第268話「朧雲の城塞」
全ての準備が整った。
戦士の武器は鋭く研がれ、機術師のアーツは極限まで洗練された。
装いを新たにした者も多く、駐留所には嵐の前の重苦しい静けさが漂っていた。
「皆、ここまで良く協力してくれた。今、ヴァーリテインを討つために必要な全てのピースが揃った。
調査班は現時点で分かる全ての情報を提供してくれた、生産班は強力な武具やアイテムを全て揃えてくれた」
時刻は早朝。
立ち上がる白い太陽を背に、アストラが青いマントをはためかせる。
彼は騎士団テントの屋上に立ち、周囲に集まったプレイヤーたちを見渡す。
「そして今より、俺たち戦闘班が、全ての力を余すことなく注ぎ込み、彼の奇竜を討伐する!」
銀鎧を燦めかせ、背負った鞘から肉厚の両手剣を引き抜き掲げた。
地平から浮かび上がった太陽が彼を照らしあげる。
「まずは機術師による一斉先制攻撃から始める。そのあとは重装
要塞が完成するまでが、最初の勝負だ」
まだ少し頭が熱っぽい。
直前まで思考をフル回転させていたのだ。
生産職が工房に使っていたテントの前には数十頭の機械牛と、その主のような顔をしたしもふりが分割したテントのパーツを詰め込まれて待機している。
「この戦いが失敗に終われば、再挑戦は難しい。騎士団のリソースの大半をすでに消費してしまった。
しかし、万全の用意ができている。後悔している暇はない。
――勝つぞ」
聴衆が爆発する。
雄々しい声が薄く明らむ空を震わせ、鉄が打ち鳴らされる。
「それじゃあ奴の“巣”に向かおうか」
「ああ、よろしく」
テントの足下で待機していた俺は、御者台に座るニルマに頷く。
今回の作戦はテント――要塞の設置が戦果の分水嶺になる。
ニルマの
「重装盾役は戦馬車を守るように配置したね。じゃあ、出発しよう」
「うぅ、わくわくしますねぇ」
戦馬車が動き出す。
テントの中を抜け、鬱蒼と茂る森へ入る。
荷台でガタガタと揺られながら、レティたちは忙しなく身体を動かしていた。
「初の大規模レイドってことで掲示板でも話題になってるみたいだね。中継用のドローンも沢山飛んでるよ」
空を指さしてラクトが言った。
見ればカメラを搭載した小さなドローンが遠巻きに俺たちを見下ろしている。
「まずは〈
次はヴァーリテインの反撃を重装盾が抑えながら、同時並行で要塞の建設。これが完成するまでが勝負。
……うぅ、あんまり出番が無さそうですね」
序盤の流れを再確認し、トーカが唇を尖らせる。
「心配しなくても、そのあとはいくらでも暴れられるわよ」
そう慰めるエイミーは、重装盾に混じって俺の護衛をしてくれる。
ある意味では一番重要な立ち位置にいるわけで、プレッシャーも相当だろう。
「レッジさん、レティもお守りしますからね!」
「お、おう。頼りにしてるぞ」
ずいと顔を近づけて言うレティ。
若干気圧されながらも、彼女の肩に手を置いて頷く。
「ミカゲも何か企んでいるんだろう?」
「うん。一応。他の呪術師と、いろいろ」
無言で揺られていたミカゲに話しかけると、彼は素直に頷いた。
準備中、彼は他の呪術師たちと集まって何やら忙しく話合っていた。
占術師や霊術師たちも同じように同門の者と打ち合わせをしていたようだし、彼らがどんなことをしてくれるのかも少し楽しみだ。
「ほら、見えたぜ」
一緒に荷台に座っていたアッシュが言った。
彼に促され前に目を向けると、黒々とした木々の向こう側から、白いものが見え隠れしている。
「あれがヴァーリテインの巣か」
「ああ。奴の食べ残しで作られた骨の牙城だ。あれがどうにも足場として不安定で、上手く動けねぇ」
一度戦ったことのあるアッシュがその時の事を思い返して語る。
白く脆い骨は、確かに機械の身体である俺たちが乗れば容易く砕けてしまうだろう。
あれだけ膨大な量があれば足を絡め取られ、まともに動くには相当の〈歩行〉スキルが必要になりそうだ。
「レッジ、起点はこのあたりでいいかい?」
「そうだな。……ああ、そこでいい」
戦馬車が停まり、随伴していた重装のプレイヤーが周囲に散開する。
俺は荷台から飛び下りて、一緒に載せていたアイテムをインベントリに入れる。
「ぐぅ、重い……」
「殆ど金属なんでしょ? そりゃあ重いよ」
ずしりと芯に響く重量感に思わず顔を顰める。
今回のために開発した要塞の核となるテントセットは、もはやテントとは呼べないほどのものになっていた。
俺が全ての装備を外しインナー姿になってようやくギリギリ運べる重さなのだ。
レティなら余裕だろうが、テントを建てるには俺がインベントリに入れている必要がある。
「要塞管理班、総員配置完了しました」
「はい、了解。レッジ、用意できたよ」
「おう、今からやる」
団員から報告が挙がり、ニルマから俺に伝えられる。
俺も所定の位置――ヴァーリテインの巣の縁ギリギリに陣取って、大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「アストラ」
『分かりました。――先制攻撃準備!』
後方で指揮を執っているアストラから、巣の外周を囲む機術師たちに指示が下される。
「じゃ、わたしもちょっとやってくるね」
それを受けてラクトが立ち上がる。
プリズムクリスタルシリーズの煌びやかな装いに、彼女は新たにアーツ威力を底上げするアクセサリーを追加して、様々なデメリットと引き換えに極限に近い機術を放つ用意をしていた。
蒼月の晶弓の弦を爪弾き、唇を震わせて技を使う。
「『ブースト』『キャストアップ』『アシストコード』『オーバークロック』『キャストソート』『コンプレッション』『コード・アクセラレイト』『コールドサーキット』『リミテッド・リリース』」
彼女だけではない。
ずらりと並んだ機術師たちが口を揃えて呪文のように唱える。
様々な声色が重なり合い、重く響く歌声は森に溶けていく。
攻性機術師だけではない。
支援機術師は目の前に立つ攻性機術師の能力を底上げし、防御機術師は反撃に備えて盾を練る。
『さあ、鏑矢だ』
共有回線からメルの声が響く。
機術師たちの指揮を執る少女の一声に、機術師たちが一斉に目を開く。
ラクトたちが領域を踏み越える。
この森の頂点に立つ竜の住処に、機術師たちが立ち入った。
白骨の城に鎮座した黒山が揺れ動く。
無数の首が持ち上がり、赤く燃え盛る瞳が彼女たちを見下ろした。
『――放て。『蒼穹切り裂く炎王の剛拳』』
炎の拳がヴァーリテインの横腹を殴る。
それを皮切りに流星が空を覆った。
暁の空に万色の星が降り注ぐ。
矢が、礫が、槍が、剣が、岩が、氷が、炎が、億のアーツが放たれる。
風を切り、炎が吹き荒れる。
爆発は爆発を呼び、岩が砕けマグマが流れ出す。
凍結し、感電し、焼け焦げ、押しつぶされる。
「――『結爆する青晶の銀矢』」
ラクトの蒼弓から一本の矢が放たれる。
光の尾を残しながらそれは真っ直ぐに黒竜の頭の一つ目掛けて突き進む。
無防備に座していたヴァーリテインの眉間に着弾した直後、青白い雪の結晶のような模様が広がる。
広範囲に連鎖して広がった結晶は、白い爆発を上げて奇竜の身体を凍結させた。
「重装前へ!」
ニルマの声で控えていた盾持ちたちが機術師の前に出る。
「反撃が来るぞ! 腰を落として耐えるんだ!」
無限にも等しい力が竜の身体を蹂躙した。
自身のLPのほぼ全てを使い切った機術師たちはよろよろと後ろに下がる。
中には気絶した者もいて、救護班によって後方へ下げられる。
「……」
静寂。
その奥から唸りが響く。
大地を揺らすような怨嗟の声が、百の頭から放たれる。
『障壁!』
メルの声で防御機術師たちが盾を展開する。
半透明の巨大な壁が巣を包み込む。
瞬間、
「防御態勢!」
渾身の力が込められた障壁が砕け散る。
質量の暴力が、堅固な壁を一瞬にして崩壊させた。
大盾を構えたゴーレムの戦士を、ミサイルのように飛び込んできた竜の首が吹き飛ばす。
「『ガード』! がっ!?」
「ぐ、速すぎるだろっ! ぬぁああっ!」
「ジャストガードを狙え! 一瞬でもずれると死ぬぞ!」
細長い首が荒れ狂う。
盾を構え立ちはだかる戦士たちを頭突きで吹き飛ばしていく。
「エイミー!」
「任せなさいっ! 『
エイミーがラクトの前に出て、障壁を展開する。
同時に拳盾を胸の前で構え、鋭くテクニックを発する。
甲高い音と共に黒い頭が激突し、火花を散らす。
「ジャストガード、一発で決めやがったのか」
ぐらぐらと揺れるヴァーリテインの頭を見てアッシュが愕然とする。
