第91話「怪魚再び」
「どうだレティ」
「だめですねぇ。どっちも見つかりません」
仮の拠点に設定した岩の上に戻ってきたレティは浮かない顔で首を振る。
「俺の身体も、滝の下に降りる道もないか……」
「レッジさんの身体が滝壺まで落ちてたら回収は絶望的ですよ」
「そうだよなぁ……」
瀑布と呼ぶに相応しい壮大な光景を目の当たりにした俺たちは、まず滝より上流側に機体があることを願った。
もし流されて遙か下方に落下していたら、俺たちには取りに行く方法がないからだ。
「エネミーには出会った?」
「あの牡鹿以降出会ってませんね。上層はあまり生息していないんでしょうか」
「川の深いところにはさっきみたいな魚がいるかもな」
「〈水泳〉スキルは上げてないので、注意して入らないようにしてます」
滝よりも上流の場所、便宜上上層と呼んでいる場所は全体的に薄く水の張ったフィールドだ。
木々や苔以外の植物もあまり見られず、だからこそ陸棲の原生生物の姿もなかった。
霧から出てきて、そして去って行った白い牡鹿も二度目は見ていない。
「そろそろ日が暮れるぞ……」
“鏡”に表示された時刻を見て言う。
夜になればがらりと環境を変えるフィールドは多い。
おおよその傾向としては昼間よりも夜間のほうが危険性は増す。
単純に暗闇は見通すことが難しい上、〈猛獣の森〉のフォレストウルフのように獰猛さを見せるようになるエネミーも多いからだ。
夜になれば捜索は難航し、そうなれば期限である24時間を経過してしまう可能性もでてくる。
「機体さえ見つけられれば、キャンプで夜も越せるんだが」
「ラクトが少し心配ね」
エイミーは捜索に出たまま帰ってこないラクトの身を案じる。
彼女は俺の護衛のためこの拠点に残ってくれていた。
「どこまで行ってるんでしょう。滝から落ちてないといいんですが」
ラクトは地図の描画範囲外まで離れているらしく、大まかな方角までしか分からない。
見た感じでは上層にいるのは確からしいが、たしかに少し帰還が遅かった。
「ラクトは賢いし、そうそうないだろ。」
「レッジさん分かってないですねぇ。彼女、ああみえて結構抜けてるとこ――」
レティが眉を寄せて言った言葉の途中、ふいに通信が入る。
「ラクト、どうした?」
『あいつを見つけた! けど手強くて、レティとエイミー居る?』
「あいつ? 二人はいるが」
『なら早く来て欲しい!』
切羽詰まったラクトの声。
弦のしなる音と矢の飛ぶ音がそれに混じる。
彼女は戦闘中に連絡してきているようだ。
「二人ともラクトから要請だ」
「分かりました!」
「分かったわ。レッジはどうする?」
「俺も付いていくさ」
俺にできることは何もないが、彼女の逼迫した状況が心配だった。
苔の絨毯を滑り降り、飛沫を上げて走る。
向かうべき場所はマップに示されている。
「敵と交戦中らしい。あいつを見つけたって言ってたが」
「あいつ? 牡鹿かしら」
「分からん。とりあえず急ごう」
石を蹴り、深い川を飛び越える。
薄く水の流れる地面は柔らかい泥が積もっていて、少しでも気を抜けば転げそうだ。
「マップに表示されましたね」
「もう少しか」
レティの言葉を聞いて一層足を速める。
マップ上に表示されたマーカーを目指し一直線に駆け抜ける。
霧のせいで視界は悪い。
それどころかだんだんと日が沈み、影が伸びていく。
「ッ! レッジさん、あそこっ」
先行するレティが前を指さす。
背の高い大岩の上に、見慣れた青いローブの少女が立っていた。
「ラクト!」
思わず声を上げる。
ローブが翻り、透き通った髪が広がる。
「レッジ! エイミー、レティ!」
若草色の目が開かれ、小さな口が大きく開かれる。
「伏せて!」
ラクトの恐怖の滲む必死の表情に驚く。
レティが俺の頭を抱え、川の中へと倒れ込んだ。 頭上を巨影がよぎる。
「ぐぼぼっ」
「すみません、レッジさん」
彼女は胸元に俺の頭を押しつけて限界まで身を縮める。
俺たちの頭上を横切ったのは、数時間前にラクトを喰らおうとしたあの怪魚だった。
「ぶはっ」
「レッジさん、早くラクトのところへ。ここはレティとエイミーに任せて下さい」
口早に言うレティに頷き、俺は岩をよじ登る。
〈登攀〉スキルは活きているから、行動だけはスムーズだ。
「ラクト、大丈夫か?」
「うん。あいつはここまで来れないから」
岩の上に座り込んでいたラクトの傍に寄り、声を掛ける。
彼女は強がって言うが、顔はこわばり肩も少し震えていた。
その小さな手に握られている短弓は、弦が真ん中でぷっつりと切れていた。
「あとはレティたちに任せよう」
「うん……」
俺は自分が情けなく思いながら、彼女の隣で趨勢を眺めることしかできなかった。
「あの魚、凄く硬い鱗をしてるんだ。アーツを撃ち込もうと思ったけど、詠唱を待ってくれないし」
「岩の上までは来ないんだろ?」
