第160話「暖かな火」

 アストラたちが奮闘して傷を付けた氷塊は、いつの間にか元のつるりとした表面にまで戻ってしまっていた。

 再び積もった雪を払って白樹が凍る氷壁の奥をしっかりと見据える。


「せーのっ!」


 かけ声と共に両手で握ったツルハシを思い切り振り下ろす。

 甲高い音と共に切っ先が僅かに氷壁へと突き刺さり、周囲を白く曇らせる。


「どう? 手応えある?」

「正直、よく分からんな」


 背後から見守っていたルナに声を掛けられ、俺は首を捻りながら答えた。

 ルナが提案した二つの方法。

 そのうちの一つがこの〈採掘〉スキルを使った氷塊の掘削だった。


「むぅ、良い案だと思ったんだけどなぁ」


 予想を下回る結果に提案者の少女は肩を落として頬を膨らせる。

 念のため数度、繰り返しツルハシを振るって氷壁にぶつけるが、順調に砕けているとは言いがたい。


「むむむー、ダメだったかぁ」

「でも通常の戦闘系スキルによる攻撃と比べれば遙かに効率的ですよ」


 徐々に修復されていく傷を見ながらアストラが言う。

 確かに彼の言うとおりではあるのだが、


「この速度じゃ、どれほど時間が掛かるか……」


 タルトの懸念に俺も頷く。

 回復能力がある上に単純な大きさも厄介な氷塊を、小さなツルハシ一本で掘り進めるというのは現実味のない話だった。


「せめて専門の鉱夫が3人くらいでも居れば違うんだろうが」


 鉱夫と言うのは〈採掘〉スキルを中心に鉱石類の採取に特化したビルドを組んだプレイヤーのことだ。

 金属やそれの素となる鉱石は武器や防具、アクセサリーや建材など常に需要があり、売れば売るだけ買われる安定した稼ぎ方だ。

 だからこそ、それに特化したプレイヤーが多くいる。


「〈大鷲の騎士団〉にも採掘班というか、アイテム採集全般を任せている調達部がありますよ」

「マジか。流石大規模バンド……」

「ウチなんかは特に、団員には標準装備として銀翼の紋章を付けた鎧なんかを配布していますからね。そういうものは自前で作ってるんですよ」

「確かに騎士団の人って身体のどこかしらにそのマーク付けてるから分かりやすいよね」


 ルナがアストラのマントを指さして言う。

 彼の青いマントには、大きく翼を広げた鷲の紋章が刺繍されていた。


「でも生憎、今はどの班も忙しいんですよね。希少な鉱石を集めて貰っているので」

「まあ仕方ないだろうな。じゃ、次の案を試すかね」


 氷塊掘削作戦は潔く諦めることにして、俺はいそいそとツルハシをインベントリに仕舞う。

 これ以上続けてもツルハシが壊れるだけで事態は進まないだろう。

 それはルナも分かったらしく、特に何か言われることもなかった。


「それで、次の作戦はどのように?」


 アストラが尋ね、落胆していたルナは突然張り切り出す。


「名付けて『みんなでぽかぽか大作戦』よ!」

「みんなで」

「ぽかぽか」

「大作戦……?」


 ぽかんと口を開ける俺たちにルナはびしりと人差し指を突きつける。


「氷を溶かしたいならやっぱり炎。熱でもって液化させればいいんだよ!」

「はええ。でもわたしのアーツ、火属性だったんですが……」

「分かってるわ。だから一つ仮説を立てました」


 タルトの指摘にも臆さず、むしろ待ち構えていたかのようにルナは朗々と説明する。


「アーツの炎は厳密には炎じゃない。熱さは感じるけどあれは触媒であるナノマシンが物凄い勢いで振動している影響であって、ナノマシンの範囲外ではほとんど変化はないのよ」

