第286話「猛毒団子」

 波間に揺れる黄色い浮きを見つめ、ぼんやりとした思考の中で精神を研ぎ澄ませる。

 海面に広がる別世界の中へ少しだけ伸ばした手に、向こうの住人がゆっくりと近付くのを辛抱強く待つ。

 彼らは臆病だ。

 しかし好奇心旺盛でもある。

 ゆっくりと慎重に、しかし着実に、彼らは唐突に現れた異物へと近付いてくる。

 それが、自分たちの食欲を誘う匂いを放っているのならばなおさら興味をそそられ、警戒心は薄らいでいく。

 そうして最後には欠片ほどの理性もなくし、一心不乱に欲望のまま食らいつき――


「ほっ! っと、釣れた釣れた。良い感じだな」


 竿を持ち上げ、釣り糸の先にぶら下がった銀色の魚を掴む。

 ワダツミ港湾地区の埠頭は船を出さずとも海釣りが楽しめるポイントということもあり、周囲には釣り人の姿も多い。

 そんなライバルばかりの場所でも俺の釣り竿には順調に美しい流線型の魚が掛かってくれていた。


「なにやってんですか、レッジさん」


 地面に置いた銀鱗魚シルバーフィッシュを手早く解体していると、退屈そうな顔をしたレティとワダツミが俺を見下ろしてきた。


『フム。商業地区の釣具店でエサを買い、こうして釣りを楽しむことが、どうして任務の遂行に繋がるのでしょうか』

「ワダツミちゃんもこう言ってますし、そろそろ説明してくれてもいいのでは?」


 むっすりとしたレティに迫られ、俺も頷く。


「分かった分かった。

 ――よし、そうだな。レティ、もし自分の家に鼠が出たらどうする?」

「え? ぶっ叩きますけど」

「……えっと」


 予想の斜め上の解答が来て思わず言葉に窮する。

 ていうか彼女は普段からそんな感じなのか?


「あっ、誤解しないでくださいね。別に中身を漏らしたりはしませんよ。良い感じに意識を刈り取るくらいの絶妙な力加減で――」

「いやいい。ごめんな。なんでもないんだ」


 彼女は慌てた様子で更なる説明をしてくるが、恐らく本質はそこではない。

 ともかく、とレティの言葉を遮って説明を続ける。


、俺のところでは大体ネズミ取りや殺鼠剤を仕掛けて対処する」

「サッソザイ?」

「ま、まさか存在すら知らないのか……。そのまんまネズミを殺す薬剤だよ」

「――ああ! あれって殺チュウ剤じゃないんですか!?」

「……。あれはサッソザイって読むんだ、覚えておいた方が良い」


 なぜだろう。

 思ったように話が進まない。


「話を戻すぞ。とりあえず、ネズミが出たなら罠を仕掛けるんだ」

「罠……。なるほど、そういうことですか」


 ようやく納得してくれたようで何よりである。


「でも、それと魚釣りに何の関係が?」

「今回は殺鼠剤を作ろうと思っているんだが、それなら向こうがバクバク食べてくれるものを材料にした方が良いだろう? 濡れ鼠の主食は魚らしいからな」


 完全にwiki情報であるが、集合知は有効に使うべきだろう。

 濡れ鼠シーラットは肉食よりの雑食で、その生息環境から魚や貝といった海の生物を好んで良く食べるようだ。


『ウーム。つまり魚肉の毒団子を作る、ということですか』


 ぴこん、と頭上に電球を点灯させたような顔でワダツミが言う。


「そういうことだ。ネズミ取りは〈鍛冶〉系のスキルがいるが、毒団子なら俺の〈料理〉スキルでも作れるらしい」


 テントで簡単なレトルト食品を作るだけのスキルではないのだ。


「ともあれ材料も十分集まったし、場所を変えよう」


 俺は埠頭を離れ、二人を引き連れてワダツミの生産広場へと場所を移動する。

 生産広場というのはベースラインに含まれる施設の名称で、駆け出し生産者が使える初級の生産設備が揃えられた露天広場のことだ。


「えーっと、材料はポイズンアンプルと魚肉と匂い消しのハーブと……」


 俺は早速〈料理〉スキルに必要なまな板とコンロの備わった調理台に向かい、wikiのレシピに書かれた材料を取り出していく。

 ポイズンアンプルは〈調剤〉スキルで作製する生産アイテムだが、手軽に強力な原生生物を毒状態にして体力を削れるため〈投擲〉スキルや〈罠〉スキルを持ったプレイヤーがよく使っている。

