第146話「金眼黒鱗」
大きく水面下から飛び上がり姿を現した鎧魚は、鈍く金色に輝く瞳をこちらに向けながら大きく波を立てて水中へ戻る。
「なんですかあれ? なんですかあれ!?」
「どう考えてもボスでしょ。あれでモブはないよ」
混乱と興奮の綯い交ぜになったレティをラクトが諫める。
「しかし、水中に戻ってしまいましたね」
「まあ魚だしね。どうにかして引きずり出さないと、私なんかは攻撃できないわよ」
すでに魚影はなく、大きく岸に打ち付ける波だけがその余韻を残している。
ラクトはともかく、ミカゲは中距離、レティとエイミーは近距離、さらにエイミーなどは極短距離の射程でしか技を放てないため、このままでは為す術がない。
「レッジさん、もう一回釣り上げましょう」
「できるのか?」
飛び上がってきた鎧魚は強引に糸を切って逃げてしまった。
再度針に掛けたところで、あの巨体を持ち上げられるとは思えない。
先ほど水上に姿を現したのはアイツ自身が自発的に飛び上がっただけの話なのだ。
「じゃあ……僕が釣り上げる」
そこへ声を上げたのはミカゲだった。
彼は覆面の隙間から俺を見ながら、手の間に白い糸を伸ばす。
「それじゃあわたしも頑張ろうかな。水面に上げてくれたら、そこを凍らせてしまえばいいんじゃない?」
「なるほど……。しかしそれだとラクトはアーツが使えなくなるんじゃないのか?」
「水面を凍らせるのに集中するから、わたしは戦力にはなれないね」
「大丈夫! レティがラクトの分も働きますよ!」
「
トーカが太鼓判を押し、レティたちもやる気を漲らせる。
六人でのボス戦は初めてだが道中で彼女たちの連携も密に深まっている。
「よし、じゃあその分担で行こう。まずは俺が誘き寄せて、ミカゲと一緒に釣り上げる。ラクトはいつでも使えるようにアーツの準備を。最初のタゲ取りはエイミー、よろしくたのむ」
「……頑張る」
「了解。掛かった段階でバフを掛けてくよ」
「久しぶりの大物ね。腕が鳴るわ」
ミカゲの声にも力がこもる。
ラクトは一見いつもと変わらない様子だったが、少し落ち着かないのか忙しなく目を動かしている。
それとは対照的にエイミーは泰然自若とした態度で、まさしく年の功――
「レッジ?」
「なんでもない」
妙に圧のある笑みを向けられ首を振る。
彼女は落ち着いた大人の女性なのである。
「レティとトーカも、エイミーが奴を抱えた瞬間に攻撃できるように構えておいてくれ。とりあえず、最初に大技で極力削ろう」
「はい!」
「お任せ下さい」
「俺も一応注意しておくが、基本は回復兼支援役だと思ってくれ。LPは気にしなくて良いようにする」
俺は器用貧乏だ。
風牙流は多数の敵を相手にするには便利だが、ボス一体には十全に力を発揮できない。
〈支援アーツ〉も大鷲の騎士団のリザほど巧みに扱えるわけではない。
しかし、だからこそ戦線のどこかが薄い時には即時的に動いて支え、他のメンバーが体勢を整える時間を作ることができる。
「よし、じゃあやるか」
全員の役割を確認して作戦を開始する。
俺は早速竿を構え、鎧魚の去った方向へ針を投げる。
「ほっ!」
勢いよく闇の中へと飛んでいく針を見送り、しばらく待つ。
「来たぞっ!」
ケイブフィッシュとは違う強引な引きを感じて踏ん張る。
糸がピンと張って左右へ目まぐるしく動く。
「レッジさん!」
レティが俺の腰を掴み力を添えてくれる。
先ほどと同じくルーレットは発生しないが、向こうから自発的に飛び上がっても来てくれないようだ。
力の限りを尽くして竿を引く。
僅かにできた隙を見逃さず糸を巻く。
「レッジ、頭が見えたよ!」
ラクトが叫ぶ。
「ミカゲ!」
「分かった!」
ミカゲが糸を飛ばし、水面下に浮かび上がってきた黒い頭に取り付ける。
粘着質な糸が次々と鎧魚の濡れた身体に付着していく。
「引き上げるぞ!」
「……うん!」
「行きますよぅ!」
足並みを揃え、同時に引く。
ガリガリと靴が地面を削りながら滑るが、寸前で耐える。
「せーのっ!」
何本もの糸が緊張し、強引に怪魚を水から引きずり出す。
「ラクト!」
「はいよっ! ――『
鎧魚が半分ほど顔を出した瞬間、バフを幾つも重ねたラクトの全力のアーツが湖面を凍結させる。
膨張した氷は鎧魚の複雑に隆起した鱗に食い込み、水面下へ逃れることを許さない。
「行くわよ! 『金の型』『霊亀の構え』『
立て続けに自身を強化しながらエイミーが飛び出す。
彼女は凍結した湖面を力強く蹴り、最短距離をなぞって鎧魚へ肉薄する。
「――『
エイミーの右腕が赤い盾もろとも燃え上がる。
灼熱を纏う拳は空気を切り裂き、鎧魚の眉間に激突する。
瞬間、爆炎が黒い鱗を駆け巡り拳が穿った眉間には醜悪な髑髏を象ったマークが現れる。
「『
更には銀の鎖が鎧魚の身体を拘束し、金の目玉にエイミーの腕が突き込まれる。
鎧魚は激痛に身を捩るが硬い氷はそれを逃さない。
「これでしばらく動けなくなるわ。レティたちやっちゃって!」
のたうち回る鎧魚の頭やヒレを盾で打ち返しながらエイミーが得意げに言う。
「エイミーも随分……」
「知らない間に強くなってるねぇ」
俺とラクトが呆気に取られている間にも、レティとトーカが行動を始める。
レティは鈍色のハンマーに持ち替え、トーカは太刀を携えて氷上へ躍り出た。
