第156話「身体を温める」
スサノオからでもその山容を望める〈雪熊の霊峰〉は、〈牧牛の山麓〉から更に北上した先に位置していた。
入り口の周囲は草がまばらに生え、ゴツゴツとした岩の転がる荒れた土地だが、歩を進めるごとに山腹から滲むように白が現れ、やがて深い雪に足を取られるほどの豪雪地帯へと姿を変える。
「マフ! あんまり離れちゃダメだよ!」
ルナが叫ぶ。
彼女の視線の先、透き通った青い空の下では小さな虎が転がるようにさらさらとした雪面に足跡を刻んでいた。
純白の世界の中では彼の金色の牙だけがキラキラと光っているようだ。
「なんか振り回したみたいで悪いな」
「いえいえ。こうして集まれることもそうそう無いでしょうし、今のうちにできることは全てしておきたいので」
隣を歩くアストラにそういうと、彼はいつもの爽やかな笑みでそれを否定した。
「久しぶりにふるさとに帰って来れて、しょこらも楽しそうですしね」
一歩後ろを歩いていたタルトが亜麻色の尻尾を揺らしながら言う。
不意に頭上に影が落ちて見上げると、悠々と翼を広げた白い梟が同じく純白の鷲と共に楽しそうに旋回していた。
「それで、問題はうちの白月なんだが……」
空へ向けていた視線を地上におろし、銀世界の中にいるはずの姿を探す。
ポツポツと残る丸い足跡の先で、白月はふんふんと忙しなく鼻先を動かしながら前へと進んでいた。
「み、見つかりますかね」
「ここまで来ておいてなんだが、俺にも確証があるわけじゃないからな」
背中から話しかけてきたタルトに苦笑と共に返す。
それは白月を連れて各地を回れば、彼が重要資源地候補まで案内してくれるのではないか、という仮説だった。
「でもレイラインを見付けたのは、白月君がレッジさんを案内したからですよね」
「たまたまだったかもしれないけどな。結局、あの白樹の正体もよく分かってないし」
「でも試す価値はあると思うわよ」
はしゃぎ疲れた様子のマフを抱えて戻ってきたルナも言う。
たしかに、アストラたち三人が賛同してくれたからこそ、こうして俺たちは〈雪熊の霊峰〉の地を共に踏んでいるのだ。
「実際、白月くんは何かを探して進んでいるみたいですね」
外に出たからか、少し時間が経ったからか、落ち着いてきたタルトが白月を眺めて言う。
彼女の言うとおり白月は霊峰の積雪地帯に入って少ししてからはこうして俺の元を離れて先行していた。
「とりあえず白月君の後を付いてきま――ッ!」
言葉の途中でアストラの顔が真剣な物になる。
それと同時にアーサーの甲高い鳴き声が雪山に響き、ルナたちも臨戦態勢を取る。
「白月!」
前方の白月を呼び戻す。
駆け寄ってくるその後ろから現れたのは、雪に溶け込むうす水色のゴワゴワとした毛並みを持った大柄な猿だった。
「コオリザル!」
霊峰の原生生物に詳しいタルトが猿の名前を叫ぶ。
猿と呼ぶには少々荒々しい、黄ばんだ牙を剥き出しにした憤怒の表情で、黒い目が俺たちを睥睨している。
大きさはおよそ2メートル弱、四肢は丸太のように太くそれだけでも脅威だろうが、更にその手には大きな氷柱を棍棒のように握っていた。
「コオリザルはあの氷柱を巧みに使います。見た目に反してとても素早くてとても手強い――」
「――『神罰』」
「きゃっ!?」
タルトの言葉を遮って、大地を割るような轟音が一度響き渡る。
「う、そ……」
「これはこれは」
信じられないとルナが口を覆う。
彼女の視線の先では、雄叫びを上げようとしていたコオリザルがゆっくりと柔らかな雪上に倒れていった。
「ふぅ。これくらいなら一撃ですね」
少し遅れて、清々しい表情を浮かべたアストラが両手剣を鞘に納める。
「さあ皆さん、先へ進みましょう」
「いや、待て待て待て」
