第280話「蒼氷の船」

 翌日、まだ朝靄立ちこめる早朝の海岸に〈白鹿庵〉の面々が揃う。

 ワダツミ近海――正式名称は〈剣魚の碧海〉というがプレイヤーからは単に“近海”と呼ばれる事の方が多い――の朝方は霧森からの濃霧が流れ込み視界が劣悪になる。

 そんな状況で船を出す物好きもさほど多くはいないため、周囲に人の気配はほとんど感じられない。


「ふわぁ……。こんな朝早くになんですか?」

「リアルだともう昼前だろ。

 まあいい、聞いて驚け。昨日ラクトとエイミーの二人に協力してもらって海上戦闘の対策を講じることができた」

「本当ですか!? ――あれ、でもここは砂浜ですよ?」


 ワダツミの港湾地区に行かなければならないのでは、とトーカが町の方へ視線を向けながら言う。

 困惑する彼女たちを前にして、俺、ラクト、エイミーの三人は得意げな顔でくつくつと笑った。


「ふふん、ところがどっこい!」

「港湾地区じゃあダメなんだよね」

「むしろここじゃないとダメなのよ」


 どういうことだと言わんばかりの顔を向けられ、俺たちは早速船出の準備を始める。

 まずは、俺が砂浜にテントを設置する。


「『野営地設置』」

「これは……見たことないテントですね?」


 砂浜に展開されたのは、船舶管理事務所にも似た白い直方体のテントだ。

 白鉄鋼製のコンテナを基にして、効果範囲よりも効果量に重点を置いたカスタムを施してある。


「まだまだ、こっからだぞ。『領域指定』」


 テントを囲むように杭を打ち込む。

 こちらも色を合わせて白く塗装しているが、機能自体は〈罠〉スキルの領域指定に使うものと特に変わらない。


「『罠設置』“大型光線銃”“射銛装置”」


 杭で区切った領域内、テントの前方にスサノオの防御壁上に設置されているような大型の光線銃を備えた銃座が一機、テントの左右には二本の銛を番えた大弩バリスタが二機ずつ配置される。


