第235話「幻霊達の安寧」

 深い茂みを揺らして現れたエイミーたちは俺の顔を見て、レティのぐしゃぐしゃになった顔を見て、困惑の表情を浮かべた。


「えっと、とりあえず何があったの?」


 何から聞いたものか選びきれない様子のエイミーに、何から話したものか迷いながら答える。


「なんか、レティがゆうぎゃっ」

「ゆうぎゃ?」

「こ、高度のプラズマ集合体を見たとかなんとか言ってだな」

「……えっと」


 単語を出すだけで背骨が折られそうになる。

 慎重に言葉を選びながら事情を説明すると、彼女たちも大体察してくれたようだ。


「しかし、こんなしおらしいレティを見るのは珍しいね」

「いつも元気が服着て歩いてるような感じなのに」

「ですがこの世界にゆ、えっとプラズマは出るんですか?」


 不可解だと首を傾げてトーカが言う。

 俺もこのゲームの世界観と幽霊の存在というのがどうにもミスマッチに思えて仕方が無い。


「案外、枯れ尾花だったりしない?」

「俺もそっちの可能性が高いと思うんだが、とりあえずレティが動けないみたいでな」

「あぅ……。こ、腰が抜けてしまって……」


 ぺしょりとうさみみを倒して肩を縮めるレティ。

 本当にいつもの溌剌な少女と同一人物なのかと疑わずにはいられない。


「とりあえずレティから詳細を聞かないことにはなんともならないよね。レティ、見た物の姿形の詳細を教えて貰っても良い?」


 ラクトはレティと視線を合わせ、柔らかな口調で問いかける。

 普段その外見に引っ張られて勘違いしてしまうが、ラクトは彼女より年上なのだと言うことを思い出す。


「あ、青白い揺らぎみたいなのでした。光ってて、ゆらゆらと」

「青白い揺らぎ、ねぇ」


 唇を震わせながら、レティは目撃した物の姿について語る。


「蝶じゃないの? 銀光蝶とかならそんな光になることもあるかも知れないし」

「蝶なら殴れるので違います。ハンマーを振っても煙みたいに消えちゃって……。ああいう物理法則が通用しないものがいるなんて……」


 しくしくとまた泣き始めるレティ。

 そんな彼女の言葉に少し引っかかる。


「……レティが苦手なのって、殴れないからなのか?」


 思わずそう尋ねると、彼女はきょとんとして頷く。


「当然じゃないですか。殴れるなら殴って撃退します。ゆ、プラズマは殴れないので怖いです」


 すん、と冷めた顔で言い切るレティ。

 少しいつもの彼女らしい言葉が聞けて俺たちは逆に安心できた。


「しかしこの惑星イザナミに殴れない敵なんているのかしら」

「巡礼以降、多少ファンタジックな要素も入ってきてるし無いとも言い切れなくなってきてるんだよね」

「ミカゲの〈呪術〉とか、あとは〈霊術〉なんかはそれらしいですよね」


 三人が頭上で話していると、レティはまたも思い出したのかぷるぷると震え始める。

 もう少しランタンの光を強めた方がいいだろうかと光量を調節する。


「うーん、ここで話してても埒が明かないかな。レティ、そのプラズマを見た場所まで案内してよ」

「うぇぇ、ま、また行くんですか……」

「このまま放置してるのも気持ち悪いしね。大丈夫大丈夫、何かあったらわたしたちが守るからさ」


 頼もしく言い切るラクト。

 きっとそこに根拠は無いのだろうが、レティは彼女を信じたらしい。


「わ、分かりました。それなら……」


 俺の身体に縋りながら立ち上がり、木立の奥に指先を向ける。


「前衛は私とトーカで。真ん中にラクト。レッジはレティを見ながら後ろも警戒しておいて」

「はいよ。ほらレティ、行こう」


 エイミーの指示で陣形を組み、レティの示した方向へと進む。

 一応、未確認の存在が示唆されているため最大限の警戒を持ってゆっくりと歩みを進める。

 一歩歩くごとに腕に絡みついたレティの震えが大きくなるのがダイレクトに伝わってきた。

