第233話「冥蝶の深林へ」
カフェ・えぷろんどれすで休養を摂った俺たちは、その後観光もそこそこに町を発つことになった。
ちなみにレティはあの山を、俺が食べ終わるのとほぼ同時に完食し、今も平気な顔でにこにこしている。
本当に同じ人間なのか分からない……。
「さあレッジさん、糖分も摂りましたし張り切って行きましょう!」
「そうだな。これで当分は歩き続けられそうだ」
とうぶんだけに。
「……」
「……」
〈竜鳴の断崖〉のポールは崖の真ん中に突き刺さっているらしい。
まずはこれを引き抜いてしまおう。
「ここだな」
サカオの町を発ち、崖際に沿ってしばらく歩く。
〈竜鳴の断崖〉は何層にも重なった葛折りの細い道が崖に走っており、そこを慎重に進むことで下層へと降りることが出来る。
満足に陣形も組めず行動を大幅に制限されたところへ大きな翼を持ったワイバーンのような翼竜が群れで襲いかかってくると言う、戦闘職からも厄介に思われているフィールドなのだ。
そして、ポールは比較的歩きやすく往来も多い道から離れた辺鄙で細い悪路の奥に突き刺さっていた。
「こういう時は浮蜘蛛の出番だな」
崖に手をつき、強風の吹き荒れる中で銀のポールを睨む。
〈歩行〉スキルのレベル的にはそのままでも獲りにいけるのだろうが、ここは安全を取って浮蜘蛛を使うことにする。
子蜘蛛の足は大抵の地形なら行動できる特別製だ。
当然、殆ど足場のない崖でさえ歩くことができる。
「それはそれで怖くないですか?」
子蜘蛛が張った糸の上に乗せた親蜘蛛の上に乗った俺を見てレティが言う。
確かに端から見れば崖で綱渡りをしている曲芸師のようだろうが、これが案外安定しているのだ。
伊達に戦地形成システムを名乗っていない。
「じゃ、ちゃちゃっと取ってくるよ」
本来ならば細い足場を慎重に進んで苦労して手を伸ばすのであろう、崖の途中に突き刺さったポールに軽く触れる。
任務が進行したのを確認してレティたちが居る崖上に戻るまで十分と掛からなかった。
「なんか、ズルしてるみたいね」
「これはこれで大変なんだよ。チート使ってる訳じゃないし、文句は言わせないぞ」
微妙な顔のエイミーに反論しながら浮蜘蛛をコンパクトにしてインベントリに取り込む。
これで残りは六つだ。
「このまま東に行って、〈角馬の丘陵〉経由で〈冥蝶の深林〉に入りましょうか」
「キヨウには寄らなくて良いのか?」
「さっき休憩したばかりですし、行こうと思えばヤタガラスでいつでも行けますからね」
そんなわけで〈竜鳴の断崖〉のポールを背中に、俺たちは高地の東にある〈角馬の丘陵〉へと移動する。
このフィールドは〈毒蟲の砂漠〉とは違い温暖で平穏な気候で、生息している原生生物たちも比較的温和な気質のものが多い。
「ここにいる馬がペットとして人気なんですよ」
柔らかな緑の草が生い茂る野原を歩きながら、レティがそんなことを言う。
周囲に視線を向けると、あちこちに様々な毛並みをした馬が二三頭のかたまりになって草を食んでいる。
「小さいのはポニーくらいのサイズですし、レアですけど輓馬くらいの大きな馬もいるんですって。機動力も高くて、乗り回してる人も良く見ますよ」
黒毛、栗毛、白に赤。
縞や靴下を履いた種類もいる。
更に草むらにそっと息を潜めて品定めしているプレイヤーも多く居て、確かに人気の高いエリアのようだ。
「ルナがマフと出会ったのもここだったか。風が気持ちいいな」
初めて訪れた時はニルマの戦馬車に乗っての高速移動で、ゆっくり眺める暇も無かった。
そのあともなんだかんだと用事があって、こうしてカメラ片手に歩くこともできなかった。
「結構でかいエネミーもいるんだな」
「ジャイアントラットとか普通に牛くらいのサイズありますし、ビッグフットラビットはゴーレムの背丈も越えますからね。結構威圧感があって戦いにくいって人も多いようですよ」
まあ、私はあまり気にしませんが、とトーカは涼しげに言う。
プティロンを倒した彼女ならば確かにどんな大物でも対応できるだろう。
ていうか、第2回イベントで黒神獣や祠の守護者と戦い抜いた歴戦のプレイヤーたちなら割と平気なのではないかという説もある。
「その分、お肉も結構取れて効率良いのよね。兎の焼き肉とかは腹持ち良くて余計なバフが掛からないから人気商品よ」
「そういえば市場でも良く見た気がするな」
素直な味だから色々とアレンジしやすいというのもあるんだろう。
一昔前のレトロゲーと違って、仮想世界では同じ料理を大量に食べ続けるのは単純に飽きるのだ。
……中には大量の料理を食べてけろりとしている少女もいたりするが。
「ちなみにここのボスの一角馬もテイムできるんだよ。めちゃくちゃ難易度高いみたいだけど」
ラクトの言葉に思わず驚く。
ボスを手懐けるとは、鬼をも恐れぬ所業ではないか。
「優艶のラポリタでしたっけ。難易度の高さが桁違いなんですよね」
「いろんなフィールドの希少な果実を大量に集めて、専用の上質なブラシを用意して、丸々一週間くらい馬鹿みたいに激しい攻撃を避けながらご機嫌を取る必要があるんだって」
