第145話「湖底の白魚」

 広大な地底湖の畔に立った瞬間、空気がたしかに変わるのを感じた。

 ここに〈鎧魚の瀑布〉の頂点がいると確信する。

 しかしどれだけ目を凝らそうとも、ランタンを高く掲げようとも、そこに生物の影が見つからない。


「底にいるんですかね」

「上がってこないのかしら」


 恐る恐る岸から水中を覗き込むレティたち。

 しかし湖底からの光はなく、ただ黒い水が波打っているだけだ。


「ちょっと退いてー」


 そんな時、ラクトが二人を掻き分けて前に立つ。

 彼女は両手を水面に向けて詠唱を始めた。


「『氷の床アイスフロア』」


 白い霞が彼女の指先で揺れ、水面に降る。

 直後、パキパキと音を立てて湖面が凍結した。

 ラクトは氷の上でとんとんと足先を立てて強度が十分であることを確認する。


「やっぱり水を凍らせるならあんまりLP使わないね。――よし、ちょっと偵察してくるよ」

「レティも行きます!」


 氷の上に乗って言うラクトにレティが手を上げる。

 しかし彼女に向かってラクトは首を横に振った。


「悪いねレティ、この氷は一人用なんだ」

「そんな!? どうして……」

「脆いからね、二人も乗ると割れちゃうの。ま、LPが無くなる前に戻るから。ちょっと待ってて」


 愕然とするレティにラクトは言って、氷を広げながら駆けていく。

 その小さな背中を見送りながらレティは力なく肩を落とす。

 氷はアーツの範囲外になると途端に溶けてしまい、後を追うこともできない。


「――さて」


 ラクトが闇の中へ消えていくのを見届けて、俺は湖畔に立つ。

 インベントリから取り出したるは一本の釣り竿。


「レッジさん!? 何やってるんですか」


 大きく竿を振りかぶると同時にレティが大きな声を上げる。

 広い地底湖の天井に反響する声に驚き、彼女の方を振り向いた。


「何って、釣りだが」

「それは分かりますけど! 今やることですか!?」

「と言われてもな。どっちみちラクトが帰ってくるまですることはないし……」

「レッジさんはマイペースですねぇ」


 トーカにまで呆れられ、エイミーも肩を竦める。

 しかし地底湖である。

 きっと珍しい魚が釣れると思うのだが……。


「変な物釣れても知りませんからね」

「大丈夫だろ。ほいっ」


 レティにジト目で見られながら竿を振る。

 餌の付いた針は遠くの方で着水し、沈んでいく。


「テントも建てといたから、休んでおけよ」

「やっぱり焚き火があると落ち着くわねぇ」


 湖畔に建てたテントと焚き火でエイミーたちはLPを回復していく。

 洞窟との間に亀裂が走っているおかげでナメクジたちも来られない安全地帯なのだ。

 ラクトが帰ってくるまで有意義に過ごした方が良いだろう。


「うーん、こんなことしてて良いんでしょうか……」


 レティは納得がいかない様子で、焚き火に当たりながらも複雑な表情だ。

 ラクトが一人探索に出かけているというのに、と言いたいのはよく分かる。


「ここで突っ立ってるよりは百倍マシだろ。他にできることもないし」


 それともナメクジ倒してくるか? と尋ねると彼女は心底嫌そうな顔で拒否する。


「ナメクジは倒し甲斐がないので勘弁してください!」

「私もナメクジは苦手ですねぇ」


 レティの言葉に同意するトーカ。

 そんな彼女をレティは意外そうな顔で見た。


「あれ、トーカもですか? 斬撃属性はナメクジに良く効いたと思いますが」

「単純に虫が苦手なんです」


 レティよりもかつ単純な理由を述べるトーカ。

 いざ戦うとなれば怯むほどではないが、それでも虫の類は好んで相手にしたくはないらしい。


「そもそもあの大きさは虫が苦手じゃなくても嫌よね」

