第327話「領域の中で」

 脆く崩れる骨片を蹴り、ラピスラズリの下へと向かう。

 彼女は柔らかな前髪の隙間からこちらを見下ろし、赤い唇を緩やかに曲げた。


「領域呪術、『粘り泥』」


 たった一言。

 その瞬間、足下の地面がどろりと溶けてまとわりついた。


「なんっ!?」

「うふふ。いい顔ですね、うっとりしちゃう」


 槍を地面に突き刺して耐える俺に、ラピスラズリはクスクスと笑う。

 どうやら地面がトリモチのようになったのは彼女のせいらしい。


「この“禁忌領域”内では、私は様々な呪術が即時的に使えます。今は夜なのでその効果は底上げされていますし、あまり勝ち目は無いと思いますよ?」

「言ってろ。――『起動』」


 五匹の小蜘蛛を展開し、張り巡らせた巣の上に親蜘蛛を乗せる。

 それに手を掛けて登りながら槍の切っ先で粘り着く骨片だったモノをそぎ落とす。


「自分の足で走れないなら、こうするだけだ」


 浮蜘蛛システムを起動する。

 こちらの方が機動力で言えば上なのだ。


「『雷槍』ッ!」

「領域呪術、『断ち壁』」


 急接近して突き出した槍は雷を纏って呪術師の胸元を狙う。

 しかしそれは突然立ち現れた薄い黒壁によって阻まれる。


「なんでもありか!?」

「この中に限っては」


 一転攻勢。

 ラピスラズリは地面から鋭い牙を突き出すレティの『貪咬連牙』に似た攻撃を放つ。

 浮蜘蛛を繰りそれを避け、距離を取る。


「『転斬の呪符』」


 背後から光の輪が飛び出した。

 それはジグザグな軌道を描いてラピスラズリへと接近し、直前で現れた黒壁に阻まれる。


「チッ。反応だけはいいですね」


 憎らしそうに舌打ちするのは、何枚もの札を指に挟んだぽんだった。


「二人の戦いに手を出すなんて、行儀がなってないのでは?」

「もとより多対多の戦いです。誹りを受ける覚えはありませんよ」


 二人の少女が激しくにらみ合う。

 どうしてそこまでライバル視しているんだか。


「先ほどハガネへ救援要請を送りました。外から応援が来るまで、なんとか時間を稼ぎましょう」

「分かった。なんとかしてみよう」


 互いに頷き、行動を再開する。

 俺は浮蜘蛛に乗ってラピスラズリへと接近を試み、その間にぽんは後方からの妨害を始めた。


「血の気が多いですね。少し頭を冷やしなさい」


 ラピスラズリは肩を竦め、銀の杖を地面に突き付ける。


「領域呪術、『黒冷風』」


 彼女が軽く息を吐き出す。

 それは黒い霧となって広がり、極寒の風が俺たちを襲う。


「寒ッ!?」


 風から逃れようと進路を変えるも、冷気は執拗に後を追ってくる。

 ぐるぐると自分の周囲を回る俺を見てラピスラズリは愉悦の表情を浮かべた。


「『業火の呪符』」


 そこへ白い呪符が放たれ業炎の柱を立ち上げる。

 冷気はたちまち霧散し、ラピスラズリはむっと眉を寄せる。


「領域呪術、『凍結雨』」

「呪陣展開、『業炎円舞』」


 領域の空に黒雲が渦巻き、氷の雨が降りすさぶ。

 かと思えば次の瞬間には至る所から猛火が吹き出し分厚い雲を霧散させる。


「領域呪術、『嵐龍の吐息』」

「『横たわる大壁』ッ!」


 剛風が打撃となって迫り来る。

 まともな防御手段を持たない俺とぽんの身体が固まった時、巨大な障壁が立ち上がって風を阻む。


「私のことも忘れないでよね!」

「エイミー、助かった!」


 ギリギリ間に合ったと額の汗を拭うエイミー。

 頼れる盾役に歓喜の声を上げると、彼女は軽く手を挙げてそれに応じる。


「ッ!? カルパスは?」

「ホタルちゃんがいじめてるわよ」


 驚愕に目を開いてラピスラズリが周囲を見渡す。

 少し離れたところで再び縄で拘束されたカルパスが、湿っぽい笑みを浮かべたホタルによって頬を突かれていた。


「うへへ。どうです? 今どんな気持ちです?」

