第95話「白鹿と空からの来訪者」
すぐ近くの茂みからも聞こえていた唸り声はランタンの明かりで遠ざかり、キャンプを設営すると全く消えてしまった。
風に枝葉の擦れる音と、遠くで絶えず落ち続ける水の響きに耳を傾け、俺はテントから引っ張り出したクッションに寝転んで夜天を眺めていた。
「平和だなぁ」
生物の姿どころか、
オンラインゲームの中とは思えないほどの静寂の中に俺は揺蕩っていた。
「まさか、捌いた腹の中から自分が出てくるとは思わなかった」
両腕を空に向かって伸ばし、指を動かす。
肌色のスキンに覆われた見慣れた俺の手だ。
俺が瀑布から飛び降りたとき身を挺して命を救ってくれたあの怪魚。
生憎と解体ナイフがなくスキルは使えなかったが、弔いも兼ねて彼を捌くと、スケイルフィッシュの素材に混じって俺の機体がインベントリに放り込まれた。
「俺の機体が俺のインベントリに収まるってのも、理屈が通ってない気がするが。まあそれはいい」
ともかく俺は無事に自分と再会を果たし、スケルトンのサブ機体から元の機体へと意識を移すことができた。
インベントリの中身も無事で、こうしてテントも張ることが出来たのだ。
ちなみにサブ機体は生分解性素材で作られているとかで、意識が元の機体に戻ると同時にドロドロと溶けて地面に染みこんでしまった。
「しかし問題は、この後なんだよな」
そう言って俺は深いため息と共にクッションに沈み込む。
依然として連絡は取れず、レティたちの動向は杳として知れない。
既に夜も最中だし安全を取ってスサノオに帰還しているとは思うが。
「俺はどうやったら戻れるんだろうなぁ」
問題なのはそこだった。
滝から決死の大ジャンプによって下層に降りてきたはいいものの、そこから上層に戻る手段が見つからない。
階段や梯子なんてものは見当たらないし、〈登攀〉スキルでも登り切れなさそうな険峻な崖ばかり。
それなら奥に進もうかとも考えたが、俺にはそんな戦闘力はないのである。
幸い、〈野営〉スキルの各種威嚇テクニックはこのフィールドの原生生物にも有効らしく、こうして森の開けた場所にテントを張ってぼんやりと朝を待つしかできない。
「ワープとか出来ればいいのになぁ」
そんなことを呟いてみるも、当然返事は帰ってこない。
ここが剣と魔法のファンタジーな世界なら、スサノオへ一発で帰還できる瞬間移動の魔法なんかも使えたのだろうか。
アーツでなんとかなったりしないだろうか。
ならないだろうな。
「さて、本格的にどうするか……ッ!」
管を巻いていても仕方ないと上半身を起こした俺は、思わず肩を跳ね上げ息を詰まらせる。
なんの気配も無かったというのに、顔の間近にまで白い牡鹿が迫っていたのだ。
「おまえ……さっきの……」
夜闇の中で白い毛皮はぼんやりと発光しているように見えた。
神々しい水晶の枝角がシャラリと揺れる。
「……付いてこいと?」
牡鹿は俺に背を向けてとことこと歩くと、キャンプを囲む防壁の近くで立ち止まり、黒い瞳をこちらに向けた。
まるで誘うような意思を感じさせる行動に、俺は思わず立ち上がる。
「ちょっと待て、準備するから」
俺はインベントリからランタンを取り出し、明かりを灯す。
鋏刀の紅槍も持ち、何かあれば対処できるようにする。
「よし」
俺の準備が整ったと知ると、牡鹿はまた歩き出す。
足下は乾いた枯葉が降り積もっているというのに、不思議と足音などは一切なかった。
「どこへ行くんだ?」
そう尋ねても牡鹿は何も答えない。
それが不思議だと思わせられるほどに、白い牡鹿は神秘的で知性を感じさせた。
牡鹿と共に真っ暗闇の森を歩く。
闇を見通すことなど容易なのだろう、牡鹿は迷うことなく木々の隙間を縫って奥へ奥へと進んでいく。
俺は時折張り出した根に蹴躓きながらもその短い尻尾を追った。
「どこまで行く気だ」
牡鹿は木々の入り組む森の中を殆ど一直線に突き進んだ。
鮮やかな身のこなしは、まるで木々の方が彼に道を譲っているかのような錯覚さえ覚える。
俺は牡鹿を見失わないように歩くうちに、いつの間にか肩が上下するほどに息を乱していた。
「おい、ちょっと早いんだが……」
少し待ってくれと俺が手を伸ばした時のことだった。
突然木々が左右に開け、広い空間が現れる。
背の低い草が地面を覆うほとんど円形の土地だ。
ボスエネミーの現れる空間にも似ていて、俺は咄嗟に武器を構えたが、そのようなものが現れる気配はない。
白い牡鹿は足取り軽く土地の中央まで歩き、そこに鎮座する黒い巨岩を見上げた。
「これは……」
所々に滑らかな艶の見られる、俺の背の二倍はあろうかという巨岩だ。
牡鹿は鼻先を岩肌に擦りつけると、ぐるぐるとその周囲を回り始める。
「何がしたいんだ?」
その意思をくみ取れず首を傾げていると、彼はしびれを切らしたように俺の背中を頭で突いた。
「うお、っとと、痛ッ!」
鋭い角の先端が首筋に掠ってチクチクとする。
俺はせっつかれるままに場所を移動して、岩の後ろに回り込む。
