第222話「疾る落ちる泣く」

「ケルベロス、ですか……」


 鋼鉄で形作られた四足三頭の猛犬を見上げ、レティがしみじみとその名前を反芻する。

 起動状態にないその巨像は微動だにせずただそこに座っているだけだが、それだけでも十分な圧力が肩にのし掛かってくる。


「機械牛三頭を連れるのは色々手間掛かるんじゃ無いかなって思って、ちょっと暇があったから作ってみたの」


 ぺしぺしとケルベロスの前足を叩きながらネヴァが言う。

 やはり彼女はレティのことを念頭に置いてこれを製作したらしい。


「カルビたちのAIコアをそれぞれの頭に搭載することで、彼らの“癖”は受け継いだまま上級AI並の処理能力を獲得できるわ。一応、中央の頭がメインで左右の頭はその補助って形になるけど。

 それに機体は黒鉄鋼製で防御力も十分だし、何なら多少の戦闘もできる程度の武装があるわ。頭が三つになって視野も広がってるし、まさしく番犬ね。

 もちろん、運搬能力は機械牛三頭分よりももっと大きいし、胴体のコンテナごと入れ替えられるから迅速な物資補給もできるし、タラップ完備で運び込みも楽々よ。

 流石に空は飛べないけど出力が大きいから大抵の地形は踏破できるし、特大型バッテリー対応スロットを付けてるから十分な活動時間も確保されてるはず」


 長々とセールスポイントを語るネヴァ。

 若干彼女に気圧されながらも、レティはこの猛犬の凄さを感じたようだ。


「あ、レティは〈機械操作〉スキル60以上あるよね? だったら背中に乗れるようにサドルも付けちゃうわよ」

「む、それは少し心惹かれますね」


 最後にそんな落とし文句を囁かれ、レティはついに陥落する。


「あと、これは一応試作機だから時々使用感とか教えて欲しいわね。不満点があったらできる限り対応するし、改造パーツの要望も相談に乗るし」

「そんなに至れり尽くせりでいいんですか?」

「半分趣味みたいなものだしね。あ、ちゃんと代金は貰うわよ」


 目を白黒させるレティにネヴァは代金を提示する。

 安いとは口が裂けても言えないが、それでも先のセールストークを聞けば破格の値段だ。

 普段きっちりとしているレティは俺と違って懐にも余裕があり、即金で支払う。


「まいどありー! じゃ、コンバートはそっちでやって頂戴ね。私はサドルを用意するわ」

「分かりました。いいものをありがとうございます」


 両者共に良い笑顔を浮かべ、円満に交渉は成立する。

 レティは早速壁際に待機させていたカルビたちの頭を開き、そこに内蔵されていたAIコアを取り出す。

 銀の金属外装で包まれた円筒形の物体で、その中に彼らが今まで歩んできた道のりの全てが詰まっているのだ。

 彼女はそれを慎重に運び、ネヴァが開けたケルベロスの頭の中へと移す。


「真ん中はカルビですね。一番付き合いが長いですし、ベテランさんですし。――『コンバート』」


 スロットに円筒を差し込むと、ガチャリと機構が動いて自動的にコアを取り込む。

 左右にもハラミとサーロインのAIコアを挿入し、蓋を閉じる。


「じゃ、スイッチ入れて頂戴」


 ネヴァに促され、レティはケルベロスの鼻先に指先で触れる。


「――『起動』」


 テクニックが発動し細い指先で火花が散る。

 黒い巨体が僅かに震え、三つの頭の六つの瞳が一斉に開く。

 赤く煌々と輝く瞳が一点を――目の前に立つ主人レティの方へ集まる。

 数秒の沈黙の後、彼らは一様に頭を垂れた。


「ちゃんとレティのことを認識してるんだな」

「当然です。姿は変わっても、中身はカルビたちそのままなんですから」


 嬉しそうに三つの頭を撫でるレティを見ながら、ふと疑問が脳裏を過る。


「そういえば、三頭が一頭になったわけだが、名前はどうするんだ?」

「む、そうですね。カルビ、ハラミ、サーロインはそれぞれの頭の名前って感じですし、新しいのを考えた方がいいですね」


 はっとしてレティは考え込む。

 正直三頭を代表してカルビの名を受け継いでもいいと思ったが、彼女はそうは思わなかったらしい。


「ケルベロスって地獄の門番なんですよね?」