 需要も安定しているから大抵の町の市場で薬剤師が販売しており、価格的にも数を揃えやすい。


「お、ちゃんと作れるな」


 調理台に全てのアイテムを置き、無事にウィンドウが出たのを確認してひとまず安堵する。

 適切なスキルレベルを満たし、材料を調理台に乗せて、生産開始のウィンドウが出れば作業が始められるのだ。


「まずは魚肉を細かく切って叩いていく」


 まな板に並べた銀鱗魚を鱗すら取らずに包丁で叩き潰していく。

 原形を止めずミンチ状になるまで、ウィンドウに表示されたリズムに合わせてタイミング良く叩く。


「これって料理なんでしょうか……」

『フム。料理の定義は材料に手を加えて食べ物をつくることらしいので、料理といって差し支えないでしょう』

「その食べ物、食べたら死ぬ団子なんですが」


 後方でレティとワダツミが何やら話しているが、こちらは要求レベルギリギリということもあり構う余裕がない。


「次はミンチにポイズンアンプルを練り込んでいく……」


 アンプルのキャップを開けて、どろりとした濃い紫色の液体をミンチに振りかける。

 今回用意した毒薬は少し上等なデドリー・ポイズンアンプルというものだ。


「レティ、あのまな板もう使いたくないです……」

『ワイ? 生産行動が終了すれば設備は完璧に清掃されます』

「そういう問題じゃないです」


 白い魚のミンチの色が紫色になったところで、用意していたハーブを追加する。

 これは毒の臭いを消して、カモフラージュするためのものだ。

 ハーブを加えて更にタンタンと叩いていると、そのうち水気が飛んで固まってくる。

 そこまできたら包丁を置き、手のひらで小さく丸めれば完成である。


「ふぅ。なんとか無事に完成したな」

「見た目は完全に毒団子ですねぇ」


 できあがったのは魚肉の猛毒団子というアイテム。

 食べると30秒間LPの自然回復速度が僅かに上昇するバフと、30分間LPが猛烈に減少するデバフが付く。

 デバフの方が効果量は上なため、バフはほぼ無意味だが。

 どす黒い紫色の団子で、ビジュアルからは全く食欲をそそられない。


「それじゃ、後はこの団子をトンネルにばら撒くだけで完了ですか。簡単ですねぇ」

「いや、それだと効果が薄い。団子一つだと致死性が高すぎて即死するからな」

「……えっと?」


 俺は調理台から離れず、更にインベントリから素材を取り出していく。

 〈冥蝶の深林〉に棲む幻惑蝶の鱗粉や、〈岩蜥蜴の荒野〉で採れる痺れ草の根、他にもいくつかの素材を吟味し、団子に練り込んでいく。

 当然団子のサイズも大きくなっていくため一つを十程度まで分割し、ネズミでも食べやすく、それでいて十分な効果が得られるサイズに調整する。


「あれ本当に料理なんですか? 〈調剤〉スキルの領分なのでは……」

『ノープロブレム。包丁とまな板、鍋を使っているので〈料理〉の適用範囲内です。レッジの場合、〈罠〉スキルと〈家事〉スキルによる補正も加えられているようですが』


 神経毒と幻覚剤、臭い漏れ防止の甘藻をグツグツと煮詰めたドロドロの液体で団子をコーティングする。

 そうして出来上がったのは俺謹製の毒団子である。


「よし、仕込みは上々。さあトンネルに戻るぞ!」


 一度製作に成功すれば、以後多少品質は落ちるものの纏めて大量生産が可能だ。

 十分な量を用意して振り返ると、そこにはげんなりとした表情のレティが。

 彼女の足下には憮然とした顔の白月も並んでいる。


「どうしたんだ?」

「……いえ、なんでもないです。レティ、しばらく魚肉団子は食べられないかも」


 よく分からないが、まあいい。

 俺はレティとワダツミを連れて地下トンネルへ続く扉へと戻る。


「あれ、扉が直ってますね?」

『オフコース。ワダツミの破損箇所は直ちにメンテナンス用NPCが修繕しますので』


 仕事が早いでしょう、とドヤ顔でワダツミが言う。

 破損したまま放置すれば地上に濡れ鼠が出てくることになるから、対処の優先度も高いらしい。


「よし、入ろうか」


 電子ロックを解除してトンネルの中に入る。

 機械槍のランタンに火を灯し、慎重に歩みを進める。


「毒団子はどこに配置するんです?」

『トンネルの各所に、“巣”が確認されています。権利の私的利用に抵触するため具体的な場所までは案内できませんが、探せばすぐに見つかることでしょう』


 残念そうな声で言うワダツミ。

 しかし俺は首を振り、水気のない乾いた場所に纏めて団子を積み上げた。


「これでいい。戻るか」

「ええっ!? いいんですかこんな乱暴に置いちゃって」

『フムム? これでは効果が薄いのでは』


 困惑する二人に向けて俺は説明する。


「この団子には元々の毒に加えて弱い麻痺作用と強い幻覚作用のある毒が入ってるからな。一匹でもこれを食べてくれたら、そいつが群れに戻ってこの団子の山の存在を教えてくれるって寸法だ」

