第234話「彼女の苦手な物」

 暗い林の中をレティと二人並んで歩く。

 アーツのおかげでグレースケールではあるが木々や草の輪郭ははっきりと分かるし、近くであれば機械槍のランタンも灯しているため視界は確保できている。

 ランタンは同時に威嚇効果も発揮しているため、獣の襲撃もさほど頻繁には無い。

 つまり、目的のポールがなかなか見つからない以外は至極平和な時間で、もっと言えば暇だった。


「そういえばレッジさん」

「どうした?」

「『鮮明な視界ビビット・サイト』が掛けられるのはレッジさんだけですけど、三人はバフが切れたら行動不能になるのでは?」

「効果時間は30分くらいあるし、それまでには一旦合流することになるだろ」


 『鮮明な視界』は軽い暗視効果を与える低級のアーツだ。

 その使い所が限られる効果故か、他のバフと比べても比較的長い効果時間が設定されていた。

 半時間もあればかなり探索ができるし、中間報告も兼ねて一度合流するのに丁度良い間隔だろう。

 そんな考えを彼女に伝えると、ふんふんと軽く頷いた後に小さく首を傾げられた。


「それで、合流場所はどこになるんです?」

「……あー」


 大変良い質問だ。

 全然考えてなかった。


「いやまあ、パーティは崩してないしお互いの位置は分かるだろ」


 慌ててマップを開き、少し離れた場所に三つの点が光っているのを確認する。

 TELも問題なく使えるし合流自体は難しくない、はずだ。

 たぶん。


「なら大丈夫ですね。一応、20分くらい経ったら合流に向かいましょうか」

「そうするか……」


 バンドチャットで彼女の提案をエイミーたちにも共有する。

 探索で20分間うろうろと動いても10分一直線にお互いを目指せば十分合流できるだろう、という算段だ。


「よし、これで憂いはなくなりましたね。レティも頑張りますよ」

「うん? そうだな、頑張ろう」


 妙に気合いの入っている様子のレティ。

 まあ俺の用事なのにこれだけ協力してくれるのはありがたいので頷いておく。


「しかし――」


 歩いていると、レティがおもむろにハンマーを構える。

 彼女は鋭い視線を空中に向け、思い切りハンマーヘッドを突き上げる。


「吶喊!」


 黒鉄が風を震わせ、枝葉の影から飛来してきた濃い紫の翅を押しつぶす。


「ちょうちょはランタンの威嚇効果が通用しないので厄介ですね!」

「むしろ寄ってくるのかも知れないなぁ」


 誘蛾灯的な。

 この深林は冥蝶と名前に冠しているだけあって、蝶に似た原生生物が多い。

 まあその大体が翅一枚で俺の顔ほどもある巨大なものなのだが。

 レティが叩き潰した夜影蝶ナイトバタフライもその一つだ。

 〈彩鳥の密林〉でもたまに遭遇する蝶なのだが、あちらでは夜にしか出てこないのに対して〈冥蝶の深林〉ではその暗さからか昼間でも普通に現れる。

 更に言えば、獣系のエネミーが現れないぶん余計に多く遭遇している気がする。


「昆虫系は解体が難しいんだよな」


 翅を粉々に砕かれた夜影蝶を拾い、一応餓狼のナイフを当ててみる。

 案の定蝶の身体が脆くすぐに崩れてしまう。


「すみません、ハンマーだとどうしても潰しちゃって」

「素材使う予定もないし別に良いさ。鱗粉は取れたしな」


 小さく脆い蝶などの昆虫系原生生物を綺麗な状態で倒すのは至難の業だ。

 アーツで弱めの電流を流して落とすのが、現在確立されている最もオーソドックスな方法ではあるが、当然俺もレティもそれはできない。

 恐らくラクトもできない、というかやらないだろう。


「今回の目的はポールだし、ちゃちゃっと片付けてくれるとありがたい」

「そう言ってくれると助かります。とはいえ、夜影蝶は単体で出てくるのでいいですが……」


 彼女の言葉を遮るように、パサパサと激しい羽音と共に黒い靄のようなものが現れる。


「ああいう群れるタイプの小さい蝶は無理です!」


 黒い靄の正体は、霞蝶ミストモス

 光を拡散する性質のある大量の鱗粉を纏い、数十から数百匹の大群で敵を襲う小型の蛾だ。


「ん-、まああれは俺の出番だな。風牙流、一の技――『群狼』」


 自分よりも大きな敵を、大量の仲間たちで包み込み高温の中で窒息させるという地味にエグい技を持っている霞蝶。

 彼らの弱点はふわふわとした鱗粉や小さな身体を吹き飛ばす強風である。

 斬撃の混ざった風が吹き荒れ、翅をズタズタに切り刻みながら小さな蝶を押し退ける。


「こっちはこっちで、身体が小さくて数が多いのが解体しにくいんだよな」


 ぼとぼとと落ち葉の上の降り積もる霞蝶の一匹をつまみ上げて眺める。

 比較的傷の少ない個体もあるにはあるが、単純に捌くのが面倒くさい。


「この蝶の鱗粉は使えるんですよね」

