと言おうと現実が物語っているんです! 隣! ラピスラズリさん! なんて格好してるんですか!」


 びしりと障壁に指を突き付けるレティ。

 彼女の視線の先にはラピスラズリ。

 なんて格好などと言われても、多少スリットが深い程度の修道服……の上からギチギチに糸が絡み合っているな。


「……すまん」

「外して良いの? 襲うわよ?」


 いそいそと銀糸を外す。

 ラピスラズリがニヤニヤと笑いを向けるが、彼女に敵意が無いことは分かっている。

 仮に攻撃されたところで、今度こそレティたちが助けてくれるだろう。


「全く、まったくですよ全く! 昨日の今日で、何にも反省してませんね!?」

「いや、ちゃんと改良は……」

「レッジさんの趣味が悪いのでは?」

「敵の動きを拘束しようとすると、これが最善なんだよ」


 領域の上に乗り、強く拳を打ち付けるレティ。

 俺もなんとか反論を試みるものの、彼女の言いたいこともよく分かるためあまり強くは出られない。


「あら、私は結構楽しかったわよ」

「そういう話か?」


 他人事だと思って――確かに他人事ではあるのだが――ラピスラズリが火に油を注ぎ始める。


「……まあ、いいです。とりあえず割りますよ」

「こっちから解除して上げるわよ」


 力を込めて鎚を振り上げるレティを見て、ラピスラズリは“禁忌領域”を解除する。

 レティが軽やかに着地して大きく息を吐いた。


「救援要請を受けて助けに来たというのに、敵さんと随分仲が良さそうですね?」

「んー、まあ暇だったからなぁ」

「どういうことですか」


 ラピスラズリの“禁忌領域”は手強かったが、拘束してしまえばすることがなかったのだ。

 そう思って言うも、レティは片眉を上げて胡乱な顔をする。


「ともかく、いつまでもここに居ても仕方ありません。早く山車まで戻りましょう」

「それもそうだな。もうチェックポイントは結構回ったのか?」

「今は四つ目を目指してるところですね」

「なるほどぉ。東町の妨害も強くなってそうね」


 レティに手を引かれ、エイミーとぽんが立つ場所へと向かいながら話す。

 するとそこへ自然とラピスラズリも混ざり、レティが一瞬硬直した。


「……あの、なんでラピスラズリさんも付いてきてるんですか?」

「レッジさんはこの後も色々しでかしそうだし、見学したいなって」

「貴女、敵ですよね!? ていうか東町ですよね!?」


 目を見開いて驚くレティだが、ラピスラズリは揚々とした表情で軽く頷く。


「そうだけど、私は自由行動が許可されてるので。それにほら、敵情視察的なアレも必要でしょう」

「どこに堂々と敵を見張る偵察がありますか! 貴女はそこに転がってるカルパスさん連れて帰って下さいよ」

「イヤよ」

「即断しないで下さい!」


 俺を置いてヒートアップするレティと、それを飄々と躱すラピスラズリ。


「まあまあ、邪魔はしないから許して頂戴よ」

「そんな保証無いですよね……」

「武器と装備、全部預けても良いわよ」

「こっちが極悪人じゃないですか! ――はぁ、なんで付いてきたいんですか」


 ぐったりと疲れた顔でレティが聞く。


「だから、レッジさんの活躍が見たいなって。そこから“禁忌領域”に活かせるものがあったら盗みたいし」

「なんでそんなにレッジさんに執着するんです?」

「私、レッジさんのファンだもの」


 すっぱりと即答するラピスラズリに、隣を歩いていた俺の方が驚いてしまう。

 レティも同じように目を丸くして、まじまじと眼前の修道女を見る。


「そもそもレッジさんが北町に付くって知ってたら私もそっちに付きたかったわよ。直前まで分からなかったし、その間にろーしょんが無理矢理引き摺り込んでくるし。

 ね、お願い! 後ろからチラッと見るだけでいいから!」


 ぎゅっと手を合わせ目を瞑るラピスラズリ。

 強く懇願する彼女にレティも毒気を抜かれ、困った顔で俺を見る。


「……彼女の“禁忌領域”、俺のブログを見て思いついたらしい」

「なるほど、愛読者だったんですか」


 レティは腕を組み、長く唸る。

 ゆらゆらと左右に揺れる耳は選択肢を決めかねている彼女の心情を表しているようだった。


「――偶然、敵陣営である貴女がレッジさんの近くにいた、とかなら良いんじゃないですか? 貴女が自由行動を許可されてるんなら、レティたちに何か言う資格はありませんし」

