第140話「使用人の仕事」

 瞼を上げると、狭い自室ではなく〈白鹿庵〉の円卓の前に立っていた。

 人気はないがいつもどおり。

 ログアウトしたときと変わらない風景に思わず胸をなで下ろす。


「一日ぶりだが、凄い久々な感じがするな」


 部屋の中を見渡して感慨に耽る。

 レティに急かされるようにログアウトした後、数週間ぶりにカーテンを開くと丁度いい天気だった。

 彼女の指示通り太陽の光を浴びながら散歩をすると、不思議な物で今まで欠片も感じなかった疲労がどっと押し寄せてきて、そのあとは泥のように眠ってしまった。


「久しぶりにあんなに深く眠れたなぁ」


 喉の渇きを覚えて起きて、水分と簡単な朝食を摂ると頭がすっきりした。

 やはり仮想現実ばかりに偏重していたせいで身体もどこか異常をきたしていたのだろう。


「レティには感謝しないとな」


 現実で十分に休んで心身ともにリフレッシュできたせいか、こっちでもなんだか動きにキレが戻ったような気がする。

 一日休んだだけで元気が取り戻せるとは、俺もまだまだ老いていないらしい。

 うんうん、今なら俺でも戦闘職に就けるかも。

 槍を取り出してブンブンと振ってみたりなんかして、若かりし頃の青春を思い出し、


「……レッジ、何やってるの?」

「うわおぉあ!?」


 突然階段の方から名前を呼ばれて飛び上がる。

 慌てて見るとそこには掃除道具を抱えたカミルが、目を三角形にして立っていた。


「いや、なんでもない。なんでもないぞ」

「そ。まあなんでもいいけど」


 何故か気恥ずかしくなって槍をしまいながら言うと、カミルは欠片も興味の無さそうなあくびを漏らして話題を変えた。


「それはそうと、アタシいつまで掃除だけなの?」

「掃除だけとは?」


 彼女の質問の意味が分からず首を傾げると、今度は深いため息が返された。


「アタシは白鹿庵のメイドロイドなのよ。掃除だけじゃなくて、他の仕事もしたいんだけど!」

「お、おう……。とはいっても、他にどんな仕事ができるかとか知らんのだが」

「アンタそれでもアタシの雇用主なの!? お賃金払ってるんだから部下が何できるかくらい把握してなさいよ!」

「はい。面目もございません……」


 嵐のように声を荒げるカミルにしゅんと肩を縮める。

 どちらが主従か分からないが、彼女は自分の給金分の働きができていないと感じているらしい。


「例えば常備しておきたい消耗品があったらアタシが代わりに買いに行ってストレージに置いておけるし、逆に処分したい物があれば売ってビットにしておけるわ。多少時間は掛かるけど改装とか模様替えもできるし」

