第144話「群れを越えて」

 石壁の奥はランタンの光でも見通せないほど深く続く洞窟だった。

 湿度が高くひんやりと冷たい闇が広がっている。

 左右の壁は見つからず、天井さえも見通せない。


「これはまた……ドンピシャで当てたわねぇ」


 爆号を聞いて駆けつけてきたエイミーがだだっ広い空間を見上げて額に手を当てる。

 ひとまず焚き火を熾してランタンも併用しているが、油断すればすぐにでも闇に呑まれてしまいそうだ。


「視界が悪すぎますね。ここで対敵するとかなり分が悪いです」

「奇襲されたら弓やアーツじゃ対応できないかも。距離がないと反応できないよ」


 戦力の要であるトーカとラクトも浮かない表情で周囲に油断なく視線を巡らせている。


「……広いけど、落ち着く」


 そんな中で一人、ミカゲだけはリラックスした様子で立っている。

 隣ではレティもまたライカンスロープ特有の暗視能力で多少は視界も広がっているのか、さほど緊張していない。


「しかしどうする。いったん帰って立て直すか?」


 揺らぐ炎を見つめながら方針を問う。

 一度ウェイドの白鹿庵に戻って装備を調えてから出直してきてもいいし、このまま進んでもいいだろう。


「進めるところまで進みましょう。きっとこの奥にボスがいますよ!」


 立ち止まっていたら他のプレイヤーに先手を取られるとレティは主張する。

 たしかに十中八九この奥に〈鎧魚の瀑布〉のボスが待ち構えている、そして先ほどの爆発を聞いたプレイヤーもいることだろう。


「私もレティに賛成かな。物資もそこまで消耗してないし、レッジのおかげでLPも完全に回復してるし」

「わたしも。あんまり役に立てないとは思うけど」


 エイミーとラクトはそう言って頷く。


「私も奥に進みたいです。ボスが居るのなら、ぜひ戦って勝ちたいですから」


 トーカは夜天のような瞳を爛々と輝かせ、ミカゲは既に準備体操をこなしている。

 進退を持ちかけた手前言い出しにくいが、俺もこのまま進んだ方がいいと思っていた。


「じゃあ全員一致ということで。――進むか」


 焚き火を消して立ち上がる。

 ランタンの明かりだけを頼りに、俺たちは暗闇の中に足を踏み入れた。


「っと、早速来ましたね」


 先行していたレティが声と共に手を上げたのは、それからすぐのことだった。

 やがて光の中にぬるりと現れたのは生白い大ナメクジ、いつか洞窟で見たものと同種だ。


「ひええ、レティこいつ嫌いです!」

「虫苦手だったか?」

「殴っても壊れないじゃないですか!」

「ええ……」


 そんな事を言いつつも開戦の火蓋は強引に切られる。

 レティが一撃を与えるが、やはり粘液に覆われた柔らかい身体を持つナメクジに対して打撃はあまり手応えを感じられない。


「任せて下さい! ――『一閃』ッ!」


 レティに代わりトーカが前に出る。

 納刀したまま自然体で立ち尽くす彼女に襲いかかるナメクジは、一瞬の剣によって毒血を吹き上げた。


「血を被るなよ! 腐食液もだ!」

「分かってるわよ。『ドラゴンブロー』!」


 白饅頭のような身体を仰け反らせるナメクジの懐に入り込み、エイミーが紅色の手甲を突き上げる。

 柔らかな身体を大きく窪ませ浮き上がるそこへ氷の矢が連続して突き刺さる。


「ランタンに照らされてたらなんとか狙えるね」

「照明係は任せろ!」


 ランタンを高く掲げて、照光範囲をできるだけ稼ぐ。

 奥からは仲間の血に誘われて無数のナメクジたちが現れた。


「ああもう、こいつらはこの集まってくるのが嫌いです! 纏めて倒したいですけど、レティはそういうの苦手なんですよね」

「私も範囲攻撃技はあまり持っていないです」


 レティ、トーカ、エイミーは対単体攻撃主体のアタッカーだ。

 単一の敵を相手にすれば無類の強さを発揮するが、このナメクジたちのように量で襲いかかってくるタイプにはとことん弱い。

