第143話「岩と水の回廊で」

 耳を劈く轟音と共に痛いくらいの激しい水しぶきが降り注ぐ。

 木の幹を盾にして少しだけ顔を覗かせて、俺はそこに聳える大瀑布を見上げた。


「なんか久しぶりに見た気がするな」

「もうヤタガラスの路線が開通してるからねぇ」


 俺の隣で盾を構えたエイミーが言う。

 ウェイドの開発任務と平行して実施されたヤタガラスの路線整備任務は、生産者たちの熱意という名の暴走によって一瞬で片付けられた。

 その結果、大瀑布の上層と下層を行き来する広い洞窟が掘り進められ、今日もヤタガラスは機敏に行き来している。


「それで、ここまで連れてきた理由を聞いても良いか?」


 俺は背後を振り返り、そこで地図に視線を落としているレティに声を掛けた。

 彼女は顔を上げると少し思案し、まあいいでしょうと得意げに頷く。


「今までのフィールドの命名法則から言って、瀑布のボスは“鎧魚”でしょう。魚ということは水中、それもボスなら河川などの浅い場所ではなくこの深い滝壺などにいたりするのでは? と思いました」

「なるほどな。しかし攻略班が誇る河童部隊が底の石の裏まで探して見つかってないんだぞ?」

「分かってます。ですからそこで、レッジさんが言った“条件を満たす”必要があるんですよ」


 得意げに唇を引き上げたレティは名探偵になったかのような大仰さだ。

 そこまで言うのならお手並み拝見、ということで俺たちはレティの行動を見守ることにする。


「それで、条件ってのは何なんだ?」

「分かりません」

「えっ」


 軽く返され転けそうになる。

 何か思いついてここまで来たんじゃないのか。


「いやぁ、ここまで来れば何か思いつくかと思ったんですけどねぇ」

「つまりは考え無しってことじゃないの……」


 呆れたようにラクトがため息をつく。

 レティは脳天気に笑っているが、つまりは何も進歩していないのと同じである。


「〈水蛇の湖沼〉のラピスは湖の水中洞窟だったじゃないですか。それみたいに滝壺に横穴とか」

「あったらとっくに見つかってるわよ」

「うぬぬ……」

「それにこの激流では、かなり高い〈水泳〉スキルがないと溺れてしまうのでは?」

「トーカもズバリと言いますね……」


 エイミーとトーカにも詰められ、レティは進退窮まったようだ。

 縋るように俺の方へ視線を向けてくるが、どうすることもできないのだ。


「そ、そうだ! 滝の裏に洞窟とか……」

「ないな」

「あるって話は聞いたことないねぇ」


 俺とラクトに同時に否定されて彼女はがっくりと肩を落とす。


「滝の裏なんてなところ、探されてない訳がないだろ」

「うぐぐぐ。……あれ、でも滝の裏自体は行けるんですね?」


 悔しそうに地図を睨むレティははたと気がついて言う。

 彼女の肩越しに覗き込めば、確かに滝裏に通じる道というものが記されていた。


「レティちょっと行ってきて良いですか?」

「何もないと思うが……」

「いいんです! もしかしたら見逃しがあるかもしれないですよ」


 言うが早いか彼女はハンマーを持って木陰から飛び出す。


「はぁ。――俺も付いていくよ」

「気をつけてねー」


 その場に残るらしいラクトたちに見送られ、俺はレティの背中を追う。

 彼女は〈水泳〉スキルも上げていないし、もし滝壺に落ちでもしたら一大事だ。


「レティ」

「おや、レッジさんも来てくれるんですか」

「単独行動は危険だろ」

「うふふ。ありがとうございます」


 少しムキになって冷静さを失っているレティはなおさらだと諭すも、彼女は嬉しそうに足取りを軽くする。

 滝の裏へ向かうルートは三つ。

 右から回り込む道と、左から回り込む道、そして滝壺を強引に泳いで横切る道だ。

 なお最後のルートは最低でもレベル50以上の高い〈水泳〉スキルと、高高度から自由落下してくる水の塊に耐えられるだけの防御力、そして何よりも根性が必要な男気ルートである。


