第282話「おてだま作戦」
ワダツミ近海、洋上。
時刻はまだ朝と言ってもいいくらいで、霧が波に揺られている。
「本当にやるのか?」
「任せて下さい。イメトレは十分ですよ!」
甲板の中央に立つレティが腰に手を当てて言う。
彼女は黒い機械脚を装着し、手にはいつもの巨鎚を握っている。
足下には前足を伸ばして準備体操をしている白月の姿もあった。
「白月も久しぶりの戦いでやる気出てるな……。二人が良いなら、俺はもう何も言えないか」
その時、“水鏡”がゆっくりと速度を落とし海の真ん中で停止する。
「来たよ、
コンテナの上からラクトの声。
その数秒後、青緑の海面が大きく膨れ上がった。
「行きますよ、白月!」
それが海中から姿を現すよりも早く、レティが声を上げ白月が鳴く。
二人は同時に甲板を駆け出し、落下防止柵を踏んで飛び上がる。
眼下に広がるのは、果てしない海面とそこから飛び出してきた白い巨大魚――
「白月、『幻惑の霧』だ! 以後レティの指示に従え!」
俺の声で白月の身体がふわりと崩れる。
僅かに虹色の滲む白い霧が広がり、レティはそれを強く踏みつけた。
「おお、案外しっかりしてますね!」
白月の使う不思議なテクニックの一つ、『幻惑の霧』は彼自身の身体を不定形の霧へと変えるものだ。
特別な霧は足場として上に立つことができ、空中での行動を僅かに延長できる。
「ずっと立ってることはできないからな。油断してると真っ逆さまだぞ」
『幻惑の霧』は空中の床として立つことができるが、ずっと身体を支えてくれるものではない。
効果時間は僅かに数秒で、基本的には跳躍の足がかりとして使用するのが正道だ。
「さあ、行きますよ! 『岩砕』ッ!」
空中へ飛び出したボールフィッシュとレティが重なる。
その瞬間を狙い、黒鉄が振り下ろされ、怪魚の巨体の真ん中を貫いた。
「ぐうっ!」
大きく波打つ白い魚体。
強い打撃はそのまま弾力のある皮膚によって跳ね返され、レティの方へと向けられる。
「白月!」
レティの声。
霧が彼女の背後に集まり、壁となる。
「よぅし、完璧です!」
だん、と空中で体勢を整えたレティが霧を踏む。
頭を下に向け重力に逆らって立った彼女は、瞬時に機械脚の性能を引き出す。
「
瞬間、彼女の姿が掻き消える。
ほぼ同時に球腹魚に強い衝撃が与えられ、空中にレティの姿が現れる。
彼女は先回りしていた白月の霧によって受け止められ、再度姿を消す。
「傍目からじゃ何にも分からんな……」
レティの姿が消えるたび、球腹魚の身体が弾丸を打ち込まれたかのようにへこみ衝撃を反射する。
その速度は次第に加速しつづけ、断続的だった衝撃音はやがて機関銃の射撃のように隙間なく連なり始めた。
「あれ、通常攻撃なんだよね?」
「テクニック使ってる暇がないからな。それでも秒間何十って数の連打だ、魚の打撃耐性を貫通してダメージを与えられてる」
ダダダダダダダ、と盛大な音。
白月の霧が出現と消失を瞬時に繰り返す。
球腹魚を取り囲む上下左右を問わない全方位に的確に移動して、球腹魚に跳ね飛ばされた超高速のレティを受け止め続ける。
「あはっ! あはははっ! あはははははっ!」
「ねえ、なんか笑ってるわよ」
甲板からは球腹魚があらゆる方向から襲いかかる黒い線によってタコ殴りにされ、空中に留まり続けているようにしか見えない。
「魚なのにタコ殴りか。ふふふ……」
「レッジさん……」
「おっさん臭いよ、レッジ」
「……」
少しジョークを言っただけなのに、針のむしろに包まれた気分だ。
ともあれ、寒々しい甲板とは対照的にレティの攻撃は更に加速している。
「キミが! 倒れるまで! 殴るのは止めませんよ!」
本人はすでに泣きたい気分だろうが、肝心の涙腺を持ち合わせていない。
生まれ持った高い打撃耐性故にジリジリとしか減らない体力に絶望しながら、身動きも取れず無限に思える打撃の嵐に打たれ続けるしかないのだ。
「レティと白月のコンビネーション高速打撃戦闘、名付けて“おてだま”作戦。こんなに上手く決まるもんなんだなぁ」
「レティの反応速度の異常さが際立ってますね。黒兎の機脚の機装技発動中なのに攻撃を的確に魚の中心に打ち込み、なおかつ自身の吹き飛ばされる先を予想して白月に指示を下すという、なかなか狂気的な技ですよ」
同じ前衛として、俺よりもこの状況をよく理解しているトーカの解説。
レティがやっていること自体は単純だが、その速度が尋常ではない。
俺の“浮蜘蛛”やエイミーの障壁では追いつかないほどの速度に対応できているのは、一定の範囲内であれば瞬時に出現を繰り返せる白月の『幻惑の霧』ならではだろう。
よくそこに気付いたものだと舌を巻くしかない。
「問題は『黒兎の瞬脚』の効果時間が終わる前に魚の体力を削りきれるか、というところですが――」