「それは……むしろよく諦めなかったな……」
「調教師界隈も結構業の深いプレイヤーが多いらしいからねぇ」
世界は広い、ただそんな感想だけが湧き上がる。
しかもラポリタ自身はその手間に見合うだけの強さがあるかと言えば、実はそうでもないらしい。
テイムした時点ではかなりステータス的に弱く、苦労してテイムに成功したプレイヤーは敵だと強いのに味方になった瞬間弱くなるという現象に咽び泣いたのだとか。
更に餌はかなり高級で上質な物しか受け付けず、エネミーと戦わせて鍛えようとしてもプライドが高いのかなかなか言うことを聞かず、背中に乗ろうものなら自分が傷ついてでも振り落とそうと躍起になる、とまさにじゃじゃ馬である。
「でもそんな簡単には靡かない所が良いって言う人もいるらしいわね」
「ええ……」
エイミーが言い、思わず唸る。
世の中は、本当に広い。
「レッジ、あれポールじゃない?」
そうして丘陵を進んでいると、ラクトがポールを見付ける。
丘陵地帯の真ん中に突き刺さっているため、砂漠よりも格段に見付けやすかった。
原生生物もノンアクティブの種が多いし、生産者でも散歩くらいなら楽しめる良いフィールドだろう。
手早くタッチしてそのまま進路を〈冥蝶の深林〉へと変える。
「平和だし、順調だし、良い感じだね」
軽やかな足取りで草むらを進むラクト。
前衛の三人が手早くエネミーを掃除してくれているおかげで、俺も彼女もやることがない。
俺はブログのネタを探してカメラを構え、良い景色を見付けたらすかさず切り取りながら歩みを進めた。
「レッジ、そろそろバフ頂戴」
「『
丘陵の中央から西へ進むこと数十分、前方に陰鬱とした深林が現れる。
〈冥蝶の深林〉という名を冠するあのフィールドは、昼間でも濃密に絡む分厚い枝葉によって日光が殆ど通らない。
その上、生息する原生生物も闇に紛れる暗い色彩をしているため、視界を強化するバフを使うのがほぼ必須になっていた。
「〈戦闘技能〉にも視力を強化するテクニックなかったか?」
エイミーたちにバフを掛けながら、ふと気がついて言う。
「『野獣の眼光』ですか? あれは視力というか、動体視力というか。エネミーの攻撃の軌道が若干予測できる効果がありますが」
「別に暗視機能があるわけじゃないんだな」
「ですね。暗視能力はこうして支援アーツを掛けて貰うか、アンプルを使うか、あとは猫型ライカンスロープならデフォルトで暗視能力を持ってますね」
一口に眼と言っても、強化される箇所はいくつかあるらしい。
ちなみに『
「〈冥蝶の深林〉は、トーカとミカゲと初めて出会った〈彩鳥の密林〉を思い出すな」
「あの時は幻影蝶の素材を集めたんでしたか。深林のボスはあれの親玉みたいな奴ですよ」
あの時のことを懐かしく思うのはトーカも同じらしい。
彼女が集めるのを手伝った幻影蝶の鱗粉は、今も彼女が履いている黒い袴の染料として使われている。
「ちなみに日向鳥の羽根はミカゲの持っている根付けに使われていますよ」
「どっちも集めるのに苦労したよな」
「私は〈解体〉スキルの有用さを改めて実感しました」
暗い林の中を歩きながら、思い出話に花を咲かせる。
そうしていると頬を膨らせたレティがこちらをじろりと振り向く。
「あの時、レティもいたんですけどね」
「居たっていうか……いつの間にか付いてきたんじゃ……」
あれも驚いたが、結果として彼女も居たことで密林のフォルテも倒すことが出来たのだったか。
「それはそうと、この森はポールを探すの難しいんじゃない?」
断崖、丘陵と順調に進んでいた俺たちだが、ラクトの言うとおり深林では少々手こずる。
理由は単純に視界が悪いからだが、それがどうにも厄介だ。
アーツで視界を強化していても、密集する木々を透視することはできない。
結果として俺たちは細かに曲がりくねりながら暗い林の中を彷徨っていた。
「うぐぐ、これは埒が明きませんね……」
生い茂るシダの葉を掻き分けて進みながら、レティが唇を尖らせる。
「レッジ、二手に分かれて探した方がいいんじゃない?」
歩き回って三十分ほどが経とうとした頃、エイミーがそんな提案をしてきた。
少し考えた後で俺もそれに頷く。
「そうだな。俺の任務で振り回して申し訳ないが……」
「ここまできたら今更でしょ。班分けはどうするの」
ラクトがさらりと言う。
俺たちは簡単に話し合い、その結果――
「ではレッジさんのことはレティに任せて下さい!」
俺とレティ、エイミーとラクトとトーカの二組に分かれて探索を行うことになったのだった。
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Tips
◇優艶のラポリタ
〈角馬の丘陵〉に棲む野生馬たちのリーダー。群れの中で最も強く、気品に溢れ、美しい鬣を持つものが選ばれる。
白く滑らかな角は万病を癒やす薬にも、見た者の心を富ます芸術品にもなる。しかし不用意に近付こうものならそれは愚か者を刺し殺す凶器にもなるだろう。
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