 攻撃要員の大半にとって相性の悪いナメクジの群れは、もぞもぞと蠢きながら数を増やしていく。

 しかし――


「『絡め蜘蛛』――『刃糸』『爆縛糸』」


 白い糸が暗闇に煌めく。

 ナメクジの一群を絡め取り、それは白い皮膚に触れた瞬間に切り刻む。

 毒血に塗れた傷だらけのナメクジたちがもがき苦しむ中で、糸を伝う爆発の連鎖がそれらを焼き尽くした。


「ミカゲはこういう所だと生き生きするなぁ」


 地上で咲く花火のように鮮やかな戦いに思わず歓声を上げる。

 闇に紛れ影に潜み、瞬く間にナメクジたちを一網打尽にした彼は悠々と歩み寄ってきた。


「……楽しい」

「そりゃ良かった」


 覆面の下の瞳がキラキラと輝いている。

 トーカもそうだが、彼ら姉弟は目に感情が良く表れる。


「ッ! 皆さん気をつけて、新しい敵ですよ」


 見張るレティが声を上げる。

 死屍累々のナメクジの山を越え、更なる原生生物が現れる。


「うわぁ、毒々しいわね」


 思わずエイミーが顔を顰める。

 ランタンの光に照らし上げられたのは、どす黒い紫色のナメクジたちだった。


「見るからに毒って感じだね。触れない方がいいかも!」


 氷矢を生成し射出しながらラクトが言う。

 一目しただけで猛毒を持っていると分かるような外見だ。


「近接組は下がってて。これだけ群れてたら適当に撃ってても当たるでしょ。――『冷却するクーリング針の乱れ矢ニードルアローズ』!!」


 エイミーたち近接組は距離を取り、ラクトと絶好調のミカゲが相手をする。

 ラクトは照準を定めることを放棄して、面の敵に面で当たる。

 無数の氷矢が扇状に撃ち放たれ、それらは柔らかなナメクジたちの身体を貫通して直進する。


「回復は任せろ。LPは気にしなくていい」

「助かるよ。やっぱりレッジが居てくれると楽だね」


 アーツを景気よく放つラクトのLPを回復しつつ、僅かな隙間を見付けては各種バフもねじ込み、更には少し離れたところで孤軍奮闘するミカゲにも気を配る。


「『投擲』」


 苦無を指の間に三本挟んだミカゲは、糸を飛ばして周囲を牽制しながら遠投でナメクジを倒していく。

 その手並みは鮮やかで、ナメクジたちは完全に翻弄されていた。


「あれは回復だけ飛ばしてればいいから楽だな」


 紫ナメクジは腐食液の代わりに猛毒の体液を吐き出し撒き散らす。

 俺もまだそれを治癒するアーツなどは覚えていないし、できる限り触れて欲しくない。


「しかしキリがありませんね」

「これはジリ貧になるかも」


 暗闇の奥からは二色のナメクジたちが際限なく現れる。

 紫と白の割合は3対7程度だが総数がどう考えても六人パーティの適正ではない。


「レッジさん、お願いして良いですか」

「仕方ないな。ラクト、ミカゲ、下がってろ」


 二人が攻撃を止めて背後に下がる。

 俺はランタンを地面に投げて、紅槍と餓狼のナイフを両手に構える。


「道を開く。一気に駆け抜けるぞ」

「分かりました!」


 選択するのは奥まで突き抜ける猛風。

 細くとも長く道を作る突破口。


「風牙流、二の技。――『山荒』」


 槍で風を掴み、前へと投げる。

 初めてこの技を使った時とは違い、やり投げの要領で手を離す。

 風を纏った紅槍はまっすぐに群れを割り、細長い道を白と紫で強引に舗装していく。


「走れ!」


 俺の声を合図に彼女たちは走り出す。

 全員が前にでたのを確認して、俺もランタンを拾って後を追う。

 仲間の死体に群がるナメクジの身体を駆け上り、槍を突き刺して棒高跳びのように乗り越える。


「足が速いと楽だな」


 BBを脚部に極振りしていて、〈歩行〉スキルも上げているおかげで俺の走行速度はパーティでも頭一つ抜けている。

 そのおかげで多少出遅れたとしても余裕を持って彼女たちに追いつくことができた。


「ラクト」

「わぷっ!? ちょ、何!?」


 一番足の遅いラクトを途中で拾い、腰を抱えて走る。

 はじめは驚いてバタバタと足を動かしていた彼女もすぐに力を抜いて荷物に徹してくれた。


「レッジぃ、せめてお姫様抱っこしてよ」

「無理だよ。片手が埋まってるからこれが精一杯だ」


 片手に槍を持ち、その切っ先にランタンを引っかけている。

 ナイフは腰のホルダーに戻しているが両手は空いていないのだ。


「ああ! ラクトなんてことを!?」


 俺たちの声を聞きつけたレティが振り向いて目を丸くする。


「う、うらやましい……!」

「お前は何を言ってるんだ」

「そうそう。これは必要に駆られてどうしようもなく抱えられてるだけだからね」


 何故か歯がみするレティは、しかし十分な速さで群れの間を駆け抜けている。

 『山荒』の暴風をもろに受けたナメクジは一瞬でHPを全損し、生き残った個体もその屍に群がっている。

 これでしばらくは足止めできるはずだ。


「エイミーとトーカも大丈夫そうか?」

「私は歩幅が広いからね。割と余裕よ」

「私も〈歩行〉スキルをレベル60まで上げていますので」


 エイミーはゴーレムなので、ラクトとは逆に歩幅で速度を稼いでいた。

 トーカはそもそもサムライのロール条件に〈歩行〉スキルがある関係で走るのは得意らしい。


「ミカゲは――なんだそれ楽しそうだな!」


 忍び装束の姿を探していた俺は、視界の端を素早く移動する彼を見付ける。

 ミカゲは細い糸を次々に繰り出して、高い天井から振り子のように吊り下がって移動していた。

 まるでどこかの映画の主人公のような移動方法に不覚にも胸がときめく。


「あれ、結構難しい上にLP消費が激しいんですよ」


 暗闇の中でエンジョイする弟に呆れた目を送りながらトーカが言う。

 糸を飛ばすテクニックを連続して使っている関係で消耗が激しく技術を要する移動法らしい。

 ミカゲもなんだかんだと言って、トッププレイヤーの姉に付いていくだけの技量を持っているのだ。


「レッジさん、群れを抜けますよ」

「やっとか」


 レティの声で前を向く。

 随分と駆けてきたがようやくナメクジの山を越えられたらしい。


「ッ! 皆さん足下に気をつけて跳んで下さい!」


 レティの切迫した声。

 反射的に跳躍し、大きく前へ出る。


「ふわっ!?」

「きゃっ!」


 突然の激しい動きにラクトが悲鳴を上げるがしっかりと保持する。

 トーカとエイミーも驚いたようだがなんとか着地する。

 ミカゲは言わずもがなである。


「群れを抜けたら突然亀裂か。随分悪趣味だな」


 振り返ってランタンを掲げると、地面に深い亀裂が走っている。

 群れから逃げることに意識を向けられ、その上この暗さでは到底気付くことができない。

 ランタンの光というよりはレティの観察眼に救われたのだろう。

 落ちれば無事では済まないことだけは確信できる。


「でも全員無事で良かったです。奥に敵も居ないようですし……あれ?」


 ほっと胸をなで下ろしながら言ったレティは、最後に疑問符を浮かべる。

 彼女は前方をじっと見て、俺を手招きした。


「レッジさん、前を照らしてくれますか」

「はいよ。っと、これは……」


 ランタンの光が暗闇を払う。

 洞窟の奥に現れたのは、黒々とした水がゆっくりと波打つ広大な地底湖だった。


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Tips

◇アシッドスラッグ

 強い酸性の腐食液を分泌する大型のナメクジのような原生生物。暗く湿った環境を好み、屍肉を食べる。青白い皮膚に粘性の高い分泌液を纏い、紫色の血には毒性がある。同種の血の匂いに惹かれて集まり、弱った同種を捕食する。打撃に強く、斬撃に弱い。


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