「まあ、簡単に言えばそうかしら」

「地獄って寒いんですよね」

「……かもな? 地獄の業火って言葉もあるし暑いかもしれんが、ケルベロスの所は寒かった気がする」


 何かを確認するかのように、彼女は周囲に問いを投げかける。

 そうしてふむふむと頷いた後、突然手を打って言った。


「決めました! この子の名前は“しもふり”です! 寒い寒い、霜が降るような地獄でも元気に走れるように、ということで!」

「……絶対理由はそれだけじゃないだろ」


 胸を張り意志を固めるレティに、俺からは何も言うことはない。

 本人がそれで納得しているのならそれでいいのだ。


「じゃ、しもふりにサドル付けるわね。バッテリーは満タンにしてるから、すぐに稼働できるわよ」

「何から何までありがとうございます! 今回の遠征が終わったらすぐに報告しに戻りますので」

「ゆっくりでいいのよ。道楽みたいなものだし。まあ、少しでも役に立ってくれるなら嬉しいわ」


 そう言ってネヴァはしもふりに首輪を嵌め、ハーネスのような器具を取り付ける。

 これを使えば、〈機械操作〉スキルによって騎乗することができるらしい。

 その作業と平行してカルビたちの前の身体に積み込んでいた荷物をトーカと一緒に移していく。

 レティは操作や機能について確認を進め、荷物の搬入が終わった頃にはそちらも完了した。


「ネヴァさん、これ頑張れば三人くらい乗れますかね?」

「ええ? まあ、積載量的には問題ない……のかな? コンテナに入ったら流石にもみくちゃになりそうだけど」

「なるほど……」


 その答えに頷き、レティはちらりと俺とトーカの方を見る。

 少し嫌な予感がしたが流石の彼女もそこまで変なことはしないだろう、とその時の俺は安易なことを考えていた。



「ぃやっっっほぉぉぉぉぉう!!!」

「うぉぁあああああ!?」

「きゃぁぁああああっ!」


 森の密集した木々の中を勢いよく走る四足三頭の猛犬がいた。

 それは太い四肢で地面を抉り、左右の頭で邪魔な木々をなぎ払いながら一直線に進んでいた。

 まさに猛進、これぞ進撃。

 真ん中の首――カルビが主人の興奮に合わせるように咆哮を上げる。

 彼らも身体が変わり、感じたことの無い力強さとスピードに酔いしれているのだろう。


「いけいけどんどん! フォレストウルフなんて吹き飛ばしてしまいなさい!」


 首元に跨がり勇ましく檄を飛ばすレティに呼応し、しもふりは更に速度を上げる。

 寝ぼけ眼の哀れなフォレストウルフが突進で吹き飛び消える光景に震えながら、俺は必死に全身を使ってしもふりの背中にしがみついていた。


「トーカ、大丈夫か」

「な、なんとか……。〈登攀〉スキルが無ければ即死でした……」


 俺の後方、しもふりの腰部に座り俺の腹にしがみついているトーカはより大変そうだ。

 何せ彼女は〈機械操作〉スキルを持っていない。

 そのため機械獣であるしもふりの動きに対応する術を〈登攀〉スキルのしがみつきにのみ頼っているのだ。

「レッジさん、そろそろ〈猛獣の森〉を抜けますよ!」


 彼女の言葉と共に森が過ぎ、水分の多い湖沼地帯に突入する。

 ぬかるみにも関わらずしもふりの走りは少しも緩まず、高い飛沫を上げて疾駆していた。


「普通にヤタガラスでウェイドまで戻れば良かったのに」

「試運転は大事ですよ。まずはしもふりの実力がある程度把握できていないと。それに、しもふりの大きさではヤタガラスに乗るかどうか不安ですし」


 激しく上下に揺れるしもふりの背上では、〈機械操作〉スキルを持たないトーカは碌に話せない。

 俺が変わって苦言を入れると、それなりにまともな答えが返ってきて唇を噛む。


「ひとまず走行能力と運搬能力は上々の上ですね。あとは耐久性ですが……」

「耐久性なら、散々木を薙ぎ倒して原生生物を轢いてきただろ」

「いやいや、それくらいはできて当然です。問題はこの先ですよ」


 そう言って彼女は前方を指さす。

 かなり広い筈の〈水蛇の湖沼〉を瞬く間に縦断したしもふりは、すでにフィールドの境へと差し掛かっていた。