「んー、そういえばラクトのアーツが頬を掠めても冷たくはないな」

「ラクトさんは氷属性だったよね。まあ熱に関しては振動の大小によるものだから根本的な違いはないね」


 更に、とルナは続ける。


「単純にアーツは戦闘関連の技能にカウントされてるんじゃないのって話よ。ピッケルでは多少傷が深く付いたのに、それよりも強力な筈のあたしたちの攻撃じゃ全然だったのと同じみたいにね」

「つまり、戦闘関連ではない技能で氷に熱を加えて溶かすと?」


 アストラの要約に彼女は深く頷いた。


「どう? 完璧な作戦でしょ!?」

「そうですねぇ。まあ、わたしにはその『戦闘関連ではない技能で氷に熱を与える』という方法が見つからないことに目を瞑れば、完璧な作戦だと思います」


 タルトが割と辛辣なことを言う。

 もしかして口調は丁寧なのに少し毒舌系キャラなのか……?


「ふっふっふ。甘いわねタルトちゃん、文字通りタルトみたいに甘いわよ!」

「えへへ。甘いのは大好きです!」

「そういうことじゃないけどね! そこで登場するのがはいこの御方、レッジさん!」

「はいはい」


 ずびし、と指名されて素直に手を上げる。


「レッジ、〈野営〉スキルに焚き火を熾す技があったよね?」

「そのまんま『焚き火設置』ってのがな。ちなみに小屋で暖炉に火を付けたのもそれだぞ」

「そう! それで氷を溶かすのよ!」


 これはいけるわ! と自信満々に胸を張るルナ。

 彼女の脳内では完璧な理論が仕上がっているらしい。

「まあ固形燃料にも余裕はあるし、やるだけやってみるか?」

「お願いします!」


 ルナに背中を押され、再度氷壁の前に立つ。

 取り出したのはいつも使っている焚き火セットだ。

 以前使っていた携帯コンロでは料理するときに少しスペースが足りなかったからと、それよりも大型のものに更新している。


「じゃ、いくぞ『焚き火設置』」


 テクニックの発動と共に、コンロの下に置いた固形燃料から火が上がる。

 初めは小さかった火もだんだんと燃え広がって炎になる。


「おお、暖かい……」

「はわー、いいですねぇ」


 雪に囲まれ冷えた身体を温めようとアストラたちが焚き火の周りに集まってくる。

 いくら防寒着やホットアンプルで対策しているとはいえ、寒いものは寒いのだ。


「さ、どうかな?」

「うーん……。おおっ?」


 炎のオレンジに照らし上げられた壁面をじっと見つめる。

 数分経った頃、突然じわりと表面が濡れてきた。


「やったな、ルナ。ビンゴだ!」

「しゃぁい! ほら、言ったとおりでしょ! あたしは正しかったんだ!!」


 ガッツポーズで飛び跳ねるルナを傍目に氷の表面に触れると、脆くなった部分がシャリシャリと落ちる。

 数センチではあるがそれはアストラたちの攻撃ですら阻んだ数センチである。


「レッジさん、これならツルハシでいけるのでは?」

「そうだな。やってみるか」


 タルトの助言に従い再びツルハシを構える。

 思い切り振りかぶって角を叩き付けると、かき氷に匙を入れるような感覚と共に深く突き刺さる。


「やりましたね! これは光明が見えました」


 その快進撃にアストラも感情を高ぶらせる。

 炎に照らされた壁面をツルハシで叩けば、面白いほどに氷が除かれていく。

 これならば確かに白樹まで到達できるかもしれない。

 が、しかし。


「あがっ!?」


 突然ツルハシの先から伝わる感触が元に戻る。

 まるで鋼鉄を殴ったかのようなビリビリと痺れる手を抑えながら、内側に窪んだ壁面から下がった。


「くぅ、痛ってえ」

「どうしたの?」

「火が遠すぎるみたいだな。あの辺からは硬さが前と同じだ」

「それじゃあ焚き火を奥にずらせばいいよね」

「それはそうなんだが……」


 楽観的なルナとは対照的に、俺は表情を曇らせる。

 そんな様子に気付いた彼女が怪訝な顔を向けてきて、理由を求める。


