第78話「凱歌響く白泡の大地」

 断続的に爆発が起こる。

 そのたびに巨蟹の背が大きく揺らぎ傾く。


「せーのっ」


 エイミーの強力なアシストを受けてロープを引っ張ると、頬を煤で黒く汚したレティが戻ってくる。


「ふぅ、流石にLPの回復が間に合いませんね」

「『選択する治癒の円域セレクトヒールサークル』。これでいいか?」

「はい、ありがとうございます」


 『起動』『点火』そして〈杖術〉スキルのテクニックと立て続けにLPを消費するためか、レティにはキャンプの効果も追いつかない。

 そこを俺が〈支援アーツ〉でアシストしてやる。


「他の皆さんも頑張ってるみたいですねぇ」

「そうだな。トーカは少しやりづらそうだが」


 キャンプの方へと顔を向ければ、それぞれに攻撃を叩き込んでいる少女たちの姿が見える。

 ラクトは撃ち放題なのをいいことにアーツを景気よく乱発しているし、ミカゲはめちゃくちゃにクリティカルヒットを叩き込んでいる。

 そんな中で一人だけ、近接範囲の攻撃を主軸とするトーカだけは、巨大な敵の背中の上という立地とあまり相性が良くないようだった。


「トーカさん、首尾はどうですか?」

「レティさん。いやはや、なんともといったところでして……」


 何を思ったかレティは飛び降り爆破を中断し、トーカのもとへと歩み寄る。

 彼女が声を掛けると、トーカは少し恥ずかしそうに首筋を掻いた。


「切断系の技ではこの硬い甲殻が打ち砕けず、今は刺突系の技を打ち込んでいるところです。それも種類が少ない上、ディレイが長いので、時間当たりで計算すると微力もいいところなのですが」


