第281話「雷撃と弾力」
レティは力強く踏み込み、船縁へ迫る捻れ鰯の群れへと立ち向かう。
堅氷の甲板は彼女の体重を全て受け止め、黒鉄の巨鎚が渾身の力を滾らせる。
「『旋回連打』」
大きく身体を捻り、横薙ぎ。
巨鎚が捻れ鰯を側面から叩き吹き飛ばす。
「範囲攻撃の少なさはレティの課題ですねッ!」
ぐるりと鎚を一周させ、更に攻撃を続けるレティ。
鰯を吹き飛ばすたびに攻撃は鋭さを増し、回転は勢いを強めていく。
対単体攻撃に特化している彼女はクールタイムが終わると同時に同じ技を繰り出し続けることで鰯の大群を凌いでいた。
「それは、こちらも、同じですっ!」
素早い剣閃が舞う。
上段に構えたトーカが眉間に深い皺を寄せて絶え間なく押し寄せる鰯を睨んでいた。
「彩花流、壱之型――『桜吹雪』ッ!」
細かなピンクのエフェクトが舞う。
春風に吹かれる桜のように、無数の斬撃がトーカの回りを流れて鰯たちを一網打尽にした。
「彩花流には範囲技あるじゃないですか! 咬砕流は範囲技ないんですよ!」
「彩花流の範囲技はこれと『百合舞わし』くらいです。クールタイム追いつかないですよ」
わいのわいのと騒ぎながら、彼女たちはそれでも次々と無数の鰯たちを切り伏せ叩き落としていく。
数量に押され時折肌を掠めるものの、多少の傷はテントの回復能力によってすぐに癒える。
二人の間を運良くすり抜けた鰯も、エイミーの盾に阻まれ氷の矢に貫かれて甲板に転がった。
「わたしも援護してるんだし、何とかなってるならいいんじゃないかなぁ」
賑やかな二人の様子を屋根の上から見下ろし、ラクトが呆れ顔で言う。
本来、鰯のような対多数戦闘はラクトが一番活躍する場面なのだが、こと“水鏡”運用中においてはそれも流石に難しい。
彼女は今“水鏡”を構成するものと船体を制御するもの、複数のアーツを同時に使っているのだ。
多数のアーツを同時に使用できるか否かは、スキルではなくプレイヤー自身の能力によって左右される。
DAFの運用と似たようなものだが、同時並列的な思考が求められるのだ。
「ていうかこういう時こそ風牙流の出番じゃないの?」
「最近全然戦ってないんでしょ。腕鈍ってるんじゃない?」
「う、浮蜘蛛使って多少は戦ってるぞ」
常にアーツの維持管理をしなければならないラクトやエイミーとは違い、俺は〈罠〉スキルを使用しなければ特にやることがない。
目が離せないことには違いないが、彼女たちほど拘束されているわけでもないのは確かだった。
「ほらレッジ、反対側からも鰯の群れが来てるよ」
「タイミングのいいことで!」
ラクトの声に、俺は右舷に視線を向ける。
青い海面に細かな泡。
捻れ鰯の気配があった。
「まあ待て。まずは罠を使ってみよう。『侵入検知』」
俺の視界で、“水鏡”に搭載された各種装備の射程が可視化される。
鰯は既に懐に迫っていた。
「――“
箱形テントの側面に二機ずつ配置されていた銃座が機敏に動く。
それらは無造作に海面を狙い、装填されていた二本の銛を即座に射出した。
「ちょっとピリッとするぞ」
四本の銛が海面に落ちる。
飛沫を上げ、白い電撃が放たれる。
一瞬の衝撃のあと、波の揺れる海面には白い腹がぷかぷかと浮かび上がってきた。
「レッジさん!? それ違法なのでは!?」
「ここでは合法なんだよ!」
鰯の群れを片付け応援に駆け付けてくれたレティが、海面の惨状を見て悲鳴を上げる。
放ったのは“
地上ならば突き刺した対象に“麻痺”の状態異常を付与するだけの罠だが、予測通り海では範囲攻撃手段として活躍してくれた。
まだまだ海面には白霧が残っており、狙いを定めるのは難しい。
“雷撃銛”のような雑に狙いを付けるだけで一掃できる攻撃手段は特に効果的だ。
「そんな便利な攻撃手段があるなら、私たちが迎撃する必要なかったのでは……」
「二人とも凄いやる気満々だったじゃないか」
愕然とするトーカだが、俺が装備を紹介するよりも早く襲撃があり、それを二人が意気軒昂に迎え出たために止める機会を失ってしまったのだ。
「ともあれ、あの等級の雷撃銛でも鰯なら十分倒せるようで良かった」
雷撃銛は基本的に使い捨てだ。
等級低めの量産品を何かに使えるかとサカオの市場で買い込んでいたのだが、こうして無事に使い所が見つかって内心胸をなで下ろしている。
「三人とも! 一件落着みたいな空気してるけどまだ最後が残ってるよ!」
上からラクトの声。
それを聞いて俺たちははっと船首に顔を向けた。
「出ましたね、ボディプレス怪魚!」
「ちゃんと名前で呼んであげた方がいいのでは?」
「名前知らないので!」
大きな水しぶきを上げて飛び出してきたのは、小舟ほどの大きさを誇る怪魚。
柔らかそうな丸みを帯びたシルエットで、白い腹はゴムのように張りがある。
「『生物鑑定』――“
「なるほど。興味ないですね!」
鎚を構え、飛び上がるレティ。