「焚き火は撤去すると、途中まで消費した固形燃料も全部消えるんだ。そうなるとこの掘削具合から考えて……ちょっと白樹までは辿り着けそうにないな」

「そんなぁ」


 固形燃料に余裕があるとはいえ有限であることには変わりない。

 ツルハシも併用した掘削はアストラたちの攻撃と比べれば天と地ほどの差を付けて進んだものの、それでも目標である白樹まではまだまだ遠い。


「一度帰って、物資を用意しましょうか?」

「うぅ。せっかくここまで来たのにぃ」


 そう言っている間にも掘り進めた氷はだんだんと修復されていく。

 数分経てばまた元に戻ってしまうだろう。


「……よし」

「ちょ、レッジ!? 何してんの!?」


 俺は焚き火を片付けると氷塊の両側に聳える崖に手を掛けた。


「ちょっと上に登る。三人は待っててくれ」


 指先に力を込めて身体を引き上げる。

 〈登攀〉スキルのおかげで苦しいが登れないほどの崖ではない。


「もー! 待ってろって言われても困るんだけど!」

「そうですよ。下に居てもすることないですし」

「ルナ、タルト……」

「ほっ、ほっ。〈登攀〉スキルが無くても登れないことはないですね」

「いやそれはおかしいだろ」


 三人は俺と肩を並べ崖を登る。

 約一名を除き、ルナとタルトもある程度は〈登攀〉スキルを持っているようで、崖を登ることは問題ないようだ。


「はっ、ふぅ。はぁ、つ、ついた……」


 10メートルには満たないとはいえそれなりに高い崖を登り終え、俺たちはなんとか氷塊の上に辿り着く。

 雪が降り積もっているが、氷塊の上面はほとんど平ららしい。


「で、何をするの?」

「まあやることは一緒だよ」


 鉄製の骨組みを組み立てて、灰皿に燃料を乗せる。


「『焚き火設置』」


 固形燃料に火が付き、周囲を赤く照らす。

 それはもちろんコンロが脚を付けている真下の氷にも。


「おおっ!? なるほど、そういうことですか」


 最初に気付いたのはアストラだった。

 きょとんとする少女ふたりに彼は解説する。


「氷が焚き火の熱で溶けますよね。そしたら重力に従ってコンロが下に下がります。つまり氷と火の距離が変わらないんですよ」

「な、なるほど!」

「ほええ。頭が良いです……」


 その間にも氷は順調に溶けていく。

 ツルハシでその周りを削ってやればペースはさらに速くなる。


「ああっ!」

「おわっ!? ど、どうした突然」


 揺れる炎を見ていると唐突にアストラが声を上げる。

 驚いて振り向くと彼は、あることに気がついたと言ってどこかにTELを送る。

 それから数分後、一つ目の固形燃料が無くなりそうになった頃のことだった。


「こんにちはー!」


 氷塊の下から聞き覚えのある声がした。

 縁まで行って見下ろすと、そこには揃いのコートを纏った男女十数人が固まり、先頭には軽鎧を身に纏った赤みがかった金髪の少女が立っている。


「アイ!? どうしてここに……」


 〈大鷲の騎士団〉の副団長、苦労性な中間管理職の少女はレイピアを腰に佩き威風堂々と俺たちを見上げている。


「アイの率いる第一戦闘班と第一調査班の混合部隊が、丁度霊峰深部の探索をしていたのを思い出したんです。それで、彼女たちの部隊にもレッジさんを見習って〈野営〉スキル持ちを数人充てていまして――」


 その後、〈雪熊の霊峰〉には鎮座する氷塊の上にいくつもの焚き火を囲む拝火教のような集団が見られたとか見られなかったとか。


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Tips

◇『焚き火設置』

 〈野営〉スキルレベル1のテクニック。携帯コンロに燃料を入れ火を付ける。揺れる炎は張り詰めた緊張の糸を緩め、心を溶かす。周囲の機械人形のLP自然回復量を増やし、猛獣系の原生生物を遠ざける。また寒冷地などでは機体を温め機能を正常に保つこともできる。


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