 彼女は万策尽きたと眉を下げて言う。

 そんな姿を見たレティは不思議そうに首を傾げ、一つ質問を投げかける。


「でも、最初に鋏が飛んできたときはスッパリ切ってましたよね?」

「あれは……。鋏の関節を狙ったので、上手くいきました」


 その時のことを思い出してトーカは頬に手を添えた。

 あんなに切迫した状況で咄嗟に繰り出した技で的確に関節を狙える彼女の技量は、流石は〈剣術〉界隈のトップを走っているだけある。


「それじゃあ、トーカさん」

「はい?」


 そんな彼女に向かって、レティが朗らかな笑みを浮かべる。


「レティと一緒に、脚を切りに行きませんか?」

「……はい?」


 トーカの表情が硬直する。

 俺とエイミーは顔を見合わせ、首を傾げる。


「これを、こうして……はい!」


 俺たちがきょとんとしている間に、レティはロープを使ってトーカの身体を巻き込む。

 あれよあれよと結ばれて、彼女はレティと背中合わせの形で密着していた。


「はい? え?」

「よし、完璧」

「いやあの、これは……?」

「じゃあレッジさん、エイミー、よろしくお願いします」


 あたふたと狼狽えるトーカを背中に背負って、レティは甲羅の縁まで歩いて行く。


「それじゃあご一緒に」

「ご、ご一緒に!?」

「あい、きゃん、ふらぁあああい!」

「ふにゃぁああああ!?」


 躊躇なく飛び出すレティ。

 彼女の背中に固定されたトーカは、背中から落下していく恐怖に絶叫する。


「ぐぉぉ、もう少し余裕を持って行動しろって!」


 シュルシュルと伸びていくロープを握り、その勢いを止めていく。

 下の方で爆発が起こり、間髪入れず硬質な剣戟が後を追う。

 なんだかんだと言いつつトーカも冷静に対応しているようだ。


「おお、HPもかなり減るな」


 頭上に浮かぶカニのHPは、脚を一本爆破するごとに大きく目減りする。

 今回はそれに加えてトーカの斬撃も合わさって、二倍以上のダメージが入っていた。


「レッジさーん、引き上げて下さい!」

「はいはい」


 下の方から響く声に従いロープを引き上げると、つやつやとした表情のレティと顔を青ざめさせたトーカが現れる。


「うぅ、こわかった……」


 刀を抱えてぷるぷると震える黒髪の少女は、平時の凜とした雰囲気を捨てて濡れた子猫のような悲哀に満ちていた。


「レティ、流石に今のは……」

「う、ごめんなさい」


 エイミーが見かねた様子で腰に手を当てレティを見下ろす。

 彼女も流石にやり過ぎたと思ったのか、しゅんと肩を落としていた。


「あの、さっきは心の準備ができてなかったので。次からは大丈夫だと思います」


 おずおずと手を上げて言うトーカ。

 レティは彼女を見てじわりと瞳を潤ませると、がばりと抱きついた。


「うぅぅ! ありがとうございますっ」

「うぎゅ、く、くるし……」


 腕力極振りのレティに抱きしめられたトーカがばんばんと背中を叩く。

 レティが解放すると、彼女はにっこりと笑って言った。


「それじゃ、もう一回行きましょうか」

「はいっ!」


 もう一度ロープを結び直し、今度こそトーカの合図で飛び降りる。

 爆炎と剣戟、そのまま横にずれ、さらに爆炎と剣戟が繰り返される。

 二人になったことでLPにも余裕ができたのか、脚を一本折るたびに帰ってくる必要がなくなったらしい。


「トーカ、行きますよっ」

「っ! わかりました、レティ!」


 いろいろな意味で一つになったお陰か、二人の距離感も縮まったらしい。

 爆発と切断のコンビネーションは数を経るごとに洗練され、より効果的なものへと成っていく。


「彩花流・二式抜刀ノ型――『百合舞わし』ッ!」

「ふぎゃああああ!?」


 勢いよくロープが捻れ、レティの悲鳴が響き渡る。

 どうやらトーカの使ったテクニックによってぐるぐるとスピンが掛かってしまったらしい。


「うおおおっ!?」

「くぅ、『霊亀の構え』ッ!」


 一際大きく甲羅が揺れ、殆ど鋭角まで足下が傾く。

 エイミーが『霊亀の構え』を取って耐えようとするが、流石に重力に反することはできない。


「っ! うおおおおおおっ!」


 ロープを歯で噛み、両手両足を使って斜面を駆け上る。

 パラパラと細かい甲殻の破片や氷の欠片が降ってくるのにも構わず、キャンプの防壁を目指す。


「レッジ!」

「ぐぬぁああああ!」


 下方でエイミーが叫ぶ。

 彼女とレティたち、三人分の体重を吊り下げながら、勢いだけで登っていく。

 〈登攀〉スキルに怒濤の勢いで経験値が注ぎ込まれていくのが分かる。

 しかし重力は執拗に俺の全身を絡め取り、遙か彼方の地面へ叩き付けようと引っ張ってくる。

 地面の傾きは今だ収まらず、次第に指先の感覚がすり減っていく。


「『絡め蜘蛛』ッ!」

「ぐぬっ!?」


 その時、不意に俺の全身に黒い糸が纏わり付いた。

 それは重力の手を振り払い、俺の身体を上から吊り下げる。


「レッジ!」

「こっち」


 上から、ほとんど真横から迫り出した防壁に乗ったラクトとミカゲが顔を出し、俺の方を見ていた。


「えっと、えっと……『氷の壁アイスウォール』!」


 ラクトの声と共に、甲殻から白い氷の壁が生えてくる。

 そこによじ登ると二人も上から降りてきて、三人でエイミーたちを回収する。


「た、助かったわ……」

「びっくりしました……」


 エイミーたちは氷の上にへなへなと座り込み、大きく息を吐く。


「何が起こったんだ?」

「えっと、脚を切り過ぎちゃった、みたいな?」

「うぅ、面目ないです……」


 しゅんと俯くトーカ。

 どうやら彼女とレティの働きで、片側の脚を全て切り落としてしまったらしい。


「……みんな、おつかれさま」


 ミカゲが不意に口を開く。

 その言葉に顔を上げると、彼は頭上を指さした。

 そこには、僅かに数ミリだけ残ったカニのHPバーが表示されている。

 あと一息、少しの攻撃で削れてしまう。

 この巨蟹も風前の灯火だった。


「えっと、誰がトドメを刺す?」


 俺が周りを見渡して言うと、全員がそれぞれに顔を見合わせる。

 ずっと待っていても埒が明かない予感がして、俺は思わずため息をついた。


「――それじゃあ、いくぞ。3、2、……」

「はいっ!」

「いつでもいいわよ」

「準備いいよー」

「いける」

「大丈夫ですっ」


 全員がそれぞれに構えているのを確認し、俺は頷く。


「――1」


 同時に繰り出される渾身の一撃。

 それは僅かに繋がっていた巨蟹の魂魄を食いちぎり、赤いバーを灰色に染め上げる。

 巨蟹が震え、無数の泡と共に断末魔を上げる。


『オォォォオオオオオオオッ!」


 深紅の空を震わせる絶叫。

 それに呼応するように、草原を埋め尽くしていた蟹たちが大きく鋏を掲げて震える。

 蟹はぶくぶくと泡を吐き出し始める。

 暁紅に染まっていた大地が、白に上書きされていく。


「……終わったな」

「はい」


 巨蟹の甲殻の頂に登り、その光景を眺望する。

 戦線を支えていたプレイヤーたち、そして蹂躙していたアストラたちが凱旋の声を上げる。

 スサノオは青い光の柱を幾本も立ち上げて、彼らの雄姿を称賛する祝砲を打ち上げていた。


『進行中の敵性原生生物の停止を確認』

『現時点を以て、〈特殊開拓指令;暁紅の侵攻〉の第一フェーズを完遂したことを宣言します』


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Tips

◇『氷の壁アイスウォール

 二つのパーツチップからなる初級アーツ。地面から氷の壁を垂直に生成する。白く不透明かつ通常の氷よりも頑強なため、遮蔽物や障害物として活用可能。シンプル故に術者の技量が求められる。


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