「いっきまっすよぅ! 『猛攻の構え』『修羅の型』! 『大破撃』っと、そーれ! 『咬ミ砕キ』ッ!」
湖面を走るレティは、途中で氷に向かって鎚を打ち付ける。
その反動で高く飛び上がった彼女は位置のエネルギーすらも鎚に乗せた凶悪な重量で鎧魚の硬い鱗を粉々にした。
「『猛攻の構え』『修羅の型』『心眼』『刀装・青』『飛燕』」
その間にもトーカは素早く滑るように駆け、低く前傾姿勢を取る。
しかし彼女は鎧魚の間近で立ち止まり、静かに直立する。
静寂が広がるなか、彼女は左足を僅かに下げる。
「彩花流肆之型、一式抜刀ノ型。――『花椿』」
刹那、甲高い音が二つ奏でられる。
残響が洞窟の壁面を滑り、鎧魚の首に大きな刀傷が刻まれる。
一瞬遅れて鮮やかな赤い花が開き、力なく落ちる。
「むぅ、流石に硬いですね」
「レッジさん、申し訳ありませんがLPの回復をお願いします」
アタッカーの二人が事前に準備を施した上での大技は、しかし鎧魚のその名に相応しい堅牢な鱗に阻まれ僅かに傷を与えるだけに終わる。
消耗したレティたちを回復している間はミカゲとエイミーが敵の注目を引きつけてくれた。
「ラクトは大丈夫か?」
「回復だけ頂戴。やってること自体は単純だから、15秒に一回回復飛ばしてくれたら後は放置でいいよ」
「そうか。よろしく頼む」
ラクトが足場を維持してくれなければ、俺たちは満足に戦うことすらできない。
今回の戦いは彼女を如何に守り切るかが重要になるだろう。
「レティとトーカは交代しつつ戦ってくれ! 陸に戻ればキャンプがある!」
「分かりました! トーカは先に休んでいて下さい」
「はい。交代する時はすぐに」
トーカが下がり、レティが戦線に復帰する。
エイミーが絶え間なく拳を打ち付けつつも攻撃を引き受け、その隙にレティは鱗を破壊していく。
鎧魚の鱗は細かい代わりに幾重にも重なっており、レティは景気よく破壊していくがその下に柔らかい皮膚は現れない。
「楽しいですけどキリがありませんね!」
「鱗を剥がしてる間は大したダメージにもならんな……」
あの鱗を全て剥がさないことには、トーカはともかくレティは満足に傷を与えることもできない。
どうやら鎧魚はその名に違わぬ圧倒的防御力を強みとしたボスのようだ。
「回復できました!」
「スイッチお願いしますっ」
キャンプで休んでいたトーカが、レティと交代する。
装甲を破壊力で圧倒するレティの派手な戦闘スタイルとは異なり、トーカの――サムライの戦い方は静的なものだった。
最低限の運歩で敵の攻撃を避けながら弱点を見定める。
そうして僅かに見える隙間へ狙いを付けて、
「『一閃』」
鋭利な刃を差し込む。
「ぐぅ、悔しいですがトーカの方が沢山削ってますね」
キャンプで火に当たりつつレティは歯がみする。
彼女ほど機敏に動き回っていないにもかかわらず、トーカは順調に鎧魚の体力を削っていた。
「どうする? あの鱗をぶち壊していくのは、正直言って不毛だと思うぞ」
「分かってますよぅ。だからレティも色々考えてるんです」
彼女は眉間に深い皺を刻み、むぅむぅと唸る。
レティひとりに気を取られている暇も無い俺は、彼女を放って攻撃を受け続けているエイミーやミカゲ、ラクトたちにアーツを飛ばす作業に戻った。
「――『爆縛糸』」
爆炎が連鎖し黒魚の鱗を焦がす。
身をくねらせて暴れまわる胸鰭を、深紅の盾が受け流す。
「彩花流弐之型、『藤割き』」
振り抜かれた刀身が硬い鱗を斬り進む。
「レッジ回復頂戴!」
「『
「ありがと、たすかるよ」
ラクトは一瞬でも氷が崩壊しないように常に神経を張り詰めていた。
鎧魚が藻掻くたび、エイミーが攻撃を受け止めるたび、トーカが刀を振るうたび、氷の床は脆くなる。
脆くなった場所には間髪入れずアーツを重ね、彼女たちが集中して戦える戦場を維持しているのだ。
「――レッジさん」
その時、背後からレティが声を掛けてきた。
「どうした?」
「トーカと少し話し合いたいことがあります。――少しだけ、時間を稼いでくれませんか?」
彼女はまっすぐに俺を見つめていた。
その赤い瞳の中に確固たる意志を見て、俺は頷く。
「分かった」
「時間なんていくらでも稼いであげるわよ!」
エイミーが猛攻を凌ぎながら言う。
彼女の心強い言葉を受けて、レティは口元に笑みを浮かべた。
「トーカ、一度下がって下さい!」
「分かりました!」
トーカが戦線を離脱する。
アタッカーが居なくなったことで、鎧魚の攻撃はより激しさを増す。
「エイミー、よろしく頼む」
「任せなさい!」
その前に立ちはだかるエイミーは、不敵な笑みを浮かべて黒魚を睨み上げた。
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Tips
◇『
二つのパーツチップからなる初級アーツ。任意の水平面上に氷の床を生成する。通常の氷よりも頑強なため、足場として活用される。生成する床の大きさによって消費するLP量が変化するほか、液体を凍結させることでLPを節約することも可能。シンプル故に術者の技量が求められる。『
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