第93話「ハイジャンプ」
レティたちは片時も足を休めることなく、上層をくまなく探索し続けた。
勢い勇んで新たなフィールドへやって来た他のプレイヤーたちにもレッジの特徴を伝え、また滝下へと至る方法を尋ねたが、どちらも有力な情報は集まらなかった。
「どうしましょうか……」
すでに日は地平線の彼方へ沈み、僅かに空の端に滲んでいた光の残滓も徐々に消えかかっている。
夜になればどんな危険に遭うかも分からない。
刻限は少しずつ、着実に近づいていた。
「やっぱり一回スサノオに戻りましょう」
意気消沈する二人の肩に手を置いて、年長者であるエイミーは気丈に声を張る。
「でもレッジはまだ死んでないよ」
地図の端に表示されたマーカーを見つめてラクトが言う。
「でも、もう物資も無いわ」
捜索中も、彼女たちは幾度となく戦闘を余儀なくされた。
上層にはそれだけしか生息していないのか、相手はレッジと共に滝下に姿を消したものと同種の怪魚である。
レティなどは怒りも籠もったハンマーで半ば自棄になって殴り倒していた。
付け替え式のハンマーヘッドも隙あらば爆発させていて、既に残りは現在装着している一つだけだ。
「どうして通話が繋がらないんでしょう」
レティが紫紺の空を見上げて途方に暮れる。
今まで重用していた遠隔通信手段が使用不能になるのは、前代未聞の出来事だった。
「掲示板で情報を集めてるけど、同じような話は聞かないんだよね。ほんと、よく分かんないよ」
ディスプレイを閉じてラクトが足を投げ出す。
閉塞した空気が三人の間に流れる。
率直に言えば、万策尽きてしまったのだった。
「――いいや、違いますね」
レティは赤い髪を揺らし首を振る。
すっくと立ち上がると、数歩進んで二人を見下ろす。
ルビーのような瞳には、固い決意の炎が燃えていた。
「滝から飛び降ります。レッジさんと同じ方法で」
「なっ、レティ!?」
「本気で言ってるの?」
ラクトとエイミーが驚き口を開く。
滝の高さは尋常ではない。
普通に考えれば、到底助かる可能性はなかった。
しかしレティははっきりと即答する。
「はい。でも、ただ飛び降りる訳じゃありません。レッジさんの状況を再現します」
彼女の言に二人が首を傾げる。
「あの魚と一緒に飛び降りるんです」
「そこに根拠はあるの?」
「ありません。でもレッジさんは生きています。それなら、助かった方法があるということ。その方法が分からないなら、レッジさんの状況をできる限り再現するのが早い筈です」
彼女は落ち着いていた。
冷静な口調で、とても理性とはかけ離れた事をいっていた。
ラクトとエイミーが顔を見合わせる。
「……わたしもいくよ」
「ラクト!?」
ラクトの言葉にエイミーが眉を上げる。
彼女も同調するのは予想外だった。
「どうせ死んでも、死に戻りするだけです。バックアップ時点にスキルが戻っても、後で上げなおせばいいだけですよ」
「所持金は何割か減るけど、それもまた集められるでしょ」
二人の気持ちは固まっていた。
しばらく押し黙っていたエイミーは、糸を切ったように息を吐く。
「分かったわ。やりましょう」
「エイミーはスサノオに戻ってもいいですよ?」
「何言ってるのよ。ここまで来たら一蓮托生に決まってるでしょ」
口元を緩めるエイミーに、レティは少し虚を突かれたように固まった後で笑みを返した。
「ありがとうございます。……それじゃあ、行きましょうか」
そうして彼女たちは行動を開始する。
まず始めに行うのは、怪魚――スケイルフィッシュの捜索だ。
「いました!」
幸いにして上層は大きな岩が転がっている以外は見通しの良いフィールドだ。
霧と夜闇に視界が阻まれているとはいえ、大柄な魚の影を見つけることは容易だった。
「もう逃げ隠れしませんよ。『守りの姿勢』!」
これまでは戦闘を避けるため身を隠すことを優先していたが、今は違う。
彼女はハンマーを大きく掲げて岩の上から飛び降りると、怪魚の前に仁王のように立ちはだかった。