「ほんと!? ありがとう、レティ!」


 ため息と共に放たれた言葉に、ラピスラズリは青い瞳を輝かせる。

 感極まった彼女は大きく両手を広げ、レティをぎゅっと抱きしめる。


「うぎゃっ!? な、なんですか! 離して下さい!」

「私、〈格闘〉スキルはゼロだからダメージは無いはず! ありがとうレティ!」

「ぐにににぃ!」


 腕力で圧倒的優位なレティはすぐさまラピスラズリを引き剥がすが、彼女は懲りる様子もなく立ち上がりレティを追いかける。


「レティは誰とでもすぐに仲良くなれるなぁ」

「レッジさんそれ本気で思ってます!?」


 楽しそうに走り回るレティとラピスラズリを見ていると、困惑顔のぽんとエイミーがやってきた。


「何がどうなったの、あれ?」

「ラピスラズリのあんな姿、見たことありませんよ」

「んー、なんだろうな。とりあえず一旦山車に戻ろう」


 二人に事情を説明しながら、俺はマップに表示された北町の山車が居る場所を目指して歩き出す。

 疲れた様子のレティと、ニコニコと笑顔のラピスラズリも追いついた。


「――あれ、そういえばホタルは?」


 ふと思い出したエイミーが顔を上げ、周囲を見渡す。

 カルパスを再び拘束したホタルは少し離れたところで彼を弄っていた筈だが。

 そう思って俺も背後を振り返る。

 その時、突然通りを埋め尽くす骨片がカタカタと揺れ始めた。


「なんだこれは?」

「分かんない。でも何か来そうね――」


 異変を察知したエイミーたちが戦闘態勢を取る。

 骨片の振動は徐々に増し、やがて地面そのものがガタガタと大きく揺れ始めた。


「ラピスラズリ、何か知ってるか?」

「……東町のリーダーが態々。そこまでしなくたっていいのに」


 ラピスラズリに目を向けると、彼女はげんなりとした顔で通りに広がる怪奇現象を見ていた。


「レッジさん、とりあえず屋根の上に。骨片の上に居たら捕まるわよ」


 そう言ってラピスラズリは近くの建物の上に登る。

 俺はレティたちを促し、彼女の後を追って瓦屋根に場所を移した。


「『白骸召喚』」


 全員が屋根の上に移った直後、女の声がどこからか響く。

 その声に応じるように、通りを真っ白に埋め尽くす骨片の中から無数の腕が飛び出した。


「なんだあれは……」

「『白骸召喚』。低級の霊を呼び出す〈霊術〉スキルの基本テクニックですよ」


 屋根に腰を下ろし、ラピスラズリが言う。

 彼女の眼下では骨片が互いに結合し、小さな骸骨を形作り始めている。

 フェアリーほどのサイズの小さな白い骸骨は、カタカタと顎を震わせ彷徨う。

 驚くのはその数で、優に100は越えている。


「どっかに霊術師の軍団でもいるのか?」

「いえ、一人だけですよ」


 ラピスラズリが暗がりを指さす。

 カタカタと骨を鳴らす音が響く中、そこから一人のフェアリーが現れた。


「随分禍々しい格好の子だな」

「〈霊術〉スキルに補正の掛かる装備を集めると、大体あんな感じになるそうですよ」


 ぽんもその正体を知っているのか、現れた少女を見て言う。

 ボロボロの黒いローブに、フードを目深に被り、首元には髑髏の首飾り。

 手には骨の杖を携えている。


「……ラピスちゃん、なにしてるの?」


 先ほど、『白骸召喚』を放ったものと同じ声。

 しかし幾分幼さの混じる声がラピスラズリを呼ぶ。

 フードの奥から暗い緑色の瞳が見上げている。


「社会見学しようと思いましてー」


 明るい声で答えるラピスラズリ。

 それに対し、霊術師の少女は僅かに頷いた。


「そう。――なら、そこで見てて」


 彼女が骨の杖を掲げる。

 それと同時に、今まで自由に彷徨っていた白骸たちが一斉にこちらを見てくる。

 無数の暗い眼窩が向けられぞわりと鳥肌が立つ。


「レッジさん、あの子は強いですよ」

「そうなのか?」


 面白そうに口の端を緩めてラピスラズリが言う。


「なにせ、“孤群”のろーしょんですから」

「……なんか聞いたことあるなぁ」


 不意に暗い影が落ちる。

 月光を遮るものを見ようと顔を上げれば、津波のように束になって襲いかかる白骸たちと目があった。


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Tips

◇召喚獣

 “霊核”を用いて呼び出した下僕。ダメージを受けて死亡した場合も“霊核”が無事ならば再度召喚することが可能。基本的に能力の高い召喚獣を召喚するためには希少な“霊核”を必要とし、逆に言えば安価な“霊核”を用いて数を増やすことも可能。


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