何事もなかったかのような顔で先へ進もうとするアストラの腕を握って引き留める。
きょとんとした顔の青年に、俺たちは先ほどの瞬殺の説明を求めた。
「説明と言われても、この程度のエネミーならノーバフの『神罰』でも十分一撃必殺になるので」
「こ、これがトッププレイヤー……」
「すごすぎです……」
コオリザルは間違いなく強敵の部類に入る原生生物だ。
〈白鹿庵〉のメンバーが揃っていても、俺とルナとタルトで相手をしても手こずるのは必至だ。
そんな強大な敵を鎧袖一触、瞬く間に切り伏せてしまった目の前の青年に、俺たちは実力の差をまざまざと見せつけられた。
「ああ、そうだ。『野営地設置』っと」
俺はインベントリからテントセットを取り出して展開する。
真っ白な雪面にログハウスが現れるのは少しミスマッチ感が否めないが、まあ小さめな雪山のペンションと考えれば絵になると言えなくもない。
「ちょっと休んでてくれ。あのサルを解体してくる」
「れ、レッジさん!? これは……」
「新しいテントだよ。迎撃作戦の時のは使えなくなったからな」
「レッジ、あなたも大概なのね」
「はわわ……」
なぜかルナとタルトが、アストラを見るような目つきで俺を見る。
「いや俺はただの一般プレイヤーだよ」
「アストラと方向性が違うだけで、十分規格外よ」
「そんな気は無いんだがな」
ともかく、と三人をログハウスに押し込んで、雪に半分埋もれたコオリザルの元へ行く。
「さて、『解体』」
餓狼のナイフを構え、テクニックを発動させる。
その隣では白月が興味深そうに鼻先をサルに向けていた。
「人型の原生生物を解体するのは初めてか」
大柄とはいえ基本的な形は俺たちプレイヤーとそう変わらない。
忌避感を覚えるかとも思ったが、鋭い牙や毛深い体毛などが化け物じみているせいか、刃を入れることにそれほど抵抗を感じなかった。
「うんうん。普通に捌けるな。難易度もそう高くない」
時間が掛かるかと思ってテントを用意したが、予想よりも随分早く解体は終わってしまった。
「おまたせ。結構早く終わったよ」
戦利品を持ってログハウスに入ると、アストラたちはソファやベッドに腰を降ろしてゆったりと過ごしていた。
「レッジさん、凄いですねこれ。以前のテントは物々しい雰囲気でしたが、これは心が落ち着きます」
ベッドに身体を沈めたアストラが表情筋を緩めて言う。
「暖かいし、ベッドに寝転がってしまうと寝ちゃいますねぇ」
タルトはベッドに腰を下ろし、パタパタと耳を上下させていた。
重いブーツも脱いで素足をパタパタと揺らしている。
「せっかくだし、ここらで小休止するか?」
「いいわね。ここから先はもっと寒くなるらしいし」
俺の提案にルナも頷く。
「このあたりはまだ〈清涼地〉ですが、もう少し登ると〈寒冷地〉になって防寒対策をしないとバッドステータスが掛かりますからね」
タルトがうつらうつらとしつつ言う。
フィールドには気温や地形によって機体に様々な効果を及ぼすものもある。
俺たちが今いる〈清涼地〉は通常より気温が低く、テクニックのLP消費量が微増する程度の影響を受ける。
しかし〈雪熊の霊峰〉の更に奥へと進むと急激に気温は下がり、〈寒冷地〉へと変わる。
そこではLP消費量が更に増加し、加えて然るべき対策無しではLPが常に減少していってしまうのだ。
「わたしは――こんなふうに防寒具を用意していますから」
タルトはそう言って装備を入れ替える。
軽鎧だけの身軽な姿だった彼女はピンクのマフラーとイヤーマフ、手袋とファー付きのブーツを身につけて小柄な身体をもこもことさせていた。
「あたしも防寒具は一応持ってるわよ」
そういうルナの寒冷地仕様は厚手のコートだった。
裏地がふわふわとした起毛素材でできていて、これも暖かそうだ。
「アストラは防寒具持ってるのか?」
