第92話「断絶の瀑布」
レティが目を覚ましたのは、レッジが仮拠点に定めた平たい岩の上だった。
柔らかな苔が敷かれているとはいえ、湿った岩は硬く冷たい。
節々に違和感を覚えつつ上半身を起こすと、ラクトとエイミーが駆け寄ってきた。
「良かった、目を覚ましたわね」
「もうなんともない? LPは回復してる?」
「はい。なんとか」
矢継ぎ早に繰り出される質問に頷き、レティは自分の状況を確認する。
自分の武器であるハンマーはすぐ隣に寝かされている。
LPも気絶している間に完全回復していた。
そこまで考えて、彼女は気を失った原因に思い当たった。
「そうだ、あの魚は? ていうかここは……。レッジさんは!?」
連鎖的に様々な疑問が浮かび上がり、レティは困惑する。
そんな彼女を、二人は気まずそうに見下ろした。
「レッジは、わたしたちを庇って……」
ラクトが事の顛末を話す。
彼が怪魚と共に行方をくらませ、通話にも応答しないと知ると、レティは顔面を蒼白にさせて跳ねるように立ち上がった。
「さ、捜さないと!」
「全部捜したよ。でも見つからなくて……。マーカーは、滝の下の方角を指してて……」
レティが眠っている間、ラクトは懸命な捜索を行っていた。
しかし元の場所は疎か、そこから瀑布に至るまでのどこにも彼はおらず、現在地を示すマーカーは更に奥を示している。
「……飛び降ります」
「ダメだよ、死んじゃうよ!」
「レッジさんは飛び降りたはずです。それでまだ死んでいないんですから、大丈夫です!」
駆け出そうとするレティを、ラクトがジャケットの裾にしがみついて押さえる。
「レティ、冷静になって。レッジは死んでこそいないみたいだけど、通話に応答できない状況には変わらないのよ」
見かねたエイミーが二人の間に立ち、それぞれの腕を握る。
冷静な言葉を注がれて、レティもひとまず行動を落ち着けた。
「そもそも、通話に応答できない状況ってなんなんでしょうか」
ハンマーを抱え込むようにして岩の上に腰を落ち着け、レティが首を捻る。
通話はシステムとして存在する物で、応答するのに必要なのはディスプレイをタップする多少の動作だけだ。
それすらもできない状況というのは、レティのように気絶しているか、石化などの行動阻害系の状態異常に陥っているかくらいしか考えられない。
「動けないとしたらスリップダメージを受けてる可能性もあるし、そうでなくても襲われたら反撃できずに死んじゃうわ。早いところ滝下に降りる方法を見つけないと」
「でもあれだけ探しても見つからなかったんだよ?」
「掲示板に情報は?」
「上がってないよ」
三人は押し黙り、なんとか打開策が無いかと思考を巡らせる。
しかしどれほど考えようと、滝下に至る道は見えてこなかった。
「やっぱり、実際に歩いて探さないといけませんね」
「そうよね。……別れるとまたあの魚が襲ってきた時に対応できないし、一緒に行きましょうか」
「賛成。わたしは弓も使えないしね」
ラクトが弦の切れた弓を見せて肩を竦める。
管を巻いていても仕方が無い。
そうして三人はひとまずレッジの現在地を示すマーカーを目指して歩き出した。
「そういえば、あの魚はどうなったんでしょうか」
「レッジと一緒に落ちたのかな」
「レッジ、食べられてないわよね」
†
目を覚ますと、目の前に魚の顔があった。
「……はっ!」
不細工な顔が視界を覆い尽くして、ついでに生臭い。
「し、死んでる……。こいつがクッションになったのか?」
滝を飛び降りたとき、こいつも俺を追って跳躍した。
あの後は飛沫の中で我武者羅に動いていたせいであまり覚えていないが、俺はこいつを抱きかかえた状態で目を覚ましていた。
滝壺の底に沈まずにこうして岸まで流れ着けたのも、こいつがフロートの代わりをしていてくれたからだろう。
「とりあえず死んでて良かった。生きてたら、俺が死んでた」
なむなむと手を合わせ、強敵の冥福を祈る。
異星の地の原生生物にあの世があるかは知らないが。
