第289話「濡れ兎と飛ぶ魚」
身体を丸ごと引きずり込まれそうな程の強い力。
反射的に両足を突っ張り何とかそれに抵抗し、慌ててレティに助けを求めた。
「レティ、手伝ってくれ!」
「は、はい!」
二人がかりで竿を握り、糸の先の相手と格闘する。
まるでウィンチでも使っているかのような強引さだ。
「絶対手を離すなよ! 糸や針が切れても良いが、竿を持って行かれたらおしまいだ!」
イソヲの声に頷いて、懸命に竿を引き戻す。
しかし向こうの力が強いのか、そもそもの〈釣り〉スキルレベルが足りないのか、まだルーレットが出ていないにもかかわらず既に負けそうだ。
手の感覚があやふやになってきた時、ようやく目の前に赤と黄色のルーレットが現れる。
「レッジさん!」
「分かってるさ」
やはりスキルレベルが圧倒的に足りないのだろう。
ルーレットは殆ど真っ赤に染まっていて、黄色いマスは雀の涙ほどもない。
しかし、ここで失敗すればまた投げるところからやり直しだ。
針や糸も付け直さなければならないだろう。
「ふっ!」
ルーレットのカーソルに合わせ、竿を持ち上げる。
一度目は無事にヒットマスに入り、釣りの攻防は継続される。
「これ何回やるんですか!?」
「分からん。距離があるから結構掛かるぞ」
ルーレットを成功させると魚が若干岸へ近付く。
そうやって徐々に距離を詰めて、釣り上げるところまで何回もルーレットは現れる。
「さあ、次だ!」
現れたルーレットをしっかりと見定め、タイミング良く竿を引く。
竿が折れそうな程にしなり、糸はぴんと真っ直ぐに張り詰めている。
三度目のルーレット。
「うぉぉぉおおっ!」
四度目、五度目、と立て続けに成功させていく。
ルーレットの難易度自体は回数を経ても変わらないのが幸いだった。
段々と素早く回るカーソルの動きにも目が慣れてきて、多少の余裕も出てきた。
「六回目ぇ!」
竿を立てる。
その時、ようやく遠くの水面が荒々しく白波を立て、細長い銀色の背びれが覗き見えた。
「レッジさん、見えましたよ!」
「こっちでも確認した。後もう少しだ」
レティと共に竿を握り、思い切り引く。
七回目のルーレット成功で身体の半分が現れた。
銀色に輝く鱗も合わせ、なんとも雄々しい姿だ。
「さあ、もう一度!」
更に竿を引く。
僅かに短剣魚が海面を跳ね、腹びれを見せる。
それもまた鋭利に研がれたナイフのようで、全身が凶器で包まれていることが確認できた。
「もう少しだぞ。気を張れよ」
「ああ。イソヲとワダツミは少し離れててくれ」
声援を送るイソヲたちに声をかけ、距離を取って貰う。
あの魚が埠頭で暴れれば二人の身にも危険が及ぶ可能性があった。
「次の引きで、釣り上げる――ッ!」
ルーレットを睨み、時間を待つ。
三角形のカーソルが赤に挟まれた僅かな黄色へと飛び込んだ瞬間を逃さず、竿を引く。
「っ! どっちだ!?」
緊張からか僅かにタイミングがずれる。
カーソルが示したのは赤と黄の丁度狭間で――
「くぅ、糸が!」
イソヲの残念そうな声。
次の瞬間、ぷつりと糸が切れる。
背中から倒れ落ちながら絶望感に目を閉じようとした、その時だった。
「まだですよ!」
軽やかに地面を蹴り、レティが海へと跳躍する。
その視線の先には空中で身を捩る銀色の大魚の姿――
「だぁぁぁあああああっ!」
空中で身を捩り、黒鉄の巨鎚を瞬時に取り出す。
海面に背中を向けて限界まで伸ばした手の先に短剣魚の影を捉えた。
「――『フルスイング』ッ!」
鈍い衝撃。
影が真横を通り過ぎ、背後へと吹き飛ぶ。
少し遅れて水音。
慌てて立ち上がり埠頭の縁に駆け寄ると、レティがずぶ濡れになって浮かんでいた。
「おぼっ、おぼぼ……!」
「レティ!?」
「だ、だいじょうぶでず。多少の〈水泳〉ズギルばあるので」
じたばたと手足を動かしながら消波ブロックまで辿り着くレティ。
ひとまず無事な様子に胸を撫で下ろしていると、彼女がはっと顔を上げて口を開いた。
「レッジさん、魚!」
「おおっとそうだった!」
その声に慌てて背後を振り返る。
『フム。獲りました』
そこには両腕で短剣魚を抱え誇らしげな表情を浮かべるワダツミの姿が。
