第285話「濡れ鼠駆除」

 ワダツミの地下には、スサノオと同じく複雑怪奇に入り組んだ施設整備用のトンネルが存在している。

 内部には様々な配管類が束ねて敷設されており、それらの管理はメンテナンス用NPCたちが昼夜を問わず行っているらしい。

 普段はレングスのように〈解錠〉スキルを駆使しなければ立ち入ることのできないエリアだが、今回の任務のようにワダツミから特別な権限を付与されている場合は別だった。


「ここですね、トンネルへの入り口は」

「マンホールからしか出入りしたことなかったから、ちょっと新鮮だな」


 レティ、ワダツミの二人を先頭に町を歩くこと数分。

 俺たちは中央制御区域の片隅、狭苦しい路地の影にひっそりと佇む鉄扉の前に立っていた。

 注意を促す黒と黄色の虎柄で縁取られ、ドアノブの隣には電子ロックのコンソールが嵌め込まれている頑丈な鉄扉で、相当に高レベルの〈解錠〉スキルがなければ開けられないことは容易に予想できる。

 もし適切な権限なしに強行突破を試みれば、途端に警備NPCが殺到することになるはずだ。


『シード01-スサノオでは警戒レベルが低かったせいか、多くの調査開拓員が侵入しました。そのため、ウェイドやワタクシのような後発は更に堅固なセキュリティを敷くことになったのです』


