第166話「獅子奮迅」

 いっそう強く殴りつけてくる吹雪を撥ね除け、三方から銃撃が轟く。

 風を貫き音を置き去りにして放たれた不可視の銃弾は、一切の脇目も振らず刹那の間に黒毛の大猪へと到達する。


「ッ!?」


 高密度のエネルギーが鎧の如き毛皮を焼き切る。

 肉を抉り、焦がし、なおもあまりあるエネルギーの全てを放出するため金属塊は猪の体内を暴れ回る。


「なんですかあれは!?」

「分かりません。銃士ガンナーでしょうか」


 苦悶の表情を浮かべ激痛に咆哮する黒猪に、レティも戦馬車から飛び下りる。

 数秒後、彼女たちの理解を置き去りにしたまま第二射が放たれる。

 轟音、血しぶき、悲鳴。

 猪がのたうち回って場所を変えても三つの弾丸は冷徹にその中心を捉え続けていた。


「こんなに威力のある狙撃銃なんて、聞いたことないよ。それにこの射線は……」


 いつの間にかレティの隣に立ったルナが戦慄する。

 銃を扱っている彼女だからこそ、その砲撃の威力が常識を大きく逸脱したものであることを誰よりも理解していた。

 〈銃器〉スキルで扱える武器にはいくつかのカテゴリがあるが、狙撃銃はそのうちの一つとして多くの銃士ガンナーが愛用しているものだった。

 超射程高火力が売りであり、大口径の特殊弾頭を扱えるものもある。

 しかし如何に火力に優れた狙撃銃であろうと、たったの三挺でボスエネミーを圧倒できるものは未だ開発されていない。

 その上もっとも彼女が驚いていたのは、轟音と共に空を横切るライン。

 弾丸の軌跡を示すそれを辿ると遙か空の果てへと続いていた。


「飛行機でも開発されたわけ? 僕、そういう話は聞いてないなぁ」

「アマテラスの防衛装置が作動してるとかじゃないの?」

「開拓司令船の装備は自衛用で攻撃には使われないって、どこかのフレーバーに書いてあった気がするわよ」


 ニルマたち〈銀翼の団〉もチャリオットから降り、眼前で繰り広げられる一方的な蹂躙に呆然とながら言葉を交わす。


「皆さん敵が!」


 その時、タルトが悲鳴を上げる。

 盆地の傾斜で立ち止まっていたアストラたちの方へ、群れから飛び出したコオリザルが迫っていた。


「『デュアルスラッシュ』! ――正体は分かりませんが、ボスを封殺してくれているなら味方です。俺たちも体勢を立て直しましょう!」


 直剣を掲げ先頭に立つアストラ。

 彼に鼓舞されアッシュたちも武器を構える。

 彼らが太刀打ちできなかった黒猪は正体不明の射撃によって動きを止めている。

 それどころかHPもその大部分を削っており、討伐すら時間の問題だった。


「『性質変転ワークチェンジ』『対象増幅レイズ・オブ・ターゲット』『叛逆するカウンター・守護の鉄壁ガーディアンズ・ウォール』」


 リザが杖を掲げ詠唱する。

 アストラたちだけでなくレティ、ルナ、タルトたちの周囲にも取り囲む巨大な盾が現れた。


「すごい、こんな大きなアーツを……」

「うふふ。これでも一応〈銀翼の団〉のメンバーなのよ」


 驚くレティにリザは緩やかに微笑む。

 そこへ殴りかかってきたユキグモは、彼女が軽く振るった杖から飛び出した氷柱に貫かれて地に伏せる。


「ちなみにリザのいっちばん得意なのは〈攻性アーツ〉だからね」


 自身もエネミーを殴り殺しながらフィーネが言う。

 リザも不満げに頬を膨らせるものの否定はしない。


「〈銀翼の団〉唯一の清涼剤だって言われてるのに……」

「バリバリ戦闘職なんですねぇ」


 ルナとタルトも驚きつつ戦線に加わる。

 破竹の勢いで原生生物たちを再び圧倒し始めるアストラたちに後れを取るまいと銃弾の雨を浴びせ、剣で切り刻む。


「よぅし、それじゃあレティも行きますよ!」


 レティもまたそれに続きハンマーを掲げる。

 横薙ぎに振り回して三体のコオリザルを纏めて吹き飛ばし、鼻を膨らませる。


「っ、猪が……!」


 そうして彼女たちが元の位置にまで戻ってきた時のことだった。

 遙か後方に下がっていた大猪が断末魔を上げる。

 天を劈くような声と共に、分厚い筋肉の鎧を纏った巨体が白い雪原に倒れる。


「ほんとに倒しちゃいましたね……」

「最初から最後まで、正体が分かりませんでした」


 ボスが倒れたことでエネミーの群れも統率を失ってしまったのか、途端に蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 誰もが肩で息をしながら、雄々しい牙を天に向ける猪を見上げていた。