「いいから一思いにやれぇ!」


 緊迫感のない二人のやり取りを見て、一時俺たちまで緊張が抜ける。


「私みたいな物理防御特化の盾役には相性悪かったわね。すぐに転がっちゃったわ」

「情けない……。まあいいです、三対一でも構いませんよ」


 余裕の表情で挑発するラピスラズリ。

 エイミーがガツンと勢いよく盾拳を打ち付ける。


「――いや、一対一で大丈夫だ」


 睨み合う二人に申し訳なく思いつつ口を開く。

 怪訝な顔をするラピスラズリに向かって、俺は最後のテクニックを発動させた。


「『罠発動』、シルバーストリング」


 超速で放たれる銀の鋼糸。

 それは彼女の反応を越え、一瞬で絡みつく。


「っ!? これは――」

「いつ見つかるかと思ってヒヤヒヤしたよ。カルパスが骨片をばら撒いてくれて助かった」


 雁字搦めにされたまま瞳孔を開くラピスラズリ。

 俺はゆっくりと彼女へ近付きながら言う。


「目には目を、ってことで“領域”には“領域”で対抗してみた」


 ラピスラズリを囲むように打たれた五本の杭。

 彼女の操る暴風雨から逃げながら設置して、周囲に積もる骨片で覆い隠していたものだ。

 それによって俺は〈罠〉スキルの“領域”を完成させ、各地に配置させた小蜘蛛から銀糸を飛ばし彼女を拘束することに成功したのだ。


「そもそも罠ってのは敵に見つからないように設置して、不意を突くもんだからな。こっちの方が正統派な使い方だぞ」

「くっ!」


 逃れようと藻掻くラピスラズリ。

 しかしそのたびに糸はキツく絡みつく。

 昨日の反省を活かして銀糸を伸縮性のあるものへ変えたのだ。

 例え瞬間的に身軽な服装へ変わったとしてもすぐにキツく締まって逃さない。

 もっとも、ラピスラズリは柔らかい修道服なのでそこまで心配することも無さそうだが。


「まあ、安心しろ。そこは俺の領域内だからな、俺の方が強い」

「うぐぐぐぐっ」


 悔しげに唇を噛むラピスラズリ。

 彼女はキッと俺を睨み付けるが、こちらからは攻撃しない。

 俺たちは応援を待つだけでいいのだから、反撃の危険をおかしながら彼女を倒す必要は無い。


「応援が来て領域の壁を壊すまでそうしててくれ。なんなら領域解除してくれてもいいんだぞ」

「誰がするもんですか! せいぜい時間を浪費してなさい」


 頬を膨らませるラピスラズリの意志は堅い。

 仕方ない、と俺は彼女から少し離れたところに座り込んだ。


「しかしまあ、よくこんなモン思いついたな」


 空を覆う薄墨色の障壁を見上げて言う。

 並の戦闘力では打ち壊せないような堅固な壁で、その内側での彼女は無類の強さを誇っていた。

 こうして不意を突いて拘束できなければ、最終的に負けていたのは俺たちの方だっただろう。

 尊敬の意味を込めて言葉を零すと、ラピスラズリは芋虫のように身体を動かして体育座りの体勢を取った。


「――あまり褒めないで下さい。私が考えたものじゃありませんから」

「そうなのか?」


 ぽつりと口を開くラピスラズリに驚く。

 彼女が広く名を知られるようになったのは、この“禁忌領域”を独自に開発したからだった筈だ。


「私が“禁忌領域”を開発できたのは……ある意味で答えを知っていたからです」

「というと?」


 首を傾げて次の言葉を待っていると、彼女は俺と視線を合わせた。


「俺?」

「はい」


 自分を指さして目を丸くすると、彼女はこくりと頷く。


「レッジさんのブログ、いつも拝見してます」

「え、ああ。ありがとうございます」


 唐突に愛読宣言をされて戸惑いながら感謝する。

 彼女もぺこりと頭を下げて、一気に空気が弛緩した。


「……何あれ?」

「さあ?」


 少し離れたところでぽんとエイミーが顔を見合わせている。

 彼女たちも混乱しているようだ。