「エイミーは特にそうだろうな。〈格闘〉も〈盾〉も相手に密着しないとならんわけだし」

「そうなのよー。殴ってる時は割と気持ちいいんだけどね」


 エイミーによれば、ナメクジは丈夫な水風船と同じような感覚らしい。

 よく分からないが、彼女からは癖になるという評価が下されている。


「おっおっ、なんか掛かったぞ!」


 会話の途中だったが、竿先をぐいぐいと引っ張られる。

 冷静に逸る気持ちを抑えながらルーレットを成功させて針を戻していく。


「地底湖で釣りかぁ。何が釣れるのかしら」

「普通の魚では無さそうですよね」


 興味を持ったエイミーとトーカが背後から見守るなか、順調に糸は巻き取られていく。


「レッジさんほんと多芸ですね。〈釣り〉スキルなんて趣味枠の代表なのに」

「これが割と、楽しいん、だよっ!」


 随分と深いところから引きずっているのか、ルーレットは立て続けに現れる。

 一つでも失敗すればその瞬間に糸は切れ、獲物はまた深い水底に沈んでしまう。


「よし、そろそろか」

「……レッジさん〈釣り〉スキルはいくつ取ってるんです?」

「今は多分25だな。ぶっちゃけルーレットがかなりキツい!」


 恐らく適正レベルよりもかなり下のレベルだろう。

 ルーレットは殆どが真っ赤に染まっていて、黄色い成功マスは僅かにしかない。

 しかし慣れればタイミングを合わせるだけということもあって、釣りは割合低スキルでもなんとかなるもので――


「おらぁあ!」


 白い飛沫と共に魚影が引き上げられる。

 水面から飛び出したそれは、ランタンの光を受けて銀色に光る。


「ひ、ひぎゃあああ!?」


 直後、隣のレティが絶叫する。


「どうした?」

「そ、その魚めちゃくちゃキモいですよ!」


 魚の尾を掴んでレティの方を向く。

 彼女は顔を青くして素早く壁際まで後退していた。


「キモい? おお、これは確かに」


 魚の方に目落とす。

 釣れたのは30センチほどだろうか、生白い身体に鋭い牙の並んだ大きな口を持つのっぺりとした魚だった。

 特徴的なのは暗闇に適応した為か退化してしまった目の無い顔だろう。


「まあ地底湖の魚ならこんなのもいるだろうよ」

「確かに予想はしてたけど、ほんとに目が無いわねぇ」


 エイミーとトーカは事前の予想が当たったとむしろ喜んでいる。

 レティだけが一人、変な表情をして遠巻きに俺たちを眺めていた。


「とりあえず解体しちまうか。――なになに、ケイブフィッシュって名前らしいぞ。美味いのかな?」


 鱗と骨と肉と肝に分解し、インベントリに入る。

 物は試しと火の揺らめく焚き火を使って、串に刺されたケイブフィッシュをあぶり焼きにする。


「うえええ……、それ食べるんですか」

「毒は無いみたいだからな。待ってろよ、人数分釣ってやるから」


 顔を青くするレティにそう言って、再度竿を投げる。

 ケイブフィッシュは数も多いらしく、難易度が高いため半分以上を逃しながらもすぐに次が掛かるため順調に釣り上げることができた。


「丁度良さそうだな。レティ、食べるか?」

「毒味は嫌です!」


 一匹目が焼き上がったのでレティに差し出してみると、彼女は勢いよく首を振って拒否する。

 エイミーとトーカ、ミカゲ、一応白月にも聞いてみたが、みな一番槍は俺に譲ってくれるようだ。


「じゃ、遠慮無く」


 プスプスと焼けて脂の染み出す白い魚体に歯を立てる。

 味付けに振った塩が淡い甘みを引き出して、これはなかなかに美味い。

 身は柔らかくほろほろと口の中で解け、こんがりと焼いた皮目も香ばしい。

 いつか〈彩鳥の密林〉でトーカたちと食べたグラトニーフィッシュよりも油分が多いように思える。