「レティ、気をつけてよ」
「分かってます。――『破砕打』!」
ラクトの声を受けながら、レティは素早くハンマーを振り上げる。
反応する前に下顎を砕かれ、スケイルフィッシュは怒りに吠える。
「『プッシュガード』!」
大きな牙を差し向けるスケイルフィッシュの眼前に、盾を構えたエイミーが身体をねじ込む。
固い双盾に阻まれた上にその衝撃をそのまま返され、怪魚の巨体が仰け反る。
「『
ラクトは速射性に優れ、ナノマシンの消費も少ない低コストのアーツを使いスケイルフィッシュの行動を牽制する。
捜索の中で何度も怪魚とは対敵していた。
彼女たちはすでに、スケイルフィッシュの行動を覚え、最適な行動が取れるように成長していた。
「レティ、そろそろ」
「分かりましたっ」
後方からスケイルフィッシュの体力を見ていたラクトが声を掛ける。
それを合図に前衛の二人は身を翻し、スケイルフィッシュに背を向けて走り出す。
「追ってきてるわね。ラクト、掴まって」
エイミーが途中、歩幅の狭いラクトを拾いつつ走る。
バシャバシャと飛沫を上げて逃走を始める三人を、頭に血の上ったスケイルフィッシュは追いかける。
「来てますよ。足下注意してください!」
肩越しに後方を見てレティはほくそ笑む。
順調に事は進んでいた。
あとは泥に埋もれた石に気をつけながら、滝を目指して一心不乱に足を動かす。
「はぁっ、はぁっ!」
「エイミー大丈夫?」
「まかせなさいっ」
ラクトを背負ったエイミーは荒い息を吐く。
いかにフェアリーが小柄で軽いとはいえ、それでも鋼鉄の機械人形であることは変わりないのだ。
心配するラクトに笑いかけ、エイミーはいっそう速度を上げる。
スケイルフィッシュはヒレを巧みに動かし身をくねらせて、半分水上に露出しているというのに、猛然と追随している。
「もうすぐね」
轟音が近付き、霧の中に飛沫が混じる。
足下の流水も勢いを強めていた。
「行くわよ。もう待てないからね」
「大丈夫です」
「うん、いけるよ」
覚悟を決め、腹をくくる。
後を追うスケイルフィッシュはもうすぐそこまで迫っていた。
ギリギリの攻防の中で、彼女たちは最後の勇気を振り絞る。
「飛べぇぇええええっ!」
レティの絶叫が響き渡る。
彼女たちは力強く大地を踏み、強化人工筋繊維の許す限りの力を振り絞って跳躍する。
「きゃぁぁああああっ!」
「ふぎゃぁああ!」
白い靄の下にもはや大地は無い。
遙か下方に広がる陰鬱とした森が急激に近づく。
空中の飛沫をかき集め濡れそぼりながら、三人は互いに手を繋いで迫り来る恐怖に耐える。
「二人とも、スケイルフィッシュが!」
エイミーの背中にしがみついていたラクトが後方を見て言う。
空中でヒレをバタバタと動かして藻掻いていたスケイルフィッシュが、白目を剥いて身体を弛緩させていた。
「気絶してる!?」
「そういうことあるの? ていうか水面近い!」
「そうか分かった! 二人とも、これにしがみつくんだよ!」
等速で落下していく中でラクトが叫ぶ。
レティとエイミーは信じられないと目を見開いたが、他に方法は無かった。
藁にも縋るような心持ちで、白目を剥いた怪魚に縋る。
「ああもう、なるようになれぇぇえ!」
エイミーがぎゅっと目を閉じる。
ゴツゴツとした固い鱗に覆われた太い身体に腕を回した直後、彼女たちは勢いよく着水し高い水柱を立てて滝壺の底に沈んだ。
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Tips
◇強化人工筋繊維
機械人形を構成する主要パーツの一つ。伸縮性に優れ、秀でた引っ張り強度を持つ。ブルーブラッドに仲介される伝達信号に機敏に反応し、素早い行動を可能としている。超硬度ナノチューブを表層とする多層カーボンナノチューブ防御カバーに覆われており、スキンの下では黒い構造体が確認できる。
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