第77話「おおきなカニの背の上で」

 凍結した巨蟹の背に黒鉄の要塞が立ち上がる。

 その瞬間にラクトのLPは回復に転じはじめ、彼女は驚きに目を瞬かせて周囲を見渡した。


「ほ、ほんとにキャンプを建てちゃいました……」


 レティが愕然として黒い防壁を見上げる。

 十分な広さと平坦さの確保された場所である以上、建てられない道理なぞあるはずもないのだ。


「流石にエネミーの上に建てるのは想定されていないのでは?」


 エイミーが呆れ顔で言ってくるが、俺は胸を張ってそれに抗弁する。


「禁止されてないなら許されてるってことさ」


 定期メンテナンスで修正されるかもしれないがな。


「それよりも、だ」

「はい?」

「キャンプを建てた場所が敵の直上ってことは、殴り放題ってことだぞ」

「むむっ! それもそうですね」


 レティはその言葉を聞いてころりと表情を変える。

 先ほどまでの困惑はどこへやら、一転してやる気に満ちあふれた顔で赤い瞳を輝かせた。


「よぅし、元気だしていきましょー!」


 高らかに声を上げ、彼女は黒光りするハンマーを大きく振りかぶる。


「ちょ、おま、もう少し離れて――」

「『起動トリガー』、『点火イグニッション』ッ!」


 俺が制止の手を伸ばすよりも早く、爆炎が巨蟹の甲殻の上で噴き上がる。


「うおおおぉぉおおお!?」

「きゃぁ!?」


 氷が砕け、爆風が下腹を殴り上げる。

 踏ん張ることもできずに吹き飛ばされた俺は、キャンプをぐるりと囲う防御壁にしこたま背中を打ち付けた。


「いっだだ……」

「す、すみません」


 吹き飛ばされた俺たちに気付いたレティがしゅんと耳を倒して肩を縮める。

 そんなことをしている間にもLPはどんどん回復しているから、別にたいした被害ではないが……。


「以後、気をつけてくれ」

「はい……」


 何度もやられても困るから、一応軽く釘だけはさしておく。


「さて、それじゃあ各位頑張って攻撃してくれ。ちなみにさっきの爆破でも1割も削れてないぞ」


 頭上に浮かぶ巨蟹の体力を示す赤いバーを見上げ、パーティメンバーたちに声を掛ける。

 彼女たちは立ち上がると、それぞれの目に闘志を漲らせ、武器を引き抜いた。


「それともう一つ」


 そこへラクトが前に出て口を開く。

 完全に回復した彼女は、しかし少々浮かない表情をしていた。


「さっきの爆発でアーツの効果が切れちゃった。――蟹が動き出すよ」


 その声を合図にしたように、地面――巨蟹の背が大きく揺れる。

 体表を覆っていた氷が細かに割れて剥落し、深紅の鮮やかな色を取り戻す。


「っ、来ます!」


 トーカの鋭い声。

 頭上を見上げると、細長い腕が持ち上げられ、鋭利な鋏がこちらへ向かっていた。


「――『絡め蜘蛛』」


 どこからか黒い糸のようなものが飛来し、巨蟹の腕に絡みつく。

 千切れながらも幾度も巻き付き束なり、それは太い腕を拘束していく。


「ミカゲ、ナイスだ」

「……行動阻害は、任せて」


 地面に手をついたまま、覆面の隙間からどや顔を見せるニンジャボーイ。

 彼の糸によって蟹が行動を止めた隙に、更なる攻撃が放たれる。


「彩花流・一式抜刀ノ型――『花椿』」


 甲高い、硬質な音が暁の空に響き渡る。

 遅れて赤黒いダメージエフェクトが飛沫を上げて降り注ぐ。


「やりましたっ!」


 トーカの歓声と共に、大きな爪が切り取られ重力のままに落下する。


「うにゃぁあああ、汚名挽回ハンマー!」


 テントの直上に落ちてきた爪を、レティが大きく跳躍してハンマーで殴り飛ばす。

 大地へと落ちていくそれをみて、彼女は満足げに息を吐いて胸を張った。


「どうです、役に立ちましたか?」

「ああ、ナイスだ。汚名は返上するもんだがな」

「ぬあっ!?」


 耳の先まで真っ赤にしたレティは、八つ当たりのように地面を殴りつける。

 それだけでも結構なダメージが入っていくから、存分にやってもらいたい。


「おっと、腕はもう一本あったわね」


 エイミーがそう言いながら、勢いよく突っ込んできた二本目の鋏を両腕の盾で阻む。

 前傾姿勢で踏ん張りながらも、圧倒的な体格差からくる力の暴力により、じりじりと追い詰められていく。

 しかし彼女の表情はゆるく、口角に微かな笑みがあった。


「ふふん、――『鋼鉄の拳』『気功循環』『金の型』『霊亀の構え』」


 連続して発動されるテクニック。

 彼女の拳は硬く、身体はしなやかに、そして不動に。

 ずん、と重量感を増した彼女は背丈ほどもある鋏を受け止めてしっかりと掴む。


「『見切り』『攻めの姿勢』『野獣の牙』『決死の一撃』――」


 鋭い空色の瞳で敵の身体を見極める。