「いえ、俺は薬に頼ってます。装備はあまり変えたくないので」
そう言って彼はインベントリから細長いガラス瓶を取り出す。
中に入っているのは粘り気のある赤い飲料だ。
「ホットアンプル、1辛でも30分は保つのでお手軽ですよ」
「ホットアンプルは辛いので苦手です……」
アストラとは対照的に眉を寄せるタルト。
ホットアンプルは防寒具と違って装備を入れ替える必要が無く、かつ飲むだけで一定時間〈寒冷地〉の悪影響を受けずに行動できるという手軽さがあるが、代わりに唐辛子のような辛さがあった。
舌に残る粘り気がある上、辛さは効果が上がるほどに比例して強烈になる。
そのため辛味が苦手なプレイヤーは防寒具、気にせず手軽さを選ぶプレイヤーはアンプルと二極化している。
「今のところ製造に成功した一番辛いアンプルは23辛でしたっけ? この前の〈ファイアチャレンジ〉の優勝者は16辛でしたか」
「どこの世界にも激辛好きっているのねぇ」
アストラの話を聞いたルナが呆れたように肩を竦める。
〈ファイアチャレンジ〉というのはプレイヤーが自主的に開催するイベントの一つだ。
我こそは激辛狂という猛者が集まり、倫理をかなぐり捨てたマッドな調剤師たちが作り上げた激辛ホットアンプルを飲むという端から端まで狂気に満ちた大会である。
「それで、レッジはどっちなの?」
防寒具かアンプルか、とルナが問いを向ける。
俺は湯気の立つケトルから湯を注ぎ、カップに入れた粉を溶かしながら言う。
「俺はホットココア派だな」
ホットココアは粉末がNPCショップでも売られている簡単な料理の一つだ。
その効果は一定時間のLP自然回復量の上昇と身体を温めるというもの。
この“身体を温める”というのが防寒具やホットアンプルと同じ効果のようで、こうしてフィールドで料理ができる環境さえ整っていれば手軽な防寒対策になるのだ。
「それはなんかずるいですね!?」
ココアの匂いに飛び起きたタルトが目を丸くする。
「そうは言われてもな。ホット飲料系は作ってからしばらくすると冷めて効果が無くなるし、準備するのに手間がかかる」
「でもホットアンプルより絶対美味しいし、装備枠を取ることもないのよね」
「まあな。その代わりスキルは多少取るが」
カップを傾けると、甘いココアの香りが鼻腔に広がる。
じんわりと身体の芯から温められて、雪に冷えた身体が氷解していくようだ。
「……レッジさん、ホット飲料は他にもありますか?」
「そうだな。ココア以外だとコーヒーと紅茶と緑茶があるな」
正直なことを言えば、俺はココアを防寒目的で飲んだことはない。
白鹿庵での狩りの途中、こうして休憩をする時に色々と飲むこともあるため各種取り揃えているのだ。
レティたちからの評判も上々で、俺のインベントリの少なくない部分がログハウスでの休憩用に用意した様々な料理素材で占められている。
「アストラたちも飲むか?」
「いいんですか!? 俺はコーヒーを!」
「わ、わたしはココアが欲しいですっ!」
「あたしは緑茶がいいなっ」
途端に目の色を変える三人に苦笑しながら、俺はお湯を沸かし直すのだった。
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Tips
◇状態異常;寒冷
気温の低い〈寒冷地〉に立ち入ることで発生する状態異常。テクニックなど各種行動に伴うLP消費量が増大し、常にLPが僅かに減少し続ける。防寒具を身につけるか、ホットアンプルなどの身体を温める効果のあるアイテムを使用することで対策が可能。更に気温の低い地域では極寒という状態異常に陥ることも。
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