 状況が状況だけに離れろと言うことも出来ず、一人やきもきとした時間を過ごす。


「うーん、それらしい物は見当たらないわね」


 前を歩いていたエイミーが眉を寄せて言う。

 暗闇をランタンのオレンジで照らした木々の中に、レティが言う青白い揺らぎは見当たらない。

 やはり枯れ尾花かと全員が思いかけたその時だった。


「っ! 『一閃』ッ!」


 突然トーカが刀を抜く。

 鋭い水平切りは枝を斬り葉が落ちる。


「どうしたトーカ」

「何か視界の端に青白い物が映ったのですが……」


 仕留めきれなかったとトーカは悔しそうに唇を噛む。

 むしろあの一瞬で刀を抜く判断力に拍手を送りたいが。


「トーカも見たってことは偶然や見間違いじゃないみたいだね」


 おもむろに戦闘態勢に移るラクト。

 エイミーも半身の姿勢を取って腰を落とす。


「レティ、何か音はしないか?」


 敵の居場所が分からない時、彼女の敏感な耳が役に立つ。

 そう思って尋ねると、彼女は戦々恐々としながらも耳を立てて周囲の様子を伺った。


「葉音が沢山あって、小さな音はかき消されますが……。今のところなにも聞こえません……」


 弱々しく報告するレティ。

 ポンポンと背中をさすると少し安心したようだ。


「レッジ」

「なんだ?」

「一旦ランタンの灯りを消して貰って良い? あとわたしは『鮮明な視界ビビット・サイト』の更新もいらない」

「何も見えなくなるぞ?」

「大丈夫だから」


 ラクトの提案に首を傾げつつ了解する。

 ランタンの灯りを消すと、途端に周囲は濃密な闇に包まれ、レティは俺の胸に顔を埋めてきた。


「……レティさん」

「今は緊急事態だし、本人もいっぱいいっぱいでしょ」


 トーカが俺たちの方を見て何か言い、エイミーが肩を竦めている。

 丁度その時、ラクトに掛けていたバフが効果時間を終えて消える。


「……なるほど」


 木々を見上げ、彼女は頷く。

 バフも明かりも無い中では黒以外何も見えないはずなのに、彼女は口元を緩めて視線を左右に動かしていた。


「何が見えてるんだ?」

「バフ消ししたら分かるよ」


 思わず尋ねると、彼女は少し笑って答える。

 それを聞いた俺たちは顔を見合わせお互いに頷く。


「『付与効果消去エフェクトデリート』」


 支援アーツの効果を消すアーツを使い、全員の『鮮明な視界』の効果を消去する。

 視界に映るのは当然、一寸先も見通せない完全な暗闇――


「っ!?」

「これは……」


 ではなかった。

 暗闇に目が慣れていくに従って、ゆっくりと浮かび上がってくる青白い光。

 ゆらゆらと揺蕩うそれは、俺たちの視界を埋め尽くすほど大量に現れた。

 蝶のような姿もあれば、獣のような形もある。

 しかしどれも輪郭が曖昧で、ぴたりと当てはまる名前が見つからない。

 ただ、どれもがゆらゆらと楽しげにしかしどこか儚げに揺れている。


「レッジ、今の時間は?」

「夜の十時過ぎだな」

「なるほどねぇ」


 得心がいったと顎を引くラクト。

 深林の暗さに感覚が麻痺して、いつの間にかすっかり夜になっていた。

 しかしそれとこの青白い光の群れに何か相関があるのだろうか。


「レティには悪いけど、これは本当に幽霊なんだろうね」

「実在したのか……」

「ちょっと気になって〈冥蝶の深林〉のフレーバーテキストを確認したんだよ。そしたらほら」


 彼女はウィンドウを開き俺たちに見せてくる。


「“生を終えた幻霊たちはこの安らぐ暗闇の地に集まり、冥蝶が彼の世へと誘うを待つ”か」


 その中の一文を取り出し、ようやく彼女の言わんとしていることが分かった。


「多分深夜の時間帯限定なんだろうね。それと全ての明かりやバフを消すことかな。こっちは付けてても少しは見えるみたいだけど」


 柔らかな腐葉土に腰を下ろし、頭上を見上げながらラクトは言う。