「な、なるほど……?」

「更に言えば毒は鼠の体内にも残るからな。もし濡れ鼠がどっかのナメクジみたいに仲間の死体も食べるなら、それだけで効果がある」


 一応まだまだ量産もできるし物は試しだ。

 俺たちは団子の山をトンネルに残し、外に出る。


「いつ頃確認に戻ればいいんですかねぇ」

「あれも一応〈罠〉スキルで仕掛けてるからな。効果があれば俺の方に通知が来るさ」


 団子を喰った鼠が群れに戻るまでの時間を稼ぐため、毒はわざと効果を遅効性に調節している。

 結果が出るまでには少し時間があるだろう。


「レティ、ワダツミ。少し商業地区でも見て回ろうか」

『アグリー。とても良い提案です』

「あ、レティも良いと思いますよ!」


 暇つぶしも兼ねて、俺たちは再び商業地区へと繰り出す。

 今度は毒団子の材料集めではなく、自由気ままなウィンドウショッピングだ。


「ワダツミはやっぱり、海産物を扱う店が多いな」

『オフコース。それがワタクシの自慢ですので』


 彼女が可愛らしく胸を張る。

 商業地区には新鮮な生の魚を扱う鮮魚店から、昆布や海苔を並べた乾物屋まで、多様な店が軒を連ねている。

 中にはウミヘビ専門店などという変わり種まで。

 一方でまだ準備中の札が掛かっている建物も多く、まだまだ発展の余地があることを感じさせる。


「こういうユニークショップの内容も、ワダツミちゃんが全部考えてるんですか?」

『イエス。それがワタクシの仕事ですので』

「はえー。やっぱりなんだかんだ言って凄いんですね、管理者っていうのは」


 コクリと頷くワダツミ。

 レティは耳をピンと立てて彼女の旋毛を見下ろした。


『フフン。ワタクシはワダツミの管理者故に、ワダツミの隅々まで把握しています。むしろ、把握し管理することがワタクシの存在理由ですから』

「……なのにこうして出歩く暇があるんですね」

『これも仕事の一環です。コミュニケーション経験を深めることは今後のプランにも深く関わっていますから、重要かつ急務であると判断しています』

「ほんとですかぁ?」


 つんと澄ましたワダツミに、レティが猜疑の目を向ける。

 ともあれワダツミが以前よりも格段に喋りやすくなったというか、人間味の溢れる言葉遣いになったことは確かだ。

 まだ俺たちとしか関わっていないはずだが、随分と学習し適応するのが早いのは流石都市機能を司る中枢演算装置と言ったところか。


「おっ、効果が出たみたいだな」


 店を巡り商品を見ていると、システムログが怒濤の勢いで流れ始める。

 どうやら作戦は上手く行ったらしい。


「早く戻って確認してみましょう!」

「そうだな。行こうか」


 胸躍らせるレティに言われ、俺たちはトンネルへと舞い戻る。

 仕掛けた毒団子は僅かな食べ残しも残さず綺麗になくなっており、それだけでも成功を予感させた。


「レティ、匂いで探せるか?」

「犬型じゃないので無理ですよ。ううむ……」

『ノープロブレム。あそこを見て下さい』


 毒団子を食べた鼠たちの行方を探していると、ワダツミがトンネルの一角を指さす。

 そこには、ピクピクと痙攣し倒れる一匹の濡れ鼠シーラットの姿が。


「しめた! 食い意地張った奴が巣に帰る前に力尽きたか」


 駆け寄り、槍で止めを刺す。

 その近くを探せばトンネルの奥へ向かって点々と倒れる他の影も見付けられた。


「いっぱい居ますよ! これはこれでちょっと気持ち悪いですが!」

「着実に仕留めて回収していこう」


 ヘンゼルとグレーテルの残したパンくずのように連なる鼠たちを、レティと二人で仕留めながら回収していく。

 そうして俺たちは、トンネルの奥――淀んだ貯水槽の並んだ区画へと辿り着いた。


『アメイジング! これほどまでの効果は驚きです』


 鼠たちは貯水槽の一つに穴を開け、水を抜いた空間を巣にしていたようだ。

 その中を見てワダツミが声を上げる。

 汚れた水が底に滞留する大きなタンクの中――そこには、無数の濡れ鼠シーラットたちが白目を剥いて山積していた。


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Tips

◇幻惑の麻痺猛毒魚肉団子

 デドリー・ポイズンを練り込んだ猛毒の魚肉団子に、更に数種類の毒物を配合した団子。摂取したものは正気を失い、判断力が鈍る。遅効性の毒は徐々に体力を蝕み、やがては死に至らしめる。


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