第100話「濡れ鴉」
ムビトと仲間の忍者たちは、巨大ナメクジに対峙する。
暗い洞窟の中で青白く浮かび上がる影に、彼らは臆することなく接近した。
「はっ!」
ムビトが鋭く声を上げ、棒手裏剣を投げつける。
後方の忍者たちもそれに続き、立ちはだかるナメクジに無数の針が突き刺さった。
「なるほど、それなりに屈強らしい」
ムビトは覆面の下の目つきを鋭くする。
ナメクジの頭上に表示された赤い体力バーは、僅かに1ミリ程度しか削れていなかった。
突然の攻撃に晒されたナメクジは激昂し、二本の触覚を立てて威嚇する。
「散開ッ!」
ムビトの号令により、四人は二手に分かれナメクジの左右に回り込む。
その瞬間、彼らが立っていた場所に向かってナメクジが白くどろどろとした液体を噴射した。
「これはっ」
「腐食液のようです」
ジュワジュワと音を立て、液体を浴びた地面から白い煙があがる。
匂いもキツいのか、忍者たちが目を寄せていた。
「浴びぬよう気をつけよ。では参るっ!」
ムビトは腰の忍刀をシャラリと引き抜きナメクジに斬りかかる。
「はぁっ!」
まるでゼリーかプリンでも切っているようだ。
柔らかな白い身体は刃をすんなりと通し、青い血液をどろりと流す。
「っ!?」
その血を見た瞬間、ムビトは跳ねるように後退する。
血は地面に流れ、地面が毒々しい紫に変わる。
「毒血か。おもしろい」
忍刀の刃を払い、付着した血を拭いとる。
口からは強力な腐食液、身体を切れば毒が流れる。
ナメクジは近接泣かせと言ってもいい原生生物だった。
「切れば刃の耐久も減ろう。手裏剣を用いよ」
「御意に」
ムビトの指示を受け、ナメクジを囲む忍者たちは素早く手裏剣を投げ続ける。
一投一投がミカゲを思わせる鋭さだ。
時折深く刺さった傷跡から青い血が噴き出した。
「火瓶用意できました」
「投げよっ」
ムビトの指示で黒い小瓶が投げられる。
それはナメクジの体表で砕け、業火が吹き出す。
「よし、効いているな」
ナメクジのHPは手裏剣を突き刺すよりも大きく減少する。
それを見てムビトは笑った。
「主力を火瓶に変更。残りは足止めと牽制に努めよ」
「御意に」
彼の一言で戦況が目まぐるしく変わる。
ムビトは戦いの中で試行錯誤し、常に最善策を模索していた。
「恐らく奴の弱点は火。火炎のアーツも効果があるはずだ」
情報を余すことなく拾い、瞬時にフィードバックしていく。
未開の地を探索することに特化したカナヘビ隊の長を務めるだけあって、彼の対応力は特筆すべき物があった。
「……うーん」
「どうかしましたか?」
そんな彼らの活躍を画面越しに見て、俺は少し引っかかるものがあった。
食い入るように隊長たちの雄姿を見ていたしまが俺の様子に気付いて振り返る。
「いや、ちょっと気になってな。まあ順調そうだし、俺たちの出る幕はないだろ」
「ふむ? そうですか。まあそうでしょうね、ムビトさんは変人ですけど強いので!」
俺が頭を振って思考を霧散させると、しまはにぱっと笑って頷く。
怪しさ満点のムビトだが、隊員たちからは厚く慕われているらしい。
「おおおっ!」
その時、にわかに観衆が盛り上がる。
慌てて画面に目を戻せば、戦況が新たな局面に入っていた。
「総員退避、十分に距離を取れ!」
ムビトの激しい声が飛ぶ。
「オ、ア、アアァアアアア!」
洞窟を揺るがすような咆哮が響く。
ただ大きく青白いだけだったナメクジが、HPを半分ほど削られたところで大きく姿を変えていた。
「うわぁ、悪趣味ですね……」
それを見てレティが顔を顰める。
画面いっぱいに映っているのは、だらりと四枚の花弁を下げた花のようにも見えた。
ナメクジは小さかった口を身体の半分にまで裂き、内側にずらりと並ぶ牙を露出させていた。
「ラクト、大丈夫か?」
虫が苦手っぽいラクトを案じて振り返ると、彼女は予想に反して平然としていた。
「ナメクジはちょっと嫌だったけど、あそこまで形態変化したらもうただのクリーチャーだし」