「レティやトーカくらい気配に敏感じゃないとそのヒントも見えないのかな。わたしは今までこんなのがあるなんて聞いたことなかったよ」

「落ち着いてみると綺麗なものねぇ」


 星空の見えない深林の中で、星空よりも輝く青白い光にラクトたちは見惚れる。


「レティ、別に危険はないみたいだぞ」


 ぎゅっとしがみついたままのレティに向かって慎重に声を掛ける。

 氷が溶けるようにゆっくりと彼女は顔を上げ、周囲を取り囲む幻霊たちに小さく悲鳴を上げた。


「イルミネーションみたいなもんだよ。ほら、綺麗だよー」


 ラクトたちからも言葉を掛けられ、彼女はもう一度瞼を開く。

 覚悟が決まったのか今度はゆっくりと周囲を眺め、恐怖よりもその美しさの方が勝ったらしい。

 彼女はようやく強張った表情を緩めた。


「な、何もしてこないですね……」

「敵意は無いみたいだな。ていうか、自我があるのかも分からんが」


 ただ風に身を任せて流れる幻霊たちを見て、レティはゆっくりと座り込む。


「おっ、レッジ見て見て。スキルが上がったよ」


 しばらくその幻想的な光景を眺めていると、ラクトが声を上げる。

 彼女が開いたステータスウィンドウには〈霊術〉スキルレベル1という表記が刻まれていた。


「ついでにレベル1テクニックの『霊視』っていうのも習得したよ。これがあれば昼間とかでも幻霊が見られるみたい」


 楽しげに言うラクト。

 彼女は幻霊の姿を見て、怖がるどころかそれを好んでいるようだ。


「〈霊術〉スキルを上げたい人はここで幻霊を見るのが入門になるのかな」

「結構条件はゆるそうだけど、wikiとかには書いてなかったのよね」

「三術スキルは競争が激しいし、見付けた人も秘匿してるのかもね」


 ラクトに少し遅れて、俺やエイミーたちも〈霊術〉スキルのレベルが上がる。

 10分ほど見ればすぐに『霊視』のテクニックも習得できた。


「写真に撮っても写らないな」


 カメラを向けて何度かシャッターを切るも、暗闇しか写らず肩を下げる。


「〈霊術〉と〈撮影〉が一定レベルいるのかもしれませんね」

「なるほど、その可能性はあるなぁ」


 トーカの指摘はすんなりと腑に落ちる。

 それか、カメラをもっと古いものに変えたらいけるかも知れない。


「落ち着いて見てみると、ずっと見てられますね。水族館のクラゲコーナーみたいです」


 隣のレティがそんなことを言う。

 もう完全に恐怖は払拭されたらしい。

 彼女の横顔に柔らかな笑みが戻った丁度その時のことだった。


「レッジさん、あれ!」


 トーカが立ち上がり虚空を指し示す。

 その先を目で追うと、木々の隙間から大きな青紫に輝く蝶の姿が覗いた。


「あれは……」

「冥蝶、教導のパラフィニアだね。普段はもっと地味な色合いだけど」


 翅の両端までの長さは優に10メートルを超えるだろうか。

 巨大な翅をゆったりと上下させ、青い鱗粉を零しながら巨蝶は林の上を漂う。

 幻霊たちはその光に誘われるように引き寄せられ、後に続く。


「綺麗ですねぇ」


 レティが無意識のうちに零した言葉に全員の心が一致する。

 パラフィニアが林の闇の中へと消えるまで、その背中を俺たちは静かに見送った。


_/_/_/_/_/

Tips

◇〈冥蝶の深林〉

 シード01-スサノオの東、〈岩蜥蜴の荒野〉の奥に広がる林。規模は小さいが濃密に繁茂する植物によってその内部は昼間でも暗い闇に満ちている。

 暗く、大型の獣が入り込めない林の中には希少な昆虫が多く生息しており、最奥には冥蝶が彼の世へと赴く門があると言われている。

 生を終えた幻霊たちはこの安らぐ暗闇の地に集まり、冥蝶が彼の世へと誘うを待つ。


Now Loading...

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る