 重ね掛けされた攻撃力上昇のバフにより、膨大な力を両腕の拳に溜める。


「――『衝角拳』ッ!」


 ただ一点だけを貫く最小の一撃。

 破壊力よりも貫通力を求めた、分厚い障壁を貫き通す一手。

 的確に捉えられた分厚い甲殻にある薄部を狙い、その一撃は放たれる。

 亀裂が放射状に走り、固い殻が崩壊する。

 内包されていた柔らかな白い肉が、一瞬のうちに凍結し、破砕する。


「――『凍結し砕ける矢アイスブレイク』」


 ラクトの放った一矢は、エイミーの開いた弱点を的確に貫いていた。

 瞬く間に二本の腕を失った蟹が口から大量の泡を吹き出す。


「おおおお、こういうギミックもあるのね!?」


 ぐらぐらと揺れる地面によろめきながら、エイミーが興奮して声を上げる。


「しかしこう揺れられちゃまともに攻撃できないな」


 砦の柱に掴まっているのがやっとだ。

 俺の仕事はキャンプの維持だからそれでもいいが、戦闘職の彼女たちはそうも行かない。


「そういうことなら任せて下さい! レティの専門は部位破壊ですからね!」


 そんな時、レティがにわかに立ち上がると声を上げる。

 彼女はハンマーを肩に担ぎ、防壁の外へと飛び出した。


「ちょっと待て!?」

「な、なんですか?」


 慌てて肩を掴んで彼女を引き留めて、俺はインベントリからラクトを固定していたロープを取り出す。


「丸腰で出て行っても、吹っ飛ぶだけだ。これを着けとけ」

「わお、ありがとうございます」


 彼女の腰にロープを結び、先端を俺の腰に結ぶ。

 本当はキャンプのポールにでも結びたかったが、そうするには長さが足りなかった。


「じゃあ行ってきます!」

「おう。気をつけて暴れてこい」


 彼女は満面の笑みを浮かべて走り出す。

 そうして――


「あい、きゃん、ふらぁぁあああい!」


 大きくジャンプしたかと思うと、真っ逆さまに飛び降りていった。


「うぉぉぉお、そんなに勢い付ける奴があるか!」


 シュルシュルと伸びていくロープを掴み、必死になってブレーキを掛ける。

 そんな努力も虚しくロープは伸びきり、ギリギリと張り詰める。

 足場が不安定なこともあり、少しずつ甲羅の縁へと滑っていく。


「よいしょっと。こういうのは私が適任だと思うんだけどな」


 不意に腰に手を回され、途端に杭でも打ったかのように身体が固定される。

 驚いて振り向けば、エイミーが苦笑いして身体を密着させていた。


「お、おう。冷静に考えたらそうだな……」


 エイミーの使うテクニック、『霊亀の構え』はノックバックや強制移動を無効化するものだ。

 彼女がロープを持ってくれていれば、俺が焦る必要はなかった。


「まあでも、レッジじゃないとレティちゃんは御せないかな?」


 クスクスと笑うエイミー。

 その時、足下の更に下から爆発が起きた。


「ぬぉぉお! 『発火イグニッション』!」


 レティの声が上がり、更に爆発。

 巨蟹の背中が大きく傾き、残っていた氷の欠片が滑り落ちていく。


「おおおお、引っ張り上げてくれ!」

「りょーかい!」


 エイミーが俺をむんずと掴むと、ゴーレムとヒューマノイドの体格差によって足が浮く。

 そのまま彼女は坂道を駆け上がって、俺と共にレティを引き上げる。


「どうですレッジさん、レティの働きはぁぁあああ!? な、何やってるんですかレッジさんなんで抱っこされてるんですか!?」

「これは必要な措置なんだ、突っ込まないでくれ!」

「そうもいきませんよ、てってーついきゅーを希望します!」

「それよりも他の足も叩き折ってくれ!」

「レッジさんがエイミーさんとくっつくの止めてくれたら!」

「いまそう言う状況じゃないだろ!? 後で何でも聞いてやるから!」


 ぴくりとレティの耳が動いた。

 ……また何か失言してしまったらしい。


「いや、あの……聞いてやるっていうのはそういう意味では……」

「うふふ。わっかりましたそういうことならやってやろうじゃありませんか!」


 ヴン、とハンマーを振り、深紅の甲殻に叩き付ける。

 大きな亀裂が入るのも構わず、彼女は満面の笑みを浮かべた。


「イベント終わったら、楽しみにしてますね」

「お、おう……」


 にっこりと笑みを浮かべたまま、そんなことを言い残してレティはまた落下していった。


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Tips

◇『霊亀の構え』

 〈格闘〉スキルレベル25、〈盾〉スキルレベル30を条件に習得できるテクニック。不動の構えを取ることで大きな衝撃を受けても耐えることができるようになる。


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