『おお、ほんとに倒せたな!』


 その時、突然一機のドローンがやってくる。

 大猪の様子を見に来たようで巨体の周囲を細やかに動きながら観察している。

 単眼のレンズを携えたそれは、一回り大きくなりシルエットが複雑になっているもののレティたちには見慣れた姿だ。

 それになにより、ドローンに搭載されたスピーカーから響く声に聞き覚えがある。


『いやぁ、まさかほんとに倒せるとは。あんな原生生物初めて見たが……。しかしあれ倒すだけで一体いくら掛かったんだろ。……レティには内緒にしとかないとな』

「――レッジさん?」

『うぉわっ!? れ、レティ? そ、そこにいるのか?』


 重く低く、彼女が名前を呼ぶとドローンはたちまち狼狽してカメラを周囲に向ける。

 そうしてすぐ近くでじっとりとした視線を向けるレティと目が合うと、プルプルと震え始めた。


『あー、レティ。いや、これは……。イヤー、オモッタヨリリーズナブルダッタナー!』

「…………お話は、直接しましょうか」

『……………………はい』


 降伏宣言と共に、様々な形状をしたドローンの群れがレティたちの前に現れる。

 その中には立派な銃身を備えた大型のものも。


「ああっ! そ、それ……」


 それを見てルナが思わず声を上げる。

 これによって彼女たちは確信した。


「今回もレッジさんの仕業でしたか」


 どっと疲れたような表情に若干の安堵を混ぜてアストラが言う。

 ニルマが大声を上げて柔らかな雪に背中から倒れ込むと、他の面々も腰を降ろした。


「レッジさん、少し休憩してから伺いますから」

『お、おう。十分休んでからで良いからな!』


 ガタガタと忙しなく物音を立てながらレッジが応える。

 おおよそ、何か証拠になりそうな機材を片付けているのだろう。


「無駄な足掻きだと思うんですけどねぇ」


 そんなことをぼやきつつ、レティはゆっくりと雪の中に身を沈める。

 周囲には夥しい数の原生生物の骸が散乱していて、身体はまだ乱戦の熱を持っている。

 しかし真っ白で冷たい雪の中に身体を半分沈めると、それもどこか遠い喧噪のように思えた。


「ふぅ。乱戦は楽しいですが、疲れますね」


 大きく息を吐き、小さく呟く。

 彼女の耳の奥にはまだあの轟音が反響していた。





「やばいやばいやばい!」


 コントローラーをインベントリに放り込み、ディスプレイを全て消す。

 撤収させたドローンも回収してパーツに分解しておく。


「この薬莢一つでウン十万ビットか……」


 高圧電流によって焼け焦げた金属製の大きな薬莢を見てがっくりと肩を落とす。

 通常であればただ排出して捨てるだけでいいそれをわざわざ回収しているのは、そうしないと〈狙撃者スナイパー〉が展開する光学迷彩フィールドが安定しないからだ。


「せっかく貯めた金が……」


 あのデカい猪を一方的に圧倒できたのは華々しい戦果だが、その代償は猪よりも更にデカい。

 具体的に言えば、あの戦闘でまた貯金が底を突いた。

 一度破産してから汗水垂らしてまた築き上げた財産が、すべて、雀の涙ほども残さず、無慈悲に、跡形もなく、消えてしまった。

 これがレティにバレたらどう言われるか、今からすでに恐ろしくて震えてしまう。


「幸いレティたちは少し休んでから帰ってくるらしいし、今のうちに……」


 ドローンの姿は見せてしまったが、彼女たちはその界隈には明るくないはず。

 パーツにバラして隠してしまえばなんとか取り繕えるだろう。


「アイツ、ボスだったんだなぁ。道理でタフだった訳だ」


 あの黒猪を倒した瞬間、アナウンスが鳴り響いた。


『黒き神の仔、〈双牙のアルボルディル=アルゴス〉を討伐しました』


 何やら訳の分からない単語もあったが、ひとまずの感想は「名前が長い」というただ一点のみだ。

 とりあえず今はそれよりもあのヴォーパルバニーに見つかる前に。


「誰がヴォーパルバニーなんですか?」

「そりゃあもちろんレぎゃっっ!?」


 空薬莢に伸ばした手の前にシャドウスケイルブーツが立ちはだかる。

 外の吹雪よりも冷たい声に見上げると、そこには優しげな笑みを浮かべた彼女が立っていた。


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Tips

◇『叛逆するカウンター・守護の鉄壁ガーディアンズ・ウォール

 三つのナノマシンチップを使用する中級防御アーツ。自身の周囲に強固な盾を生成する。盾は攻撃を阻み、更にダメージを反射する。一定以上のダメージを受けるか一定時間経過で消滅。

 自身を守る忠義の盾。凶刃を阻み、愚か者に鉄槌を下す。淡々と主人に従う姿はさながら騎士のように。


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