第138話「健康第一」
『レッジさん今ヒマですか?』
岩蜥蜴の荒野でイシトカゲをしばいていると、突然レティからTELが飛んできた。
「大丈夫だぞ」
イシトカゲの身体に刃を滑らせながら言う。。
もう五十体以上も倒して捌き、それまでにもスケイルサーペントや日向鳥、ボーンオックスその他もろもろと合計で300は下らない数を倒して捌いてきた。
流石に餓狼のナイフの扱いにも慣れて、レティと世間話をしながらでもイシトカゲをフルスコアで捌けるようになった。
「レティは今入ってきた所か?」
『はい。お掃除とお皿洗いとお洗濯を済ませてきたらこんな時間に……』
昨日は真っ青な顔でログアウトしてたからな。
あの後保護者にこってりと絞られたらしく、声に重い疲労が滲んでいた。
『他の皆はまだログインしてないんですか』
「おう。俺は朝から入ってるけどな」
『レッジさん結局昨日は何時までやってたんですか』
「覚えてないなぁ……」
笑ってごまかしながら言うと、レティは呆れたようにため息をつく。
眠気の限界まで頑張って、意識が朦朧としてきた段階で強制ログアウトを喰らって、その直後にヘッドリングを着けたまま寝落ちてしまったから本当に何時までやっていたか覚えていないのだ。
丁度ウェイドの町で落ちたから、ペナルティを受けなかったのは幸いだった。
『レッジさん調子に乗った大学生みたいに夜更かししまくってますよね』
「元々ショートスリーパーだからな。それにほら、VRって半分寝てるようなもんだろ」
『いつか身体壊しますよ』
「頭さえ生きてたらVRで生きていくさ」
そう言うとレティは不満げに低く唸る。
唇を尖らせて見上げてくる様子がありありと思い浮かんだ。
「あー、まあできるだけ気をつけるよ」
『約束ですからね。健康第一ですからね!』
まるで実家の母親のように口うるさく言うレティに思わず耳を遠ざける。
遠隔通話はそんなことしても何ら意味が無いのだが。
『で、今なにしてるんですか?』
「ちょっとミニクエストを受けててな。いろんなフィールドでエネミーを狩って捌いてる」
〈アルドニーワイルド〉の店主から受けたクエストのあらましを話すと、彼女は明るい声を弾ませる。
「今最後のアイテムが出たから、報告してから白鹿庵に行くよ」
『分かりました。じゃあ待ってますね』
最後のイシトカゲから石蜥蜴の銀胆石を手に入れて、ようやく全ての素材が揃う。
俺はヤタガラスに飛び乗って、〈アルドニーワイルド〉へ急いだ。
†
「おはよう。ていうかもう、こんにちはかな」
「おはようございます。って装備が戻ってますね」
白鹿庵――自然と拠点であるガレージのこともそう呼ぶようになった――に戻ると、レティは円卓の真ん中に胸を付けて腕を伸ばしていた。
「昨日ネヴァに直して貰ったんだ。武器も元通りだぞ」
「それは良かったです。昨日、上手く槍とナイフも回収できれば良かったんですが……」
昨日、レティたちがカミルを救出した際に槍とナイフは溶鉱炉へ落ちてしまった。
そのことへ責任を感じているのか彼女は長いウサギ耳をへにょりと折って俯く。
「いいさ、問題なく復活できたし。それにナイフは新しいのを手に入れたからな」
そう言って餓狼のナイフを見せびらかすと、彼女は「おおー」と声を上げてパチパチと手を叩いた。
「簒奪者のナイフは禍々しい感じがしましたけど、これは青白くて綺麗ですね」
「おう。なかなか扱いづらいが、もう慣れた」
餓狼のナイフの入手クエストはまさに僥倖だった。
解体用のナイフを無料で手に入れることができたし、その扱いにも慣れることができた。
「しかし〈解体〉も〈槍術〉もキャップだからな。早いこと源石を手に入れにゃ……」
「そういえばレッジさん、今トータルのスキル値っていくらくらいなんですか?」
顔を上げてレティが言う。
俺はステータスを開き、現在の合計スキルレベルを確認した。
「合計は608だな」
「608!? どんだけですか!」
「ええ……」
それを聞いたレティは勢いよく立ち上がり、テーブルを回り込んで俺に迫ってきた。
彼女の驚きように俺が驚きたじろいでしまう。
「ち、ちなみにレティは?」
「296です! ていうか大体の人は300前後ですよ!」
「ええ……そんなに低いのか……」
「低いというか、レッジさんみたいに好き勝手いろんなスキルに手を出してないんですよ」
言いながらレティは自分のステータスを見せてくる。
彼女は〈槍術〉を軸に〈戦闘技術〉〈鑑定〉〈歩行〉〈機械操作〉と戦闘に多用するスキルがカンストかカンスト間近まで上がっている。
〈水泳〉スキルも若干上がっていて、初期の頃に使っていた〈野営〉がレベル5だけある。
「えっ、これだけ?」
「普通はこんなもんですよ。あんまり色々手を出すとやることが多すぎて碌に育成もできませんから」