「左回りで行きましょうか」

「そうだな」


 当然俺たちがそんな道を選べば待つのは明確な死それのみであるため、安全を取って陸路を行く。

 水辺に沿って歩いて瀑布の終端を目指す。

 幅の広いシルクの布束のような滝を右目に見ながら進んでいると、時折スケイルフィッシュと共に降ってくるプレイヤーたちとも遭遇する。


「洞窟の道が開通しているのに、わざわざ飛び下りてくる人も結構居るんですね」

「ちょっとしたアトラクション気分だろ。現実だとバンジーなんて無理だなんて言う人も、仮想現実だと案外平気らしいぞ」

「なるほどですねぇ」


 バシャバシャと断続的に響く水しぶきを聞きながら順調に歩みを進める。

 水辺にはあまり原生生物も寄ってこないのか、平和そのものである。


「しかし、今回のボス捜しは随分気合いが入ってるみたいだな」


 会話の隙間を見付け、俺はずっと気になっていたことを聞いてみた。

 彼女は見掛けによらず戦闘大好きな凶暴性を秘めたウサギ少女ではあるが、自分より強い敵を探し回るよりも数を相手に無双する方を好む傾向がある。

 そのためいつもはボス討伐にそれほど積極的ではないのだが、今回ばかりは様子が違う。


「別に源石だけが目的って訳じゃないんだろう?」

「む、よく分かりましたね」

「伊達にずっとパーティ組んでる訳じゃないからな」


 そう言うと彼女は俯いて前髪を指に絡めた。

 小さく何か呟いているが、聞き取ることはできない。

 代わりに赤いウサギの耳が忙しなく揺れる。


「こほん! そうですね、自分でも今回の探索行に気合いが入っているのは自覚しています」

「理由は?」

「……笑いません?」

「笑わないさ」


 じっと俺の目を通して真意を確認しようと彼女が覗き込んでくる。

 しばらくして納得したのか、彼女は口を開いた。


「……鎧魚って、硬そうじゃないですか」

「うん? まあ、確かにそうかもな」


 鎧というくらいだ。

 タコのような軟体生物ではないだろう。


「……せ……だなって……」

「なんだって?」


 ぼそりと小さく呟かれる。

 聞き返すと、彼女は白い頬を赤く染めていた。


「硬い敵なら、ぶっ壊せそうだなって」

「ええ……」


 彼女が肩に背負った鈍色のハンマーを見る。

 レティの戦闘スタイルは、有り余る打撃力で敵の身体を破壊して行く凶悪なスタイルだ。

 ラピスやフォルテなどよりもディードのような甲殻のある敵を好んでいるのも知っていた。


「もしかして、それだけか?」

「そうですよ! 鎧みたいに硬い敵なら盛大にぶったたけそうだなって思っただけです!」


 吹っ切れたのか声を大きくして言い切るレティ。

 想像よりも随分過激な理由に、唇を噛み締めなければ笑いが堪えきれない。


「あぅ、やっぱり笑ってるじゃないですか!」

「わ、笑ってないぞ。うん。いい理由だと思う」

「目が笑ってます! 済みませんね、お淑やかな理由じゃなくって!」

「別にレティに貞淑さは求めてないが――」

「それはそれでムカつきますね!?」


 実際、彼女の理由は良いものだと思った。

 打算や何か後ろめたいことがあるのではなく、ただただ自身の欲求に忠実で、実に素晴らしい。


「ほら、こっから裏に行けるみたいだぞ」

「むぅぅ……」


 膨れたままのレティの手を引き、滝壺の傍を通る狭い岩道を通る。

 そこから回り込めば、すぐに滝の裏側へと到達した。


「本当に狭いな」

「気をつけないと落ちそうですね」


 滝の裏は人ひとりがギリギリ歩ける程度という細い道になっていた。

 ゆるやかに弧を描いて窪んだ壁に手をついて、ゆっくりと慎重に進む。


「こんなところにボスは居なさそうだがな」

「むぅ、でも綺麗ですよ?」