「そ、そうか……」
その基準がよく分からないが、彼女自身が平気ならば言うことはない。
画面の中の第二形態――花ナメクジとでも言うか――に変化したナメクジは、どろどろと腐食液を垂らしながらムビトたちを睥睨している。
「第二形態なんて聞いてないぞ」
「くそ、戦略立て直せ」
敵の姿が変わったことで、カナヘビ隊が立案した戦略も通用しなくなる。
後ろの方では戦略立案担当らしい忍者たちが慌ただしく言葉を交わしていた。
「あれ大丈夫なのか」
俺もムビトたちが心配になって言葉を零す。
するとしまがまた振り返って白い歯を見せた。
「大丈夫ですよ。隊長たち、強いですから」
確信を持った言葉だった。
経験に裏打ちされた、自信に満ちた表情をしていた。
鳶色の瞳が見る先で、ムビトが動き出す。
「『幻影』『縮地』」
ムビトの姿がぶれ、二人に増える。
更にムビトは一瞬で花ナメクジの花弁の下へと入り込む。
「『闇からの凶刃』」
赤黒いエフェクトと共に紫の血が噴き出す。
深く忍刀を差し込んだムビトはそれをもろに浴びるが、数秒後には煙のように消えてしまう。
「『火遁』」
彼は間髪入れず懐から小瓶を取り出し、中のものを一息に飲み干す。
大きく頬を膨らませ、一気に息を吐き出す。
まるで大道芸人のようにムビトは口から火を吐いた。
「オオオッ!」
花ナメクジの体表が焼け、湿った皮膚を焦がしていく。
その間にも火瓶が投げられ、手裏剣が突き刺さる。
花ナメクジは四人の忍者に翻弄されるまま、勢いよく赤いバーを削られていく。
「流石に第三形態はないか?」
「どうでしょうねぇ」
レティがうきうきとしながら戦闘を見ている。
「散開ッ!」
花ナメクジは時折、全身を大きく震わせて腐食液をまき散らす。
しかしムビトはその僅かな予備動作を見逃さず、的確な指示ですべて回避していた。
ナメクジの動き自体は鈍重そのもので、戦地は初期からさほど動いていない。
「これはもうパターン入ったな」
「勝ったか。風呂入ってくる」
彼らの戦闘を見守るカナヘビ隊オーディエンスも熱狂が冷め始め空気が弛緩する。
事実、ムビトは完全にナメクジの行動を把握しきり、危なげなく戦闘を進めていた。
「これでとどめだ――」
そうして最後はムビトの手によって、ナメクジの赤いバーが全て刈り取られる。
どさりと倒れた花ナメクジは、無数の傷口から青い血を流す。
それを見て、カナヘビ隊からも歓声が上がった。
「……」
「レッジさん? どうかしましたか?」
「なんかおかしくないか?」
そんな中、俺は画面に映る光景に違和感を覚え首を傾げる。
レティは耳を捻っていたが、結局思い当たる節はなかったらしい。
「エネミーが死んだとき、あんなに血を流すか?」
「そういえばあそこまでドバドバ流れない気がしますね」
このゲームは全年齢とまでは行かないものの、ゴアやスプラッタ表現を抑えられている。
だからなのか、ああして止めどなく青い血が流れる光景は不自然に映った。
「あれ、本当に血なのか?」
「はえ?」
思考が巡る。
うつむき考え込む俺に気付いたカナヘビ隊たちが不思議そうにしているが、それも気にしない。
「――ちょっと行ってくる」
「は!? ちょ、行ってくるってどういう」
「しま、ムビトにも連絡入れてくれ。まだ警戒しとけって!」
走り出しながらランタンに火を灯す。
なだらかな勾配を駆け上がりながら、俺の胸の底からは言い知れぬ不安が湧き上がっていた。
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Tips
◇忍刀・濡れ鴉
カナヘビ隊を纏める青年が携える忍刀。黒い刀身は影に潜み、密やかに敵の首を掻き切ることができる。刃は硬質だが脆く、欠けさせずに扱うには相当の技量を要する。
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