「でも体当たりして揺らしてくるから。しがみつくのが精一杯だったよ」
それでも彼女は果敢に戦い続けた。
怪魚のHPが半分も削れているのは、揺るぎないその証明だ。
「さあ、よくもレティの大事な仲間をいじめてくれやがりましたね」
レティが敵の眼前に立って啖呵を切る。
燃えるような髪を揺らめかせ、彼女は鋭い眼光で切りつける。
怪魚は水面から半分ほど顔を出し、黒い瞳でそれを見ていた。
「はぁぁああっ!」
レティが走る。
ほぼ同時に怪魚も身をくねらせて突進する。
半分水からはみ出しているとは思えないほど機敏な動きだ。
「『
しかしレティも一切の容赦をかなぐり捨てている。
開幕から全ての自己強化を施し、ハンマーの能力も解放する。
赤熱したヘッドが怪魚の顎に叩き付けられた。
「『爆砕打』ッ!」
爆音と爆風が全方位へと広がる。
飛沫が巻き上がり、炎が水面を赤く照らす。
「かった!?」
レティの驚愕する声。
怪魚のHPは、あれだけの衝撃を受けてなお三割以上を残していた。
「レティ!」
呆然とするレティへ、怪魚の鋭い牙が襲う。
俺の声に正気を取り戻すも避けきれない。
「私を忘れないでよね!」
エイミーが両者の間に飛び込み、腕をクロスして盾で怪魚を受け止める。
下顎の鱗の剥がれた怪魚は忌々しげに彼女を見下ろし、大きく口を開ける。
「ありがとうござい、ますっ!」
そこへレティが回り込み、柔らかな腹を狙ってヘッドを打ち込む。
弾力のある皮が波打ち、怪魚の身体がくの字に曲がる。
「レティ、尻尾が!」
「えっ――きゃあっ!?」
怪魚が身体を大きくしならせて、尾びれでレティを叩く。
不安定な体勢のまま直撃を受けたレティは吹き飛び、二転三転して川に横たわる。
「レティ! くうっ」
エイミーが顔を向けるが、怪魚の猛攻が駆け寄ることを許さない。
「ラクト、ここで待ってろ」
「レッジ!?」
俺はラクトの肩を叩き、岩を飛び降りる。
レティはぐっしょりと身体を濡らし、動かない。
上半身を抱き上げ状態を見る。
「気絶か、くそっ」
強い衝撃を頭部に受けたらしい。
彼女はぐったりとしたまま目を閉じている。
「エイミー、倒せるか?」
「攻撃間隔速すぎてムリ! 引きつけてるだけで精一杯よ!」
盾を構え、連続して防御技を使いながらエイミーは悲鳴を上げる。
少ない隙を縫って拳を打ち込んでいるようだが、硬い鱗に阻まれ期待できるほどのダメージは通っていない。
「逃げるのも……無理だな」
レティを抱えて逃げるのは無理だ。
脱力した人間というのはたとえ少女であっても重い。
全身鋼鉄製の機械ともなればなおさらだった。
……だからこそ、俺は口を開いた。
「ラクト、エイミーと二人でレティを運んで逃げろ」
「はえ……?」
岩の上に立ったラクトがきょとんとする。
言葉が染みこむうちに彼女は大きく目を開く。
「そんな、あいつに追いつかれるよ」
「だから俺がおとりになる」
「なんで!?」
「俺は仮の機体だ。死に戻りのリスクはない。でも三人は違うだろ」
「ダメだよ!」
ラクトが怒りの表情で首を振る。
「エイミー、聞いてたか?」
「……本当にいいの?」
頷く。
エイミーはそれを見て、小さく嘆息した。
俺は手近な石を掴み狙いを定める。
「――ふっ!」
テクニックもない、ただの投石。
しかし幸いなことにそれは思い描いた軌道を描き、エイミーが押さえ込んでいる魚の柔らかい目に直撃する。
「逃げろ二人とも!」
「行くよラクトッ!」
ギロリと目が動き俺を捉える。
俺は身を翻し、できるだけ弱そうに逃走する。
「レッジ!」
「ほら、こっちよ」
エイミーは二、三歩で岩を駆け上がると、ラクトを羽交い締めにして引き留める。
怪魚は完全に俺を獲物と捉え、三人には見向きもせずに追ってきた。
「エイミー、放して。レッジを助けないと!」
「あなた何も出来ないでしょ。レティを運ぶわよ」
二人の声が遠ざかる。
俺はすでに全力疾走していたが、怪魚は巨体に似合わない機敏な動きでじりじりと距離を詰めてくる。
「っ。仕方ないか」
ちらりと地図を確認し、進路を曲げる。
俺以外目に入っていない怪魚は追随してきている。
だんだんと急になる流れに後を押され、懸命に走る。
「――ほら、一緒に飛ぶぞ」
そうして俺は、怪魚と共に大瀑布から飛び降りた。
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Tips
◇耐久度
武器や防具、そして一部のアイテム類には耐久度が設定されている。使用したりダメージを受けたりするたびに消耗していき、耐久度がゼロになるとそのアイテムは不可逆的に破壊される。生産スキルを持ったプレイヤーやNPCが修理を施すことで耐久度を回復することは可能だが、その際も最大値が減少してしまう。
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