「さあ、次はラクトだ」

「いえっさー!」


 威勢良く敬礼し、ラクトが前に出る。

 彼女はおなじみの事前自己バフを施した後、両手を掲げてテントの方へと向けた。


「『大きな氷の床ラージ・アイスフロア』『取り囲むサラウンド・大きな氷の壁ラージ・アイスウォール』『機術操作アーツクラック形状加工モデルチェンジ』」


 テントと領域の下、砂を押し退けるようにして巨大な氷の板が生成される。

 更に氷板の外縁に沿うように四枚の氷壁が作られ、床が高く持ち上がる。

 最後に四枚の氷壁が流線型に加工され、巨大な船体に整形された。


「こ、これは……」

「氷の、船、ですか……」


 突然できあがった大型の船にレティたちが唖然とする。

 俺やエイミーも、ラクトがこんな規模のアーツを巧みに操ったのを目の当たりにして同じような反応をしたものだ。


「『氷の床』と『氷の壁』はかなり応用が利くアーツだからね。こんなこともあろうかと色々とチップを集めてて良かったよ」


 氷の箱を船体へと整形したアーツは、ラクトが言うにはかなりマイナーなチップによって構成されているのだとか。

 普段から大量のチップを収集している彼女だからこそ、今回の奇策は結実したといっても過言ではないだろう。


「さて、最後はエイミーだな」

「任せて頂戴」


 そして画竜点睛。

 エイミーが氷の船に向けてアーツを放つ。


「『包み込むラッピング・拒絶のリジェクション・厚壁ファットウォール』」


 彼女の放ったアーツは青い輝きと共に船体を包む。

 ナノマシンの粒子が対象に付着した瞬間、コードに従って形状と性質を変える。

 数秒後、そこには頑丈な装甲を得た艦船があった。


「名付けて居住型機術装甲蒼氷船“水鏡”――俺とラクトとエイミー、三人の力を合わせた集大成だ」


 真夏の海に似た青い装甲は水面の輝きを反射しゆらゆらと燦めく。

 ラクトのアーツによって船体を作り、エイミーのアーツによって装甲を得た大型艦船は、当然膨大なLPを二人から吸い取り続けている。

 そこで俺のテントを中心に据えることによりLP消費をカバーし、継続的な航行能力を確保した。

 大型にしたために絶大な安定性もあり、防御力も十分。

 なんならここから更に氷や装甲を増設してレティたちの為の臨時の足場を展開することも可能という、至れり尽くせりの大型艦船である。


「あれ? でもレッジさん、この船おかしいですよ」

「どうした?」


 艦船の存在感に圧倒されていたレティがふと気がついて声を上げる。


「この船、どうやって動くんです? 櫂は甲板から届かないし、帆もないし、スクリューもジェットも付いてないですよ」

「良いところに気付いたねレティ君」

「え、なんですかそのキャラ」


 少し格好付けて言ってみたがシンプルに困惑されてしまった。

 俺は心を強く保って説明を続ける。


「この船は、船だが船じゃない。主体となってる要素は氷――もっと正確に言えば“水属性のアーツ”だ」

「えっと……つまり?」


 首を傾げるレティ。

 そんな彼女の前に、得意顔のラクトが立つ。


「わたしは氷属性専門の機術師だよ。そんでもって、氷と水は同じ属性の範囲内。――

「なっ――」

「まわりの水ごと、ですか」


 『水流操作ハイドロ・オペレート』というアーツがある。

 水属性攻性アーツに分類されるもので、自然に存在する河川や湖沼の水を自由に動かすことができるものだ。

 “河童”と呼ばれる〈水泳〉スキルに情熱を掲げる一部のプレイヤーなどがより速い泳ぎを求めて習得することも多い、知る人ぞ知る使い所の限られた術式。

 だからこそ、このような効果と用途が合致する場面では比類なき強さを発揮するのだ。


「さあ、とりあえず乗船しようよ」


 未だ驚きの抜けきらないレティたちを連れ、船の甲板へと移動する。

 ラクトが船側に氷の床を生成して階段を作り皆を案内した。


「昨日はちょっと試運転しただけだから、実質今回が処女航海だよ」

「装甲ばっちり。テントからのLP供給も問題ないわ」

「テント、罠各種設備問題なし。いつでも出発してくれ」


 船の周囲を一望できる箱形テントの屋根に登り、ラクトがアーツを準備する。

 今はまだ浜辺に乗り上げている“水鏡”が進水するタイミングは、波が寄せて足下を濡らしたその時。


「『水流操作ハイドロ・オペレート』」


 ラクトの声で海水が船を掴む。

 波の引くままに巨大な船体が砂地を滑り、深い海の上へと進む。


「体勢安定。誰も放り出されていないな」

「よぅし、このまま進むよ!」


 船の周囲が高く波打つ。

 白い飛沫を上げて不自然に海面がうねり、“水鏡”は勢いよく急発進した。


「うわあああっ!?」

「か、甲板に手すりも壁もないのが怖いのですが!」


 箱形テントに糸を括り付けて身体を固定したミカゲ以外の二人が悲鳴を上げる。

 “水鏡”はその性質上、移動時に大きく上下に揺れ動くため、どこかに掴まってなければ投げ出されてしまうだろう。


「しょうがないなぁ。『連なるストリング・氷の柱アイスピラー』『氷の柱アイスピラー』」


 CICと化した箱形テント屋上からラクトがアーツを使い、船縁に氷の柵を取り付ける。

 潤沢なLPがあることと、船自体が彼女のアーツであることによってこの程度ならば片手間でできるらしい。


「ん、レティ、トーカ、戦闘態勢。捻れ鰯の群れが来るよ」

「そんなことまで分かるんですか!?」


 CICから声を上げるラクトにレティが驚く。

 早朝の海は濃霧が立ちこめ、視界は悪い。

 海面下から迫る原生生物を察知するのは至難の業だろう。


「『水流操作』の恩恵みたいなもので、効果範囲内のことが大体分かるんだよ。ほんとに大体だけどね」


 彼女の言葉と同時に船近くの水面がバチバチと泡立つ。

 捻れ鰯の群れが射出準備を始めているところだ。


「たぶん、この鰯の群れの後にあのボディプレス怪魚も来るんじゃないかな」

「それも探知ですか?」

「いや、ただの勘だけど」


 調子よく言いながら、ラクトが船体を操作する。

 大きく船首を傾けて“水鏡”は船側を捻れ鰯の群れの進行方向に合わせた。


「氷の床で足場はアシストできるからね。思う存分暴れて良いよ」

「なるほど。いくら壊しても安心なのはいいですね」


 レティは黒鉄の巨鎚を構え、コツコツと爪先で甲板を蹴る。

 堅い氷の床は頑丈で、今度こそ彼女の衝撃に耐えるだろう。


「さあ、レティ。今度こそやっちゃって!」

「――任せて下さい!」


 ぱんっ、と激しく水を打つ音と共に無数の鰯が飛び出してくる。

 それなりに高さのある“水鏡”の甲板まで十分な勢いを持ってやって来たそれらを、獰猛な眼光のレティとトーカが出迎えた。


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Tips

◇『水流操作』

 ハイドロ・オペレート。二つのアーツチップを用いる初級アーツ。自然に存在する水を自由に操作することができる。操作可能な範囲は術者および術者の支配下にある水属性アーツが接している水に限られるものの、非常に強力。


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