隣に立っていたイソヲは、勢いよく突っ込んできた大魚をしっかりと受け止めた彼女を信じられない顔で見下ろしていた。
「でかした、ワダツミ。これで
「ふぅ、一時はどうなることかと思いましたが……。無事に釣り上げられて良かったですね」
埠頭に登ったレティがぷるぷると顔を振って言う。
濡れそぼった衣服や髪はそのうちすぐに乾くだろう。
「最後の最後でちょっとルーレットを失敗しちまったな」
「いや、あの速度のルーレットを連続で決められるのが凄いだろ。兄ちゃんも噂に違わぬ実力なんだな」
僅かな苦みを噛み締めているとイソヲが大仰に首を振って寄ってくる。
一体俺の知らないところでどんな噂になっているやら、知りたいような知らない方がいいような。
「ともかく、この
「いいのか? 先に任務終わらせてもいいんだぜ?」
「一回釣れたってことは、何回でも釣れるってことだからな。ああでも全部釣り上げるまで居てくれたら、修理が楽で良いんだが」
幸い釣り餌はたっぷりと残っているし、そもそも短剣魚は複数匹釣り上げて納品する必要がある。
先にイソヲへ約束の謝礼を渡しても、するべき事はそう変わらない。
「オレとしては見てるだけでも面白いから、むしろ居させて欲しいくらいだが」
「じゃあ決まりだな。よし、レティ、もう一回やるぞ!」
「うええ。今度はちゃんと陸まで釣り上げてくださいよね」
釣り上げた短剣魚をイソヲに渡し、俺は身体の乾いたレティに声を掛ける。
ロッドホルダーに竿を置き、槍と解体ナイフを装備する。
「やっぱりそれ、普通の釣り方じゃないですよ」
「まあそうだろうなぁ。――さしずめ、風牙流漁法ってところか」
そんな冗談を言いながら針を飛ばし、竿に持ち替える。
「他スキルのテクニックで強引に飛距離を稼ぐか。風牙流以外の流派やスキルでも応用が効きそうだし、研究が加速しそうな気がするな」
「これは俺の〈釣り〉スキルが低いから無理矢理ひねり出した苦肉の策だぞ? 普通にルーレットの回数も増えるし、面倒じゃないか?」
「これだけ遠くに針を飛ばせる方法があるってだけでも十分大発見だぜ。釣り場は色々あるし、釣り師によって条件も色々変わる。手段はあるだけ嬉しいもんさ」
「そうなのか……」
釣りは本当に趣味程度でしか楽しんでいないため、イソヲほど界隈についても深くは知らない。
彼がそこまで熱弁するということは、つまりそういうことなのだろう。
今の時点ではっきりと言えるのは、これはブログの良いネタになるということだけである。
「おっ、早速来たな」
針を目的の海域に落としてしまえば短剣魚は簡単に食い付いてくる。
さほど待たずに二投目にも強い引きがあり、俺はレティと共に竿を持ち上げる。
「今度こそお願いしますよ」
「任せとけ。コツは掴んでる」
もう濡れたくないと念を押すレティ。
俺は自信満々に胸を張り、大丈夫だと判を押す。
「――あっ!」
「もぉぉぉぉお! なんでギリギリでミスるんですか!」
そうして二投目も無事レティは濡れ、フルスイングで打ち上げられた短剣魚はワダツミに回収されて終わった。
「つ、次こそは……」
「絶対ですからね!」
ぽたぽたと髪先から滴を落としながらレティが眉間に皺を寄せる。
今度こそ見誤って糸を切ったら、俺が海に突き落とされそうだ。
「ふふ、これが背水の陣か」
「――何か言いましたか?」
ぎろりと俺に視線を向けてくるレティ。
俺は震え上がり、必死に首を横に振って否定する。
「頼みますよ」
「はい……」
埠頭が刑事ドラマで犯人の追い詰められる崖っぷちのように見えてきた。
そんな緊張感の中で俺は竿をぎゅっと握りしめた。
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Tips
◇短剣魚
ナイフフィッシュ。三つの背びれと腹びれ、三対の胸びれを持つ大型の魚。全てのひれは縁が鋭利に尖っており、力強い突進によって獲物を切り刻むほか、港湾設備などにも無数の傷跡を付ける。大きな鱗も非常に硬質で、鎧などに転用することもできるだろう。
その身は上品で繊細な味。
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