第295話「境地へ至る覚悟」
地下坑道20層の主は腐肉の散乱する中で蠢く大百足、24層の主は浮蜘蛛と同じほどの大蜘蛛の群れだった。
階層を下るごとに立ちはだかる原生生物の強さも増していき、特に24層の大蜘蛛戦はレティとトーカが苦手とする対多数戦闘であったこともあり、かなりの苦戦を強いられた。
しかしそこは地獄のヴァーリテイン戦を乗り越えた歴戦の猛者たちだった。
俺たちはなんとか欠員を出すことも無く、現在の最前線――地下坑道第25層へと到達することができた。
「し、死ぬかと思いました……」
「蜘蛛はビジュアル的にも精神的に来るものがありますね」
黒鉄を杖代わりにしてよろよろと歩くレティに、トーカも苦笑して頷く。
大蜘蛛――〈
タランチュラのように深く毛の生えた脚を蠢かせ、暗がりの中から妖しく赤い眼を光らせる大群が波のように押し寄せるのはかなり恐怖感を煽られた。
「あればっかりは、ラクトとレッジさん様々でした」
「俺たちだってエイミーが防御壁である程度数を絞ってくれなかったら押し切られてたさ」
アダラ戦ではエンムでの憂さ晴らしをするかのように、ラクトとエイミーが張り切っていた。
押し寄せる大群をエイミーが頑丈な装甲によって阻み、僅かに開けた隙間から現れるものを俺とラクトが持てる範囲技の全てを使って撃退する、という戦法を取ったのだ。
「ともあれ、こうして無事に25層に辿り着けて良かったです」
「これで第一目標は達成できましたね」
上層とは打って変わって、土と岩盤が露出し固い巨岩がごろごろと転がっている坑道を見つめ、トーカたちが言う。
明らかに整備の追いついていないこの場所が、現在俺たちが到達できている最深層だ。
「25層からはエンム、カリヤ、アダラの仔に加えて新しい原生生物も出てくるようです。――えっと」
「爆弾蜂と白目蝙蝠ですね。蜂は範囲攻撃の自爆特攻に、蝙蝠は麻痺毒の噛み付きに注意して下さい」
wikiを確認しようとするレティの隣でトーカが諳んじる。
流石と言うべきか、階層主だけでなくどの原生生物がどの階層から現れるのかもしっかりと覚えているらしい。
『なァ、本当に進むのか?』
しもふりから物資を補給しつつ出撃に向けて休息を取っていると、アマツマラが歩み寄ってきた。
彼女は僅かに眉を寄せ、目を伏せている。
「当然そのつもりですが、何かありましたか?」
傷やへこみを付けて耐久値を減らした黒鉄を応急修理用マルチマテリアルで修復しながらレティが答えると、アマツマラはしばらく口の中で言葉を転がす。
『アンプルも、ナノマシンももうあんまり無いだろ。マルチマテリアルもそれが最後だ。それなのに原生生物はいくらでも出てくるし、ドンドン強くなってる』
言いにくそうに言葉を絞るアマツマラ。
彼女は、俺たちの物資が道中で消し飛び、危険になっているのを案じているようだ。
「まあたしかに、物資は予想より早いペースで減ってますね」
「エネミーの数が多くて上手く捌ききれないのよね」
「黒蟻もだんだん固くなってきて、上手く狙わないと弾かれることもでてきましたし」
三体の階層主を倒し、俺たちは25層へ到達した。
しかしその道中は決して快進撃とは言えない、むしろ細い紐の上を歩くような限界の間際でやっとここまでやってきた。
仮にも最前線、歴戦の攻略組たちが決死の覚悟で切り開いた境地だ。
俺たちは彼らが無数の命と大量の物資を消費して拾い集めた情報によって守られながらやって来た。
それでも、この少人数では全員が普段以上の力を出さなければここまでやって来ることすらできなかっただろう。
――当然、この先には更に深く冷たい闇が待ち構えている。
「でもまあ、折り込み済みです」
あっけらかんとレティが言う。
ぽかんとするアマツマラに、トーカたちも頷く。
「私も最前線を甘く見ている訳ではありませんよ。スキルは80以上のキャップ開放手段が見つかってないのでさほど変わっていませんが、他の事――立ち回りやテクニックの熟練度、ディレイ計算、装備、アイテム、あらゆるものを見直し、用意しなおして挑んでいます」
「坑道に入ってからも休憩のたびにアーツを組み直して最適化してるしね。レッジが解体してる間もぼんやりしてるわけじゃないんだから」
「蟻と蜘蛛と百足と蚯蚓と蛞蝓。ここまで出てきたエネミーの行動パターンは全部覚えたわ」
危険であることなど、トーカがこの挑戦を持ち出した瞬間に知っていた。
だからこそ彼女たちは現在できうる限りの準備をし、考え得る限りの改善をし続け、最大限神経を研ぎ澄ませ、ここまでやってきたのだ。
仮にもここは攻略の最前線。
しかし彼女たちもまた、歴戦の猛者なのだ。
『アマツマラ。私たちはあまり意見を出してはいけません。調査開拓員の意志は最大限尊重されるべきです』
『イエス。今回ばかりはウェイドの言うとおりです。ワタクシたちはレッジたちを信頼し、その雄姿を見守ることが成すべき事でしょう』
姉妹たちにも諭され、アマツマラは引き下がる。
『あたしたちは特別頑丈だからな。収集したデータのバックアップもずっと取ってる。だから何かあった時は見捨ててもいいんだからな』
これだけは言っておきたいとアマツマラが口を開く。
確かに彼女たちは俺よりも遙かに頑丈で、仮に破損してもデスペナルティは発生しない。
しかし、
「……大丈夫。そんなことは、させない」
管理者たちの護衛を務めていたミカゲがアマツマラを見下ろし言う。
彼もまた、最前線へ至る道程を彼女たちに見届けて貰うため、確かな意志を持って彼女たちを守っているのだ。
「レッジさん、準備できましたよ」
「こっちも良いよ」
「いつでも行けます!」
束の間の休息が終わる。
俺がテントを片付けた瞬間、ここは戦場に変わるだろう。
「じゃあ出るか」
テントを片付ける。
回復効果、威嚇効果が消え、坑道の暗闇が周囲を包む。
機械槍のランタンに明かりを点けて視界を確保する。
「早速来ますね。足音が多すぎて数は分かりませんが、蜘蛛と百足の足音、細かい羽音も聞こえます」
「爆弾蜂ですね。気をつけて早めに消しましょう」
坑道の奥から足音。
俺たちの耳にも捉えられるほどに近付いた瞬間、すっかりパターン化してしまった自己強化を施す。
「来ました! 先頭は百足です!」
ランタンに照らされた地面に転がり出てきたのは2メートルほどもある大百足。
鋭い顎を打ち鳴らし、頭を持ち上げて襲いかかる。
「『一閃』ッ!」
「『破壊打』ッ!」
前に出たトーカとレティによる立て続けの連撃。
的確に急所を穿たれた大百足はその二撃で斃れる。
「――『
二人の頭上スレスレを氷の矢が掠める。
それは暗闇の中から飛び出してきた、大きな蜂の頭を吹き飛ばす。
「あれが爆弾蜂ね」
「お腹の中に爆発する体液を蓄えているようです。強い衝撃は与えず、頭を落として倒して下さい」
「無茶言うね!」
トーカの声に悲鳴を上げながらも、ラクトは的確な射撃で爆弾蜂を撃ち落としていく。
「『
一瞬の煌めきと共に、襲いかかってきた蜘蛛が殴り飛ばされる。
暗がりの奥からは無数の原生生物が続々と現れる。
「『
ラクトのアーツが発動し、原生生物の群れを凍結させる。
「『大波衝』」
先頭の氷像をエイミーが殴る。
その衝撃は扇状に広がり、後続諸共吹き飛ばす。
「『迅雷切破』――」
押し退けられた群れの中へ紫電が飛び込む。
強く地面を蹴り、瞬間的な加速で接近したトーカが刀を引き抜く。
「彩花流、抜刀奥義」
一度の斬撃で大きく怯んだ原生生物たちを睥睨しながら、彼女は刀を鞘に納める。
そうして低く腰を落とし力を十分に溜め、低い声で言葉を紡ぎ出す。
「――『百花繚乱』ッ!」
かつてただ一つの存在のため、彼女が極限まで研ぎ澄ませ覚醒した剣技。
無限に引き延ばされた刹那の中で斬撃を重ね繰り出す。
音を越え、光に迫る最速の抜刀。
無差別な斬撃は鮮やかな花のように咲き乱れ、周囲の存在を細切れにする。
「っ! 新しい群れが合流します!」
「間髪入れずですか。なかなかですね!」
トーカによって群れが壊滅したのも束の間、レティの声が坑道内に反響する。
伝わってくるのは無数の足音。
つい先ほどの群れは単なる前哨戦にしか過ぎないのだと、その力強さで思い知らされる。
「『呪杖展開』『呪杖結界』――」
呪符に包まれた杖が宙に浮かび、俺たちの前に現れる。
背後に目をやれば、狩衣に装いを換えたミカゲが刻印の刻まれた忍刀を構えて立っていた。
「俺も間に合うかね……。『領域指定』」
彼がその気ならば俺も負けてはいられない。
足音の迫る中で杭を立て、領域を広げる。
罠を工夫している暇は無い。
最も使いやすい地雷を投げるように置いていく。
「来ますよ!」
その声と同時に、明かりの下へ群れが現れる。
先ほどとは規模も勢いも桁違いの凶暴な集団だ。
「――『黒雷衝』」
坑道全体を揺るがすような衝撃が走る。
黒い雷が群れを貫き蹂躙する。
「『侵入検知』」
ギリギリのところで俺の準備も整う。
その瞬間、雷撃をものともしない強靱な百足たちが領域に入る。
立て続けに五つの爆発が広がり、固い甲殻を焼き焦がした。
「彩花流――」
「咬砕流――」
そして、爆炎と黒煙の残る戦場へ、彼女たちも勇猛果敢に飛び込んだ。
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Tips
◇八百眼のアダラ
長い年月、過酷な環境の中で生き抜いた影縫い蜘蛛の群れ。緻密な連携により群れ全体で一つの生物のように動くことから、群れそのものに一つの名が与えられた。高度な社会性と残虐な生存本能を併せ持ち、弱った同族をためらいなく喰らうことで力を回復し群れの勢いを保つ。
不用意にもその巣に立ち入った者は、漆黒の闇に浮かぶ無数の赤い眼に襲われ飲み込まれる。
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