「おお、色々できるんだな……」

「アンタは何のためにアタシに上級メイドロイド並の給金払ってるのよ」


 しっかりなさいとNPCにたしなめられる。

 メイドロイドはその性能によって下級から上級まで分類分けされるのだが、カミルは上級メイドロイド相当の能力を持っている。

 だからそれに見合った給金を支払っているのだが、雇用して以来彼女がしているのは日々の掃除だけ。

 あとはヒマだからと言って隣の新天地でアルバイトしているらしい。


「そうだなぁ。皆にもよく使う消耗品を聞いてリストアップしておくよ。あとは保管庫ストレージも用意しないとだな」

「頼んだわよ。仕事がないとあの部屋にいたときと何も変わらないんだから」

「分かった分かった」


 むっすりと頬を膨らせるカミル。

 確かにメイドロイドは基本的に建物内から出入りできないものだし、仕事が無ければ彼女が以前いた殺風景な白い部屋とそう変わらない。

 俺は彼女の言葉の切実さを思い直し、頷いた。


「そうだカミル」

「なぁに?」

「白月知らないか?」

「そこのキッチンの隅で寝てるわよ。アンタがいないときはずっとそうしてるわ」


 ちらりとカミルはキッチンの方へと視線を向ける。

 日の届かない薄暗がりで、白月は足を折って丸まっていた。

 名前を呼ぶとぴくりと耳を動かして目を開く。


「腹減ってるだろ。リンゴ切ってやろう。――カミルもいるか?」


 キッチンのカウンターに青リンゴを取り出して並べていると、真横から視線を感じる。

 そちらではカミルがルビーの瞳をキラキラと輝かせて俺を見上げていた。

 青リンゴを一つ見せると、彼女ははっとして視線を逸らす。


「べ、別にいらないわよ! お腹も空いてないし!」

「そうか……。白月が食べるにはちと量が多いんだがな」

「――そ、そういうことなら貰ってあげないこともないわよ。ほら、腐らせても勿体ないし!」

「そうだなぁ」


 別にインベントリに入れてれば腐りはしないんだが。

 チラチラとリンゴから視線を外しきれない彼女が可愛らしかった。

 白月用には食べやすいようにスティックに、カミルと俺の分は皮を剥いて簡単に八つにカットする。


「ほら」

「い、いただきます」


 白月がシャクシャクと食べる。

 カミルが両手で持ったリンゴをショリショリと囓る。

 静かな部屋の中に二人の咀嚼音が響き渡り、なんとも心安らぐ時間が流れる。


「――ああ、そうだ」


 リンゴを一片食べながら、ふと思いつく。

 しかしこれができるのかどうか確信はない。

 とりあえず聞くだけならタダかとカミルに尋ねる。


「カミル、一つ仕事を増やしたいんだが――」


 俺が要望を伝えると彼女は奇妙なものを見るような視線を向けてきた。


「別にできなくは無いけど――いいの?」

「ああ。別に俺、そういうのにこだわりとかないから。むしろそっちの方が手間が省ける」

「調査開拓員としての自覚に欠ける発言ね」


 ま、いいけど、とカミルは嘆息する。


「分かったわ。今日中――は無理でしょうから、明日には用意しておくわ」

「ありがとう。よろしく頼む」


 そう言いながら俺は驚く。

 我ながら突拍子もないことだと思っていたのだが、なんでも言ってみるものだ。


「それじゃあ俺はちょっと出かけてくるかな。留守番頼む」

「分かったわ。気をつけてね」


 白月が立ち上がり、ドアの方へと先回りする。

 ひらひらと手を振るカミルに見送られ、俺と白月は新天地側のドアから出ようとし――


「レッジさんいますか!?」

「ごぶっ!?」


 勢いよく開いたドアに顔面を強く打った。


「おお……おお……」

「れ、レッジさん!? す、すみません」


 鼻を摘まんでうずくまっていると、慌てたレティが両手を上げて狼狽する。


「なになに、またレッジがドアに顔ぶつけたの?」

「レッジもタイミングいいわねぇ」


 レティの後ろからはラクトたちが続々とやって来て、それぞれ自由な場所に腰を降ろす。


「レッジさん、大丈夫ですか?」

「ああ。別にダメージは喰らってない……」


 ちょっとピリピリと痺れるだけだ。


「それより、なんか俺に用だったか?」


 円卓の方へ戻り、レティが落ち着くのを待って話を切り出す。

 随分と慌てた様子だったが何かあったのだろうか。


「ああ、そうでした。レッジさん――」


 レティは当初の目的を思い出し、じっと俺の方を見る。

 何か重大な事件でもあったのだろうか。

 もしかして〈鎧魚の瀑布〉のボスが見つかったか、はたまた誰かに討伐されてしまったか。


「レッジさん、レティたちとこれからもパーティを組んで下さい!」

「……え?」


 切実な顔で放たれた言葉に思わず耳を疑う。


「いや、え」

「い、いやなんですか……」

「いやいやそうじゃなくて! 俺はずっとそのつもりだったんだが、何があったんだ?」


 じわっと瞳を潤ませるレティに慌てながら、ひとまず事情を聞く。

 俺が休養を取っている間に何があったのか。

 彼女はぐったりと肩を落としながら回想を始める。


「レティたち、レッジさんがいない間にも狩りに出かけてたんですが……」


 俺がいない間、五人でパーティを組んで〈鎧魚の瀑布〉を探索していた彼女たちの活動は苦難の多いものだったようだ。


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Tips

◇食事

 機械人形は最低限のエネルギーが補給できれば食事をする必要は無い。しかし一時的な性能の増強や知性の維持、関係性の構築などの面で有用性は認められており、また高性能なエネルギー変換炉によって無駄なく食物をエネルギーに変換できるため、人工知能保全課など複数の部門から奨励されている。


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