そこで牡鹿はフンフンと鼻を鳴らし、巨岩の足下をひづめで掘る。
「何を……。これは」
俺は岩の下から僅かに覗くそれに気がついた。
しゃがみ込み、目を近づける。
「芽? 岩に押しつぶされてるのか」
良く気付いた、と言わんばかりに牡鹿は鼻先を腹に当ててくる。
「この岩をどかして欲しいのか?」
そう言うと彼はフンと鼻を鳴らす。
カリカリと地面を掘る作業に戻る様子からして、合っているらしい。
「しかし、どうすれば……」
巨岩を見上げ、思案に耽る。
とてもではないが、俺の力で動かせるような代物ではない。
しばらく途方に暮れて、突然妙案が思いつく。
「そうだ! ちょっと待ってろ」
俺は牡鹿の柔らかい背を撫でて、インベントリから道具を取り出す。
「岩なら、これが適役だろ」
手に握り掲げるのは、大振りなツルハシ。
最近上げ始めた〈採掘〉スキルの使用に必須の道具だ。
「ちょっと退いてろよ」
牡鹿を下がらせ、ツルハシを振りかぶる。
大きく息を吸って力一杯にツルハシの切っ先を岩肌に打ち付ける。
「くぅっ! ってぇ……!」
ジンジンと痺れる手を振り、奥歯を噛み締める。
どうやらこの巨岩めちゃくちゃに硬いらしい。
「――でも、いけるな」
巨岩の上に表示された赤いバー。
僅かに削れたそれを見て俺は確信する。
やってやれないことはない。
「せーのっ」
ガン、ガン、と断続的に硬い音が夜の森に響く。
雀の涙ほどだが、しかし着実に巨岩の耐久値は削れていた。
「お前も手伝ってくれるのか」
ふと隣を見ると、牡鹿が蹄を巨岩に打ち付けている。
俺の採掘を手伝ってくれているらしいことに気づき、思わず笑いがこみ上げた。
ガン、ガンと言うツルハシの音。
カリカリ、と蹄が表面を擦る音。
滝から離れ、静寂に満ちた森の真ん中に二つの音が響き渡る。
俺は近くに焚き火を置いて、周囲の敵払いと明かりの確保、そしてLPの確保をする。
これのお陰で採掘によって消費するよりも早くLPが回復していくから、無限にツルハシを振ることができる。
もともとこういう単純作業は好きだ。
いつの間にか集中して、無心でツルハシを振るっていた。
そして……
「うわっ!」
ガンッ、と一際大きな手応えと共に岩に大きな亀裂が走る。
真っ二つになった巨岩はゆっくりと左右に傾き、ぱっくりと割れて倒れる。
表面はガラスのように滑らかだった。
「これは……」
それと同時にインベントリへ採取物が放り込まれる。
隕鉄の欠片、そう名付けられたアイテムが幾つもインベントリに並んでいた。
「これが下敷きになってたんだな」
割れた岩の下を見ると、小さな白い芽があった。
重い岩に押しつぶされていたはずなのに、力強く上を向いている。
「うわ、っとと」
芽を眺めていると、牡鹿が腹に頭を当ててくる。
ぐりぐりと押し込まれる頭はどこか嬉しげだ。
「――レッジさん!」
そこへ聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
驚いて顔を上げると、森の中からレティたちが転がり出てきた。
みんな顔まで泥だらけで、疲労の色がにじみ出ている。
「レティ、ラクト、エイミー。どうしてここに!?」
「レッジさんを探してたからに決まってるじゃないですか!」
「わぷっ!?」
レティが勢いよく突進してきて、俺の腹にタックルしてくる。
受け止めきれず地面に倒れると、彼女は俺に馬乗りになってぽかぽかと胸を叩いた。
「心配したんですからね! キャンプ見つけたのにもぬけの殻だし! なんかカンカン音がするから、恐る恐るやって来たんですよ」
「す、すまん。牡鹿に呼ばれて……」
「牡鹿?」
きょとんと首を傾げるレティ。
彼女は周囲を見渡し、俺の後ろに避難した牡鹿に今更ながら気がついた。
「おわわっ!? こ、この子、さっきの」
「キャンプで寝転んでたらこいつが来てな。ここまで連れられて、その岩を壊してたんだ」
「ど、どういうことなんですか?」
俺の説明にレティはいくつも疑問符を浮かべる。
まあ、俺だってすぐには理解できないし、さもありなん。
「とりあえず、詳しい話はキャンプに戻ってしない?」
歩いてやって来たエイミーがそう言って、俺を引き起こしてくれた。
「レッジ!」
「おふっ」
そこへ再度タックルをかまされ後ずさる。
今度はレティほどの威力は無く、掴まれた位置も低い。
視線を下ろすと、ラクトがひしと抱きついていた。
「ラクトも心配掛けたな」
「ほんとだよ!」
叫ぶように言うラクト。
彼女の柔らかな髪を撫で、俺たちは揃ってキャンプへと帰路についた。
_/_/_/_/_/
Tips
◇〈採掘〉スキル
採集系スキルの一つ。ツルハシを用いて鉱石を破壊し、鉱物を得る。希少な鉱石ほど扱いが難しく、手に入れるには力だけでなく技も必要となる。
Now Loading...
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます