第240話「降下作戦、概要」
白鹿庵の拠点はベースラインのすぐ側に広がる入り組んだ街中にある。
通りに面した側には〈新天地〉の2号店があるし、他の三方も背の高い建物に囲まれているため、一階の大部屋には殆ど光が入らない。
しかし一日に数時間、昼下がりの僅かなタイミングで、狙い澄ましたかのように建物の隙間から暖かな陽光が滑り込んでくる。
今日は湿っぽい〈鎧魚の瀑布〉には珍しいからりと晴れた良い天気で、大部屋にたむろしているレティたちも半分溶けた姿でゆったりとした時間を過ごしていた。
俺もたまにはこうして休むのも良いかと、椅子に腰掛け掲示板を流し読んでいる。
最近何かと多忙で、トレンドについて行けていなかったから丁度良い機会だ。
「そういえば昨日、アマツマラの地下坑道最前線が押し上げられたらしいですよ」
テーブルに胸を乗せ、温かいココアの入ったマグを両手で包みながらレティが言う。
「しかも単独らしいね。なんか、有名な占術師って言ってたような」
「“星読”のアリエスか。この前ミカゲに教えて貰った」
「……たぶん、その人」
俺たちがこうしてのんべんだらりと過ごしている間にも、トッププレイヤーたちは手に汗握る熾烈な争いを繰り広げているのだろう。
ご苦労なことである。
「そういえばレッジさん、断崖を越える方法は分かったんですか?」
顔とウサミミを上げてレティがこちらを向く。
「そうだなぁ……。そろそろ話してもいいか」
きょとんとする一同。
俺はネヴァとの計画が順調に進んでいることを鑑みて、このあたりで公開することにした。
ちなみに今まで秘密にしていたのは、そもそも実現可能かどうかが危うかったからである。
「今、ネヴァと色々試行錯誤しててな」
「またですか。レッジさんも大概ネヴァさんと仲良しですね」
「色々気が合うんだよ。なんか、小学校くらいからの悪友みたいな感じで」
「なるほど、悪友ですか」
どこか納得したような色を帯びて頷くレティ。
その隣に座ったラクトが微妙な視線を送ってくる。
「で? その色々してたことってなんなの?」
ラフな服装で畳の上で横になっていたエイミーが身を起こし、大きく伸びをしながら問いを投げてくる。
「強度計算とか、現地視察とか、細々とした検証とか。方向性は決まってたから、それが実行可能かどうか試してたんだ」
俺がアイディアの種を出し、それをネヴァが検証する。
そうして彼女がその解決策を提案し、その策を実現するために必要な素材や情報を俺が集める。
ここ数日はずっと、このサイクルをぐるぐると回していた。
「纏まった人数を一気に移動させる方法はそろそろ開発完了するはずの航空機に任せるとして、俺たちが目指してたのはもっと迅速かつローコストで、一人から数人程度を崖下に降ろす手段だ。
そのために使うことにしたのが――」
俺はしたり顔でインベントリからそれを取り出す。
真っ黒な鋼鉄製の球体、待機状態の浮蜘蛛だ。
「浮蜘蛛、ですか」
「たしかに〈竜鳴の断崖)では斜面に張り付けていましたが、流石に高地の断面は無理なのでは?」
トーカの指摘に俺は素直に頷く。
「確かに、子蜘蛛をどれだけ強化したところであの断面には張り付けなかった。だから、断面は気にしないことにした」
何かを披露する時、こうして迂遠な言い回しをしてしまうのは俺の悪癖らしい。
困惑した表情を揃えるレティたちに謝り、具体的な説明をする。
「子蜘蛛が使うワイヤーを強化して、崖下に降りるまでの荷重に耐えられるようにするんだ。そのワイヤーをどこかに括り付けて、懸垂下降する。親蜘蛛自身は防御用の盾兼回復手段だな」
「なるほど。方法自体はシンプルですね」
ふむふむと頷くレティ。
崖に穴も開けられず、パラシュートなども使えないのなら自ずと採れる選択肢も狭まってくる。
結局、俺のアイディアはさほど奇抜なものにはならなかった。
しかし――
「ですが、そのワイヤーはどこに固定するんですか? 杭を打ち込むとか?」
「いや、崖際は杭も打ち込めなかったからダメだな」
「じゃあ木に括り付けるの?」
「荷重テストをした時は、木の方が耐久負けして砕けたな」
レティ、ラクトの言葉に連続して首を振る。