「そこで、レッジさんが〈罠〉スキルと〈野営〉スキルを融合させていたことを知りまして」

「浮蜘蛛のことか」


 彼女は頷く。

 俺がネヴァと共に開発した“浮蜘蛛”システムは〈罠〉スキルと〈野営〉スキルを複合させた代物だから、確かに彼女の“禁忌領域”と似ていると言えなくもないか。

 それにしても、三術スキルは元々情報の乏しい分野だった。

 それを研究して他のスキルと融合させるのはかなり大変だったはずだ。


「〈罠〉と〈野営〉はどちらも“土地”に作用するタイプのスキルです。そして私は〈呪術〉も同じく“土地”に作用することに目を付けたんです」

「なるほどなぁ」


 彼女の解説を聞いて納得する。

 大規模複合呪義の際、術師たちが朧雲の上にズラリと篝火を並べたのを思えばよく分かる。

 〈呪術〉スキルもまた一つの“土地”に固定されて効果を発揮する側面を持っており、だからこそ〈野営〉スキルと同じく〈罠〉スキルとの親和性が高かったのだろう。


「なので、ずっとレッジさんと戦いたかったんです」

「ええ……。なんでそうなるんだ」


 突然論理が飛躍して驚く。

 すると彼女は不思議そうな顔でこちらを見返した。


「レッジさんの“浮蜘蛛”と、それを参考にした“禁忌領域”。どっちの方が強いか知りたくないですか?」

「どっちも違ってどっちも良い、でいいんじゃないかな」


 そう言うと、彼女はそうはいきませんと憤慨する。

 手足を拘束されているためもぞもぞと動くだけだが、随分と感情が身体に出るタイプらしい。


「まあ、結果は私の負けでしたが」

「俺も随分卑怯な勝ち方だったと思うんだが」

「それを言うなら、最初に不意を突いてレッジさんたちを中に入れたのは私ですから」


 骨の山の上で不毛な争いをする俺とラピスラズリ。


「ともかく、改めてレッジさんのデタラメさを思い知りましたよ。思い上がっていたところをぶちのめされました」

「人聞きが悪いなぁ」

「感謝してるんですよ。もっと私の領域を磨きたいと思ってますから」


 そう言ってラピスラズリは可憐に笑う。

 今までとは違う、年相応なあどけない笑顔を見て、俺は思わずはっと息を呑んだ。

 その時、鋭い音と共に“禁忌領域”の天頂に白い罅が走った。


「外敵!?」

「おっと、迎えかな?」


 俺たちが視線を向ける中、罅は放射状に広がっていく。

 ドン、ドン、と重い打撃が繰り返され、大地が揺れる。


「これは、持ちませんね……」


 ラピスラズリが諦めた声で言った丁度その時、盛大な音と共に領域が砕け散る。

 バラバラとガラスのように割れる破片は、空中で煙のように消えていく。


「――レッジさぁぁぁぁぁああああんっ!」

「おお、レティか! 待ってたぞ!」


 障壁の上から飛び込んできたのは、黒鉄の鎚を持った赤髪の少女。

 レティに向かって大きく手を振ると彼女は燃えるような瞳でこちらを睨み付けた。


「……うん?」


 不穏な気配を感じ、眉をひそめる。

 そんな俺に向かって降ってくるレティは、重い鎚を高く振り上げる。


「ちょ、レティ!?」

「女の! 敵ぃぃぃいいい!」


 えっ。

 唖然とする俺が最後に見たのは、超速で降ってくる味方からの打撃だった。


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Tips

◇禁忌領域

 〈呪術〉スキルの呪儀体系を〈罠〉スキルの領域指定能力と融合し、強力な空間支配能力を獲得した新しい戦闘概念。発動には入念な準備と多量のエネルギーを必要とするものの、一度発動させ、対象を内部に入れてしまえば術者の有利は圧倒的なものとなる。

 禁忌領域内部において、術者は無尽蔵の術式行使能力を獲得し、呪言の放棄による瞬間的な術式発動が可能になる。


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