 扉の前に立ちワダツミが得意げに言う。

 スサノオからワダツミまで段階的に要求される〈解錠〉スキルレベルが上がっているため、良い具合にレベリングができているのは恐らくゲーム的な都合なのだろう。


「しかし地下トンネルが本来立ち入り禁止ってのはどこも変わらないんだろう? なんでこんな任務があるんだ?」


 プレイヤーが地下トンネルに正当に立ち入ることができる機会は少ない。

 このような任務は存在自体がかなり希少なものなのだ。


『フーム。実は、トンネル内の害獣駆除がメンテナンス用NPCだけでは追いつかないのです』


 先ほどからは一転、悔しそうな表情でワダツミが吐露する。

 改めて任務の内容を確認すると、達成条件の欄には“濡れ鼠シーラット30匹の討伐”という文字が記されていた。


「この濡れ鼠シーラットってやつか?」

『イエス。個々の脅威度は青程度ですが、群れになると赤にすら及びかねない厄介な原生生物です。何より一生伸び続ける鋭い前歯を削るため、配管を食い荒らすのが憎らしく』


 両拳を力強く握り、怨嗟を撒くワダツミ。

 彼女からしてみれば自分の身体を囓られているようなものなのだから、その恨みも一入だろう。


「なるほどなるほど、それならばレティの出番ですね!」


 話を聞いていたレティが黒鉄の巨鎚を構えて覇気を漲らせる。

 確かに荒事となれば俺よりも彼女の方が適任だと思うが、当のワダツミの反応は鈍い。


『フーム……。今回の任務、レティには少し荷が重いかもしれませんよ?』

「なにをやる前から言ってるんですか! 所詮は小ネズミの一匹や二匹、レティが千切って投げてあげますよ」


 そんなワダツミに心外そうな顔をしたレティ。

 彼女は論より証拠と勇み足で鉄扉の前に立ち、ドアノブを握る。


「さあ、行きますよ!」


 電子ロックが解除され、扉が解放される。

 レティがドアノブを回して、それはゆっくりと軋みながら押し開けられた。





「きゃぁぁあああああああっ!」

『ムゥ。だから言ったではないですか』

「とりあえず二人とも逃げるぞ! ドアの所まで走れ!」


 無数の金切り声に追い立てられながら、俺たちは必死に両足を動かしてトンネルを駆ける。

 潮と油の臭いが淀んだ暗い鉄管の中を、水しぶきを上げながら。

 機械槍の光とマップの情報を頼りに来た道を戻る。


「なんですかあの数! 普通に30匹超えてるじゃないですか!」


 ちらりと振り向いてレティが言う。

 俺たちを追いかけているのは、黄色く濁った目をした大柄な鼠だ。

 濡れ鼠の名の通り水中にも適応した、湿った毛皮と水掻きの付いた脚を持つ少々グロテスクな外見をした鼠で、単体での脅威度はワダツミの言うとおりさほど高くはない。

 しかし――


『ハァ。だから群れると言ったでしょう』

「なんで30匹討伐が達成条件のエネミーが、100匹超えて群れてるんですか!」


 たったった、と軽快に駆けるワダツミに向かってレティが悲鳴混じりの声を上げる。

 そう、ワダツミ地下トンネルに巣くう濡れ鼠シーラットの最も注目すべき特徴は、その大規模な群れを成す生態だった。


『ムゥ。30匹程度の群れならば、ワタクシのメンテナンス用NPCで十分駆除が可能です』

「100匹群れるなら最初からそう書いておいて下さいって話ですよ!」


 先行する白月がちらりと俺の方を見る。

 彼の少し先の闇から、僅かに光が漏れ出している。


「もうすぐドアだ、気を張れよ!」

「言われなくても!」


 トンネルの枝道が合流するたびに後方からの鳴き声は増えてゆく。

 まるでワダツミ全体が揺れているかのような騒がしい声に責め立てられながら、俺たちはいっそう炉心を燃やして速度を上げる。


「白月、頭突きで開けてくれ!」


 俺の声で白月が頭を下げる。

 だん、と一際強く地面を蹴り、彼は飛び出す。

 鉄の拉げる音と共に、地上へと出るドアが強引に開かれる。


「うぉわあああっ!」

『ゴール、ですね』

「良いから全力で閉じろ!」


 身を投げ出してドアの向こうへ飛び込むレティ。

 ワダツミは身体機能が強化されているからか、特に疲れた様子もない。

 俺は蝶番のねじ曲がった鉄板をドア枠にはめ込み、体重を預けて押し込む。


「二人も手伝え!」

「わ、分かりました!」

『オーケー。レッジの要請に応えましょう』


 両サイドにレティとワダツミも張り付き、三人と一匹でドアを支える。

 鉄板越しに無数の巨大なゴム弾がぶつかるような強い衝撃が伝わるが、それに押し負けないよう必死に耐える。


「うぉぉぉお!」


 身体を全力で傾け、渾身の力を込めて足を突っ張る。

 そうしてようやくガコンと段差を越えた音と共に鉄扉が一つ奥へと進む。


「ワダツミ、電子ロック!」

『オーケー。電子ロック強制施錠します』


 小気味良い音が連続し、杭がドア縁に打ち込まれる。

 施錠機構が次々に起動して蝶番の外れた鉄板を固定する。

 そうしてロックが完了し、ドアの向こう側の気配も漸く諦めたのか遠退いていった。


「ふぅ……。なんとかなったか」


 ドアに背を預け、ずるずると滑り落ちるように座り込む。

 隣のレティも疲労困憊の様子でハンマーの柄を抱きしめていた。


「あんなに敵が多いなんて……。レティは対群体戦闘は苦手なのに」


 先日“水鏡”の甲板でも言っていたことだ。

 彼女は一対一の状況で破格の力を発揮するが、こと今回の濡れ鼠シーラットのような小さく素早く数の多い敵を相手にするのが難しい。

 こればかりは、このゲームのスキル制というシステムによる得手不得手なので変えようもない。


「しかしワダツミ、なんで100匹以上で群れる濡れ鼠の討伐任務の条件が30匹討伐なんだ?」

『アー。そもそも【地下トンネル美化計画】は複数回の遂行も可能な任務ですよ』

「複数回?」


 彼女の言葉に、任務をもう一度確認する。


_/_/_/_/_/

任務【地下トンネル美化計画】

種別【戦闘/探索】

推奨能力【戦闘系スキルレベル75以上】

達成条件:濡れ鼠30匹の討伐

詳細説明:

 海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ地下トンネル内にて多数の濡れ鼠が確認されました。対象は都市機能の根幹を担うトンネル内の配管類に対し甚大な被害を与え続けており、放置すればあらゆる観点から無制限の損失を産むと予測されます。現状、対象の排除は都市機能保全課管轄のメンテナンス用NPC群のみでは追いついておらず、調査開拓員各位の助力を要請する必要があると判断されました。任務受注者は最低でも対象30匹を討伐してください。なお、最低条件達成後も対象30匹を討伐するごとに追加報酬が加算されます。

達成報酬:

 海洋資源採集拠点シード01-ワダツミ別荘地区土地権利書(1枚)

補足事項:

 最低条件達成後、更に対象を30匹討伐するごとに達成報酬が1つ加算されます。

_/_/_/_/_/


「えーっと、この補足事項のところか?」

『イエス。更に詳細説明の項の最後にも記述してあります』

「つまり30匹倒せば権利書1枚、60匹で2枚、というわけですか」

『ザッツライト。土地権利書1枚で10等級の土地を契約可能ですが、権利書が2枚になれば9等級、3枚ならば8等級と、枚数に応じて上等級の土地を契約することが可能です』


 細い指を立ててジェスチャーも交えつつ、丁寧な解説が施される。

 土地の等級というのはそのまま土地の広さに関わるらしく、大きな別荘を建てたいなら上級の土地を用意する必要があるらしい。


「なるほど、だから複数回の遂行も可能と」

『イエス。説明不足だったでしょうか』

「いや、しっかり任務にも書かれてるし俺の確認不足だ……」


 説明を聞いて、どっと疲れが押し寄せてくる。

 これからはきちんと最後まで説明文を確認する習慣を付けた方がよさそうだ。


「しかしどうするんですか? ラクトもエイミーもいないとなると、あれだけの数を相手にするのはいくらレッジさんと言えども……」

「まあ、厳しいなぁ」


 一応俺の〈槍術〉はレベル80、依頼の推奨レベルよりは上だ。

 しかしそれは〈戦闘技能〉など他のスキルもある程度伸ばしていることが前提になってくる。

 如何に〈風牙流〉が範囲技主体の流派だとしても、俺一人であの大群を相手にするのはなかなかに難しい。

 しかし、


「レティ、ワダツミ。ちょっとだけ準備したいことがある」

「何か秘策でもあるんですか?」


 耳を揺らして首を傾げるレティ。

 ワダツミも可愛らしく彼女の動きを真似して俺の方を見る。


「秘策もなにも、今回の任務ほど俺が適任なものもないだろうよ」


 怪訝な顔の二人にそう言い、立ち上がる。

 そうして俺は必要なものを揃えるため、ワダツミの商業地区へと足を向けた。


_/_/_/_/_/

Tips

◇濡れ鼠

 シーラット。薄暗く水気に富む場所を好む、半水棲の鼠。細く密度の高い体毛は空気を含むことで水中での体温維持を助け、指の間には水掻きが備わっている。水中で眼球を保護するため、目には透明の膜があり、暗がりでは濁った黄色に見える。雑食性で、食欲旺盛。100匹以上にもなる大規模な群れを形成し、伸び続ける前歯を削るためにも周囲のあらゆるものを食い荒らし続ける。


Now Loading...

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る