固定法は色々と模索したのだが、大抵は崖の高さに由来する要求耐荷重に達しなかった。
「どれだけ重たいものを吊り下げても壊れない支えが必要だったわけで、それを俺たちもつい最近まで探してたんだ」
「そんなもの、何かあるのでしょうか……」
困ったように眉を寄せてトーカが首を傾げる。
フィールド上に存在している木や岩などのオブジェクトのほぼ全ては特定の採取系スキルによってアイテムを入手できるものになっている。
そのため耐久値が設定されていて、採取系スキルでなくとも強いダメージを受けると破壊されてしまう。
そんな仕様上、浮蜘蛛と数人の重量を崖下まで吊り下げ続けられる物体というものはなかなか見当たらなかった。
「灯台もと暗しって訳じゃないが、実はこの近くにあるんだよ」
これを見付けた時は、我ながら感心したものだった。
最初は懐疑的だったネヴァも一応要求する条件を満たしていることを理解してくれた。
「この近く、とは?」
そう問いかけるレティに、俺は指で方角を指し示す。
「この町の中心に建つ、中央制御塔だよ」
その言葉に部屋中がしんと静まりかえる。
キッチンの影で寝ている白月の暢気な吐息と、階上で掃除しているカミルの可愛らしい鼻歌だけが微かに聞こえる。
しばらくして、レティがふるふると頭を振りつつ口を開いた。
「いや、いやいやいや、無理ですよ! 制御塔がどれだけでっかいと思ってるんですか!? それに、ウェイドからでも崖までかなりの距離がありますよ!」
「どっちもワイヤーを長くすればいい話だ。どうせ今のワイヤーじゃ耐えきれんから新しいのを作る予定だったしな」
「流石に大言壮語じゃないの? 現実味がないよ」
ラクトも俺を諫めるように言う。
確かに、中央制御塔は太く、また塔から崖までの距離も長大だ。
更に言えばワイヤーを伸ばす際には街中を通す必要があり、そこでの交渉も必須になる。
正直、問題は山積みどころの話ではない。
「でも、十分に実現可能だと思ってる。だから既に準備も始めてるんだ」
「準備?」
「ワイヤー作製に必要な素材を買い付けてるんだ。依頼もいくつか出して、その資金源稼ぎも兼ねて行商任務を高速回転してる」
〈取引〉と〈歩行〉スキルを上げていた時にやっていた都市間を回ってアイテムを売買する行商任務、両スキルが更にレベルアップしたこともあって今ではかなりの時給を稼ぐ効率の良い金策になっていた。
やはり〈行商人〉になった方が、と思わない日は無かったが鋼の意志で〈旅人〉を死守しているところである。
「今、白鉄鋼と黒鉄鋼がそれぞれ5,000個、赤銅が23,000個、鉛が7,000個集まってる。ロングタンイグアナの生皮は目標の6,700枚がすでにあるし、実はゴールが見えてきてるんだよ」
ストレージに預けているアイテムを読み上げる。
それを聞いて、レティたちは慄然とした表情で俺を見た。
「あのレッジさんがお金を稼いでる……?」
「しかも、あんなに浪費癖があるのにこんなに大量にアイテムを貯めておけてるなんて……」
「おい、なんか俺に対する普段の評価が辛辣じゃないか?」
手で口を覆うレティとラクトに思わず突っ込む。
俺だってやる時はやる男なのだ。
……今回はネヴァに見張られてるしな。
「白鉄鋼、黒鉄鋼、鉛がそれぞれ10,000個集まった段階でネヴァが製作を開始する予定だ。それと同時に、俺は町と交渉する」
「町と交渉、ですか」
「ああ。町の総責任者とな」
ウェイドの中央に聳える白銀の塔の方角へ視線を向ける。
「なに、そこに座する奴とは顔見知りだし、きっと上手く行くだろ」
そう楽観的な事を言う俺を、レティたちは複雑な面持ちで見るのだった。
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Tips
◇ストレージの拡張
各調査開拓員には一定のストレージ領域の使用権が付与されています。それ以上の容量へ拡張するには、〈取引〉スキルの習熟、特定任務の達成、ストレージ拡張チケットの使用などの方法があります。
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