驚いて目を丸くすると、レティはげんなりして言う。
なんか、さっきの通話の時よりも疲れているようだ。
「レッジさん、最近一日何時間くらいログインしてます?」
「そうだな……。寝るのに5時間、家事に2時間、食事に1時間、残り全部FPOかな」
「16時間!? マジで言ってんですか!?」
「お、おう。他にすることもないし……」
わなわなと震え始めるレティ。
確かにちょっと人よりプレイ時間は多いと思うが――
「レッジさん、ほんとに生活改めた方がいいですよ。死んじゃいます」
真面目な顔になったレティに冷静に諭される。
一周回ってしまった彼女の反応に、俺も思わず居住まいを正す。
「いくらレッジさんがVR酔いしない適応者だとしても、仮想空間は現実世界とは隔絶されてます。仮想空間でどれだけ身体を動かしてても、現実のレッジさんはベッドで寝ているだけです。その差異は必ず身体に出てきます。そうでなくても、レッジさんは現実世界で動かなさすぎです。もう少し、生活の比重を現実に傾けて下さい」
「は、はい……」
年下の少女に滔々と説教されるというのは初めての経験だった。
彼女の赤い瞳は真剣で、まっすぐと俺を見つめている。
その瞳に、不意に涙が溢れた。
「ちょ、どうしたんだ?」
「お願いですから。レッジさん、自分の身体を労って下さい。今のレッジさんの生活は、緩やかな自殺です」
「……分かった」
ぐずぐずと鼻を鳴らすレティに心を締め付けられる。
一人だけの生活だからだと軽率な行動をしすぎた。
猛省し、それと同時に心配してくれるレティに深く感謝する。
「とりあえず、今日はもうログアウトしてください」
「えっ、でも源石――」
「いいですから! それはレティたちでなんとかします。レッジさんはヘッドリング外して暖かいお布団で寝て下さい。寝た後はお散歩でもしてカフェでも行ってリア充してください!」
「え……」
「は、や、く!」
「わ、分かったよ……」
鋭い眼光で睨み付けるレティに急かされ、半強制的にログアウトする。
「いいですか? 丸一日休んで下さいよ。24時間以内にログインしちゃダメですからね!」
自分の身体が光の粒子となって消えていく間際、レティが腰に手を付けてびしりと指を指してくる。
頷いた瞬間、世界が暗転する。
†
「……はぁ」
目の前の男が消え、ただ一人となった白鹿庵の室内でレティは小さくため息を零す。
スツールに腰を下ろし、ぺしょりと耳を曲げる。
「少し言い過ぎましたかね。でも、16時間はちょっとやり過ぎです」
若干の申し訳なさとそれを上回って有り余る不安、そこから生まれる怒り、混濁する感情は疲労となって彼女の両肩に重くのし掛かった。
「……レッジさん、レティより年上ですよね。働いてないんでしょうか」
そういえば彼は殆どの場合に於いて自分がログインするよりも早くログインしていて、自分がログアウトするよりも遅くログアウトしていた。
リアルの事について詮索するのはあまり褒められた行為ではないが、今回ばかりはそんなことを言っていられなかった。
人と接する事が苦手で、ずっと一人用のゲームを遊んでいた彼女は、大きな不安と小さな期待を胸にこのゲームを始めた。
説明をろくに読まなかったせいで密林に落ちてしまった時には泣きそうになっていた。
そこで出会った彼は、彼女が尻で押しつぶしても気にする様子もなく話しかけてくれた。
沢山の人と交わる事を避けられないこの世界で、それでも彼女が心の底から楽しめているのは、彼の存在が大きいからだ。
だからこそ彼がログインしなくなることが恐ろしい。
彼のいない世界というものが想像できない。
「――健康第一ですよ」
仮想は現実の上で成り立っている。
脆く儚い幻は、強固な土台の上でしか存在できない。
とても身勝手な理由だ、と彼女は胸に手を置いた。
「おっはよー、レティ。あれ、一人?」
「おはようございます。今日はレッジさんお休みですので、レティたちだけで源石を集めますよ!」
「あれ、それは珍しいわね」
「お待たせしましたー」
「……こんにちは」
薄暗い室内に活気が戻る。
胸の奥に僅かな寂寥を覚えながら、レティはいつもの調子で仲間たちを迎えるのだった。
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Tips
◇強制ログアウト
現実にて常時計測しているバイタルデータに著しい数値異常が見られた場合にはシステム側から強制的にゲームからログアウトさせる措置が執られます。ログアウト可能エリア外で強制ログアウト措置を受けた場合は、最後にセーブした地点にログインします。
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