「煙玉が作れるらしいな。逃げる時に役立つらしい」

「なるほど、レティには必要ないですね」


 俺の言葉にあっさり興味を無くすレティ。

 彼女の辞書に闘争あれど逃走はなし、その背中は白磁のように滑らかなのだろう。

 いっそ清々しいまでの猪突猛進ぶりである。


「猪型ライカンスロープはいないのかね」

「何か言いました?」

「いや、ちょっと独り言をな」


 言葉を濁した俺は霞蝶の骸を後にする。

 その後も銀光蝶や赤銅蝶、牙爪蝶などと多種多様な蝶の歓迎を受けながら林を進む。

 ふわふわとした軌道で近づいてくる蝶は、槍の突き練習に丁度良い。


「ほんとに、種類だけは多様ですね」

「集めて標本にしてる人もいるくらいだしな。カブトムシみたいな甲虫類もいて、マニアも多いらしい」

「なるほど、だからたまに木の枝に罠が吊り下がってるんですね」


 林の中を歩いていると時折木の幹に果実を詰めた網などの罠を見ることがある。

 それらは全て昆虫マニアたちが仕掛けたものだ。

 たしか、レアなものになるとスキルデータカートリッジ以上の高額で取引されることもあるとか。


「レティはあんまり虫苦手じゃないんだな」

「ここで出てくるのは殆ど蝶ですしね。蚯蚓とか苦手ですけど」

「アマツマラに居なかったか?」

「あれは大きいので、逆に怖くなかったです」


 多分、殴れるからだろうな。

 そんな感想を抱いたが言葉にはしない。

 俺はまだ殴られたくない。


「ていうかレティの苦手なものってあるのか?」

「そうですねぇ。ここらで一杯お茶が怖いですかね」


 適当なことを言いながらレティは順調に草を掻き分け奥へと進む。

 いつも前衛で色々な原生生物と対敵している彼女だ。

 今更怖いものと問われても困るのだろう。

 そう思った直後のことだった。


「きゃぁああああああっ!!!」

「うどぅふっ!?」


 胸に強い衝撃を受け、そのまま後ろへ倒れ込む。

 混乱する思考の中で前からくるりと反転したレティが突進してきたのだと理解する。


「ちょ、レティどうしたいきなり」

「あや、あやや……」

「言語野がバグっておられる!」


 先ほどまでの余裕綽々な様子をかなぐり捨てて、俺をぎゅっと抱きしめるレティ。

 いや、腕力極振りだからか機体がミシミシと言っている。

 いかんこのままじゃ死に戻りを――


「レティ、レティ! しっかりしろ!」


 彼女の顔を両手で挟み、強引に目を合わせる。

 涙目の赤い瞳をじっと覗くと、次第に彼女も平静を取り戻す。


「す、すみません……」

「とりあえず力を抜いて。何があったか説明してくれ」


 装備越しに感じる柔らかな感触にハラハラとしながら彼女を諭す。

 未だに小刻みに震えているが一応の落ち着きを見せ、レティは木の根元に腰を下ろした。


「あの、レッジさん」

「どうした?」

「ここ、この世界にその……」


 むぐむぐと口を動かすレティ。

 なかなか目的の言葉が出てこないようで、潤んだ目で俺を見上げてくる。


「その、ゆ、こほん。こ、高度なプラズマの集合体的な、そのアレは、存在しない、はずですよね」

「プラズマ……?」


 恐る恐る、ゆっくりと自分に言い聞かせるように言葉を放つレティ。

 理解が足りず首を傾げる俺を見て、彼女はやきもきとして両手を振った。


「その、えっと、こう、ぶ、物理法則とか世の理から逸脱した不明な現象の……」

「ああ、もしかしてゆうれ」

「ぎゃあああああっ!」

「ごぷろっ!?」


 ずんっ、と下腹部に強い衝撃。

 視線を下げれば、彼女の赤髪が深森の隠者に埋もれていた。


「あの、レティ?」

「……」

「レティさん?」


 ぎゅっと固く腰に回された手。

 長く敏感な耳はぺたんと倒され一切の外音を聞かないようにと遮断されている。

 まるで携帯のマナーモードのようにブルブルと震える彼女は、どうやら梃子でも動かなさそうだ。


「……しかたない、少し休憩するか」


 俺は時間を見て、少し早いがエイミーたちを呼ぶことにする。

 そうして三人がやってくるまでの間、木の幹に背中を預けて赤い柔髪をゆっくりと撫で続けた。


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Tips

銀光蝶シルバーモルフォ

 美しい銀の光を放つ大型の蝶。薄く繊細な翅は薄い黒の模様が入り、その形状は個体によって千差万別。銀の鮮やかさと模様の際やかさ、そして二つのバランスが良い個体は愛好家たちの間で高額で取引される。

 しかしその翅は刃の様に鋭く硬く、不用意に手を伸ばせばズタズタに切り裂かれてしまう。


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