「レティを押しつぶした恨み、晴らす時です!」
彼女は大きく腰を捻り渾身の力を込める。
そうして、全身をしなやかなバネとして鮮やかな一撃を――
「わぷっ!?」
「レティ!」
強打は
どころかゴムのような身体は衝撃をそのまま跳ね返し、レティを後方へ吹き飛ばす。
「出ます! 彩花流、抜刀奥義――」
後方へ吹き飛ぶレティとは入れ替わりに、刀の柄に手を添えたトーカが前に出る。
「――『百花繚乱』」
無数の斬撃が球腹魚を襲う。
さしものゴム腹も斬撃には耐えきれず、むしろ面白いほどの勢いでズタズタに切り刻まれ、魚のHPも瞬間的に削られた。
その巨躯に似合わないあっけなさで甲板の上で仰向けに転がる
鞘に刀を納めたトーカが振り返った時、ラクトが周囲に敵影がないことを知らせた。
「――な、な、納得いきません!」
弛緩した空気が流れた直後、箱形テントの正面窓を突き破り、頭から突っ込んでいたレティが起き上がって憤る。
両耳をピンと立て、ブンブンとハンマーを振って烈火の如く赤髪を振り乱している。
「外見通り打撃属性に強い耐性を持っていたんでしょうね。現にトーカの斬撃属性は弱点だったみたいだし」
冷静に分析するエイミー。
言っていることは正論なのだが、そんな言葉でレティの感情が落ち着くはずもない。
「一度ならず二度までも、レティを虚仮にしやがりましたねあのおデブ魚! 煮て焼いて喰ってやりましょうか!」
「そういえば港湾地区近くに持ち込んだ魚を料理してくれる店があるって話が――」
「いまそういう話はしてません!」
ぷんぷんと頭を振って甲板を踏むレティ。
一度目は舟の耐久力不足が原因だったとはいえ、彼女からしてみれば二連続で翻弄されてしまったようなものだ。
「レッジさん、リベンジしましょう!」
「え? いや俺は別に――」
「リベンジ、しましょう!」
「あっはい」
有無を言わせぬ気迫を見せるレティ。
周囲に助けを求める視線を向けるが、トーカでさえふっと目をそらす。
「じゃ、今回の航海の目標は打倒
「しかしレティ、考え無しにまた殴りかかっても二の舞になるのでは?」
ラクトが“水鏡”を動かす。
進路は南、ワダツミに背を向ける格好だ。
トーカからの真っ当な指摘を受けて、レティは不敵な笑みを浮かべる。
「そこは大丈夫ですよ。レティに考えがあります」
「なるほど。斬撃属性の乗るテクニックでも持っていましたっけ?」
首を傾げるトーカ。
レティは彼女の方を向き、自信満々に口を開く。
「あの肥満魚、打撃耐性が多少高いようですが、完全耐性を持っているわけではありませんでした。――つまり、死ぬまで殴れば倒せるということです!」
束の間、沈黙が“水鏡”の甲板を支配する。
霧が晴れ、足下で水がうねる。
気がつけば太陽も高く登っていた。
「レティ、頭を強く打ちましたか……」
「正気ですよ!?」
哀れみと慈愛の込められた視線を向けられ、レティは慌てて否定する。
「しっかり見たんです、レティの一撃が少しですがあのおデブのHPを削ったのを!」
「それは私も見ていたので分かってますが……」
「レティ、それよりも問題なのは打撃を受けた時に衝撃をそのまま返す特性の方じゃない?」
困り顔のトーカにエイミーが助け船を出す。
彼女の言うとおり、
レティがアレを殴った時、その強い衝撃がそのまま跳ね返されて、彼女は後方へ吹き飛んだのだ。
「あの衝撃反射をどうにかしないことには、一撃入れた段階でレティは戦線離脱ですよ?」
「なるほど、斬新な視点ですね」
「レティ以外全員の視点ですよ」
キリリと眉を寄せるレティにトーカが処置なしと肩を竦めた。
「攻撃しないと奴は倒せない、しかし攻撃するとレティが吹き飛ばされてしまう。……ふむ、ならばこうしましょう」
顎に手を添え考え込むレティ。
そうして突然、ぴくりと耳を立てて白月の方を見た。
「白月がどうかしたか?」
俺の声に反応して、コンテナの影ですやすや寝ていた白月が顔を上げる。
気持ちよく夢を見ていたのにと抗議の視線を向けられるが、俺に言われても困る。
「白月、コンビネーションアタックしましょう!」
白月のぼんやりとした顔を両手で挟み、黒い瞳を覗き込んでレティが言う。
そうして彼女は考えたばかりの計画について話し始めた。
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Tips
◇球腹魚
ボールフィッシュ。非常に弾性に富む分厚いゴム質の表皮を持つ大型の魚類原生生物。海中深くから急浮上し、その勢いのまま水上の敵を押しつぶすボディプレスを得意技としている。打撃に対する高い耐性を持っており、強い衝撃を受けた場合もその殆どを反射できる。反面、鋭い斬撃に対しては弱い。
身はぷるぷるとして美味。
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