「だらっしゃぁぁあああああ!!!」
トーカの声に被さるように、レティの声が大空に響き渡る。
「うぉわっ!?」
直後、甲板の真ん中に猛烈な速度で突っ込んでくる白目を剥いたボールフィッシュ。
遅れてレティが着艦し、両足を突っ張って衝撃を殺す。
最後に牡鹿に戻った白月が軽やかな足取りで甲板に戻ってきた。
「ふぅ。気持ちよかった!」
赤熱した黒兎の機脚が放熱板を大きく展開させて熱気を吐き出す。
レティはさっぱりとした表情で巨鎚を甲板に置き、大きく両腕を空に伸ばした。
「ギリギリでしたが『黒兎の瞬脚』の効果時間内に削れ切れました! これにてリベンジ完了です」
トーカの心配も杞憂に終わり、ボールフィッシュは無事に討伐されている。
レティは見事に復讐を果たしたのだ。
「レティ、
戦闘中、超高速で移動していたレティ。
あの状態に入る直前、彼女は
「“黒兎の機械脚”みたいな機装を付けてる時固有のテクニックです。条件がある分効果も強力で、『黒兎の瞬脚』は一定時間脚力を大幅に強化するんです」
「なるほど。……俺の機械槍にも何かあったりするのか?」
「機械槍は機装ではないので無いでしょうねぇ」
少し残念だが、確かにネヴァからは何も聞いていない。
聞けば、機装はメカメカしいデザインのものが多く、機装技もかなり深く研究が行われている人気の高い界隈なのだとか。
「あああ、甲板にこんな傷付けちゃって! 直すの面倒なんだけど!」
そんな話をしていると、突然コンテナの上からラクトが悲鳴を上げる。
レティの機械脚が勢いを減衰させるために甲板をガリガリと削って着艦したのだが、その影響で二本の深い溝が刻まれていた。
「水かけて凍らせれば直るのでは?」
「そう単純でもないんだよ。甲板は甲板全体で一枚の床だからね」
“水鏡”を構成する氷は、ラクトのアーツによるもの。
これが〈野営〉や〈罠〉スキルのものならば各種修理系テクニックで耐久を回復できるのだが、アーツはそうもいかない。
そもそも『氷の床』などは使い捨ての一時的な足場として利用するのが正道で、このように艦船として海に浮かべるのは邪道なのだ。
「甲板にも障壁敷いた方がいいかしら」
船に攻撃を受けても氷自体に傷が付かないよう、船側はエイミーの障壁が覆っている。
甲板は必要ないと考えていたが、検討する余地はあるかもしれない。
「レティもそう頻繁に傷つけたりしませんよ。“おてだま”作戦もあんまりやらないでしょうし」
「そうなのか? 随分楽しそうだったし、気に入ってるんじゃ」
「いや、普通にトーカが斬った方が早いじゃないですか。なんならしもふりの爪も斬撃属性ですし」
何を言っているんだと言わんばかりのレティに俺は目を白黒させる。
こんなところで彼女に正論をぶつけられるとは思わなかった。
「それに黒兎の機械脚は機装技を使うとかなりの時間を冷却に当てないと再使用できないんですよ。なので、そう頻繁にはできない訳です」
「なるほど、納得の理由だ……」
今も薄く熱を放射している機械脚は、通常の使用は問題ないものの数十分冷却状態が続くらしい。
「ともかく、レティでも問題なく倒せることが分かったので満足しました。今後、球腹魚が出てきたら全部トーカかラクトかレッジさんに任せますよ」
「まあ、それが妥当ですよね」
苦笑してトーカが頷く。
彼女の刀が球腹魚に対して効果的なのはつい先ほどの戦闘で実証済みだ。
「さあ、無事に球腹魚も倒せましたし、一度帰りますか?」
「レッジは球腹魚と捻れ鰯の解体、よろしくね」
「じゃあわたしは船を運転するから。レティとトーカは警戒よろしく!」
途端に各々好きな場所へ散っていくレティたち。
残されたのは俺と、一箇所に纏められた鰯の山と、球腹魚。
「……海苔、いる?」
とことことやって来たミカゲが海苔の入った筒を差し出す。
海鮮〈葦舟〉の海苔はどうやら彼のお気に入りになったらしく、あれ以降ぱりぱりと食べている姿をよく見る。
そのせいでただでさえ無口な彼が、更に喋らなくなったのだが。
「ありがとう。貰うよ」
俺は一枚受け取り、それを食べながら解体ナイフを取り出すのだった。
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Tips
◇黒兎の瞬脚。
効果中、自身の脚力を爆発的に上昇させる。地上での移動速度、跳躍力が強化され、超高速で移動することができるようになる。効果中はLPが継続的に消費される他、反応速度などは強化されないため、一定の技量が必要とされる。
効果終了後、再発動には長い冷却時間を必要とする。
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