「ウチの盾は優秀なんだぞ」
得意げになって胸を張る。
彼女の動体視力は、並の盾役を遙かに凌駕するのだ。
「ほらほら、自慢してる暇はないよ」
「分かってるよ」
エイミーが一つの頭を退けても、間髪入れず次の攻撃がやってくる。
彼女たちは息をつく暇もなく怒濤の勢いで押し寄せる猛攻を必死に凌いでいた。
その間に、俺がやらねばならないことがある。
「『領域指定』」
地面に太い杭を刺し、テクニックを使う。
左右に伸びる青い光線は、巣を囲んで配置された他の杭と接続されていく。
巨大な円が巣を取り囲む。
俺はインベントリから、大きな鉄塊を取り出し杭の前に置いた。
「『野営地設置』」
何百、何千回と使い続けてきたテクニックだ。
その言葉に呼応して、鉄塊が展開される。
開き、広がり、それは一本の太い柱となって立ち上がる。
杭を包み込み、そこから伸びるように。
『大黒柱、確認しました。他の柱も立ち上がっています』
全体を俯瞰しているアストラの声。
各地で協力してくれているのは、彼が集めた〈機械操作〉と〈野営〉スキルを習得しているプレイヤーたちだ。
「複数人での複合テント構築か。また突飛なことを」
「この規模の巣をカバーするのに一人でやれって言う方が難しいだろ」
アッシュの声に答えながら、更に要塞を組み上げていく。
巣を囲む十六の柱の間に分厚い装甲が並ぶ。
衝撃吸収ジェルや自動修復ナノマシンなどが組み込まれた多層特殊装甲だ。
縁の上も自由に歩き回れるだけの分厚さがある。
「『罠設置』」
そして、十六の支柱は〈罠〉スキルの“領域”を指定するための杭でもある。
俺はコンソールを開き、用意していた罠を設置していく。
「シルバーバインド、レーザーガン、穿牙槍」
銀糸が張り巡らされ、銃座が並び、鋭い槍が装甲の足下から突き出す。
「衝撃吸収支柱、高速昇降機、緊急解放装置」
『アセット設置』も使い、いくつもの設備を追加していく。
装甲と柱はこの要塞の核だが、真骨頂は無数に用意されたアセット群だ。
これによって簡素な壁だった装甲がゴツゴツと装飾されていく。
『レッジさん、あとどれくらい掛かりますか!?』
切羽詰まった声でアストラが問う。
俺はインベントリと後ろに控えるしもふりたちに残っているアセットのリストを見て答えた。
「あと3分だ。それだけあれば完成する!」
『……分かりました。3分間耐えましょう』
壁の内側では今もエイミーたちが死力を尽くしている。
彼女たちが倒れてしまえば、まだ建造途中の要塞は砂上の楼閣のように容易く崩壊してしまう。
「電磁撹乱フィールド展開装置、ブレードガン射出装置、ホログラフィックレティクル、中継器」
一つ一つ決められた場所へアセットを配置していく。
ここだけは自動化もできない、地道な作業だ。
「第二装甲前が崩れました!」
「補助人員を回せ。防御機術師も出ろ!」
最前線では激しい声が飛び交う。
負傷したプレイヤーが引き下げられ、代わりに待機していた交代要員が前に出る。
回復役のキャパシティは既にギリギリになっており、余計に要塞の完成が急がれる。
「レッジさん!」
「大丈夫だ」
最後のパーツが配置される。
要塞が、完全体となる。
回復効果が発揮され、負傷者たちを癒やしていく。
「なんとか間に合ったか。……防御要塞“朧雲”完成だ」
深蒼の装甲が巣を取り囲む。
竜の前に立ちはだかり、その攻撃を阻む硬壁の城だ。
無数の銃口が照準を合わせ、自動で大口径の弾丸を装填していく。
強力な回復効果が、戦士たちから死を遠ざける。
「アストラ、本番だぞ」
『はい。――総員、攻撃開始!』
雄叫びが竜を貫いた。
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Tips
◇『野営地設置』
キャンプセットを使用して野営地を設営する。野営地内ではLPの自然回復速度上昇など様々な効果が現れる。
コマンドパネルを介して対応したアイテムを投入することでキャンプセットを強化、野営地をカスタムすることが可能。
またキャンプの範囲内にはアセットを設置することもできる。
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