「おお、美味しい!」

「……ほんとですかぁ?」


 疑念の目を差し向けてくるレティに頷く。

 丁度良く他のものも焼けてきたので、レティたちにも配る。


「うぅ……。ッ! これは!」


 躊躇うレティも逡巡の後に決意を固めてかぶりつく。

 数秒後、目を輝かせる彼女は瞬く間に骨まで食べてしまった。


「んん。美味しいわね」

「鰆のような。とても好きな味です」


 エイミーとトーカの評判も上々だ。

 白月はそもそも肉を食べないらしく見向きもしないが、ミカゲも覆面の口元を下げて静かに食べている。


「ラクトが帰ってきたら振る舞ってやろう」

「魚料理はアーツバフ掛かりますからねぇ」


 料理は食べなくても支障は無いが、食べると食材に応じたバフが掛かる。

 肉料理なら攻撃力上昇、野菜なら回避率や移動速度といったある程度の傾向があり、魚の場合はアーツ威力のアップやLP消費の軽減などだった。


「ケイブフィッシュの姿焼きは……短時間のアーツ威力アップだな」


 野営地での料理は手の込んだ物が作れないこともあって、バフもシンプルでおまけ程度のものだ。

 ともあれアウトドア飯というのはそれそのものがバフのようなもの、町中で食べるよりも美味しさ1割増しである。

 釣りをしながらドンドンと焼き、焚き火を囲むレティたちがドンドンと食べていく。


「レッジ!」


 そうして腹を満たしながら待っていると地底湖の奥からラクトが戻ってくる。


「おう、ラクト。待ってる間に魚が釣れてな。これが美味いんだ。すぐにラクトの分も焼けるぞ」

「言ってる場合かー! ほら、みんな早く臨戦体勢取る! もう来るよ!」


 暢気な俺たちとは打って変わって、近づいてきたラクトは切迫していた。

 彼女の声にレティたちは慌ただしく立ち上がり武器を構える。


「レッジも早く下がって!」

「お、おう……」


 ラクトに言われた俺は急いで竿を片付けようと引く。

 しかし糸が勢いよく引かれ、逆に湖へ沈みそうになる。


「ちょ、これは……」

「レッジ早く!」

「ラクトは早く岸に上がれ。――こいつはケイブフィッシュじゃないぞ」


 ルーレットが現れない。

 しかし釣りを中断することもできない。

 明らかな異常事態だ。

 ラクトが岸に戻ったのを確認し、俺は竿を力一杯引き上げる。

 糸がギチギチと悲鳴を上げるが切れはしない。

 水面下で何かが乱暴に動いているのが竿越しに感じられる。


「ぐ、く……!」

「レッジさん!」


 レティが駆け寄り、竿を握る。

 彼女の支えもあって多少は楽になるが、それでも竿の先の獲物は力強く引っ張ってくる。


「レティ、一気に上げるぞ」

「はい!」


 呼吸を合わせ、動きを合わせ。

 俺たちは共に声を出し、時を重ねる。


「さん!」

「にぃ!」

「いちッ!」


 全体重を掛けて引っ張り上げる。

 それと同時に湖面が持ち上がり、巨大な丸い頭が現れる。


「でっ……か!」

「なにこれ!?」


 レティが絶句しエイミーが悲鳴を上げる。

 俺たちが釣り上げたのは、巖のように分厚い鱗を幾つも重ねた巨大な怪魚。


「こいつが鎧魚か」


 まさしく、この地の主だった。


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Tips

◇ケイブフィッシュ

 光の無い地底湖に適応した異形の魚類。白い鱗と鋭い牙を持ち、目は退化している。非常に食欲旺盛で、嗅覚が敏感であるため簡単な釣り道具でもよく釣れる。柔らかく脂肪を多く蓄えた白身は甘く美味。


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