 その奥に待ち受けるものに一瞬首を傾げ、すぐに顔が青ざめる。


「ま、まさか――」

「当然ですよね!」

「っ! トーカ、絶対腕離すんじゃ無いぞ!」

「は、はいぃ」


 片腕でサドルのベルトを掴み、もう片方でトーカの腕をしっかりと握る。

 ダンダンと力強く駆けるしもふりは〈水蛇の湖沼〉を突破し、〈鎧魚の瀑布〉へ突入する。

 目的地であるウェイドは瀑布の下層で、ここは上層。

 二つの間を隔てるものは――


「跳べぇぇえええええっい!」


 レティの声に合わせ、しもふりが大きく力を溜めて飛び上がる。


「ぴゃっ!?」

「大丈夫だから、俺が握ってるからな!」


 白い飛沫と靄の立ちこめる大瀑布。

 怒濤の如き勢いで遙か下方へと落ちる大量の水。

 轟音を切り裂き、黒い巨影は眼下に広がる森へと落ちる。


「しもふり、対ショック姿勢です!」


 地面が近付き、トーカがぎゅっと目を閉じる。

 彼女の腕が強張るのを感じながら、意識して目を開いたままにする。

 ちなみにしもふりに対ショック姿勢というものは実装されていない。


「着地っ!」


 レティの声と同時に、しもふりの強靱な脚が大地を掴む。

 瞬間、バネのように力が弾け、落下の衝撃はそのまま走り出すエネルギーへと転換された。

 弾丸のように射出されるしもふりは、特に苦しげな様子も無く順調に瀑布下層の森を薙ぎ倒している。


「す、すごいな……」

「流石ネヴァさん謹製の機械獣ですね。馬力も耐久性も桁違いです」


 飛び下りを決行したレティも若干驚いた様子でしもふりの首元を叩いて労う。

 ……これ飛び下りに失敗してたらどうなったんだ。


「ちゃんと成功したんですから、そういうことを考えるのは野暮ってもんですよ」

「そ、そうか……」


 手綱を繰りながら言うレティは、既に思考を切り替えていた。

 今度はしもふりの操作性を試すようで、不規則に生える木々の間を縫うように小刻みに揺れながら走らせる。


「トーカ。……トーカ? もう大丈夫だぞ」

「あぅ、こ、こわかった……」


 強い衝撃を心身共に受けたせいか、トーカが普段の凜とした姿から少し幼い様子に変わっている。

 まだ強張りは取れないようで、俺の腰にはきついくらいに彼女の両腕が絡みついている。


「そろそろウェイドに着きますよ。エイミーたちには門で待って貰うように言ってますので」

「いつの間に……。それなら合流次第すぐに出発するか」


 その前にトーカの調子を戻す必要があるかもしれないが。

 とりあえず、そんな話をできるくらいにはしもふりの動きにも慣れてきた。

 というよりはレティが操作に慣れてきたのか、もしくはしもふりのAIコアが挙動を学習して最適化していっているのか。

 ともかく、ウェイドに着く頃にはかなり安定しているだろう。


「ふふふー、ラクトたち驚きますかねぇ」

「そりゃあまあ、そうだろうな」


 不敵に笑うレティの予想通り、この数分後俺たちは新手のエネミーかと思われるのだった。


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Tips

◇ケルベロス

 正式名称“三機相互接続型高機能人工知能搭載運搬用機械猛犬”。とある名工が己の資材と技術の粋を余すことなく注ぎ込んだ、全く新しい大型の機械獣。

 三つのAIコアを搭載し並列処理を行うことにより、更に高度な演算能力を獲得した。

 輜重運搬を主用途としているため、胴体部には大型のコンテナが内蔵されているが、一定の自衛戦闘能力も有する。

 黒鉄鋼の外装により堅固な防御性能を有し、衝撃緩衝機構により高所からの降下も可能。さらに三つの首はそれぞれ独自に稼働し、広域な視界を持つ。

 欠点としては稼働に大量のエネルギーを必要とするためコストが多く掛かる点と、試製段階故の細部の粗さが挙げられる。

 専用のサドルを装着することで、最大三人までの騎乗が可能。ただし相応のスキルが無ければすぐに振り落とされてしまう。


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