最悪の目覚めの後で俺が最初に感じたのは、全身を襲う痺れるような痛みだった。
LPゲージを見ると危険域を示す真っ赤な明滅が繰り返されていて、残量は1割を切っていた。
「あぶねぇ。死ぬとこだった」
あと少し何か衝撃を受けていれば、今頃また薄緑色の試験管の中に逆戻りだ。
いっそそっちの方が手間がなくなっていいかと考えもしたが、回収の手数料が増えるのはちょっと嫌だ。
「ふぅ……」
全身濡れ鼠で、鉛のように重たい。
まあ実際金属ではあるのだが、駆動系が損傷しているのかもしれない。
「ここは……」
思考に余裕が出来て、そこでようやく俺は周囲に響き渡る轟音に気がついた。
下半身が水に沈んでいる。
というよりは、ここに流れ着いて上半身が打ち上げられたと言うべきか。
「あそこから落ちてきたのか」
遙か上方を見上げ、言葉を零す。
怒濤の勢いで流れ落ちてくる膨大な水。
鋭い飛沫が全身をチクチクと刺す。
俺は、大瀑布の下、滝壺の縁に流れ着いていた。
「よく無事だったな……」
ビル何十階分の高さだろうか。
リアルなら3回死んでもおつりがきそうな、凶悪な絶景だ。
「しかしどうする。上に戻れるか?」
左右に顔を向けるも、見えるのはどこまでも続く白い垂れ幕のような滝ばかり。
あれに逆らって登れるほど、俺たち機械人形は高性能ではないはずだ。
「他へ進むのも、危険そうだなぁ」
滝壺の周囲は、浅く草の生えた水辺が少し広がっているだけだ。
すぐ近くまで鬱蒼とした森が広がっていて、太い木々が密集した薄気味の悪い暗闇が広がっている。
もう既に太陽は大きく傾き、じきに夜がやってくる。
夜の森の中立ち入るのは気が進まない。
「とりあえず連絡を……あれ?」
上にいるはずのレティたちに連絡を取ろうとして、俺は首を傾げる。
相手を選択する画面に表示された彼女たちの名前が、灰色になって選択できない。
ログアウトしている場合はステータス欄にその旨が表示されるはずだが、それもない。
「どういうことだ?」
レティが気絶しているからかと思ってエイミーとラクトも試すが同様だ。
それどころか、ネヴァやレングス、ひまわり、アストラ、アイ……、誰を選択しても通話が繋げない。
「分からん。何があったんだ」
しかし通話できないことだけは事実だ。
「ひとまずどこか隠れる場所を探すか」
LPの回復も、この機体では時間がかかる。
どこか身を休められるところを見つけることが先決だった。
「……こいつも持ってくか?」
俺は隣で事切れている怪魚を見下ろす。
物資も何もない状況なら、こいつも意味があったりするだろうか。
「くそ、ナイフがあれば解体するんだがな」
ないものねだりをしていても仕方ない。
俺は怪魚の傍に膝をつき、体表に手を乗せる。
分厚いゴツゴツとした銀色の鱗はまるで鎧のようだ。
厚ぼったい唇の陰に鋭い牙が幾重にも並んでいる。
腹がぼっこりと膨らんでいてこいつの貪欲さを良く表していた。
「『素材取得』」
どのスキルにも属さない、初歩的なテクニック。
それによりディスプレイが開き、インベントリにアイテムが移される。
皮と鱗と肉。
種類も数も、〈解体〉スキルを用いた時とは雲泥の差だ。
世のプレイヤーの大半がこんな劣悪な効率で狩りをしていることが、俄には信じられなかった。
「……これは……!」
そうしてインベントリに投げ入れられたものを眺めていて、俺はまた驚き声を上げた。
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Tips
◇サブ機体
死亡時に一時的に意識をインストールされる非常用の機体。装備品などはなく、初期状態のスケルトン。特定のアイテムを使用するテクニック類は使用できず、BBなど各種ステータスも初期値と同等。唯一〈登攀〉〈歩行〉などの技術系スキル及び〈鑑定〉〈解読〉などの知識系スキルは機体やアイテムに依存しないため使用することが可能。
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