「それは確かに」


 カメラを取り出して写真を撮る。

 左手側にゴツゴツとした岩の壁が迫り、右手側に透明な水のカーテンが垂れ下がる細長い回廊は、実に写真映えする絶景だ。

 ブログに載せるいいネタになる。


「ここを一周して帰るか」

「……そうですね」


 澄んだ冷たい空気で少し頭が冷えたのか、彼女は落ち着いた声で頷く。

 止めどなく流れ落ちてくる水の激しい音の中では、逆にそれ以外の全ての雑音が掻き消えて静寂が訪れる。

 ひんやりとした岩肌に手を滑らせながら、ゆっくりと細い道を進む。


「……あれ?」


 その時だった。

 すぐ後ろに付いていたレティが声を上げる。


「どうかしたか?」

「はい。いや、ううん……」


 曖昧な声で唸る姿に首を傾げる。


「何があった」

「えっと、なんだかこのあたりの岩肌が、少し他と手触りが違うような気がして」

「ふむ?」


 レティも確証が得られるほどではなかったのだろう。

 半信半疑といった様子、ペタペタと何度も手のひらを岩肌に付けている。


「うん。やっぱり違うと思います。凄く微妙な差ですけど……ここだけちょっと冷たいです」


 言われた場所に手を伸ばし、温度を感じ取る。

 ゴツゴツと荒い岩肌はひんやりと冷たく湿っているが、


「……分からん」

「凄く微妙ですが、絶対違いますよ!」

「そうなのか?」

「レティが言うんですから間違いないです!」


 ライカンスロープの感覚器は優れているらしいが、レティの場合は聴覚なのでは?

 とは思ったが触覚も俺たちと比べて繊細なのかもしれない。


「よし――」

「ちょ、レティ!? 何してるんだ!」


 レティは周囲より若干冷たいという壁の前に立つと、おもむろにハンマーを構える。

 鈍色の隕鉄製ハンマーではなく、機械式の黒いハンマーだ。


「ちょっとぶっ叩いてみますね」

「待て待て待て、そのハンマーは爆発するやつだろう!」

「はい。だから離れてて下さい」

「そう言う問題じゃないのでは!?」

「いーち、にーい……」


 ダメだ、聞く耳を持たない。

 耳は良いくせに!


「さーん、しーい……」

「とりあえずカウントダウンにしてくれ。何秒後に打ち付けるか分からん!」


 レティから離れながら言う。

 その間にも無慈悲にカウントアップが進み、彼女は全身に力を込める。


「咬砕流、一の技――」


 もはや数字すら言っていない。

 彼女は大きく背を反らしてハンマーを持ち上げる。


「『起動トリガー』――」


 揺らぐ。


「『発火イグニッション』『咬ミ砕キ』ッッッ!!!」


 二つの技を口早に放ち、振り上げた鎚を壁に打ち付ける。


「ゎぶっ!?」


 爆風が左右に広がり、俺は吹き飛び滝壺に落ちる。

 濁流に足先を飲み込まれながらも岸を必死に掴み、やっとのことで陸に上がる。


「――レッジさん、やりましたよ!」


 びしょ濡れのまま立ち上がり、レティの方を向く。

 彼女は赤い瞳を輝かせて大きく胸を張っていた。

 その隣、先ほどまで硬い岩の壁があった場所には――


「この奥にきっとボスがいます!」


 ぽっかりと虚ろな暗闇の広がる穴が穿たれていた。


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Tips

◇部位破壊

 エネミーに特定の攻撃を行った際に身体の一部を破壊することができる。破壊した場合には通常のアイテムドロップに加え、ボーナスドロップが入手できる。切断属性、刺突属性、打撃属性などの攻撃属性の種類によって破壊できる部位に差違がある。


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